友として・9
スルギとは、さほど度々は会えなかった。それでも月に一度は共に酒を飲み、十日に一度ぐらいは店に顔を出し、わずかでも言葉を交わすようにしていた。相変わらずスルギの方から文を寄越してくれる事は無かったが、私が出した文には必ず返事をくれた。
「迷惑なのかもしれないが、会いたい」
そう言ってしまった所為なのか、私が酒に誘って断られた事は……今の所は無い。何を話しても興味深かったが、男女の情に関わる話は敢えて互いに避けていた。それでも私は自分の強い感情は十分自覚はしていたが。
「特別な友、そう思っても宜しいですか?」
スルギがそのように言ってくれた時は嬉しかった。実を言うと手一つ握っていなかったが。というのも、一旦触れたが最後、自分の理性が持つとは思えなかったからだ。
それでも何かと理由をつけて、一緒の時間を過ごす口実を探した。梅が満開になれば、共に見ようと誘った。幸いな事に断られなかった。まだ肌寒い時期でもあるし、いつも忙しく働くスルギの体に良くて温かいものをと思い、宮中で材料を吟味させて体を温める薬膳を用意した。
「スルギは何時も忙しそうだから、滋養の有る物をと思って作らせた。独特の匂いは有るが上等な人参だ。ほら、食べておくれ」
互いに酒を飲み肴を楽しむ時、スルギは私に箸で料理を取って、食べさせるようなまねは一切しない。スルギは妓女でも女官でも無い。優れた淑女なのだから、当然と言えば当然なのだった。この時は逆に私が箸でつまんで差し出したものを、スルギが恥ずかしそうに食べてくれた。
「口に合うだろうか?」
「ええ。これほど上等な材料で丁寧に作った料理はめったに頂けません。とてもおいしいです」
そして極上の人参を見事だと褒めたのだが、その笑みを見て私まで気恥しくなった。だが、嬉しかった。
いい年をした子持ちの男が、まるで十代の少年のようだ。我ながらおかしいとは思う。自分でもおかしく感じるぐらいだから、判内侍府事などはもっとおかしいと思っているだろう。
「それほどにあの方を想っておいでですのに、なぜ御身分を明かされて、後宮にお迎えになりませんので?」
「あれが後宮に来て、幸せになれるだろうか? 並はずれた才能と美しさは女どもに妬まれ、ひどい目にあわされかねない。朝廷での後ろ盾も無いのだし。市井にあればこそあれの才能も生かせるのだ」
まるで、押し問答の様にこんな具合のやり取りが幾度か有った。
「大王大妃様辺りが気に入って下されば、かなりあの方の御立場も楽では御座いませんか?」
「私はあくまで『友』なのだ。スルギに後宮の女どもの様に臣妾などと言わせる気も無いし、狭いところに閉じ込める気も無い。それに……」
「林亮浩ですか?」
「ああ。そうだ。わかっているなら、その話はやめよ」
あのスルギが『ヤンホ兄さん』と呼ぶ男は、スルギの夫の最有力候補なのだと思う。あの男ならスルギをただ一人の妻として終生大切にするだろう。あの男が決断した時が……私たちの別れの時だ。そう覚悟している。だから、それまではあくまで『友』として、清らかな美しい思い出を作りたい。そう思っていた、いや、そう思い込むことにしていた。
サムジンナルつまり三月三日の節句に花餅を食べさせたくて、スルギを招いた事も有った。宮中製のとりどりの色合いの花を張り付けた小さな餅をスルギに見せると、喜んでくれたようだった。
「まあ、綺麗で可愛らしいですね! 何だか食べるのがもったいない様な気がします」
後は春らしく蕩平菜も出した。これは色とりどりのナムルを緑豆の寄せ物に混ぜ合わせて食べる料理だ。「蕩平」とはどちらにも偏らないという意味を表し、宮中では争いをいさめる意味を込めた一種の縁起物として食べるのだが……一番喜ばれたのは鯛と春雨を様々な食材で彩った鍋だった。
「これって鯛麺とか勝妓楽湯とか呼ばれるお料理でしょうか?」
「そうだな。彩が春めいているだろう?」
「鯛が立派ですねえ。クルミに松の実、クコ、シイタケに銀杏にニラ、春菊に牛肉も入るのですか、へええ」
「ほら、このうまみを吸い込んだ春雨とタイの身を一緒に、お食べ」
「まああ、あっさり上品なのに……複雑で豊かな、良いお味ですね」
スルギは仕事に夢中になりすぎると、しばしば食事が抜けてしまうらしい。
「料理屋の主が食事を忘れて体を損なっては、本末転倒ではないか」
「本当に……おっしゃる通りですね」
「スルギにはいつも元気で居てもらわないと、私も困る」
長いまつ毛に縁どられた美しい瞳が、もの問いたげに私に向けられるとドギマギしてしまう。昼間の明かりの中で見つめられたなら、私の顔が赤らんでいるのまではっきり見られてしまっただろう。
「そ、その、そなたは私の大切な友だからな」
おかしな具合に声が裏返っている。判内侍府事に聞かれなくてよかった。
「ありがとうございます」
「私が勝手にそう思っているだけだ。気にしないでくれ」
その実、気にしてほしくて堪らないくせに、つい、そんな言葉が口をついて出る。
「さあ、躑躅の花を漬け込んだ杜鵑酒はどうだ? ん?」
私も飲める方だがスルギはいくら飲んでも乱れない。そんなわけでいくら杯を互いに重ねても、互いは理性を失う事も礼を失することも無い。従って最後まで席は乱れず、互いは清らかな友人のまま別れるのだった。