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うごめくもの・3

 正妃の明珠の体がひ弱であるのを、私の祖母は気にして、まだ世子の時代に側室を一人迎え入れた。

 私が即位した時に力になる家の娘で、本人も淑やかだという理由で選ばれたのが申智敏シン・ジミンだった。ようやく明珠とは男女の情を互いに解し始めたばかりで、実質的な新婚時代と言っても良い様な状況の中で、側室など迎えたくは無かった。だが絶大なる力を持つ祖母には逆らえなかったのだ。明珠の輿入れもほとんど祖母の意向で決まったのであったし「嬪宮に無礼を働く事のない、温順で賢明な娘」だという祖母の見立てを信じて決めたのだった。


 申智敏は従四品の承徽スンフィとして世子たる私の側室にはなったが、私自身と親しむよりも明珠と姉妹の様に馴染むことが多かった。男女の仲になったのも明珠がしばしば病の床に就くようになって以降の事だ。それも体を壊した明珠自身が私にそれを勧め無かったら、いつの事になっていただろうか。

 ともかくも申承徽は私の初めての子供を産んだが、娘であったので祖母は落胆したらしい。


 私が即位した事で、祖母は先王の母として大王大妃テワンテビとなり継母の中殿様は大妃テビとなられた。かねてから政治勢力を操る事に意欲的であった祖母は私から見ると「喜々として」各派閥間の均衡工作を行っているように見えた。確かに……若い王であった私の宮中での立場を強固なものにするため……ではあったのだろうが。だがしかし、明珠や成弘の喪も明けぬうちから、更に新たな側室やら中殿候補やらの話を煩く持ちかけるのが不愉快であったのは、確かだ。


主上チュサン! いつまでも亡くなった者の事を嘆いておられる場合では有りません! 朝廷で勢力を持つ者たちの後押しが必要なのです。新たな女たちを、一刻も早く後宮にお迎えなさいませ」


 激昂する祖母に、私の気持ちは届きそうになかった。


 もともとあまり人との交際をなさらなかった大妃様は、ますます世捨て人の様におなりだった。私の継母と言うにはあまりにもお若くお美しい。その美しい御方が悲しみを内に秘めた静かな表情で私を御覧になる時、何とも申し訳ない気分になるのだ。

 同じ姓の女性を娶るなど、我が国では異例な事だが、父にしては珍しく自分の望みを通した。

 父は「王家の血筋の統合」とか「王家の権威の上昇」とか中国の例を引いたりしてもったいをつけて、この方を中殿としたが……暴君として殺害された先々代様の紛れもない姫君・公主様であられるこの方の、高貴な凛とした美しさに強く魅かれての事だったろう。

 

 血を分けた父子だからだろうか、父と私が「美しい」と感じる顔は良く似ているのかも知れなかった。少なくとも大妃様は私の中で「美女」の基準であった。私を産んですぐに亡くなった母は、それなりに美しい人ではあったようだが、生前を知る者らの評判などからしてもこの大妃様の美しさには恐らく及ばなかったのではないかと思われた。


 子として、母である方のご機嫌伺いを毎朝するのは当然の務めであったが、私にとって大妃様にお会いするのは義務などではなく、むしろ心安らぐ時間だ。物心ついた頃から、この美しい方に子として孝養を尽くせる立場に有るのは私にとっての喜びであったのだ。だが、それは私の一方的な思いであって、大妃様がどうお感じであるのか伺うのは、何やらためらわれた。この方のおなかを痛めた子供は、三人ともごく幼い内に不慮の死を遂げている。何らかの陰謀による疑いが強いが……その理由が……もしかしたら私を世子とし、王とするためであったかもしれないのだ。そうであるならば、私は知らず知らずの内に、大妃様にとって、仇同然の存在と言う事になっているのかも知れず……うかつな事も言えない筈であった。だがしかし……


「大妃様のお産みになった私の弟や妹たちが幼くして儚くなったのは、成弘と同様な事情でございましたか?」


 自分でも意外なほど素直に、そのような言葉がふっと口を突いて出た。


「さあ……いかがでしょう。ただ……三人の子らには何の罪も無いのに、むごい運命であったと、そう思います」


 それから衣の袖をお目に当てられて、はらはらと涙をこぼされた。


「私は……弟も妹たちも、妻も息子も守れませんでした。そして、この国は先ごろの戦で大きな傷を負いました。それなのに朝廷の者たちは勢力争いしか頭にありません。私にはあの不逞の輩を抑える力が有りません。このような不甲斐無い者が王であって良いものでしょうか」


 大妃様はじっと私の顔を御覧になった。王の顔を凝視するのは無礼とされたものだが、私はこの方にならじっと見つめられても全く不快ではない。ただ、何とも照れくさいような感覚に陥った。

 

「大王大妃様がおっしゃるように、新しい側室たちを後宮にお迎えなさいませ。後宮の縁もなさりようによっては、それぞれの実家の力を逆に押さえ込む事が出来ましょう。そして誰が不逞の輩か真の忠臣か、よくよくお気をつけになって、お確かめなさいませ。今は若く力は無くとも、将来お役に立てそうなもの、大いに働きそうなものを始めはあまり目立たぬようにそっと、でも確実に取り立てておやりなさいませ。くれぐれも私の父君のような短気を起こされてはなりません。不逞の輩であっても綺麗に掃除するには、それなりの名分が必要なのです」

「一度に側室を二、三人入れるように、大王大妃様は私におっしゃるのですが……正直、そのように多くの者を迎えるのは、勘弁して欲しいと思ってしまいます」

「とりあえずは、今居ります者も含めて、皆を公平に扱われたら宜しいのです」

「それでは……自分の妻と言う感じが、誰に対しても持ちにくいように思います」

「どなたか特に愛しいとお感じになる方が出来るまで、しばらくの御辛抱です」

「やはり……耐えねばなりませんか」

「王の背負うものは、あまりに多く、重く、お辛いでしょうが……きっと、重荷を共に担って下さる方が現れましょう。あなた様は国難のこの時期に耐えて国を守って行ける方だと、私はそう信じております。だからあなた様の上に天命があるのだと、思っております」

「ありがとうございます」


 お子達を失った原因であったかもしれない私に向かって、そのような言葉をかけて下さるのが有りがたかった。適う限りの孝養を尽くして差し上げようと、新たに思い直した瞬間でもあった。


 

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