役所
が、
「おめでとうございます。」
役所で婚姻届が受理されてしまった。
千晴は今この時点で「佐伯千晴」となってしまった。
いいのか?
恭輔に聞きたいことがたくさんあるのに、その隙を与えてもらえていない気がした。
書類を提出する時でさえ必要最低限のことしか発言しない。そんな恭輔は普段と変わりないが、やっていることは日常からかなりかけ離れたことなのだ。
千晴は恭輔から事情を説明して欲しくて仕方がなかったのに、足早に進む恭輔の背中を追いかけるのが精いっぱいだった。
役所の建物を出て駐車場の車を目の前にしたところで、千晴は突然思い出した。
恭ちゃんは藍ちゃんが好きなんじゃなかったっけ?
まさか!?
藍ちゃんに頼まれたから私と結婚した?
この入籍がいたずらだとしたら首謀者は藍しか考えられない。千晴は自分の考えに寒気を覚えて震えだした。そして恭輔の車の前で立ち止まったまま、自分で自分を抱きしめるような仕草をした。
「千晴?」
千晴の異変にすぐに気がついた恭輔が千晴の方にかがみこんで問いかけた。
「恭ちゃん・・・・」
体中から血の気が引いて行くのがはっきりと分かった。恐らく顔も青ざめているに違いない。怖くて真実が聞けない千晴は縋るような眼差しを恭輔に向けた。
恭輔は静かに千晴を抱きしめた。
「大丈夫だから、何も心配することはないから」
恭輔の抱きしめが強くなった。恭輔の胸に頭を押し付けたようになっている千晴の頬に恭輔の鼓動が響いた。
千晴の震えが止まると、恭輔は千晴から体を離した。
そして千晴の頬に両手を添えて、しゃがみ込むような姿勢で千晴の真正面に顔を向けた。
「絶対、幸せにするから」恭輔は千晴に顔を近づけた。
キスされる!
千晴は両腕がつっかえ棒になるように恭輔の胸を手の平で押した。
「ダメー!恭ちゃんダメー!!」
千晴目から涙がポロポロとこぼれ出した。恭輔が指で涙を掬った。
「千晴?」
「恭ちゃん、こんなことしちゃダメだよ。藍ちゃんに頼まれたこと聞いているだけじゃ、ダメだよ。」
「藍?」恭輔の表情が曇った。
「ちゃんと好きって伝えたら藍ちゃんだって応えてくれるかもしれないし」
「千晴、何を?」
さらに険しい表情になった恭輔を見ていたら、その場にいられなくなった千晴は恭輔の前から走り出した。視界の隅に駅に出るシャトルバスが見えたので急いで飛び乗った。これまでにないくらい急いで走ったので酸欠状態になり座席に座ったとろこでしばらくは肩で息をしていいた。
呼吸が落ち着いたところで窓の外を見た。恭輔がどうしたか気になったが、千晴にはどうすることもできない。
あっ、婚姻届の取り消しってできるのかなぁ。やっぱり「離婚」になるのかなぁ。たった1日でバツ1ってどうなんだろう。
これも返さないと。さすがに藍ちゃんにこれは渡すことはないだろうけど。
千晴の薬指でキラキラ光るダイヤモンドを千晴はじっと見ていた。
シャトルバスが駅に着き降りたところで千晴は立ち止った。
父が、誠治がそこに立っていたのだ。