遭遇・2
笛の音に引き寄せられるようにして、私は先へ進んだ。笛は、古い王朝のころ盛んに演奏されたソグムと呼ばれる竹製の横笛ではないか、と思われた。高く澄んだ音色から、奏者の確かな手腕のほどが伺える。実に美しい音色だ。それにしても、どこの楽曲だろうか?
「周りを悪者に取り囲まれておいでですよ、御用心を」
はっきり私に向かって、警告を発したものらしい。若い声だと感じた。それを聞いてようやく怪しい黒づくめの覆面の連中に気が付いた。何とも我ながら間の抜けた話だ。後をつけていたのは内侍府の者だとばかり思い込んで、油断しきっていた。刀の柄に手をかけたが、その手が無様なまでに汗ばんでいる。鼓動が早鐘の様に打っている。
虚空を切り裂くように何かが飛び、覆面の男たちが呻き声を上げ崩れ落ちた。
黒い覆面からすると士大夫を殺害し、世の中を作り変えるなどと宣言している殺人契の者だろうか? 南の方では相当に暴れているらしいが、そうした連中がこれからは都でも暴れると言う計画なのかもしれない。虐げられた民の敵は、確かに都に一番沢山居るわけだから、有り得る話だ。
時節柄も考えず、見るからに士大夫でございと言わぬばかりの赤い官服で供もつれず歩くなど、軽率だった。あるいは……士大夫の中で王である私の排除を狙う輩が、相当数居るのだろうか? そうであるならば殺人契より物騒な話だ。
一応剣の扱いは、習ったはずなのだが……二、三回切り結ぶと息が切れる。声の主は身軽な様子で大木の枝からひらりと飛び降りると、素晴らしい剣の腕前を披露している。何やら舞でも舞っているような水際立った動きだ。時折、つぶても投げて、命中するたび離れた位置の敵が呻き声を上げて、のけぞる。
「笛も凄いが、つぶても凄いじゃないか」
「のんきな事をおっしゃっている場合ではございませんよ。剣をしっかり構えて下さい」
叱られた。当然だ。恰好ばかりで軟弱な情けない男だとあきれられたのだろう。
「護衛の方はどうなさったのです? おひとりで出歩かれるには聊か心許ない剣ですねえ」
「恐らく勝手についてきた護衛が居るはずだが、はぐれたかな」
そう答えるのも、肩で息をしながら、精いっぱいという感じだ。情けないが。
「御身分がお有りでしょうに、あまり軽はずみな事をなさると、周りの方々がお困りになりましょう」
月明りで私の官服の色ぐらいは確認できたのだろう。どこまでも敬語だ。まさか王だとバレてはいないと思うのだが。どうにか確認できた様子から、大ぶりの倭刀を構えた少年であるように見えた。それにしても、本当に強い。黒覆面どもは大いに慌てている。小柄だが、素早くしなやかに動くその様子が実に美しい。そんなことを言うと「何をのんきな」と怒られそうで、言わなかったが。
「た、大変だ、急げ」
聞き覚えのある声がした。内侍府の者たちだろう。一挙に形勢は逆転し、黒覆面たちは雲の子を散らすように逃げ出した。
「ああ、御苦労」
私が見知っている判内侍府事の腹心に声をかけると、助けてくれたその人物は刀をようやくおさめた。
「お供が追いつきましたか」
「そのようだ。いやあ、助かった」
私は礼を言い、もう少し話を聞こうと思ったのだが、どういう事情かは分からないが、急に慌て始めたようにも見えた。
「では、私はこれにて御無礼いたします」
断固として、我々を拒絶している、そんな雰囲気だった。気が付くと霧か霞の様に姿が無かった。
きっとあの者にはもう一度会える。いや、何としても会わなければならない。そう思った。
今にして思えば、私はあの時既に……あれに強く魅かれていたのだ。