友として・2
「……御正室様が気をもまれたらお気の毒です」
スルギの言う事は客観的には恐らく正しいのだ。だが、私は正室もその他の者も、私が選んだ相手ではないし、皆実家で言い含められて輿入れして来ただけだと言う事、気詰まりで互いに本音は晒せない関係だと言う事、そんな事情を話して、多少なりとも気持ちを理解して欲しいと思ったが……完全に男の身勝手と思われてしまったようだった。
「身分の有る殿方には御正室の他に御側女がいて当たり前。名高い妓生と馴染みになれば風流を解する方と褒められても、誰もけなしません。夫の有る女が家を空けて出歩いて、別の男と会ったりしたら、この国では重い罪ですのに……本当に不公平ですね」
得手勝手な男だと思われたのだろう。だが、その言葉ほどには嫌われてもいないような気がした。あくまで気がしただけだったが……前世は同じ世界で暮らしていたかも知れない親しみが、そう思わせるのだろうか?
大抵の事なら、もっとあっさり諦めるのだが、スルギの事だけは諦められそうにない。だから、図々しいとは思ったが、文を出したら返事を欲しいと頼んだ。
「返事はもらえるだろうか」
「はい」
「本当に?」
「はい」
スルギが微笑んだ。大輪の花のつぼみが開いた、そんな印象を受ける様な微笑みだった。その微笑みを見るだけで幸せで、その視線が自分に向けられていたなら天にも昇る様な心地になる。いつまでも見つめていたかったが、そうも行かない。後ろ髪をひかれるような思いで、自分から別れの言葉を述べた。
「では、また会おう」
そう言って宮殿を目指したが、頭の中はスルギに送る文の事で一杯だった。
一つ気になっていたことが有った。
やり手だと噂の東の市場の代書屋だ。その代書屋の正体がひょっとしてあのスルギではないかと思えてならなかった。店の値札や注意書きの筆跡が、不似合な程達筆であったからかもしれない。あるいは、あれほど見事に剣を使い、笛も見事なのだから、他にも何か有りそうだと思ったせいだったかも知れない。
翌日、捕盗庁からの報告が上がった。やはり、代書屋はスルギらしい。
「あのポジャギ屋の主が代書の仕事をまとめているのは確かです」
東の市場にほど近い妓房の妓生たちが艶書というか懸想文の代筆をしばしば頼むようで、そうした場合は割合とすぐに書状が仕上がるそうだ。役所に提出する上訴状になると、前日に話を受け、翌日に出来るという具合らしい。ためしに捕盗庁の者が、個人的な土地のいざこざに関する訴状を依頼してみたと言う。実際は既にその土地に関しては無事に裁定が済んでいるそうで、その上訴状を見せられた。
「筆跡と言い、文章と言い、見事ですな。先にこの上訴状を提出すべきであったと、後悔しております」
このような見事な上訴状が、年端も行かぬ女が書いたとは誰も信じないだろう。
確かに様々な法令・判決を熟知している者しか書けそうに無い、見事なできばえだった。実際の所は時の権力者の都合で恣意的に判決が下されることが多いのだが、こうした「甘く見られない」しっかりした上訴状が有ると、判決を下す者も後の厄介ごとを恐れて、余り無茶な結果は出さないものなのだ。
この国ではそうした腐れ役人の横暴を押さえる上でも、文書の高い教養をうかがわせる整った筆跡と措辞・型式は重要な武器になる。スルギの代筆で命拾いしたものは、多いはずだ。
市場を監督する平市署の長官・提調を務める洪敬徳にも東の市場の状況について報告させた。温厚で学識高く武術にも優れている人物で、私が即位したばかりの頃、ならず者達が宮中の勢力と結んで米や塩の取引に絡み、民を困窮させている件を解決する必要性について献策した人物だ。洪敬徳によれば「東の市場は取引など概ね、公正で、治安もまずまず」らしかった。
何か目新しい事、市場の民の動向について尋ねると、スルギの話が出た。