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時間

作者: のきした

よろしくお読み下さい。

私は新聞を持つ、枯れ枝のようにカサカサで節くれだった手を眺める。

いつだったかは忘れたが、遊びに来た孫が枯れ葉のついた木の枝を私に見せつけ、「ジジィのようだ」とのたまった事があった。

私はもちろんそいつの頭を叩いておいた。

息子に男の赤ちゃんが出来た時は、これ以上のないほど妻の春江と喜んだが、成長してみればただの生意気なガキでしかない。

そんな取り留めのない思い出を思い出したせいで、新聞の字が全く頭に入ってこない。

私はため息を一つ零し、新聞を脇にある机に置いた。

手を揉みながら、部屋を眺める。

自分と同じように所々、ガタがきている机に、身体を少し動かしただけでギシギシと音のなる椅子。

煤けた壁には、孫が小さかった頃に書いてくれた私の似顔絵や息子家族の写真が貼ってある。

しかし紙は薄茶色に傷んでしまっているものもあるし、貰った当初は鮮明だった写真も薄ぼんやりとなっていた。

月日が流れるのは恐ろしく早い。

ついこの間、若葉だったものが枯れ葉に変わってしまう。

息子やその嫁、孫ともどんどん疎遠になってきている。

揉んでいた手を開く。

何も掴んではいない。

これからも掴むことはなく、手放していくばかりだろう。そう思うと、虚しさと言うべきか、もやもやとした感情が胸に浮かんできた。

「辰夫さん、只今帰りましたよ」

その胸のもやもやを晴らすように、妻が買い物から帰ってきた。

私は妻を出迎えるため椅子から立ち上がった。

ギシリと嫌な音が椅子かからか私の身体からか聞こえたが、気にしなかった。

いちいちこの嫌な音を気に掛けていたら、何も出来なくなってしまう。

「お帰り、春江」

部屋から出てすぐ隣にある玄関には、野菜やお惣菜が顔を覗かせる買い物袋が置いてある。

その横で春江は靴を脱いでいた。

「この年になると、靴を脱ぐのさえ重労働ですよ」

春江が笑いを含みながらそう言うのに対し、私はああ、と短く答えながら彼女の丸く曲がった背や白と黒が混ざった灰色の髪を眺めた。

春江がふとこちらを見上げる。

昔と変わらない垂れ目の優しい眼差しが私を包む。

「何をぼんやりしているんですか、辰夫さん。まさか私が買い物に行っている短い間にボケてしまいましたか?」

春江は昔から優しい眼差しとは反対の辛辣な言葉で私をつつく。

私は買い物袋を手に、台所へ向かった。

あとから春江もついてくる。

「今日はちょっと高めの卵を買ったんですよ。あなた、オムライス好きだったでしょう」

台所の高さは全て、背が丸くなり縮んでしまった春江の高さに全て合わせて造り直してもらった。そして壁は春江が望んだ淡いオレンジとピンクのタイル張りになっている。

私が台所でいるべき場所はダイニングテーブルであり、ここで必要とされるときは背の高い棚にしまってある皿を取るときや重い買い物袋を運ぶときだけだ。

台所は春江のものだった。

「それは孫の竜也が好きだったから私も付き合っていただけだ」

春江は卵を割りながら、あらそうでしたか、と返してきた。

私はすることもなかったので、春江が料理を作るのをそのままテーブルに着き、眺めた。

私が春江の料理姿を見るのは長い間一緒にいて初めてに近かった。

私と春江の間に会話はなかった。

私は先ほどまで早いと感じた時間が、ここではすごくゆったりと流れているのだと驚いた。

時間はゆったりと感じるのに春江の手際は素晴らしく早かった。

いつの間にか、ケチャップを炒めるいい匂いがし、次には目の前に黄色小山が皿の上に乗って出されていた。

「手品のようだな」

私は不思議な時間の感覚に思わず、そう呟いていた。

「ようやく気がついたのですか」

春江は垂れ目の目が見えなくなるくらい笑いながら、私を見ていた。

「うるさい。この前の漬け物も取ってきてくれ」

私は急に恥ずかしくなり、少しの間でも春江の視線を外させようとした。

春江は、はいはい、と言いながら小さい台所の不必要なほど大きい冷蔵庫に向かった。

私は黄色小山とともに置いてくれた、ケチャップをとり、【はるえ】と書いてみた。

先ほど胸にあったもやは無くなっていた。

春江が返って来る前に私はスプーンで文字をぐちゃぐちゃにした。

面白さが胸に湧きあがる。

「何を笑っているんですか」

漬け物を持った春江が向かいに座りながら問うてきた。

「いや、こんな老いぼれどもに雛に孵る前に食われちまうこいつらが可哀相になってな」

とっさに付いた嘘だが、改めて考えるとそうだとも思える。

「まぁ、若い人には私たち老いぼれを長生きさせて貰うために頑張ってもらわなければね」

春江はそう笑った。

「いい考えだな」

私も笑った。

枯れ枝のような手の中にはオムライスが乗ったスプーンを握っている。

失うならまた何かを掴めばいいのか。

「久しぶりに息子夫婦に電話でもするか」

私は言った。

「それはいいですね」

暖かい色のタイルに囲まれた台所は、ゆっくりとした時間がながれる。



お疲れ様です。

ありがとうございます。

日常なのに季節感は皆無という惨敗。

実は卵×新聞×枯れ葉というお題があったりしました

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