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長い道・5

 『正当な儒者』を自称する者たちが徒党を組んで、実学、ことに西洋的な学問を異端視して排斥しようとする動きが有る。実学に対する反感と言うよりも「女の癖に」表の世界で自由に振舞うスルギを、生理的に受け付けられないから、遠回しに皆で寄って陰口を叩いているといった所のようだ。

「正面切ってお相手なさらぬ方が宜しいかと思います」

 スルギは言うが、出来る事はしておこうと思い、厄介事の中心になりそうな人間は早めに利権で吊ったり、地方官に任命したりしている。おかげで今の所は余り大きな組織にはならないですんでいるが、目を離すととんでもない所で足をすくわれかねない。

 それにしても、スルギも笑っていたが、自称まともな儒者ほど賄賂に弱かったりするのだ。


「頭の固い、大して賢くも無い学者もどきより、天主教の方が心配です」


 スルギが学問の充実のために、海外の文物を積極的にこの国に紹介したのは良い事なのだが、スルギがかねてから心配していたように、西洋との距離感が適切に保てない連中もいる。近頃じわじわと増えつつある天主教の宣教師にのめり込んでいる連中だ。布教にやってきた連中の中には、植民地獲得とは関係無しに「福音をもたらすため」この国に来たと本気で思っている宣教師も混じっていると言うのが厄介だ。


 スルギは西班牙の天主教徒が新大陸で行った暴虐と不正の数々に関する告発文書を、翻訳した。書き手は天主教の坊主で既に亡くなったそうだが、祖国では裏切り者扱いで、その告発文書は発禁処分になったそうな。


「著者のラス・カサスが意図した以上に、著作が西班牙以外の国で脚光を浴びたようです。西班牙の新大陸での利権は不当だと弾劾する目的で、取り上げられる場合が多いようですね」

 

『中南米暴虐記』という書名で発行された翻訳書は、かなりよく売れ、話題にもなった。スルギはそれに先立って、西洋の通史をまとめた著作も出しており、これも評判を呼んだ。


 近頃は天主教徒に関する話題が時折、大殿にやってくる廷臣たちの間でも話題になる。西洋列強の植民地政策の餌食にならないように備えるべきだと考えるスルギの働きかけの効果が、少し見えてきたように思う。


「明の皇帝に御意を得た連中は、中華の歴史や伝統に敬意を払いましたが、その後、羅馬の天主教の大本山で宗門内の激しい論争が起ったそうですぞ」

「ほう? 大監、それは一体どのような論争でしょうか?」

「天主教を信じぬ国、連中からすると『化外の地』では、中南米でのような暴虐こそが正しいとされたそうですな。明の官吏となった連中のような『生ぬるい懐柔策』は許されぬと言うのが、新方針だそうですぞ。奴らも一枚岩ではないから様々な考えの者がいるのでしょうな」

「だが、天主教の大本山での方針は大きな影響が有るのでしょうなあ」

「大きいでしょうが、紅毛人と言うのは大本山と派手に喧嘩別れした連中だそうですぞ」


 こうした認識が広がること自体は、悪くないだろう。

 スルギは宣教師達が絶対に表ざたにしたがらない、海外での植民地政策や奴隷貿易の極悪非道な実態を定期的に宣伝するようにしている。確かに、うかうかしていたら何をするかわからない連中なのだろう。

 ともかく、西洋人の居住地域は厳しく限定している。それは今後も緩め無い方が、安全だろう。


 最近では、宮中の中にも天主教がじわじわ浸透しつつあるのが要注意だ。天主教の教えそのものは、スルギも言うように「偉大で結構なもの」だが、それが植民地政策と一体化しているのが困る。


「ローマ帝国では奴隷の宗教などと言われていたぐらいですから、虐げられた者には魅力的な教えですよね」

「お前、成明にもっと張り付いたほうが良いぞ。それこそ世子である成明に、勝手に天主教徒にでもなられてみろ、厄介ではないか。今こそ、お前に世子侍講院の傅になって貰おう。うむ。それが良い」


 実の母親が守り役とは、いささか茶番めいているが、悪くない手だと思う。これまで我慢強く機会を見計らってきたおかげで、大きな反対も無くスルギを世子侍講院傅に着任させる事が出来たので、ほっとした。


「母上が引き受けてくださって、私は嬉しいです」

 まだ幼い成明は素直に喜んだ。毎朝ちゃんと大妃様と中殿には挨拶をしているのは結構だと褒めておく。

「銀龍とは、仲良くやっておるか?」

「ええ。私は気にしないのですが、銀龍が乱暴で行儀が悪いと、時折忍和……朴尚宮がきつく叱るのです」


 忍和の息子・銀龍は勉強仲間で遊び仲間と言う事で、毎日伯父である判内侍府事の邸から東宮殿に通ってきているようだ。ひところの寂しげな暗い表情が無くなって、父親としては一安心だ。

 


 スルギは傅に着任して以来、意識的に世子となった成明を、校書館の講演会や勉強会に連れ出している。

 警備上の問題が無い割に、国内全土の様々な人と会う事が出来るようで、それらの優れた人材から良い影響を受けることを期待しているのだろう。このところの成明は治山治水に興味が有るらしい。好ましい傾向だと感じる。千字文だの四書五経だのは、一応教える程度にとどめ、スルギは数学や統計学、地理・歴史、はては医学や商業について、基礎的な事柄を教える事にしたという。


 保守的な儒者たちは良い顔をしなかったが、私はスルギの方針に賛成だ。実学派の力はここ数年で確実に大きくなっている。若い儒者たちは知的な好奇心も有って「儒学も実学も大事です」というスルギの言葉につられるらしい。実際、知的好奇心を刺激する書物を、それこそ金に糸目をつけず校書館に集めた効果も有ったようだ。


 明らかに、派閥抗争も以前とは様相が変わって来た。

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