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遭遇・7

 あの娘なら自分で世に立つこともできようし、めがねに適った男と夫婦になれば家運が栄え、妻として母親として家の中でも尊敬されるのも当然のような気がする。


 嫌われたくないと思った。少なくとも、嫌な客だと思われたくなかった。客以上に親しくなりたい気持ちは強くあるのだが、どうすればよいのかさっぱりわからない。毎日毎日ポジャギを買いに行くのも変だろう。私のように感じている男が、恐らく都の中に幾人もいるのではないか? そんな気がする。


「今宵は市中にお出かけになりますか?」


 珍しく判内侍府事の方から、そう言い出した。


「そうだな。東市場のチヂミで一杯飲むとするか」

「はい」


 娘は……今夜も美しかった。昨日と違うチョゴリを着ていて、もっと大人びて見えた。そこへ遊び人か商人か何か良く分からない身なりの若い男がやって来て、娘と親しげに話をしている。

「何を言ってるの、ヤンホ兄さん」と言う弾んだような声が聞こえた。男は「お前のようなお転婆」とか何とか言っているようだが、それ以上は聞こえない。会話はごく短かったようなのだが、ひどく長いものに感じられた。


「あのヤンホと言うのはこの市場の顔役なのだよな」


 つい、気になる事が口をついて出る。


「まだ、二十歳かそこらの若さだそうで。清との戦の絡みで罷免され死罪となりました先の大司憲の息子だそうです。先ごろの大王大妃様の還暦のお祝いに伴います恩赦で免賤されたようでございます」

「先の大司憲テサホンといえば、無実の罪にはめられて死罪となったと言う林正哲イム・ジョンチョルだな?」

 あの私の手元に残っていた官服の本来の持ち主だろう。

「さようでございます」

「頑固では有ったが、思いやり深い人格者であったと記憶している」

「あの息子は士大夫の身分に戻る手続きをしなかったそうです」

「馬鹿馬鹿しい朝廷には嫌気がさしたかな……」


 正義の士・林正哲の息子には、私は一体どのような王として見えているのだろう?

 あの弾むような「ヤンホ兄さん」と言う声が、数日耳を離れなかった。


 私が別に命じたわけではないのだが、判内侍府事は色々な部署に手を回してポジャギの店の周辺の調査も事細かにやらせていたようだ。市中微行の度にあの店を物陰から覗き込んで溜息をつく主を見ていれば、そう言った気配りをするのも当然といえば当然なのだろうが、うかつな事に私はそのあたりの事情には気がついていなかった。


「もうすぐ、店じまいか」


 ここ二月ばかりは、娘が店じまいしてすぐ後ろの小さな住まいに入るのを確かめてから宮中に戻るのが習い性になってしまっていた。後宮の女たちは懐妊した者が多くて、ここしばらくはうるさい事も言われ無さそうなので気が楽なのだった。一番厄介な中殿も身篭ったようで、まずは一安心だ。

 幾度かあの、ヤンホ、どうやら本来の名前は林亮浩と言うらしいが、あの若者が住まいに入る所を見たが、すぐに出てくるので、男女の仲……では、無さそうだった。

 

「あのチヂミとチョンビョンが美味い店は、ポジャギ屋の女主人の指導を受けたようです。自分の店をしめた後、手伝いに行く事も有るようです。お出かけになりますか?」 


 判内侍府事パンネシブサの提案に私は飛びついた。すぐにあの店に入って、酒を頼み、いくつかの料理を注文したが、味が良くわからなかった。

 酒が空になったころ、聞き覚えのある声がした。


「嫌だ、ヤンホ兄さん。そんな事は言っちゃダメだって。おじさんだって上手に焼いてるでしょ?」

「だけど商売してずいぶん経つだろうに、なんか今一つじゃねえ?」

「人のお店でそういう事を言うもんじゃないって」

「こういっちゃなんだけどさ、お前が焼く方がうまいじゃねえか」

「だからあ……」


 後は小さな声で聞き取れない。会話の時間は短いものだったのだろうが……ひどく長く感じた。


「じゃあね、兄さん、おじさん、おやすみなさい」


 思わず席を立ちかけて、自分に向けられた判内侍府事と護衛たちの視線に、動きを止めた。

 我知らず、ため息が漏れた。

 一体いつになったら、私はあの娘と話が出来るだろうか? そんな事ばかりを考えていた。



 

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