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うごめくもの・2

世子邸下セジャジョハー臣妾わたくしめの体がひ弱なばかりに御迷惑をおかけいたします」


 そのように囁かれた事が幾度も有ったが、その言葉を聞くたび私は涙がこぼれそうになったものだ。


 亡き中殿・明珠ミョンジュは私が世子の時に正妃すなわち嬪宮ピングンとして私のもとに輿入れしてきた。正式な夫婦として婚姻の儀式を上げた当時は、互いにまだ十歳であった。当然、男女の事など有ろうはずも無く、明珠に月の物も来ない内は互いにせがんで布団を並べて眠ったものだった。冷え冷えとした宮中の人間関係の中で、明珠だけは互いを偽らず素直に接する事の出来る「家族」であったのだ。


 昼はそれぞれしきたりにより決められた日程をこなすのではあったが、まだ定まった公務がある身の上でもなく、学問なり礼儀作法なりの講義を受け終わった後なら、比較的自由に行き来できた。宮中の庭を共に散策したり、茶を楽しんだりする事ぐらいは許されていた。

 今にして思えば、まだ無垢で無邪気な少女であった頃は別段あれの体はひ弱と言うほどでもなく、それなりに健康であったと記憶している。共に手を繋いで歩く時、時折可愛らしく微笑む様子は瑞々しい命の力が感じられた。


「こうして手を握って、御一緒に夜を過ごせば御子ができましょうか」

 姫君育ちで、真面目な書物しか読んだ事も無く、ましてや私のように前世の大人であった頃の記憶が有るでも無さそうな明珠は、恥ずかしげにそんな事を言ったりもしていた。


 これまで世子の最初の妃は何歳か年上の場合が多かったのは、閨の事を教える意図が有ったかららしい。私の場合同い年の娘が選ばれたのは、私が「大人びている」ため、早くから房事にふけるようになってはまずいと言う判断が働いたからだとも、私にあまり早くに子を作られたくないと言う思惑があったからだとも言う。


 一体全体、何が本当なのかわからない。それがこの国の宮中と言うところだ。


 私には前世の記憶がある。この国では全く見たことも無いような身なりをしていて、馬よりも早く走る鉄の箱に車輪がついたような乗り物に乗っていた、そんな情景が幾度か頭に浮かんだ事がある。前世での名前も生業も家族や親族・友人も何も思い出せないが、この国の常識では有りえない高さに天を突くように聳え立つ大きな建物が幾つも幾つも有り、多くの人々が行きかう幅の広い道が有る、そんな場所に住んでいたように思う。


「時折夢で見るあれは、一体どこなのだろうな」

「また、不思議な国の事をお考えでしたか」

「うむ。幾ら書物を読んでも、あのように背の高い大きな建物の話は出てこない」

「仏典に有る極楽の建物とも違うのですよね」

「全然形が違うのだよ」


 私が簡単にその情景を絵に描いてみせると明珠は「不思議な建物ですね」などと興味深そうにしていた。


 下手の横好きというやつだが、私は絵を描くのが好きだ。余りそれに耽溺すると宋の時代の徽宗皇帝のように国を滅ぼしかねないなどと言われてしまうので、回りに人のいない時にそっと描く程度だが、明珠には折に触れて小鳥の絵や野兎の絵、花の絵、蝶の絵などを文に添えて送ってやったりした。

 嬪宮に迎えて最初の一、二年は目の前で互いに絵を描いたりして楽しんだが、あれの月の物が始まって以降は、共寝をしない夜にはいつも絵入りの文を送っていた。時折、愛らしい絵や文が返事で戻ってくることも有り、あるいは匂袋や栞と言ったちょっとした身の回りの物が返事の代わりに届いたり、礼の口上だけの事も有ったが、いずれにしても喜んでくれてはいたのだろう。


「この頃、胸のあたりが時折急に痛くなる事が有ります」とか「どうも食事がのどを通りません」とか頻繁に言うようになったのは、明珠に月の物が来るようになってからの事であったような気がする。当時私は、毒だの陰謀だのの可能性はまるで考えていなかったのだ。うかつだった。


 今にして思えば、おそらく明珠は継続的に毒物を飲まされていたのだ。

 清との戦が始まった時、我々も都を離れて安全な地方に避難したのだが、すると不思議な事に不自由で不便な暮らしのはずが、明珠の健康状態は大きく改善した。これならば大丈夫かもしれないと思い、子を作る事にしたら見事に懐妊した。

 今にして思えば、都を離れた避難生活の間は、毒を飲み食いさせられる事が無かったと言う事だったのかもしれない。明珠の廃妃を狙う連中も国中を逃げ惑っていて、陰謀どころでは無かったのだろう。


 祖母は「風水のせいだ」などと言い、恵方に移動したから子に恵まれたなどと考えたようだが……。


 やがて、我が国が酷い負け方をして、戦は終わった。数々の屈辱的な条件を飲まされたが、とりわけ『大清皇帝功徳碑』なるものを都の内に建てる様に命じられたのは、父にとって耐えがたい屈辱であったらしい。清国皇帝に対し平伏して三跪九叩頭の礼を行う父の姿を彫り込ませ、清に逆らった愚かな王としての反省文を刻んだ巨大な石碑は、時折、民が泥や馬糞などを投げつけるとも聞く。腹に据えかねるといった所か。

 だが、超大国・清に逆らって生き延びるのは難しい。それが耐え難い現実だった。敗戦の衝撃に打ちのめされた父王は、あっけなく亡くなってしまった。その父の死と入れ違いの様に生まれたのが、初めての王子・成弘だった。


 若く無力で凡庸な王であった私は、妻や息子に迫る危険を未然に防ぐ事もできなかった。相次いで王妃となったばかりの明珠と幼い成弘を失って、私は耐え難い思いに沈むばかりであった。



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