青空
『オフロガワキマシタ』
機械的な女性の声が響いた。
先ほどスーパーで買いもした食材を冷蔵庫に片付けていた千晴はリビングにいる恭輔を見た。
一度も見たことのない白い携帯で話しこんでいる恭輔は視線に気がつくと先に入るようにという意図で千晴を指差しした後に風呂場を指差した。
着替えのパジャマを持って脱衣所に行く。
洗面台のそばの棚に白いバスタオルが2枚綺麗に畳んでしまってあった。
1枚を着替えの上に乗せて千晴は入浴した。
恭輔の実家、佐伯家には小学校の低学年頃まで時々預けられることがあった。
佐伯家で夕飯を食べ風呂に入り、恭輔のベッドで寝る。
夜遅く両親が迎えに来て朝は自宅で目覚めるというパターンだった。
預けられた理由はその時々によって違っていたが、母美里が同窓会に出掛ける場合など、母の用事であることが多かった気がする。
でも、今夜からは違う。
まず第一にもう誰も寝入った千晴を三浦家には運ばない。
千晴自身も後数時間で17歳で幼児ではない。
そう、佐伯恭輔の妻なのだ。
「やっぱ、あそこで寝るんだよね。」
今夜恭輔が自分に触れるかもしれない。
そう考えると湯船のお湯まで沸騰させてしまうのではないかと思うくらい熱くなった。
風呂からでた千晴はリビングの扉を横切ると扉が開いたままだったのでまだ電話で話しをしている恭輔を見ることができた。
仕事の話しのようで千晴には内容がさっぱり理解できなかった。
会話の切れ目で恭輔は千晴を見た。
髪が濡れ、パジャマを着ていることから入浴が済んでいることが理解されたようで
「寝室、暖房ついてるから」
通話口を押さえて恭輔が声をかけた。
千晴は黙ったまま頷いて寝室へと向かった。
ドアを開けると程よい暖かさの空気が千晴の頬に触れた。
微弱ながらも恭輔が暖房をつけて置いてくれたことが分かり、千晴の顔は綻んだ。
部屋の明かりをつけ中に入るが、千晴はどうしていいのか分からず背中でドアを閉め己の体重をそのドアにかけたまま立っていることしか出来ずにいた。
室内を見渡せば、先ほどと同様にベッドの存在感に圧倒される。
そのまま視線をクローゼットとは逆の壁面書棚に移した。
まだ空いているスペースの方が多い書棚の一番下、背の高い本を置く予定なのか高さを充分に取っているそこに一冊だけ表紙が上に平置きされている大きな本に目が止まった。
千晴は書棚の前に行きその本を取り出した。
本の表紙は、実際に本物を見たら目が眩むのではないかと思うほどの眩しい青空の写真。
静かにページを捲れば、表紙の写真にも負けないくらいの美しい青空ばかりが目に入る。
一緒に写されている町並み、草原、海、世界的に有名な建造物も青空を美しくさせるための飾りにしか過ぎない、そんな写真ばかりだった。
千晴はこの写真集を以前にも見たことがあった。
その場所は母の病室。
藍が外出できない母のために気分転換になればと買ってきたものだった。
「どうして・・・」
恭輔も偶然同じ本を持っていただけなのだろうか?
藍が恭輔にも買ってきたのだろうか?
千晴に答えは出せなかった。
恭輔がこの本を入手した経路より、母への想いが胸に溢れだし、頭の中は母のことばかり考えてしまう。
もっと、もっと話しをすれば良かった。
もっと、もっと優しくしてあげればよかった。
ちゃんと、
「ごめんなさい」言えば良かった。
何かが胸に詰まったような感覚に陥り千晴は苦しくなった。
その詰まった何かが込み上げ来た瞬間、千晴の頬に一筋の線が出来た。