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遭遇・8

「それほどお気に召したなら、後宮にお入れになってはいかがでしょう?」


 そう判内侍府事に言われたが、魑魅魍魎の巣の後宮に入って、あの娘が幸せになるとは思えない。


 娘があのヤンホと言う青年を憎からず思っており、信頼もしているのは確かだろう。青年は整った涼やかな容貌で、商いの才覚も有り、相当に腕っ節も強いようだ。一度、喧嘩を仲裁している所を見たが、荒くれ共を一度で黙らせるだけの貫禄と強さを感じさせた。


 妓生や商売をしている女たちから見ても、あの青年は非常に魅力的なのだろう。市場の中で幾人もの女たちから秋波を送られているのだが、本人は無視して応じないようだ。青年の目は真っ直ぐあの娘だけを見ている。それは間違いなかった。


「父親が死罪になどなっておりませんでしたら、あの若者も今頃はお傍近くに仕えておりましたでしょうな」


 確かに……恐らくは有能な若手官僚になっていただろう。惜しい人材を手に入れ損ねたのは事実だが、私の関心はそこではなく、やはりひたすらあの娘との関係ばかりが気になるのだ。どうにも恥ずかしい事だが……。


「おや?」

「どこへ行くのでしょう?」


 今夜はいつもと様子が違う。街の明かりも消えた中、娘は一人で脱兎のごとく駆け出し、何処かへ向かった。全く予想外であったので、後を追う事も出来ない。


「誰ぞに……会うのかも知れんな」

「宜しいのですか?」


 あのヤンホと言う青年の求婚の申し入れででもあったのなら、私の出る幕は永遠に無い。そうなれば諦める他無かろうと思い、トボトボと道を歩いた。馬は先に帰させて、頭を整理するためにも、いつぞやの松林のあたりをゆっくり歩いて宮殿に戻るつもりだった。

 諦めようとしても、諦められない……想いを打ち明けるにしても、上手い方法が見つからない。あの娘本人の立場にしてみれば、林正哲の息子と所帯を持つ方が幸せなのだ。それがはっきりしているだけに、やはり堪えるしか道は無いのだろう……


 物悲しい気分で空を見上げると、いつぞやのように美しい月が有った。


「あの笛が聞きたいものだがな」


 溜息交じりで、そんな独り言をつぶやきながら歩いていると、あの大樹が見えてきた。

 ん? 何と、笛の音が聞こえるではないか。そう気づいた瞬間、自分でも不思議な事に、異国の歌を笛に合わせて口ずさみ始めていた。


Hey Jude, don't make it bad

Take a sad song and make it better 


 ああ、そうだ。前世の記憶の中にこの歌が有ったのだ。ならば、この曲を笛で奏でる人間は、私と同じ異世界の記憶を持つ者……それ以外有りえない。

 私はあの大木の下で足を止めた。笛の音は今夜もここから聞こえたのだ。私の気配を感じてか、笛の音が止んだ。ならば、まだ、笛の主はこの木に上ったままのはずだ。そう思った。


「以前聞いた笛だな。あの時は命を救われた。礼を言いたかったのに、逃げ出してしまった。今夜は話をさせてくれるのか」

「あなたは……先ほどの歌を御存知なのですね」

「あ?」


 帰って来た言葉の語気の鋭さに、嫌われた、あるいは警戒されてしまったのかと思った。 

 

「私の耳は普通の方より遥かに良いのです。あなたが小声で呟かれた言葉が聞き取れてしまいました」


 確かに相手は大変な地獄耳のようだ。また、今夜もすぐに姿を消すつもりなのかと落胆していたら、そうではなかった。笛に負けないほどの美声が、先程の歌を歌い始めたのだ。


Hey Jude, don't make it bad

Take a sad song and make it better 

 その美しい声にあわせて、私も歌うことにした。

Remember to let her into your heart

Then you can start to make it better.


「うろ覚えなのだ。だが、かつて自分がいた別の世界の歌だという記憶ははっきりある」

「この歌を歌っていた人たちを御存知ですか? 」

「いや、思い出せない」

「そうですか。異世界のどこの国にいらしたのか御記憶は? 」

「わからない。だが、この世界ではありえない速く走る車に乗っていて、事故に逢ったようだ。その最後の瞬間に、その曲が鳴っていたのは確かだ」

「思い出せる言葉は有りませんか? たとえば外国の言葉だと思われるような」

「びーとるず、と言う言葉と、その曲しか思い出せないのだ」

「この曲を歌っていましたのが、ビートルズという四人組です」

「それを知るそなたは、前世の記憶をしっかり持っているのか?」

「はい。うんざりするほどに。それで時折こうして、懐かしい歌を奏でています」


 声の主は、身軽に木から飛び降りた。


「お、おどろいた。そなたはあのポジャギの店の女あるじではないか」


 なんとまあ、女の身なりに大きな倭刀を背負っているという、奇妙な勇ましい姿だが、確かにあの娘だ。てっきり笛の主は腕の立つ少年だと思い込んでいただけに、本当に驚いた。だが、驚いた次の瞬間、あのヤンホ青年の姿が無いのを確認して、ひどく嬉しくなった。まだ、私はこの娘との縁を繋ぐ事を許されているようだ。


「はい。今はスルギと呼ばれております」

 

 スルギ……知恵や賢さを現すその呼び名は、実にこの美しい娘にふさわしい。そう思った。そしてその印象は、その後ますます強く確かなものとして私の中に深く根付くようになるのだが、まだまだ様々な紆余曲折がある事を、この頃の私は、いやスルギ本人も、全く知る由も無かった。



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