新たな命・1
もうすぐスルギはあれの言う所の「産休」に入る。休みに入る前に三司・六曹といった主だった部署の顔なじみの連中に季節の菓子を渡し、しばしの別れを告げてきたらしい。
「外国で病気の治療なんて嘘を言いましたから、万が一にも姿を見られたらまずいですよね。大王大妃様と大妃様のお住まいの裏手にすっこんでいるなんて、めったな事ではバレないでしょうが……それでも人は使う訳ですから、悪気が無い一言でも鋭い人間にはバレるかなあ……」
極端な話、露見しても、それを公にされなければ良いのだ。どう隠しても、沈家の連中には見透かされているような気はする。まあ、あの、考え無しの沈中殿はどうやら何も知らずに、相変わらず側室たちと角を突き合わせているだけのようだが……
「ともかくも母子共に無事に健やかにお産を終えてほしいものだ」
「そうですね、それが確かに一番大切ですね」
文科と前後して医科も首席で合格したので、御希望も有り、祖母と大妃様の担当医師はスルギに決まった。そんな事情もあってスルギは実用的な男の衣類で居る事が多い。凛々しく涼やかではあるが、やはり女らしい姿も見たい。そんな風に思うのは私だけでも無さそうだ。スルギの鍼や灸の腕前は新人なのに抜群の勘の良さ、手先の器用さ、学識の深さがあいまって「名人の域」だと言う。頼まれれば身分の低い者でも分け隔てなく、面倒を見てやっていたが、皆、症状が嘘のようにおさまったそうな。
「あの方がいるおかげで、袖の下が取りにくくなったものがずいぶん増えましたぞ」
師匠の高尚薬は笑っていたが、内医院の医官の中には苦々しく思う者もいるだろう。位自体が正三品の御医よりも上なので通常の内医院の医官という訳にもいかない。普通なら見習いで色々やらされる使い走りのような段階だろうが「難病のため海外で手術」「一時病欠」と言う事になっている。お産が終わったら、スルギは「客分」の扱いで内医院の活動にも参加する気らしい。特に現在手薄な貧しい人々のための医療活動を行いたいと考えているようだ。高尚薬のように宮中の高位の女性だけを見る、などと言うのは嫌らしい。
「確かに多くの症例にあたる方が、医師としての技量は伸びましょう」
そう高尚薬は言うが、スルギの体が疲労しすぎないか心配ではある。まあ、出産後の心配ではあるが。
「三星姫の御器量なら何でもお似合いだが……質素な内侍の服ばかりというのも、何やら残念ですねえ」
祖母は人目を気にしなくて良い場所でなら、三星と言う実の御両親がお付けになった名でスルギを呼ぶ。母君が先々代様の公主であり、父君が王族の中でも特別に尊崇を受けている家柄の嫡流で有られるので、貴い血筋に敬意を払い敬語を使う事も多い。
「大王大妃様のおっしゃる事もわかるのですが、まだ、人目の有る所で艶やかに着飾らせるのは難しいです」
「主上は御覧になってますのか? 女らしい姿を」
「二人きりの時は、唐織や繻子の上衣に絹の裳ぐらいは着ておりますが」
「私もそうした姿を拝見したいものです。おお、そう言えば、主上、姫に夏物の唐衣は差し上げたので?」
「そういえば、まだです」
唐衣は身分ある女性しか着用が許されない略礼服だ。王妃の場合は更に金糸で刺繍して五爪龍を表した捕という丸い縫い取りの布が付けられる。本当はスルギにこそ金糸の龍補が相応しいと思うが……今は諦めるしかない。
「極上の薄絹をあれに、と思って幾つか取り寄せました。白地に金糸で吉祥紋が縫い取りされておりますものが、特に涼やかな感じでした。あれで唐衣を仕立てさせましょう」
「おお、主上が御自分で見立てられましたか」
「近いうちに着ております所をお目にかけましょう」
「それは、楽しみです」
祖母の後に伺った大妃様の所でも、お産の事で色々お話をする。実の伯母上だけに、スルギの身分について残念に思っておいでのお気持ちは祖母よりも一段と強いようだ。
「袞龍袍をお召しの主上の隣が龍補をつけた唐衣姿の三星ならばねえ……」
袞龍袍とは今も私が着ている王の通常の服装で、五爪龍を表した捕を前後左右に縫い付けて有る。
「私もそう思いますが……本人はあまりこだわらないようです」
「内侍見習いの様な服ばかりだと、見ている私が悲しくなります」
「こちらに伺う時は、もう少し身なりを整えますように申しておきましょう」
「いや……良いのです。本当に忙しいようですし、人目をくらますには、あの方が良いのでしょう。でも、お産の前後は休むのですよね、大状元としての仕事やら何やらを」
「はい。そうさせます」
「では、せめてその間だけでも、女らしい美しい装束で過ごしてほしいものです」
私が金糸の縫い取り入りの白い唐衣を仕立てる予定だと話すと、大妃様は母君の御形見だという繊細な透かし彫りを施した見事な白玉製の簪を私に託された。
「母が若いころ真夏の時期に好んで使っていたものです。もともとは開祖様ゆかりの品と聞き及んでおります」
「おお、ならば実の御祖母様の御形見と言うことになりますな」
「母は王子を産めませんでしたが……三星には、ぜひ世継ぎを生んで欲しいものです」
祖母と大妃様のお住まいは隣り合わせだが、互いの敷地は相当に余裕が有る。その双方の住まいから行きやすい裏手の場所に、スルギは「清潔で衛生的な」住まいを作った。井戸の水質にも気を遣い、この国では初めてとなる『ポンプ』を取り入れ、下仕え達が洗濯をしやすい場所を作った。調理場も色々新しい工夫が有るようだ。
「衣類は清潔に洗い上げて、きちんと干して、火熨斗も当ててほしいです。それに夏は特に調理に気を付けないと。お腹を壊す病気になったら大変です」
食中毒、と言う事について説明してくれた。どうやら、私もその事は前世では常識として知っていたようだ。
「ふむ。清潔な水で手を洗うのも大切なのだな」
礼儀作法、たとえば主人の前で足袋を丸出しにするようなはしたない動作を目下の者がしても、スルギは丸で気にかけない。外出から帰ったら、あるいは用を済ませたら、必ず何か触る前に手を洗う事。そして洗った手は日に当てて乾かした布で拭く事、その布は湿ったらすぐに取り換える事、そんな事の方がずっと気になるのだ。
大妃様が信頼する尚宮も調子が狂うのだろう。わざわざ私の所に相談に来た。




