新風・9
沈中殿の降格が決まっても、沈家はまだ強大な権勢を保ったままだ。私はスルギや成明に対する報復を恐れて、隠田の事も表沙汰にできずにいる。だが確実に朝廷内部の雰囲気は変化してきた。沈徳宣の不品行など今更なのだが、徐々に噂が表面に現れるようになった。かなりの数の廷臣が沈徳宣に正室なり側室なりを寝取られているらしい、はっきりしている隠し子は三人。それらしき子供はまだ他にいるようだ。近頃はスルギの練習にやけに甲斐甲斐しく付き添っている様子なのが、薄気味悪くもあり、気分も良くは無い。
「良い加減にせぬと、あやつ、寝取られた亭主どもに嵌められて、死ぬ羽目になるな。それを悟って、救いの手を求めているとも考えられなくも無い」
「はああ、だから生まれ変わりました発言ですかね?」
「良く腹の読めん奴だが、スルギの魅力に参っているのは確かなようだ。だが、くれぐれも油断するでないぞ。どんな女も閨に誘い込んでみせると豪語していたような奴ゆえ」
「今日はひたすら親切に、騎撃毬の教師と介添え役に徹してましたけれど」
「お前には浅はかな策略は通じぬから、真心を見せようと言った所だろうよ。教師としては、どうだった?」
「教え方が上手いと思います。私と馬の癖を良く見て、それに対する対策を考えてますし。韓都事も上手いですが、ああ、あの人今、検詳でしたね。御役目が忙しいですから。無役の徳宣ほど、ゆっくり教えられないでしょう。洪持平も以前より顔を出さなくなりました。やはり忙しいんでしょうねえ」
沈徳宣は生まれ変わったなどと言っても、根が無類の女好きだ。どの様な魂胆か知れたものではない。
「見目良く、細やかに気がつき、食うに困らず、暇があり、閨ごとに長けている。そういう奴だからな。もう、奴の話ばかりするのはやめよう。何やら腹が立ってきた」
「御不快ならやめましょう。せっかくの二人きりの時間ですもの」
「私は小心者だからな。それに焼餅焼きなのだ。知っているだろう?」
「そうなのですか?」
「今凄く、焼餅を焼いている」
「まあ、私の気持ちは正邦様一筋です。あのような男とは比べ物になりませんのに」
「それを聞いて、非常に嬉しい」
「そうですか?」
「そうだ。自分に自信も無いから」
「自信が無いと言えば、次回の武科殿試はちょっと難しいですね。ただ受かるだけなら受かるでしょうが」
「そうか。第一席での合格は難しいか」
「騎撃毬が今一つですから。それに校書館の仕事が山積みで、それを片づけたいですし」
校書館は万事スルギの考えで自由に運営させている。「一芸に秀でた」「何かの研究に夢中」「発想が柔軟」「語学に堪能」といった基準で、人物を集めたようだ。
宮中の経書・史籍・外交文章・書簡を管理し、王の顧問役を務めてきた弘文館と、国史を編纂し王命を撰述する業務を管掌する芸文館の役人、それに国王と大臣らの専横を戒め抑制する司諌院と司憲府の有能な人物を、すべて兼職で迎えた。それぞれ位は高くは無いが科挙の成績優秀者で、将来有望な若手官僚が多い。
これらの人物と、将来の王世子の母であるスルギが親しくなるのは、大いに結構だと思う。
あとは客分でも構わないからとスルギ自身が手紙のやり取りで口説き落として全国から呼び集めた、在野の学者・技術者たち。更には国を豊かにしようと言う志を持つ農村漁村、あるいは商いにおける高い見識を持つ者たち。こうした者たちの意見は確かに、耳を傾けて聞くに値するだろう。従来の身分や官位の縛りから完全に自由な場所を提供しようと言う試みは、なかなかに斬新で魅力的だと思う。
そして長官であるスルギ自身が、全ての人物に敬称をつけて呼ぶ事にしたと言う。官職が有る者はその官職で、官位官職が無い者は「先生」「殿」をつける。大勢を占める士大夫連中の反発を考慮して、強制はしなかったが、次第に定着しつつあるようだった。
そして従来、地縁と血縁で派閥を作って凝り固まり、泥沼のような不毛な闘争を繰り返してきた宮中の雰囲気が、少しづつではあるが、変化しつつあるようだった。




