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新風・7

 申貴人の所で夕食を取ってから、スルギの邸に入った。スルギは私が申貴人の所に泊まると思っていたらしい。確かに翁主の父親としてはそうするべきであるのかもしれないが、スルギ以外の女とはもはや共寝をする気になれない。スルギは何か難しげな書物をいっぱいに広げていたが、私が部屋に入ると、急いで取り片づけた。


「何を読んでいたのだ?」

「天主教の坊主の懺悔録のようなものです。西洋では発禁処分の国も有ると言う問題作のようですね」

 新大陸における西班牙の暴虐と、亡国の民に塗炭の苦しみをもたらす結果になった天主教の布教活動に関する自己反省的な内容らしい。明に布教に来た天主教徒は礼節を保ち、皇帝に臣下として仕えたが、先ごろそうした天主教徒から見れば異教の地では、断固異教と対決し排除すべきであったと批判を受けたそうだ。

「天主教徒も色々内輪もめが有るのだな」

「ええ。この懺悔録は大本山の新方針に真っ向から逆らった内容なので、発禁処分を食らったのでしょう」


 話せば長くなりそうなので、気にはなるが話題を切り替える。


 どうやらスルギは中殿も昌嬪も「困った人達」と考えているようだ。スルギは激しく人を憎むと言う事をしない。出来ない性質らしい。張昭容は本人は「気の毒な人」で、娘の順恵翁主は「仲良し」と言ったあたりか? 朴淑儀本人は「良く存じ上げない」が、父や兄弟達の人柄と能力は高く買っているらしい。


「申貴人にお話になりましたの? 成明と私の事を」

「王子が生まれて成明と名づけた事、生母は大王大妃様・大妃様からも世子の生母にふさわしいと認められている事、後宮の他の女には、中殿も含めてだが、秘密である事を伝えた」

「母親がどこの誰かは、おっしゃらなかったのですか?」

「訊ねられなかった。だから言わなかったが、察しているやもしれん」


 申貴人の生んだ二人の翁主が、夕食時に「私達も順恵翁主のように大状元のお弟子になりたいのです」と申し出て来た話をすると、「それは無論構いませんが、貴人はどうお考えのようでしたか?」と気にしている。


「申貴人は、私の正体を見抜いておいでのように思います」

「あの人はそう言う人だ。良く人を見ている。一番苦しく大変であった時期に、王である私がろくに手助けもしてやれなかったのを、恨んではいない様だが、最初からあてにならん男と思われていたようだ。実際即位後間も無い私は、無力で無能な王ではあったが……」


 一言の不平も不満も漏らさず、毒を盛られた話も全くしてくれ無かった。無理は無いのだが、よそよそしい気分にさせられた。


「初めて、毒を盛られた件について話したよ。スルギに教えられたように、豆類を意識して取るようにしていたら、ゆっくりと解毒効果が現れたらしく、最近は以前よりずっと体が楽なそうな。是非、二人の娘を大状元の弟子にしたい、ともな」

「でも、それが一番大切なお話、でも御座いませんでしょう?」

「ああ。そうだ。中殿のなり手がいなくなったら、引き受けてもらうかも知れないと言っておいた」

「では沈中殿は?」

「近い内に廃妃、だろうな。まあ、後宮には止めるが。昌嬪も降格は免れまい。既に二人の間で呪詛の応酬と、毒薬のやり取りが有るのだから……」


 スルギは闇でもしっかり見えると言う目を見開いて、私の顔を見つめた。


「判内侍府事と忍和が、何かしでかしましたか? 時折木や屋根に登って様子を伺うと、二人が何やら一緒にゴソゴソやっている風ですので」

「木はともかく、時折屋根にも登るのか?」

「忍びの術に関しては、私は韓殿の弟子です。内侍府の屋根は馴染みの場所です」


 思わず苦笑するしかなかった。全く、何と言う女だ。


「あれら二人に任せたのだ。誰の命も取ってはならないという条件を付けてな」

 忍和の申し出について話すと、スルギはあきれたらしい。

「随分前から、ゴソゴソやってましたよ。もう最後の詰めと言う段階になって、正邦様に申し出たんですね。兄妹揃って成明のために何かやっているとは思いましたが、やっぱりその手の陰謀でしたか」

 スルギは陰謀で邪魔者の力を削ぐのは、やはり反対らしい。

「忍和は邪魔者を宮中の外に放り出したいのに、主のお前の考えに背きたくないから、手ぬるい処分で我慢するらしい」と言うと、不快そうな顔つきになった。

「毒はともかく、呪詛なんて効果が有るとも思えません。呪詛の所為で罪を重くするのはやめませんか?」

「呪詛は誰かを呪う気持ちの表明だ。針を打たれた呪詛の人形は見るもの全ての心に毒をまき散らかし、疑心暗鬼へと導く。ある意味、毒よりも罪は重いのだぞ」


 スルギは賢いが、閉ざされた場所でずっと暮らす女達の感情までは、恐らく良く分からないのだ。中殿になるのは面倒でイヤだと言い切ったスルギの顔を、まじまじと見つめた。


 兄妹の陰謀の甲斐が有って、スルギの邪魔になりそうな困った二人の降格処分が決定したのは、申貴人が保養のために旅立って間もない頃だった。



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