遭遇・5
「どなたか心から安らげるお相手の方が見つかれば宜しいのでしょうが……」
主治医である御医の診立て通りなのだろうが、なかなか難しい。あの下仕え二人を殺されて以来、宮中で羽目を外すのも逃げ道を見つけるのも難しいのだと痛感した。どの女の所にも、もう行きたくは無かったので、判内侍府事に酒の相手をさせた。
「安らかな眠りが欲しいものだ」
「何とも、私どもの力不足で御座います。申し訳御座いません」
「やたらの女子を寝所に入れると、すぐ何者かが秘密を漏らすようだな」
「はあ。そのようです。後宮の方々からそれぞれ、財物を頂いたり、家族の面倒を見て頂いたりしてやってのけているのでしょうが、まだ、上手く調べがつきません」
「外で少しぐらい、気晴らしがしたいものだが、揉め事の種になっても困る」
「明日にでも、また、お出かけになってはいかがですか?」
「ん? 市中にか?」
「はい。あの市場で聞き込みました一件、御興味がお有りかと思いましたが」
「ああ、そうだ。確かに」
私はあの、買い込んだ歯磨き粉の効能書きを、文箱から取り出して、改めてみた。
「この効能書きだが、実に良く出来ている。南の方で聞いた代書屋がいかなる文章を書くのか知らんが、気になるな」
「女の件ではございませんで?」
「それは、無論、気になるが……」
「ひょっとして、壁書きの件と関係が有ると、お考えでしょうか?」
判内侍府事のその問いに、私は返事をしなかった。壁書き、効能書き、代書屋、物知りだという若い女……結びつけて考えるのは、おかしいのだろうか? 私はそんな疑問を持ち始めていた。そしてその翌朝に、また、壁書きが出たとは、私も露知らずにいたのであった。
「御覧下さい。今度は王様の御処置を褒め称えているようです」
最新の壁書きは一枚きりで、宮殿の正門にいつのまにやら貼り出されていたらしい。
そこには沢山の民衆が描かれていた。実に様々な職業・年齢の区別がはっきり一目でわかる。画風からして、先日の壁書きの作者と同一人物の手になるものだろう。皆うれしげに笑い、諸手を上げて叫んでいるようだ。表情の捉え方が見事だと思う。
「千歳、千歳、千千歳」
今回書き込まれている言葉は、これだけだった。この言葉は文武の百官が集い、王と国家の安泰を祝い寿ぐ折に全員で一斉に唱えるものだ。
「真実、民が寡人をこのように寿いでくれるのであれば、有りがたいのだがな」
この作者といつか話が出来る日も来るだろうか……そんな感慨に私は耽っていた。
描いた人間が年を取っているのか、若いのか、あるいは男か女かもわからない。雲をつかむようだ。そんな事を考えている時、決まって思い浮かぶのは、あのソグムを吹く倭刀の使い手だ。舞うように美しかった戦う姿を思い浮かべると、なぜか胸が高鳴る。命の恩人の名も知らず素性も知らないなどという間抜けな状態が、いつまでも続いて良いものか。だが、どこをどう探せばよいのやら見当もつかない。ソグムを吹く倭刀の使い手を役人どもに探索させて随分たつが、それらしき人間は未だに見つからない。
「殺人契にも火賊にもやられっぱなしの役人連中では無理か」
都でも身分有る者の邸を襲撃して男は殺し、女はさらい、財物を強奪するという犯罪行為を繰り返す殺人契と言う秘密結社や、火賊と言う強盗団が暴れていた。火賊は家屋敷に放火すると言って脅迫するから、そのように呼ばれる。要求を拒まれると庶民の村だろうが、王族の邸だろうが、すぐに火をつけるのだ。
政を行う立場の者たちは長い間、貧しい者から情け容赦なく絞り取り虐げてきたのだから恨みを買っても当然かもしれなかった。だが最大の被害者は、善良な力無い者たちだった。
士大夫は、しばしば火賊よけに、自分の邸に火をつけられそうになると、近隣の庶民の家々に火を放ち「火事だ!」と大騒ぎして賊を追い払うと言うえげつないやり方をしていた。弁償する良心的な士大夫は非常に稀で、大半は庶民への賠償は踏み倒すか、無視するかなのだ。
犯罪者から民を守るべき士大夫が、犯罪者そこのけの悪行を公然と働いている。情けないが、それがこの国の現実で、王である私の臣下なのだった。
そんな犯罪者まがいの役人が民の信頼を得ているとは思われず、私の探す人物の行方を知る者が居ても、役人には知らせないのかもしれない。
「自分で探すしか無いか」
後宮が落ち着いた頃合いを見計らって、私自身が微行して探す方が早道かも知れない。そんな気がした。