Ep.** 【旅の結末】
そして、二人がそこに残った。
赤いスカーフを纏った、真紅の瞳を持つ黒衣の魔王は、地に伏せている勇者に漆黒の剣を突きつけている。
青いマフラーを身に纏った勇者は深く傷ついているがまだ動けるようで、上半身を起こしながら口の中に残った血を吐き出し、手の甲で口元をぬぐう。魔王を睨み上げるその瞳は、青色に輝いている。
未だ諦めを宿さないその瞳が忌々しいとばかりに、魔王は剣の切っ先を勇者の首元へと当てた。
「俺には理解できないな、人を嫌ったお前がなぜ、そこまでする?」
「この世界は俺が創ったんだ。俺の世界を守って……何が悪い」
勇者が左手をかざすと、部屋の壁に突き刺さっていた剣が消え、手元へと呼び戻される。目の前に浮かんだそれを右手で握ると、勇者は漆黒の剣に叩きつけるように床へと突き立てた。不快を誘うような金属音が静かな部屋に響き渡り、首元に当てられていた剣が弾かれる。それと同時に足音と舌打ちも聞こえた。
勇者は目の前に突き立てた剣を重心にして力を込めるが、どうやらもう身体を持ち上げるだけの体力すら残っていないらしく、立ち上がることはできなかった。自身の身体が思っている以上に弱っている事を知った勇者は膝をつくと、傷口に手を当て回復魔法を込める。魔王はその姿を鼻で笑うが、勇者もまたそれを見て静かに笑った。
「お前にはわからないさ。俺の気持ちは」
「あぁ、わからないな。もはや俺は、お前ではなくなった」
傷を癒そうとする勇者に魔王は苛立ちを含ませながら言い放つ。その表情は退屈そうで、真紅の瞳はもはや興味も失せかけているように勇者を見下している。
彼は左手の剣に魔力を込めると、静かに構えなおした。破壊を司る黒のエレムで出来た剣は、それと相反する白のエレム以外の何もかもを破壊する。どんな物質であろうといとも簡単に切り裂いてしまうその剣は、軽く一振りするだけで勇者の身体を真っ二つにしてしまうだろう。そんな魔王の様子を見て、勇者も思わず回復の手を止めた。
「言い残す事はそれだけか?」
「……あと、もう少し」
彼の剣を制すように手のひらを見せると、勇者は鞄の中から使い古されたようなぼろぼろのノートを一冊取り出した。ぱらぱらとページをめくりながら、同じく取り出したペンを手に取る。そちらも塗装が剥げているようだが、日本で市販されているごく普通のシャープペンシルのようだった。
床にノートを置いた勇者は、その最後のページに何か言葉を書きなぐる。魔王が訝しげに覗き込むが、荒れた字を解読するのは困難だった。どうせ大した内容ではないと判断したのか、彼は呆れたように首を横に振ると勇者から視線をそらした。
まもなくして勇者は顔を上げ、にたり、と不恰好に笑うと手に持ったペンをぽいと投げ捨てた。プラスチックで出来たペンは軽い音を立ててて床に落ちると、薄暗い部屋の隅へと消えていく。勇者はノートだけ拾うと、書き込んだページを確認して静かにそれを閉じ、そっと鞄の中へと入れた。
「これで、完成だ」
「そうか。それはよかったな。……そんなノート、今更何の意味がある」
「このノートの意味を知らない訳じゃあるまい?」
「だからこそ、今更だと言ったんだ」
この世界にとって、特別な意味を持っている一冊のノート。しかしこの状況ではもはや何の役にも立たないはずだ、と魔王は思っただろう。何故なら彼が左手に持っているその剣を一振りするだけで、この物語は終わりを迎える。勇者の仲間もとうに居なくなった。今更その結末を変えられるはずがない、それは勇者自身も知っている事だった。
しかし勇者は依然不敵な笑みを見せていた。笑みを作るのが下手なのか、不恰好に引きつってはいるが、青色の瞳は未だ光を失っていない。
「ノートの意味は知っていても、この物語の意味を知らないんだな」
「……悪いが戯言は大概にしてもらおうか。いい加減飽きてきた」
「そう、それじゃ終わりにしていいよ。俺も楽じゃないからさ」
笑いながら両腕を開くと、勇者は目を閉じる。
魔王はほんの一瞬だけ何かを考えたようだったが、静かにその剣を振った。
――こうして、勇者の物語は幕を閉じた。
この勇者が魔王に敵うことは決してない、バッドエンドとして創られた物語。
但し、それが本当に<バッドエンド>だったのかは、"私たち"以外の誰も知るところではない。