エクレア
「ん―――――」
春休みもあと僅かとなった日曜日の午後、千晴は姉の藍に言われた部屋の片づけをようやく終え両腕を伸ばした。
部屋は散らかっているというわけではなかったが、春休みに入るや否や藍が「いらないものは処分して」と言い出しのだ。
学年も変わることもあったので、さすがに1年生の時の教科書まで処分することはしなかったが、中学時代のもので、もう不要なものを処分したりした。
一回り年上の藍は母亡き今は母親のような態度で千晴に接することが多い。
雑誌に載っているモデルなんかよりもずっとずっと綺麗で華やかな藍。大学を出てスチュワーデスになったが、母が癌に冒されたときに仕事を辞め看病に専念した。
母が亡くなった後は旅行雑誌を出版する出版社に勤めている。
部屋を出て下のキッチンへ行くと藍がお湯沸かしたりとお茶の用意でもしているかのようだった。
!!!
ふとダイニングテーブルの上の箱に気がついた。
「これ、『Gateaux J』のエクレアの箱じゃない!!」
『Gateaux J』のエクレアは千晴の大好物である。一般的なエクレアより細めに作ってあるが、中のカスタードが絶品なこと、上にかかるチョコレートのフレーバーによって味が違うのだかが、彩豊かで、その香りも良く。季節の素材を取り入れた限定版なんかもあり、巷でも大人気のスイーツだ。
しかし1個が350円とお高いために千晴が自分で買うことはめったにない。
そのエクレアが箱で置いてあるのだ。
「えっ?なんで?どうしたの?」
「お父さんがさっき買ってきたのよ。」
お父さんが・・・・意外だ。
「・・・誰か来るの?」
甘党ではない父が買ってくるというのであれば、来客があると予想される。
お茶の支度をしている藍はそれを知っているということになるから素直に聞いてみた。
「・・・・恭輔・・・」
少しの沈黙の後に藍が答えた。
「恭ちゃん!」
千晴の心は嬉しくて一瞬跳び跳ねたが、次の瞬間しぼんでしまった。しかしそれを藍には悟られたくなく、言葉をつづけた。
「・・・最近忙しそうだったよね。元気かな?」
ついに、この日が来るんだ。
千晴の心は沈んだ。
佐伯恭輔は藍の小学校から高校までの同級生である。
顔立ちは藍と同様に素晴らしく整っているが、元気はつらつとした藍とは逆に寡黙で冷静な雰囲気を漂わせている、クールなタイプで、無表情でいることが多い。
恭輔の気持ちを読み取ることは難しかったが、それでも物心ついた時から千晴は恭輔が大好きだった。
母親同士が大変仲が良かったので、佐伯の家で談笑に耽る母達のそばで恭輔の帰宅を迎えることが幼い千晴にはよくあった。
恭輔の帰宅を知ると母が藍の帰宅が近いことを知り自宅に戻るというのがお決まりのパターンで、恭輔も好きだが藍も大好きな千晴にとっては輔の帰宅は嬉しいお知らせみたいなものだった。
しかし、12歳も年上の恭輔が千晴以外の女性を恋人にするのは当たり前のことだった。
学校から帰る途中などに恋人を連れた恭輔を見るのを辛いと感じたのはいつの頃からだろう。
藍にも恋人がいたのだから、成人した者にとってそれは自然なことなんだとうと思う反面、自分はどうして12歳も年下で、恭輔に向かっていく資格がもてないのだろうと悲しく思っていた。
20100926一部改稿