長い道・4
スルギが中殿では無いために、誰にも文句を言われずに共に朝食を取ると言う事は出来ない。スルギと共寝をするのは幸せなのだが、早朝に慌ただしく大殿に戻らなくてはいけないのだ。真冬の身を切られるような寒さの中、味気ない一人の朝食を食べるために戻るのは、何とも切ない。スルギが隣にいれば、ただの粥だけでも最高の味わいだろうに。そんな日は、ダメだとわかっていても同じ話を蒸し返したくなる。
「スルギ、やはり、そのう……中殿と同格の妃として後宮に入る気はないか?」
「ですが、それでは中殿の立場が無いでは有りませんか。中殿は穏やかに平和に後宮をまとめておいでだと思いますし、そこへただでさえ色々と身辺が騒がしい私が後宮に入り込んだら、ろくな事は無い様に思います」
「だが、実質、妻らしい妻はお前だけなのだがなあ。もはや別の女と共に寝る気も無いし」
「まあ、それはさておき……世子の母と、後宮の頂点に立つものと、毎晩国王が同衾するものが同じと言うのは、この国の宮中にいる他の人間達にとって、好ましい事態ではないと思うのです」
「お前が校書館で色々な人間を招いたことで、以前のような本貫ごとに凝り固まった派閥争いは影を潜めているとは思うのだがな」
「少なくとも、正邦様と毎晩安らかに眠るためには、色々と小細工もまだ必要だと思っています」
スルギがそこで何かふと考え込む顔になった。
「申中殿は……胃の中に性質の悪い腫瘍が出来ます反胃という病になっておられます。まだ初期ですから、御医が進行を押さえる薬は出しているのでしょうが、西洋人のように腹を裂いて手術をするわけには行かないでしょうし……完全な治癒はなかなかに難しいかもしれません」
反胃は英吉利人がキャンサーと呼ぶ厄介な病の一種で、世界中で完全に直す方法は見つかっていない難病なのだと言う。胃の腑がいらだちや不安で縮み上がる様な状態は、反胃にかかりやすく、塩辛い物、辛みの強い物を頻繁に食べると良くないと言う。
スルギが気にしているのは、自分こそが申中殿の反胃の一番の原因なのではないか、と言う事らしい。
「後宮の愚かな女たちの方が、中殿の胃の腑を痛めつけていると思うがなあ」
「そうでしょうか? お二人の公主様たちの事を考えると、何やら自分が罪深い存在だと思えてなりません」
「寧ろあれは、お前に感謝していた。おかげで毒の副作用から完全に立ち直ったようだと。それに、公主たちはスルギのおかげで学問の楽しさを知ったのだしな。そうか。痩せたような気がしていたが、反胃なのか」
「ですから、労わって差し上げて下さい」
「でも、夜はお前と寝るからな」
「はい」
後宮の女達の所で夜を過ごす事など、今では考えも及ばない。私は、ずっとスルギと共寝を続けている。嘗てと違うのは、後宮の女たちはスルギが世子の生母で女だと知っている点だ。その事が困った事に結びつきはしないかと、スルギは時折気にする。だが、とりあえず今の所は……平和だ。
「下の王子二人だが、政争の道具にされないように良く気をつけないといけないな」
「兄弟で相争う悲劇は、決して繰り返したくないですからね。少なくとも今、国の中で内輪もめを起こしていられるような甘い状況ではないと、会う人ごとに言ってますが、どの程度皆の理解を得ているでしょうか?」
この二百年近くは母親が同じ王子同士の王位争いは無いが、この王朝の初期にはそうした大きな争いも有った。そんな争いは何としても防ぎたい。だが、大妃様の御子様たちは「政争を未然に防ぐ」意図で幼いうちに殺害されたのだ。
三人の王子は三人ともスルギが生んだだけに、優れた息子たちだ。
今現在の様に、ずっと仲睦まじければこれほど心強い事は無いが、後宮や官吏の派閥争いが私の死後勃発し、勝手に三人が大義名分を付けて担ぎ上げられ、大切な子供らが互いに争い殺し合うようでは堪らない。
確かにスルギの言うように、細心の注意を払って、早めに政争の芽は摘んでおかねばならないだろう。