ファジー編 1
○二年前○
「……ミルダ?」
どこかで聞いたことのある名前に、あたしは首をかしげた。
村はずれの、日当たりのいい森林はあたしと弟の秘密の場所。毎日そこに通って木苺をつむのがあたしの日課で、今日も休息場所の倒木に腰かけてお昼ご飯を食べているところだった。
そこに、ミルダと名乗る彼がやってきたのは、ほんのちょっと前のこと。
二人腰かけてもまだ余裕のあるほど大きな倒木は、苔がむしながらも壊れる様子はない。その上でうんと身体を伸ばす彼は、梢の間からさす光に心地よさそうに目を細めた。
太陽の光はいつものようにあたたかいけど、今日の森はなんだかよそよそしい、冷たい空気を流している。それがわかるのは毎日ここで長い時間を過ごすあたしだけで、ミルダはのんきに「いい森だな」と呟いた。
「十三のときから旅してるんだ。だから今年で五年目にはいったとこ。一人前のモディファニストにしちゃ若いんだぜ、これでも」
肩をすくめて笑うミルダは、あたしのカゴから一粒、木苺をつまみあげた。木苺は足元一面に広がっているのに、それには目もくれない。
彼が隣にいるだけで、森のにおいが強くなった気がする。まるで草むらで転がったような若々しい新芽の香りは、たしかにミルダから薫っていた。
「……ぅわ、すっぱ」
木苺を食べるなり顔をしかめたミルダ。その端正な横顔をまじまじと見つめて、あたしはようやくその名前を思い出した。
「あぁ、『常緑のジョナ』ね」
魔術師ジョナ・M・ミルダ。通称、常緑のジョナ。本名よりもその通り名のほうが有名で、こんなちんけな村でもその名声は吟遊詩人により伝えられていた。
「天才モディファニスト、の」
天才、のところで、彼は顔をしかめてみせる。そしてふたたび顔をあげ、ざわめく木々の間から晴天をあおいだ。
「俺ぐらいのレベルなんてほかにもたくさんいるさ。ただ、みんなモディファニストをやりたがらないだけ。天才なんてものじゃない」
魔術師を親にもったあたしは、魔術師でも様々な種類があることを知っている。一般でいう白魔術師、黒魔術師。そのほかにも細かな呼び名があって、魔術師はその総称だ。
そしてモディファニストは、あまり良いイメージのある魔術師ではなかった。
モディファニストは儲からない。そう、小さい頃教えられた。
天使から悪魔までをふくむ魔獣の中に、特殊な五種がいる。焔獣、水獣、金獣、樹獣、地獣と、それぞれ名前のものをつかさどる理獣たち。それとモディファニストは密接な関係にあった。
普通の魔獣たちと違って、この理獣はよく身体や精神に異常をきたす。それを正常に戻す魔術師がモディファニストと呼ばれていた。
このモディファニストもいろいろ受難があるようで、魔術を使うときに普通の魔術師の何倍もの力を使う。そのわりに、何も得ることがない。なっても無駄、力の無駄使い、魔術師の恥さらしと、それはそれはひどいいわれようだった。
数年前までは。
「最近はもう人手不足で人手不足で……」
ミルダは心底困っているような口調で、心底嬉しそうに笑った。
近頃、異常化する理獣の数が急激に増えてきていて、人々がモディファニストを求めるようになっている。
だから魔術師たちもモディファニストになろうとするのだけど、ほかの魔術師と違って、モディファニストはなるのが非常に困難だ。だからモディファニストの需要と供給が間に合わなくて、今やモディファニストはなにより有名な魔術師になっていた。