ファジー編 11
「ミルダ、そんなに早く歩かないでよ!」
夜明け前の薄暗い森。鳥目のあたしには今ぐらいの時間帯が一番行動しづらくて、わずかな風音にもおびえては立ち止まっていた。
「太陽が出る前に行きたいんだ」
そんなあたしを気づかって、ミルダが手をさしのべてくれる。普段なら遠慮したり軽く握ったりするだけだろうけど、今のあたしにそんな余裕はなく、ミルダが驚いて固まってしまうほど強くその腕にしがみついた。
「……そのまま、離れるなよ」
咳払いをひとつし、ミルダが再び歩き始める。あたしは彼にぴったりとくっつき、薄闇に目をならそうと軽く目を伏せた。
西の森は道の整備が甘く、荒れに荒れて獣道のようになってしまっている。足元に転がる小枝や、地を突き破る根に足をひっかけては、あたしはぎゃあだのうわだの女の子らしからぬ奇声をあげていた。
いつもは明るいから普通に歩ける。けれどこうも暗いと、慣れ親しんだはずの森が別の森のように思えて、恐怖心が先走ってしまうのだ。
「ターニャ、お前少し落ち着け」
「そんなこと言われても!」
林道に慣れてきたかと思えば、今度は獣の気配に身がすくむ。みんな、あたしたちが森に入ることを歓迎していない。去れ、戻れとうったえる空気が、圧迫感となって歩みを止めてしまう。
きっとミルダはこんな中を何度も歩いたことがあるのだろう。呆れまじりのため息をついて、あたしの耳に唇を寄せた。
「俺だけに集中しろ」
かすかに唇が触れて、あたしは彼の緑の香を強く感じる。呼吸のたびにそれを吸うと、押しつぶされそうだった身体が、少しずつ楽になっていった。
「声が聞こえないから怖いんだろ? じゃあ話しながら行こう」
かなりの近距離にあった顔を離し、ミルダはさきほどよりも遅く歩いた。気持ち少しだけ身体をあたしに預け、自分が今までどんな旅をしてきたかを簡単にだけど教えてくれた。
「旅をしていくうちに、理獣たちの異常化にもある程度パターンがあることに気づいたんだ。この村も、そのパターンのひとつ」
ミュラミネ村の近くで異常化する理獣のほとんどは、水獣だ。村をはしる川の水かさが減っているのはそのせいで、この異常化の原因は水の近くで起きている。
だから今、あたしたちは水を目指している。ミュラ酒に使う地下水のもと。西の森には、村の水の源である泉があるのだ。
「魔獣が異常化する原因のひとつに、魔術師の失敗があるんだ」
「……失敗?」
「そう。魔術師は術を使うとき、自分の魔力と近くにいる理獣の魔力を使うんだ。今回は原因の魔術師が水術を使って、しかもそれが失敗しているんだと思う。術を使うとき、魔術師にも理獣にも負担がかかるんだけど、失敗すると自分に跳ね返ってくるものが大きくなるんだ。それが水獣に行って、異常化するのもおかしいことではないだろ?」
現在使われているほとんどの魔術は、自分の魔力だけでは足りないものらしい。本人が意図せずとも、近くにいる理獣から魔力を奪ってしまう。だから理獣の少ない地域では、魔術師も術を使うことが難しくなるそうだ。
「俺たちは今、その魔術師に会いに行ってるんだよ」
「それが誰か、ミルダはわかってるの?」
もちろん、と彼は得意げに言った。
「ミュラミネ・コードだ」