うごめくもの・1
歴史そのものではなく、歴史ファンタジー、ですね。
「殿下、主上殿下、一大事でございます」
いつもは滑るように足音もさせずこの王の住まいである大殿に入り込んでくるはずの尚宮や内官達が大きな足音を立てて慌てふためいている。
私は大きな戦に負けた混乱状態の中で、父である急死した先王から王位を継承した。
正妻の中殿すなわち王妃は王子を産んですぐに息を引き取った。そしてその王子だが、生まれてすぐから度々、熱をだし、もはや生き延びれないのではないかと思う事が幾度か有った。
めったに感情をあらわにしない判内侍府事が声を震わせて、私に告げた。
「王子様の御容態が、急変いたしました」
世子たるべき一人息子の成弘の症状はよほど厄介なようで、王の主治医である御医が自分の見立てだけでは自信が無いと言い出し、内侍府尚薬つまり後宮の宦官で奥医師でもある高内官にも成弘の診察をさせたのだ。
「なに? 毒?」
「はい、王様。私も御医殿と同じ意見で御座います」
「乳飲み子に毒を飲ませるのは、難しいのではないか?」
乳母は亡き中殿の乳母子にあたり、ただ乳をやるだけの女達もすべて乳母が管理しているはずだった。
「乳母達に怪しい点は今のところ見つかりません。ですが、王子様のお体に奇妙な斑点が浮かんでいるのは事実でして……」
毒は必ずしも飲ませなくても、色々使いようが有るらしい。
「ごく細い針の先に毒を仕込み、王子様のおみ足に目立たぬように刺したのではないかと思われます」
乳飲み子の足に毒針を刺すのか。その陰湿さに吐き気を催す。使われた毒は余り強い物ではなく、大人用の薬に使われても不自然ではない物を幾度か使った可能性が最も高いらしい。これだけの事実を私に伝えると、高尚薬はその場を去った。
「毒針を使うなど……誰か王子を世話をする係りの女官が犯人としか思えぬ」
「全員、義禁府へ移すべきでしょうか? ですが、お世話するものが居りませんのも問題ですし」
この受け答えしているこの成弘付きの内侍もどこまで信用してよいものやら……疑いだせばキリがないのが後宮と言う所だ。
「行方をくらました者が居れば、そのものが一番怪しくはないか?」
バタバタと女官や内侍どもの動きがあわただしいと思ったら、誰かが首をつっていたらしい。
「王子様のお傍につかえておりました女官見習いが、洗濯場近くの木で首をつっておりました。これが懐に入れておりました遺書でございます」
手渡された遺書には「御依頼を断れない自分がもっと早く死ねばよかった」といったこと以外、何も書いていない。
「この女官見習いはどういった経緯で、成弘付きになったのだ?」
「亡き中殿様の母上様からの御推挙で入宮いたしました」
「それ以前の事は?」
「崇礼門近くの妓房の一牌妓生・素妍なるものが生んだ娘で、赤子のうちから中殿様の御実家に引き取られ養われたようです」
一牌妓生と言えば、妓生では一流どころで、客も身分有る者ばかりだ。私も素姸の名は聞き覚えが有る。その素姸は引退後この数年、重い病の床に居るらしい。
「実の父親は不明か?」
「実父はどうにも調べが付きません」
「馴染み客は?」
「その、こう申しては何ですが、只今の名だたる高官の方々がお若いころお遊びになったようで……特にどなたが一番とは言い難い状態であったようです。幼馴染の在野の学者と特別な関係であったらしいのですが、その者は若いうちに亡くなっております」
在野の学者と誰ぞがつながりが有るかも知れず、只今の高官の誰かが実父である可能性も捨てきれない。
「もっと、その実父と思しき人間すべてを洗いなおした方がよさそうだ」
そうした指示をしていたところ、また急に周囲が騒がしくなった。
「一大事でございます。王子様が……王子様が……」
解毒が思うように出来なかったのだそうだが……幼い成弘は、こうして何者かに殺害されたのだった。
「中殿様のお亡くなりようも、今にして思えば奇妙でございました」
確かに私も……そのように感じている。妻も息子も陰謀から守ってやれなかった愚か者が、王としてこの国を立て直す事など出来るのだろうか?
いったい誰を信じるべきか、それすらも定かでは無い。
深い深い泥沼の底に落ち込んで行くような無力感と絶望感に、私は囚われた。