遭遇・6
ようやく、遭遇しました。ポジャギは食膳の覆い、風呂敷、ふ く さなどの用途に使う布製品です。漢字表記は「袱子器」らしいです。
テンギの赤い色が眼にしみるようだ、と一瞬思った。
この国の未婚の娘の髪に当たり前に有るやや幅広の布製の紐と言うか帯と言うか、そのような物だが、テンギは乙女の純潔の印だ。それが艶やかな三つ編みの髪をまとめ、抜けるように白いうなじにかかっている。
娘は質素な麻のチョゴリを着ているが少し衿に刺繍が入っているのが目を引く。うるさい事を言えば、刺繍が入った衣服は士大夫以上の身分の者しか本来着用は許されないが、絹ではない質素な素材を工夫しているのだから、許容範囲だろう。そして下着の襟は驚くほど清潔な純白だ。それが娘の心意気を示すようで実に好ましい。品物を買った客に向かって、折り目正しい深々とした礼をしたが、いささかも卑屈では無かった。再び真っ直ぐ体を起こした時の背筋が、伸びやかで美しかった。
夢中になって女の顔を見つめるなど、生まれてはじめての経験だった。今にして思えば「ひとめぼれ」と言うものであったのだろう。
我に返って娘が売っているものがポジャギである事に気がついた。前回この市場に来た際に、店が閉じていて落胆した噂のその店らしい。「働き者で器量良しで物知り」との噂であったが、確かにその立ち居振る舞いは無駄が無く、それでいて何処か趣が有った。
ともかくも、品物を買おう。まずはそれがきっかけになる。私は年端も行かない少年が初めて乙女に話しかける時のように、ひどく緊張した。
「いらっしゃいませ」
品物を物色し始めた私に、娘は声をかけ微笑んだ。花びらのような口元から微かに見える歯が、真珠のようだ。心の臓が柄にも無く大きな音を立てたような気がした。気分を落ち着かせるために、わざとらしい咳払いをした。
「その、風変りな模様の入った朽葉色の書類包みをくれ」
ここの品物はどれも麻や木綿製なのだが、粗末な感じはしない。色使いも意匠も品が良く、実に美しい。私が買おうとした書類包みは、この国ではついぞ見たことの無い大きな南国の木の葉の模様であると見た。
「ここはちゃんと一つ一つに値札がついている。分かりやすくて良いな。なるほど、付けは断っているのか」
その由を記した注意書きの文字の見事さに驚く。この娘の筆跡なのだろうか?
「はい。以前、大変な目に会いましたので、こりまして」
「ふうむ。相手は士大夫か? 」
「はあ。まあ……御想像にお任せいたします」
娘の美しい目がいっぺんにこちらを警戒する様な色合いに変化したのが、何とも残念だった。
「ああ、いや、別に鞭打ちを食らわせるなどと考えていない。だからそう警戒しないでくれ」
「恐れ入ります」
いささか深すぎる礼が、自分とこの娘の距離の大きさのように思われて来る。私も信頼できない士大夫の一人におそらくは見えているのだろう。
「この値札は、そなたが書いたものか」
「はい」
「ふうむ。置いてある品物も美しいが、筆跡も美しい。その金包み用の物をまとめて五枚くれ」
金銀や銭を包むのに使う小さな袋だが、五枚それぞれに異なる雅やかな色合いで、気が利いている。少し余分にと思って銀の小粒を渡すと、すぐに正確な金額の釣りが出た。計算も速いのだ。
「ああ、釣りは良い。取っておけ」
そういう私の言葉に、深く礼を返し、手際良く品物を紙で包んでよこした。初めて見る美しい包み方だ。
「計算も早いし、良い店だな。また来る」
この娘が一体どういう人物なのか、気になってたまらなかったが、初日の客としてはこのあたりで引き上げなくてはなるまい。年の頃はどう見てもようやく十五か十六か……だが、いきなり「そなたの齢は?」と聞くのもはばかられる。恐らく、この器量なら色々な男から不快な視線を向けられた経験も多いだろう。そんな輩の一人と思われたくなかった。
それから幾度も私は自分の私室で、買ってきたポジャギやら袋やらを出して、眺めたり溜息をついたり、無意識にそのような行動を取っていた様だ。かなり後になって判内侍府事に言われるまで自覚は無かったのだが。
「美しかったなあ」
自分でその独り言を聞いて、ぎょっとした。どう見ても十歳以上年下のごく若い娘に、心底参ってしまったらしい。それを自覚すると、急に気恥ずかしくなった。あの目の輝きと見事な筆跡から、娘が並外れて賢いのは明らかだった。そんな娘の目から見て、正室も側室も子供もいる年嵩の男など、鬱陶しい迷惑な存在だろう。それが例え王であったとしても……そうとしか思えなかった。