友として・10
「今度一緒に飲むときは、もっと温かいだろう。スルギは鞦韆は好きか?」
「あちらの世界ではブランコで子供のころ遊びましたが、この国では一度も。鞦韆というと宮中かよほどの大家のお庭にあるか、いっその事、野原か河原の木の下にあるか……そんなものではないかと」
「じゃあ今度、鞦韆、あの世界ではブランコと呼んだか、そのブランコをこいで楽しまないか?」
「春のブランコですか。ああ、この国の習わしでは四月の御釈迦様のお誕生日から五月の端午の節句まで、女の人がブランコで遊ぶんでしたね」
「戦続きでここしばらくはそれどころではなかっただろうが、清との和平がなって国が落ち着いた。だから、スルギだってブランコぐらい楽しんでも良かろう」
「どうせなら、昼間の温かい時間に楽しみたいものです」
「互いの予定がうまくかみ合うようなら、ぜひ、そうしたいな」
次の機会を約して、私達は別れた。
それからしばらくして、国中で或る語り物の演目が大いに話題になった。士大夫の息子と妓生の娘の恋の物語だ。二人の出会いはこうだ。春のうららかな日差しの中で色鮮やかなチマを翻しクネを楽しむ美しい娘に、士大夫の息子は一目ぼれしてしまう。やがて相思相愛の仲となった二人だったが……
私はこの無名子の名前で発表された物語とスルギをつい重ねて考え込んでしまったものであったが……後から思えば、それはあながち的外れでも無いのだった。
しばらくして無名子の名前でまた別の作品が発表された。
「いやあ。迫真の描写ですな。読んでいる内に何やら物悲しい気分になりました。だが、確かに身分の低い美しい娘と言うのは、得てしてこうした不幸に見舞われるものでしょう」
「若君の子を孕んで無一文で邸を追い出されては、確かに生き残る事も生易しい事ではないでしょうな」
「春をひさいでいても、不思議は無い……追い詰められれば人殺しも、まあ、分からんでもないですぞ」
「それにしてもその罪を裁くのが子の父親とは……ありえぬ話でも無いですな」
「大監、ひょっとして身に覚えがおありで?」
「いやいや、私の邸にはそのような見目麗しい下女はおりませんでしたよ」
「そのようにおっしゃる兵判のお邸には、評判の美女が居るそうではないですか」
「息子が側室に直したいなどと言いますので、頭が痛いです」
朝議の前に皆が何かの噂ばなしに耽っていると思えば、今評判の『婢と若君』の内容に関してらしい。
「皆も、今噂の本を読んだのだな?」
「おお、主上殿下、もしやお目を通されましたか?」
「ああ、読んだぞ。最後にあの士大夫の男が官位官職を捨て、女とその息子と共に生きると決めるのは、皆どう思うのだ?」
「人として、子の父親としては正しいかもしれませんが、朝廷には不忠でしょう」
「官位についたままで、女を邸に引き取り、共に暮らすと言う解決策で、十分な気がしますけどな」
子までなした女が惨めな暮らしの中で人殺しの罪を犯した、しかもそのような境遇に女が落ちたのが、自分の責任である場合、罪の償いをしたいと考えるか否か、と言うことだろうと私は思ったが……
「この無名子なる作者、何者でしょうなあ」
「大方、幾度も立て続けに科挙に落ちた学者崩れでは有りますまいか?」
「身分卑しい女の立場について、もっと考えさせたい、そんな目的で書いたものでしょうか?」
「下女に子を産ませて、ろくに面倒も見てやれず、気がとがめた男かもしれませんな」
皆勝手に色々噂したが、作者が女かも知れないという意見は出なかった。私はひょっとしたら……とは思ったが、スルギに「あれはそなたの書いたものか?」と尋ねる手紙を書く勇気は無かった。身分違いの男女の仲はあの物語のように互いに不幸を招く、と言われかねない気がしたのだ。
「朝廷の権威をないがしろにするけしからん悪書ですぞ」
「身分卑しき女のために官位官職もなげうって家も飛び出す事をそそのかすなど、けしからん本だ」
そんな声も当然聞かれたが、どちらにせよ『婢と若君』が大いに話題になったのは確かだった。
更に半年程たってから、同じ無名子の新作『大寿』が出た。今度は宮中の女官どもが夢中だった。