大山鷹一郎の不思議捜査シリーズ第4作~その1
大山鷹一郎不思議捜査シリーズ4作目で、今回の敵役は古事記に登場する「カグツチ」です。この神を産んだがゆえにイザナミは亡くなってしまいます。それに、ハワイの火の神ペレも登場します。
この物語は一部実際の地名や歴史上の人物名を使用しておりますが、ほとんどの人名地名は架空のものです。
大山鷹一郎・・・九州のとある県警川北署刑事。連続猟奇殺人事件を追う内に、様々な神秘体験をする。副署長に昇進。
汐田・・・九州のとある県県警川北署鑑識。
山内・・・川北警察署長。
白水かおる・・・大山のパートナー。私立探偵。北条政子転生
羽間賢信・・・九州のとある県県警川北署刑事。大山の部下。剣道3段、柔道4段
空手2段の猛者。
小野道子・・・『ラ・クア・クチーナ』ママ
山田都志春・・・ツアーガイド YTツアー代表 犠牲者
山田登紀子・・・都志春の祖母
スティーブ・ローウェン・・・都志春の祖父 元アメリカ海軍
山田武史・・・都志春の父親
山田恭子・・・都志春の母親
山田ヘンリー隆一・・・恭子の弟 熊代商事の川北営業所所長
白水牧子・・・かおるの母親
原島新九郎・・・かおるの曽祖父
原島清志郎・・・新九郎の弟
ジミー・サカグチ・・・かおるのSNSフレンド ハワイオアフ島在住
静子ワイメア・・・マカプゥカフェ主人
ロバート・ハラシマ・・・清志郎の孫 ハワイオアフ島在住 ハワイアンヒーラー
ブンキチ・ハラシマ・・・ロバートの祖父
立石洋子・・・カフェウェリナ店主
広沢紫音・・・海軍と商いしている ハワイアンヒーラーでもある
銀座主明禎・・・鞍馬山地下に存在する天台裏衆道場主
洪志明・・・山内と若い頃から知り合いの台湾人
1
森の中のようだった。湿った空気があり、周囲には植物と水の匂いが充満していた。どこから来て、いつからここにいるのかは、まるで思い出せなかった。永遠にいたような気もするし、今この瞬間にここに現れたような気もする。わかることは、自分が白水かおるだということだけだった。
かおるはデニムに黒いパーカーをはおり、リュックを背負って歩いていた。足元に見えるのは苔の生えた地面と、自分のスニーカー。どこに向かっているのか、何のために歩いているのかはわからなかった。
自らの息遣いだけが聞こえていた。スーハースーハーという音が一定のリズムとなっており、そこが唯一自分を感じられるようだった。それと同時に、ザクザクと苔と草を踏む感触も立ち位置を感じられるものだった。
まるで時間というものが感じられなかったが、ここにはここにしかない時間軸があるようだった。どのくらい歩いたのかわからなかったが、それまで聞こえてこなかった鳥の声が耳に入るようになってきた。
非常に妙なことではあるのだが、かおるにはやっと、今自分が森の中にいるのだと実感できてきた。かおるはボブヘアーを後ろで結び、気持ち身軽にする余裕ができた。
どうやら鳥たちはある一定の方向に固まっているようだった。さえずりはその咆哮からのみ聞こえてきていた。かおるはごく自然に、その方に歩いていった。
湿った森は終わり、乾燥した土地になってきていた。木々があったのだが、そこから枝が十本ほど地面に降りてきていた。
この木は知っていた。ガジュマルの木で、太平洋の南に多くある木だ。幹から生える枝は横に広く広がっており、まるで木が家であるかのように思えてきた。さては自分はそのあたりにいるのだろうかと思いながら、かおるは近づいていった。
やがて激しい水の音が聞こえてきた。
(滝・・・?)
目に入ってきたのは、森の横を流れる川が、滝となって落ちていく様だった。さらに近づいてみた。
(すごい・・・。)」
眼下に見えるのは、滝が落ちていく様と広がるジャングルだった。それまで気がつかなかったが、こんなに緑あふれるところなのに、大気がかなり冷たく感じることだった。ジャングルと言えば亜熱帯気候という概念があったためか、意外だった。しかしそれは嬉しい意外性でもあった。
まず気持ちいい。滝から溢れ出すマイナスイオンとも相まって、身体の奥から浄化されるような感覚だった。
かおるはすぐ横にあった岩場に腰を下ろした。目を閉じて大きく息を吸う。感覚が研ぎ澄まされてくるのがわかった。しかし鋭くはない。ほどよく敏感になってくる感じで、不安定さは微塵もない。このような感覚は、滅多にない。
かおるのインスピレーションは一息するたびに明確になっていき、目を閉じていてさえ周囲の風景が感覚でわかるように思えた。かおるはしばらくの間、見えない風景を見て、見えない風を見るという、まるで矛盾した感覚の中にいた。
ちょっと違うが、これは初めてではなかったはずだ。かおるはかつて感じたこともある、その時を思い出していた。確か随分以前のことだったと思う。どのような状況だったかは思い出せなかったが、確かにこれと似た感覚を感じたことはあった。
ちょっと気になった。どうしてもその時のことを思い出したくなった。何かしらイメージがあるはずなので、その感覚から導き出されるイメージに意識を集中した。
子供の頃の、おそらくは3歳か4歳くらいの頃だろう。目の前には懐かしい感じのぬいぐるみが見えてきた。確かこれは、欲しくて父にせがんで買ってもらったものだった。
(父?)
いや、これは父ではない。祖父に買ってもらったものだ。祖父は軍服を着ていた。
まだ若く、かなりハンサムな男性の姿が、まるで目の前にあるかのように浮かんで来た。祖父は何かを語ってきていた。しかしそれが何か、かおるには何かわからなかった。
(何?何が言いたいの?)
かおるは祖父の意識と同調しようと、必死になった。しかしやはりわからなかった。
意識を集中してようやく、文字のようなものが浮かんできた。
「ぶ・ん・き・ち・・・?」
おそらくは人の名だろう。
文吉?
それが一体どうしたというのだ?
祖父の名は文吉ではなかった。
祖父の名は敏夫と言った。
なぜ祖父はこの人のことを自分に伝えたいのだろう?
なぜと尋ねようとしたとき、急速に祖父の姿は消えていった。
待ってと叫ぼうとしたとき、香は背後に気配を感じた。
目を開けて顔を後ろに向けてみた。
そこには白い塊があり、空中に浮かんでいた。
「な、なに?」
かおるは立ち上がって光体の前に立った。
光体の光は柔らかく、かおるは自然に光体に手を伸ばした。
光体に触れた瞬間、光体は激しく膨張し、かおるは光体の中にすっぽりと包まれていった。
「わああああ!」
かおるは叫んで身を起こした。
叫んだ後にまず気がついたのは、慣れた日常的な匂いだった。
かおるが混んで使っているプルメリアのアロマ香だった。
周りを見渡してみた。
自分の寝室の、ベッドの上に起き上がっていた。
着ていたパジャマは、汗でぐっしょりと濡れていた。
汗で濡れたために、Dカップの先にある乳首が透けて見えていた。
「これは・・・何?」
かおるは着替えることも忘れ、しばし憮然としていた。
2 山田都志春の
大山鷹一郎と羽間賢信は、阿見山に向かっていた。阿見山は世界最大のカルデラ火山で有名な火山連山であり、観光の名所ともなっていた。通報があったのはまだ陽が昇る前のことだった。
「先輩!自殺のようです!阿見山に落ちたんです!」
本来ならここは阿見警察の管轄なのだが、問題は自殺したという人物が川北市在住だったということのためだった。
「で、誰なんだ?」
「はい。自殺者は山田都志春、32歳。陽出町在住。で・・・えーと、ツアーガイド会社を立ち上げています。遺体はパトロールドローンが発見したようです。」
「ツアーガイド?川北で?そんなに観光客いたかな?」
「まあ、一応海外からの観光客相手だったようですね。外人さんはどこでも驚いてくれますからね。」
「そうか・・・英語とか堪能なんだろうな、きっと。」
情報を共有しながら進んでいき、1時間ほどで2人は火口に到着した。初冬の山は寒風が吹き、体感気温は相当に低かった。そこにはすでに阿見署の刑事たちが到着して激しく動いていた。
「お疲れ様です。川北署の大山です・・・って、橋本・・・?久しぶりじゃないか!」
「おおタカ!久しぶりやな!お前が来ると思ってたよ。」
橋本宏と大山は警察学校時代の同期だった。柔道五段、空手二段、剣道初段という県警きっての猛者でもあり、多くの大会に出場していた。
「で、どこなんだ?」
「あそこだ。もう引き上げてある。」
米山が案内した先には、桜模様の赤いアロハシャツにデニム姿の男が死体袋に入れられていた。大山と羽間は屈みこんで男の身体調査に取り掛かった。
遺体は火口の高熱で皮膚がかなりただれではいたが、シャツなどは比較的無事だった。
「傷は・・・目立ったものは・・・なさそうだな。」
「ああ、どうやら近くまで降りていって、そこで睡眠薬を飲んだようだ。そこに麓の薬局袋があった。既存の鎮痛剤を人ケース一気飲みしたのかもな。詳しくは調べてみないとわからんが。」
どうやら自殺で間違いないようだった。大山は羽間に訊ねた。
「おい、この山田って人は、どういう人だったんだ?」
羽間はいつものシステム手帳を見て説明した。
「そうですねえ。まだ聴きこみはしてませんが、それほど悪い噂はないようです。陽出町に同級生の市議がいるんですけど、聞いても全く思い当たる節はなかったと言ってました。それからええと・・・独身です。趣味がサーフィン。四角町のツアー会社とサーフバーの共同経営者でもあるようですね。今のところそれだけです。」
「ふうん・・・これから、だな。おい橋本、ありがとう。とりあえず、本部に移送せにゃならんな。」
巨漢の橋本は、多少薄くなってきた頭髪が風になびくのが嫌らしく、ニットキャップを被った。
「これだから山頂は好かん。まあ、そうなるわな。移送は俺らがやる。おそらく解剖になるだろう。結果は報告する。ところで、ちょっとばかり気になることがある。」
「ん?なんだ?」
「これを、見てくれないか。」
橋本が指さした先には、高さが5センチほどの真っ黒い人形があった。両手を横に広がった形をしていた。
「これは?」
「ご遺体が握りしめていたんだ。何だろうと思ってな。」
大山はその人形を、手袋をつけて持ち上げた。頭に何か帯を巻いた、長い髪の女性のようだった。しかしその髪型がちょっと異常だった。
「やたら髪が多いな。足は・・・一応あるけど、ほとんどが髪みたいな人形だなあ。なんだろう?」
「さあなあ。さっぱりわからん。お前の彼女、ええと・・・。」
「白水かおる、か?」
「ああ、そうそう。彼女さあ、こういうことに詳しかっただろ?訊いて見てくれんかな。」
「まあ確かに・・・。」
大山は特に近ごろ、かおるについては疑問だらけだった。妙な夢を見せられるわ、今の大山にはまだ無理だとか言って突き放すわ。
「わかった、訊いておく。これ、預かってもいいんか?」
「ああ、頼む。」
ここ3回ほど奇妙すぎる事件ばかりだった。たまには普通の事件であってくれと、密かに大山は思った。
3
湘南駅は今日も人でごったがえしていた。人気の観光地なだけに、平日でも人が多い。
「相変わらずね、ここ。」
かおるは赤いキャップに白いブラウス、黒いデニムといういでたちだったが、もちろん目を引いた。当然ナンパしてこようと近づいてくる若者たちがいたが、なぜかかおるの近くにまで来ると方向を変えていた。
かおるはタクシーに乗って、1時間ほどの山中にある得宗村まで行った。湘南の喧騒とは打って変わってまるで人影が見えないこの過疎村が、かおるの出身地だった。
時おり軽トラが走り、畑の中で誰かの頭が見える以外は穏やかな時間が流れている。村のほぼ中央に位置する場所に、周囲とは明らかに趣が異なる、でかい古民家があった。一見普通の古民家風だったが、庭のいたるところに奇妙な置物があった。
見る人が見れば、それが装飾古墳内部にありそうなものだとか、髭を生やした仙人のようだったりするとわかるものばかりだった。かおるはキャップを脱ぎ、家の前まで来ると大きく深呼吸をした。そして戸を開けた。
「ただいま。」
古い造りであったので、玄関は土間になっていた。一般の家ならばすぐ上がれるようになっていたのだが、この土間だけで30畳くらいはありそうな広さだった。
大きなカマドがあり、土間で焼肉や田楽などができるように大きな囲炉裏があり、10人くらいは楽に座れるようなスペースの板間で囲まれていた。祖父の時代に建て替えたと聴いていたから。少なくとも100年は経過しているだろう。古かったがよく手入れはされており、しっかりとしていた。
「おかえり。」
奥の方から声がした。味噌などの発酵臭がただよう中、かおるはあがって声の方ではなく、広間にある仏壇に向かった。祖父敏雄と祖母フサ、そして父親時雄の遺影が飾ってあった。
かおるは手を合わせ、目を閉じた。祖父祖母、父親と遊んだときのことが思い出された。
「あ!お姉ちゃん!」
幼い声がして、小学生低学年くらいの女の子が走り寄ってきた。
「おかえり!」
「あら、緑。ちょっと大っきくなった?」
かおるの胸に飛び込んできた緑は、長姉美子の末女だった。決して叔母さんとは呼ばせてはいなかった。
「ねね、お姉ちゃん、いつまでいるの?」
「わかんないわよ。お姉ちゃんのお仕事で、帰ってきたんだから。終わったらまた九州ね。」
「えーっ!つまんない。もっといてよ。」
「わがまま言うんじゃないの、可愛い悪魔さん!」
かおるは緑を抱きしめて頬ずりした。
美子には4人の兄弟姉妹がおり、美子一家がこの家を継いでいた。他の兄弟姉妹は他県にいた。会えるのは盆正月くらいだった。緑はかおるによくなついており、帰ってくると毎回この歓迎ぶりだった。
「お母さんは?まだお仕事?」
「うん、今日は病院で夜勤なんだ。お祖母ちゃんはいるよ。」
さきほどの声の主が母親の牧子だったことはもうわかっていた。緑と同時にかけよって大歓迎してきたトイプードルのティムを抱いて、かおるは台所に向かった。
包丁で何かを切る音が聞こえてきた。かおるが台所に足を入れるのとほぼ同時に、料理をしたまま牧子が声をかけてきた。
「かおる、そこの玉ネギ取ってちょうだい。ティムはあっち行ってて。」
まるで見えるかのような指示だった。かおるはこれにはもう慣れていたので、ティムを床に降ろして玉ネギの袋を手に取った。抱っこしろとティムがギャン鳴きしたが、構わず母親の横に立って切り始めた。母親はナスを切っていた。
「今夜は揚げナスと肉じゃがと・・・唐揚げか。」
「そういうことはよくわかるのよね、あんたは。」
牧子はかおるをチラ見して、軽く笑った。かおるは、お母さん相変わらず綺麗なんだよなあって思いながらも、母親の勘の鋭さにも舌を巻いた。かおるの能力は磨かれたものではあったが、この母親から受け継いだものであることも明白だった。牧子は元々通産省職員というエリートだったのだが、知り合ってすぐにやめて農家に嫁いだという変わり者でもあった。
しかしグラビアモデルに何回も誘われたほどの美貌は衰えてなかった。祖母が健在だった頃は土間で料理していたものだが、最近では台所でやることが日常になっていた。
「で、今度はお爺さんのことなの?」
「うん、そう。お母さんにも聞いておきたいことがあるし。」
牧子はかおるから何も訊いていないのに、どのような用事なのかすぐに察していた。以前は母親に何もかも見透かされているような気がしていたのだが、近ごろでは何か思うとすぐに電話がかかるようになってきて、便利かもと思うようになっていた。牧子は包丁の動きを止め、少しばかり目を閉じてからかおるを見た。
「いいタイミングが来たねってお爺さん仰ってるわよ。今日は泊まっていくんでしょ?」
「そのつもり。」
「じゃあお片付けが終わったらね。」
夕食を済ませ、ひとしきり緑やティムと遊んで寝かしつけ、姉とメッセでやり取りし、大山におやすみメッセを送った後にかおると母親はごく自然に居間に同時に入ってきた。牧子は普段から和服を着ているタイプだったので、浴衣にカーディガンを羽織っていた。そして数冊の本を持ってきていた。
「さて、お話しましょうかね。」
4
「え?クオーター?」
大山は食べかけのカップヌードルを吐き出しそうになった。山田都志春がどう見ても生粋の日本人的風貌だったので、ギャップが大きかったのだ。
「はい、祖父がスティーブ・ローウェンと言って、アメリカ海軍だったようです。ええと、ミズーリ州セントルイス出身で、大戦中の真珠湾攻撃の際にはハワイにいたそうです。大戦後にGHQとして来日し、通訳していた山田登紀子と結婚しましたが、子供2人できた後に帰国を機に離婚。ちなみに山田登紀子は川北出身です。」
「あ、それでここで暮らしてたのか。にしてもアメリカの雰囲気ゼロやな。」
「ところが先輩、山田はアメリカの親戚とは非常に懇意だったそうで、個人的に雑貨などの貿易もやっていたようですね。四角のサーフバーは、半分趣味だったようで。英語もかなり堪能だったようです。なかなかのやり手ではあったようですね。」
大山はカップヌードルの汁を飲み干して、茶を一口飲んでから続けた。
「出自はわかった・・・けど、なんで自殺したんかな?」
羽間はシステム手帳を閉じ、電子タバコを取り出して咥えた。
「そこなんですよね。橋本さんの方でも急いでおられるようですけど、まだ掴めてません。こっちでそれを探っていかないといけないってことになりますね。」
大山は爪楊枝を咥えて羽間に対抗していた。
「そういうことだな。今はとりわけて大変なこともない。じゃあさっそく取り掛かるか。川北にいる山田さんの身内って、誰がいる?」
「はい。まず両親は健在です。父親は元建設業の武史さん、母親は歯科医師の恭子さん。あとは妹がいますが、すでに他県に嫁いでいますね。父親方の親戚は数人いるようですが、母親方は1人っ子だったためにいません。友人は多いですね。」
「ご両親から、だろうな。もう会ったんか?」
「いえ、自分はまだです。ちょうど今日は、葬儀です。」
「じゃあそっちからだ。すぐに行けるか?」
大山と羽間は間もなく川北市の西部に位置する秋田町に向かった。小さな町でもあり、干拓によってできた新しい街にある一角に、山田の家があった。そしてすぐ近所に斎場があり、そこには多くの人々が弔問に訪れていた。受付には「歯科関係」「建築関係」「ご友人・親族」の3つの場所に分かれており、山田の両親関係が多く弔問にきていたようだ。
羽間は脇にいた、おそらくは山田の親族と思われる若い男性に近寄り、警察手帳を見せて両親に会えるかと尋ねた。しばらくして、山田夫妻は憔悴が激しいので、母親の弟でいいのかと伝えてきた。無論異論はなかったので、大山と羽間は斎場の一室に通された。
やがて細身で目つきの鋭い、濃い顔立ちの初老の男が入ってきた。
「遅くなりました。山田ヘンリー隆一です。」
隆一は2人に座るよう促し、茶を用意させた。
「ああ、お気遣いなく。こんな時に申し訳ございません。しかし我々の業務です。ご了承ください。」
「いえこちらこそ。なにせ都志春は両親の期待を背負った甥でしたので、もうどちらも話せる状態ではなく、母親はいまだに棺に抱き着いて泣いています。私でよろしければ、時間までお話できると思います。」
「恐縮です。かいつまんでお聞かせください。まずですけど、隆一さんを含めた家族構成についてです。」
「私と恭子は、母登紀子に女手で育てられました。父親のスティーブ・ローウェンはアメリカの海軍兵士でしたが、離婚しています。まだアメリカで存命だとは聞いておりますが、一度も会ったことはありません。生きていれば、おそらく90歳近いでしょうね。私は熊代商事の川北営業所所長を承っております。」
そう言いながら、隆一は名刺を出して渡した。
「あの熊代商事さんですか。」
「はい、15年前にやっと上場できたばかりです。」
川北市でもでかでかと地方紙が報道していたので、大山もよく覚えていた。
「あとは、父の武史は建設業を立ち上げておりましたが、不況のために当方で買収しています。母親の恭子は私の姉で、現役歯科医師です。で・・・都志春ですが、親族の贔屓でも何でもなく、いたって真面目でいい奴でした。悩みなどあるなんて思いもよりません。」
「ありがとうございます。なるほど、よくわかりました。それで、故人のことについて具体的にお伺いしたいのですが。」
隆一は懐からシガーケースを取り出し、葉巻に火をつけた。
「あ、すみません。ご迷惑では?」
「ああ、構いませんよ。」
「申し訳ない。私はこれがないとうまく喋れません。都志春は・・・ええと・・・あ、これだ。『YTツアー』という、外国人相手のツアーガイド会社を立ち上げていました。法人登記は行っていますが、事実上彼だけの個人会社です。」
隆一は名刺入れから都志春の名刺を出して、大山たちに手渡した。川北市周辺のツアーガイド、寺社案内、アニメツアー、ショッピング案内などが事業紹介として記してあった。
「なるほど・・・外国人が好みそうなツアーを企画なさっておられたんですね。やはり主にアメリカの方相手でしょうか?」
「そうですねえ・・・そのあたりまでは把握しておりませんが、都志春はよくアロハシャツを着ておりました。確か一度、ハワイからのお客がどうとか言っていました。私が存じておりますのは、それくらいです。」
大山が次の質問をしようと口を開きかけたとき、ドアをノックする音がして、さきほどの若者が顔を出してきた。
「あ、すみません。お父さん、そろそろ始まります。」
あの若者は隆一の子供だったようだ。
「ああ、すぐ行く。刑事さん、今日はこれくらいでよろしいでしょうか。姉夫婦の面倒も見ないといけませんので。」
「とんでもないです。わざわざありがとうございます。」
隆一は頭を下げで部屋を出ていく際に振り向き、言葉を残した。
「都志春の事務所は今閉鎖されています。管理人の番号を受付に伝えておきます。」
隆一が去った後、大山は羽間に呟いた。
「あくまで勘だが・・・一応マークだな。」
5
「お母さん、文吉って人・・・聴いたことある?」
自宅の懐かしい川根茶を飲んで、かおるは牧子に訊ねた。この茶は山間部の産地茶であって、かおるの実家ではこれをよく愛飲していた。
「文吉さん?・・・ちょっと待ってね・・・。」
牧子は祖父のアルバムを開いて、老顔になった目を細めながら目を通していた。
「敏夫爺ちゃんがね、夢に出てきたのよ。」
ページをめくる牧子の手が止まった。
「あんたの夢に?どういうことかしら?初めて・・・でしょ?」
「うん。今まで出てきたことなんてなかった。」
「そのはずよね。だって、爺ちゃんと会ったのって、まだ幼稚園に上がる前だったもんね。なんでなのかねえ・・・え?・・・この・・・人じゃない?」
牧子がかおるに見せたのは相当に古いアルバムであり、開いたのは2人の幼い男の子供が並んで写っている写真だった。1人は昔ながらの着物を着ていたが、もう1人はシャツにズボンという服だった。
「ほら、ここ見てごらんよ。」
牧子が示したところには、丁寧な字でこう説明書きがあった。
『昭和4年、ハワイより文吉来る。従兄弟と初対面の敏夫喜ぶ』
「ハワイの従兄弟?それが文吉さん?」
「・・・そういうことになるわよね。あんた、このアルバム見たことはなかったはずよね。」
「当たり前じゃない。今初めて見たわよ。」
「そっか・・・。」
牧子はそう言うとまた軽く目を閉じた。牧子がごく自然に行ってきたトランス状態だった。これを見せるのは、かおるにだけだったのだが。
「ほら、ここ見てごらんよ。」
「この人を助けてってこと?・・・いや、違う・・・孫?・・・ハワイの孫?・・・会えって?・・・・」
牧子は目を開いた。そして額を手拭いで拭った。かなり汗をかいていた。
「ええと、ちょっと待ってね・・・このあたりに何かあるはずだとは思うけど・・・ああ、あったわ。ここに書いてある。これね。」
そこに書いてあったのは、簡単な系譜だった。かおるにとって曽祖父にあたるのが原島新九郎だったようだ。原島新九郎には弟の清志郎がいて、清志郎が14歳のときにハワイに移住している。新九郎には兄がいて家督を継いでおり、新九郎は白水家の養子となってフサと結婚して、白水新九郎となった。そして清志郎が里帰りした際に撮影されたもののようだった。
かおるにとって曽祖父にあたるのが原島新九郎だったようだ。原島新九郎には弟の清志郎がいて、清志郎が14歳のときにハワイに移住している。新九郎には兄がいて家督を継いでおり、新九郎は白水家の養子となってフサと結婚して、白水新九郎となった。そして清志郎が里帰りした際に撮影されたもののようだった。
「お母さん、今、ハワイの孫って言ってたわね。この文吉さんの孫がハワイにいて、会えってことを爺ちゃん言ってたの?」
牧子は茶をかおるに注ぎながら言った。
「どうなんだろうねえ・・・でも、あたしにできることはここまでみたい。後はあんたに何らかのメッセージがくると思うわ。でもねえ・・・。」
「でも・・・なに?」
かおるは母親の顔が少しだけ曇るのを感じとった。
「あたしにはよくわからないけど、なんとなくね・・・胸騒ぎがするのよ。なんだろうねえ。普通ならこんな時には近づくなって言うはずなんだけどそうじゃない。ということは、あんたの使命ってことなのかな。」
かおるはため息をついた。あの夢から感じたものは、すごく懐かしく美しいものと、逆にドロドロしたうす汚いものが同時に存在していた感覚があった。
それはかおるの感覚ではなかった。あれはあの夢を見せた誰か、あるいは数人の感覚が投影されたもののような気がしていた。
まただわ、またなにかやらなきゃいけないの?・・・とかおるは思った。運命だとわかってはいたものの、やはり辛いものがあった。かおるが己の運命について悟ったのは、大山と出会ったときからだった。大山鷹一郎に会った瞬間に、凄まじい情報が一気にかおるの中に流れ込んできた。
それまでは意味がわからないことばかりあって、人生に絶望していた時期もあったのだ。意味がわかって人生に目標も意味もできてはいたのだが、辛いものは辛い。なんであたしなのかなあ、とかおるはつい思うこともしばしばだった。
「あんたね、無理はしないでよ。」
「え?」
かおるの心中を見透かしたかのように、牧子がぼそりと呟いた。いつもこうだった。いつでも母親は、かおるのことを見透かしたような言動を取ってきた。
「わたしにはね、あんたの使命とかはわからない。けどね、わたしには自分の使命くらいはわかってる。わたしは、あんたの道筋を照らす使命があるの。それはずっと前からわかってた。」
「母さん・・・。」
「わたしはあんたの母親だよ。娘が辛い運命にあることはわかってて、できるなら避けてほしいってのは親心さ。当然じゃないか。だけど、どうにもならないことがあるってことも、よおくわかってる。だからさ、こう言うしかないんだよ。」
かおるは牧子の手を握った。
「母さん、ありがとう。あたしは大丈夫だよ。運命の人もいるから。」
そう言いながら、かおるの目からは涙が溢れ出してきていた。運命だと言い聞かせ、孤独な思いをしてきたのだが、牧子の言葉でそれが一気に緩んできたのだ。
「え・・・えく・・・えく・・・えーん。」
かおるはついに声を出して泣き始めた。かおるの手を、牧子はそっと握っていた。それからしばらくかおるは泣き続け、そして牧子の手を離した。
「ありがとう、母さん。もう大丈夫。」
牧子はかおるの手元に、そっと一枚の封筒を置いた。
「・・・なに?」
「これはね、あんたが生まれたときに、なぜだか病院の看護婦さんから貰ったものなんよ。いつか娘さんにお渡しくださいってね。すっかり忘れてたけど、ここに挟んでいた。これも何かの・・・。」
牧子は頷きながら言った。
「定めってものなのかもね。今はあんたも寂しいだろうけど、いつか運命の人が思いを同じくできるときがくる。それまでの辛抱だよ。それまで辛かったら、いつでも戻っておいで。」
かおるは頷いた。大山が目覚める日までの辛抱なのだとはわかっていた。ただやはり、辛いものは辛いのだ。しかし母親の言葉でスッキリできた。見守ってくれる存在があるのだ。
自分は自分の運命を全うすればよい。かおるは母親から貰った封筒を開けてみた。中にはなにか名刺サイズのものが入っていた。取り出して見て、かおるは目を見開いた。
「これ・・・ハワイ出雲大社のお守りじゃない。どうしてあたしに・・・。」
かおるはハッと気づいた。
「答えが・・・ハワイにあるということね、きっと。お爺ちゃんもきっと、それがあったから夢に出てきたのよね。何もかも偶然じゃない。・・・母さん、あたし、明日にでもハワイに立つ。ありがとう!」
かおるは部屋に戻り、大山にメッセを入れた。しばらくハワイにいると。翌日、かおるは実家を離れ、羽田空港に向かってハワイ行きの飛行機に乗った。
6
大山と羽間は公用車で、川北から1時間ほどの海沿いに位置する四角町に到着した。ここは漁業と観光の街であり、県外からも多く訪れるリアス式海岸で有名な街でもあった。県内の者は、よくここに魚を食べにやってくる。
2人が訪れたのは市役所四角支所のすぐ近くにあるビルだった。ビルとは言ってもかなりさびれており、築40年は経過しているだろうと思われる3階建ての小さなものだった。
そのビルの2階に、やはりかなり古くなった看板があり、『(株)YTツアー』と表示されていた。
「こちらです。どうぞお入りください。」
ビルの管理人がカギを開けてくれ、2人は中に入った。中は整然として綺麗に片付けられており、山田の性格が伺えた。
「こりゃちゃんとしてますねえ。評判悪くなかったはずです。」
羽間が呟き、大山も頷いた。
「まだ決まったわけじゃないが・・・こんな性格の持ち主が自殺ねえ。よほど追い込まれてた・・・とも思えん。どうなってるんだ?」
2人から少し遅れて到着した鑑識がさっそく部屋を物色し始めた。
「おや、久しぶりたい、お2人さん。」
「あ、汐さん、本当久々ですね。もういいんですか?」
「ああ。しかし川北んモンだから仕方ないんだが、遠かなあ。病み上がりにはきついぞ。」
汐田はここしばらく体調を崩して入院していて、最近復帰したばかりだった。
「我々は少し出ていましょう。」
汐田と2人は事務所を出て、入り口前の通路で休んだ。
「自殺って聞いたが?」
「まだ決まったわけじゃないんですけど、今のところはそうとしか思えない状況です。とにかく、何にも出てきてないですし、聞き込みでも全く理由はわからないんですよ。」
ベテラン鑑識官汐田は、頬を指で掻いた。
「たまにはそんなこつもあるよ。理由がわからんまま、お蔵入りになったケースは一度や二度じゃなか。昔はさ、先輩に『鬼の仕業だ』って脅かされたもんさ。」
「鬼?そんなのがいるんですか?」
羽間はこういうことに興味があるようで、すぐに食いついてきた。
「ああ、実際に言伝えであるんだよ。『縊鬼』って言ってな。つまり、早い話が死神みたいなもんさ。見たものは自殺するんだとさ。だから、鬼の仕事ってな。」
「鬼、ねえ。大概の自殺の原因ってわかるもんなんですけど、鬼なんて自分は初めてですね。」
「大さん、結構いるよ。最近はSNSとか妙な記事読んじゃって。ふらふらっといっちまうこともあるらしい。まあ、少なくとも川北じゃ滅多にないがな。」
3人が話していると、若い鑑識官が事務所から出てきた。
「ああ、すみません。ちょっとよろしいでしょうか?」
若い鑑識官に促されて、3人は中に入った。指紋その他の調査が終わったので、もう入っても良いのだろう。
「どうや?なにか出てきたか?」
「いえ、部長・・・怪しいものは何もありませんでした。全くもって普通の旅行会社です。後はパソコンだけですね。パスワードがあるので、署に持ち帰って調べてみます。」
「スマホとかはあったのか?」
「はい、それは遺体が持っていました。ただデータがボロボロで・・・それも分析中です。」
汐田は大山と羽間を振り返って頭を掻いた。
「どう考えても自殺としか思えんな、こりゃ。ばってん・・・。」
「汐さん、なにか?」
大山は汐田の長年による捜査勘を心底信頼していた。外れたことがない。この老鑑識官が何か引っかかることがあると言えば、絶対になにかあるのだ。汐田の一言で完遂できた事件は一つや二つではなかった。
「まあいつもの戯言ばってん・・・なんと言えばいいのかなあ・・・うん、そうだ。全体的に『隙がない』と感じるんだわ。」
「隙がない・・・ということは、どういうことなんです?」
汐田ももどかしいのだろう、頭を掻く手のスピードが増した。
「そっがわからんけん、頭の痒うなっとたい。つまりだ・・・相当な潔癖症ってのは普通にいる。ただ、あまりにも度が過ぎておるように思えるんだ。普通は、どんな会社にだって叩けば埃は出てくるもんだ。どんな些細なことでもな。展示場にあるバスタブでさえ汚れはついてるってもんさ。ここは・・・。」
汐田は事務所を腕でぐるりと指差した。
「何もかも完璧すぎる。日常の業務の汚れはもちろんある。だが、俺にはその汚れですら、作られたもののように感じるとたい。自然な日常も、度を超すと作為的に感じる。」
普通であれば、単なる老人の戯言で終わるところなのだが、これがどれだけ信用できるものであるかは、川北署の者なら全員知っていた。大山は汐田の目線で事務所内を見渡してみた。
先ほど業務記録も領収書ファイルも閲覧してみた。よく観ないとわからないが、とりわけで気になるようなところは見受けられなかった。だが確かに汐田の言う通りだった。
何もなさすぎる。
「汐さん、そうだよ。だからさっきからちょっと変な感じがしてたんだ。汐さんに言われて確信したよ。おい、ケン。ちょっと付き合え。汐さんもお願いします。」
大山は羽間と汐田にも手伝ってもらって、事務所内をもう一度探ってみた。通常通りの調査ではおそらく何も出てこないだろうと思ったので、別角度から見直してみることにした。つまり、もしこの事務所の全てが作為的に整理されたものであるならば、逆のことが見得てくるはずだ。
通常ならどこか異常が出てきて当然なのだが、全て整合性があるのであればそれが異常だということになる。であれば、話は早い。捜査では整合性がとれているならばよしとするが、今回は逆だ。つまり、途中経過にこそ真実があるということになる。
大山たちは、鑑識メンバーを待機させて調べ始めた。帳簿を、内容で確認し始めた。1時間ほど経過したときのことだった。
「あれ?」
羽間が声を上げた。
「どうしたケン?」
羽間はスマホと帳簿を持って立ち上がった。
「先輩、ここ・・・ここ見てください。」
大山と汐田が羽間の元に駆けよってきた。
「これ・・・ニュージーランドからのツアー表みたいですけど、この日付がちょっと・・・。」
「それがどうしたんだ?」
「ええ、この日って、昨年のニュージーランド航空機の事故があった日なんですよね。いま確認してみたんですけど間違いないです。確信はないですけど、普通なら欠航が相次ぐんじゃないですかね。それなのにこの日って、この会社で50人もツアー組んでいるんですよ。調べてみないとわかりませんが・・・。」
「何だって?」
大山と汐田は顔を見合わせた。
「ケン、でかした!それだ!」
汐田も満面の笑みで羽間の方をポンポンと叩いた。
「よくやったね、ケンちゃん。おい!みんな来い!」
汐田は鑑識全員を呼び、改めて指示した。そして最初は異常なかったはずの事務所から、大量の資料が搬出されることになった。全部目を通すにはもうしばらく必要だろう。
ある程度終わって、大山はヘトヘトに疲れて部屋に戻った。もう12時を回っていたのだが、部屋に入ってソファに座り込んだところでスマホが鳴った。かおるからのメッセだった。
『タカちゃん、あたし、明日からハワイに行ってくる。連絡はメッセでしてね。通話は大変なことになっちゃうからね。じゃね。』
「はあ?ハワイだあ?ど、どうしたってんだ?」
実家にいるはずだとはわかっていたので、大山は今ならとビデオ電話してみた。かおるはすぐに出た。
「お、おい。急にどうしたんだよ!ハワイだって?」
『うん、そうなのよ。急でごめんね。だってさっき決めたんだしね。』
かおるはスーツケースに荷物を積め込みながら話し、けらけらと笑った。
「笑いごっちゃないぜ。何でまた急に決めちゃうんだ?」
『まあまあ。あたしにもよくわかんないの。行ってみないとわからないことがあるから行くのよ。わかってね。』
かおるがこう言う以上その通りだろうし、言ってもきかないだろう。
「わかったよ。土産よろしくな。」
『タカちゃん、これもお仕事なのよ。じゃね。』
かおるは一方的に切った。大山は疲れとイライラとビックリが同時にやってきて、たまらず缶ビールを一気に飲み干した。いつまでたっても、かおるという女はミステリアスだ。
7
ハワイのオアフ島に降りたとたん、常夏の熱気が流れ込んできた。ダニエル・イノウエ国際空港に降り立ったかおるは、思った以上に強い風に飛ばされそうになったUVつば広帽子を手で抑えた。
「ハワイは初めてだけど・・・こんなに風が強いの?」
思わずつぶやいた。風は強かったけど、日本のように蒸し暑くはない。むしろ爽やかですらある。
かおるはとりあえずタクシー停留所に向かい、乗った。
「プリーズ ゴー トゥ ダウンタウン アロハタワー」
当てがないわけではなかったが、アポも何も取ってはいなかった。ダウンタウン地区はオアフ島で最大のビジネス街である。
「結構大きなビルが並んでるのねえ。」
初めてハワイを訪れた者は、普通はオアフ島に来る。そして意外なほどに立ち並ぶビル群に多少圧倒される。しかしかおるは、景色を見ながらもそれまでとはまるで違ったパワーを感じ始めていた。
(うわ・・・すごい。これがハワイのマナ?)
かおるが感じていたのは、ものすごい力を持った大自然のパワーそのものだった。それにどこか、違和感がまるでない馴染む感覚もあった。
「なんでかしら。しっくりくる・・・。」
マナというのはハワイに伝わる神秘の力だということだけは知っていたのだが、まだこの時点ではあまり知識はなかった。ただ、かおるが全身の細胞レベルで感じていたものは、身体の隅々にまで浸透してくる力だった。この力って何だろうと考えていると、タクシーは停車した。かおるはタクシーを降りてビルの前に立った。
スマホを起動させ、フェイスブックを立ち上げた。そしてメッセンジャーを開いて電話モードにした。しばらくして、男の声がした。
『アロハ!かおるサン、どうしました?』
「ごめんね、ジミー。いきなり来ちゃった。今、アロハタワーの前にいるの。」
『ホワット?』
電話の向こうで大慌てしている様子が伝わってきた。
『ジャ・・・ジャストモーメント・・・ちょと待っててください。』
電話が切れ、待つこと5分。大柄で髭を生やし、かなり太った若い男がバタバタとビルから走ってきた。地元民ロコの顔だった。赤い生地にイエローハイビスカスの柄が入ったアロハシャツを着ていて、首にはククのネックレスをつけている。
「ハアハア・・・かおるサン、ビックリしたヨ。連絡してください。迎えにいくのに。」
「ごめんね、ジミー。あたしってこういうタイプなの。」
「アロハ!よく来たね!」
かおるとジミーは初対面だった。フェイスブックで知り合っただけで、何度かやり取りしたことがある程度だった。2人はハグしたが、かおるの身体はすっぽりとジミーの巨体に隠れてしまった。
男はジミー・サカグチと名乗っていた。オアフ島で税理士を行っているということだった。母親が日本人らしく、かなり流ちょうに話せるようだ。フェイスブックで知り合ったが、かおるの直感でこの男は信用できるとわかっていた。
「立ち話も何だし、コーヒーでも飲みたいところね。」
「オッケー。ええと・・・あそこにカフェあるでしょ。あそこで待っていてください。それともチェックインしますか?」
「あら!・・・あたし、ホテル決めてなかったわ。税関でもあなたと会うって言って通ったから。」
「・・・マイガー!ええと、とにかく、待っててください。」
ジミーは頭を抱えて、ビルに戻っていった。ジミーが教えてくれたのは、『マカプゥカフェ』という名の小さなカフェだった。かおるが入ると、明らかに日本人と思われる40代程度と思われる女性が出迎えた。
「アロハ!ようこそハワイに!たった今ジミーから電話ありました。急に日本から来られた方でしょ?」
「はい、そうです。・・・日本人?」
「ええ。あたし、ロコの主人と結婚してここで暮らしています。静子ワイメアと申します。どうぞ、お座りください。」
かおるは日本人らしくきちんと整理されたカフェのカウンターに腰掛けた。
「ジミーがね、本当に慌ててたので、すっごく面白かったわ。あんなジミーの声、聴いたことなかったんですもの。」
静子はクスクス笑いながら、コーヒーを入れてくれた。豆の甘さが効いていて、ものすごく美味いコーヒーだった。
「・・・おいしい・・・。」
「コナコーヒーのブレンドです。世界的に有名ですもんね、コナって。」
しばらくかおるは、静子とハワイのことについて色々歓談した。
「・・・それで、あたし本当に思ったんですよ。ハワイって初めてなのに、なんでこんなにしっくりくるんだろうって。」
「ああ、それ、皆さんそうお感じになりますよ。あたしだってそうだったんですよ。あたしは日本で一度離婚経験してて。子供もいたもんですから苦しくてね。一度は自殺未遂までしちゃったんですよ。」
「そうだったの?」
「見かねた友人がね、一度行ってみないかって勧められて。お金貸すから行っておいでって言うから、それじゃあって来てみたんですよ。そしたらねえ・・・もう全部忘れるくらい素敵だったんですよ。それで、この近くのホテルで仕事してた主人と知り合って。一旦は帰国したけど、もうあたしの心はハワイにしかなくなってましてね。」
「そっか・・・マナの力ってものかもね。」
「マナのことはまだわからないんですけど、何かあるんでしょうね。でもね、ハワイって物価高いでしょ?生活していくの大変なんですよ。だから専業主婦なんていないですよ、少なくともオアフでは。」
かおるがコーヒーを空けた頃、バタバタとジミーが店内に入ってきた。
「待った?ゴメンなさい。」
「いえいえ、ジミーごめんね。」
「かおるサンって、クレージーな人ねえ。とりあえずだけど、ボクのトモダチが今パリに行ってて、家を使っていいそうだ。当たり前だけど、帰ったらアウトよ。」
「うわー!ジミーありがとう!」
かおるはジミーとハグした。そして静子に礼を言って、ジミーの車で仮の宿に向かった。
「かおるサン、ほら、ここがワイキキビーチね。」
サーフィンの父デューク・カハナモク像が見えると、テレビで見るビーチが広がっていた。かおるは静子が語っていた、何もかも忘れるという意味がよくわかった。日本で色々な事件があったことも、すべてビーチを見た瞬間に忘れてしまっていた。
ジミーはワイキキを抜け、カピオラニ公園を抜けてモンサラット通りから少し入った高台に着いた。ハワイは土地も高いため、豪邸に住む人は少ないと静子から聴いていたのだが、ここはまさに豪邸だった。電動式のゲートを開けると、いかにも南国風の家があり、プールまであった。
「すこいわねえ。こんなとこ借りていいの?」
「ダイジョブ。ここはそもそも別荘ね。シリコンバレーの人だから、世界中に家持ってるね。ボクはトモダチだから、いつでも使っていいって言われてる。どうぞ、使ってください。帰るときはお金いるけど、ハウスクリーニング代だけでいいよ。」
「ありがとう!」
かおるはジミーを見送ると、とりあえず荷物を整理してベッドに横になった。もう夕方になるので、夕飯も食べねばならない。ここで何があるのかまるでわからかったが、何かあるはずだ。
かおるはタクシーでワイキキまで行き、適当に店に入ることにした。とりあえず目に付いたのは、タクシーが止まった、ワイキキのメインストリートであるカラカウア通りのビルだった。
「マウイ・・・ブリューイング・カンパニー?」
かおるはエスカレーターで2階に上り、店内に入った。そこは色々な人がひしめいていて、感覚で言えば広い大衆食堂という感じだった。
かおるはカウンターに座り、マナウケアビールとフレンチフライをオーダーした。ものすごい量のポテトをつまんでいると、すぐ横から日本語が聞こえてきた。
「へえ、そうなの?」
若い女性のようだった。カウンターの中にアロハシャツを着た男性がいて、旅行者の女性と会話していた。髪の色は縮れた栗色だったが、顔立ちはロコという以上にアジア的だった。
「そうですよ。アナタは何もシンパイない。」
「ありがとう、気持ち軽くなったわ。ええとロバート・・・ラストネームはなんだっけ?」
「ハラシマです。ロバート・ハラシマ。」
8
かおるはしばらく隣の人々の会話に耳を傾けていた。どうやら、ロバート・ハラシマという男はカウンセラーもしくは宗教家でもあるらしかった。言葉の端々にゴッドやらマインドやらという単語がよく出てくる。
他の女性たちは、観光客だろう。このレストランで知り合ったように思える。約1時間ほど話していたが、観光客の一団に動きがあった。
「あたしたちね、ヒルトンの部屋で今から飲み明かすの。ロバート、来ない?」
「えーと、ワタシは明日もジョブあります。ゴメンなさい。」
「えー、残念!」
女性たちはロバートに別れを告げて、出ていった。ロバートはとりあえず、もう少しここで飲んでから帰宅ようだ。黒いビールを開けて、イカフライも食べだした。イカフライはカラマリと呼ぶようだ。
「これってイタリア語よね。なんでかしら?あ・・・今だ。」
ロバートは1人で飲んでいたが、立ち上がろうとしていた。かおるは今がチャンスと思った。この男の名字である、ハラシマというのが気になったのだ。
「あの・・・ちょっといい?」
ロバートは、屈託ない顔でかおるを見た。アジアの顔立ちだったが、やはりハワイの顔立ちだった。かおるとあまり変わらない年齢だろうと思った。
「ミー?」
「イエス。あなた、日本語お上手ねえ。わたしは白水かおる。よろしく。」
かおるが差し出した右手を、ロバートも握り返した。
「アロハ!わたし、ロバート・ハラシマです。ハワイ、よく来るですか?」
「初めてなの。」
「オー、ハネムーン?」
「ううん、1人で。」
「ホワット?」
ロバートは考えられないという表情で、そして真剣にかおるを見た。
「気をつけてください。夜はレディー1人で歩いたらいけません。」
「あら、ハワイも夜はダメなの?」
「はい。」
この一連のやりとりだけで、かおるもロバートもお互いを間違いないタイプだと認識したようだ。
「ありがとう。でね、ちょっと気になったんだけど・・・。」
「なんですか?」
「ええとね、あなたハラシマさんでしょ。」
「イエス。」
「日系?」
「イエス。わたしのグレートグランパが、日本から来ましたね。」
「なんて名前?」
「なぜ訊くですか?」
「わたしの・・・ええと、グレートグランパが原島って言うのよ。」
「ホ・・・ワット!!!!!」
ロバートは大声をあげた。店内のいた人たちがいっせいにかおる達を見た。
「オー、ソーリー・・・」
ロバートは皆に軽く頭を下げ、かおるに近づいて話し始めた。
「わたしのグレートグランパは、シズオカから来たと聞いています。」
「・・・やっぱりね。私の家も、静岡の湘南なのよ。」
「オー・・・。」
ロバートは絶句して、カウンターに伏せた。少しの沈黙の後、ロバートはハッと何かに気がついたように顔を上げた。
「わたし、ドリーム見ました。ニッポンの人で、アーミーが出てきました。その人・・・ええと・・・シンクロー・・・言いました。その人、わたしのグレートグランパです。」
「それ、あたしの曽祖父じゃん!」
ロバートはもはや声も出なかった。すでにもう2人の頭の中には、この出会いが偶然ではないことが確定となっていた。
「ええと・・・かおるサン・・・いつまでオアフいますか?」
「無期限でいる予定です。」
「ムキゲン?」
「ああ、ごめんなさ。ノーリミットってこと。」
ロバートの顔は、つい先ほどのチャラい表情ではなくなっていた。これがこの男の本当の顔なのか、とかおるは思った。哲学的であり、どこか達観したようなその表情は、かおるが求めていたものを必ず与えてくれると確信させてくれるものだった。
「わたし、明日もジョブあります。よかったら、わたしのセルフォンにコールしてくだいい。」
ロバートはそう言うと、名刺を差し出した。それは褐色の板を切って作ってあり、そこにはこう書かれていた。
「HAWAIIAN HEALER RОBERT HARASIMA」
ロバートは飲みかけのビールを飲み干すと、かおるに右手を差し出した。
「夜はハワイでもアブナイ。タクシーで送ります。」
ロバートは会計を全て済ませ、タクシーを止めてかおるの宿まで送った。
「明日、電話待ってます。マハロ。」
かおるとロバートの、運命的な出会いは、こうして終わった。
9
川北市にある、ほとんど川北署員専用イタリア家庭料理『ラ・クア・クチーナ』で、大山と羽間は食事していた。ここでは一応メニューはあるのだが、頼めば可能な限り要望に応じたものを提供してくれる。
大山は20枚くらいのハムと野菜を詰め込んだパニーニを、羽間はハンバーグ3個とトンカツが二枚乗ったドリアを食べながら、現在の状況について話していた。
「そうか・・・山田さんの情報はここまでか。」
「あ・・・そうです、はい。」
「お前な、話すときくらいは丼置けよ。」
羽間の丼は、大手チェーン店のちゃんぽん用のであり、白米だけで3合あった。羽間はそれを片手で持ってかきこみながら説明していた。
「そりゃ無理ですよ、先輩。もう腹減って死にそうなんですから。」
「・・・まあいい。とにかく、仕事面では、そのニュージーランド関係だけが引っ掛かる以外、特に何もないんだな。」
「はい・・・ニュージーランド人ツアーに関してだけはまだ調査中です。ただですね、確かにその日には、人数分のニュージーランド観光客が『ホテル白川』に宿泊はしているんです。YTツアーで扱っています。ただ、どうも解せないんですけど・・・。」
「なんだ?」
「解せないと言いますか・・・それまでも確かに多くの観光客を案内していますし、ニュージーランドからも多く来てはいます。ですけど、こんなに大量人数を扱ってるのは、この日だけなんですよ・・・YTツアーって、山田さんの個人会社でしょ?・・・そんなに扱えるものですかねえ。しかも急に・・・それまではせいぜい数名のツアー客ばかりですよ・・・俺はどうも解せないんですけど・・・。」
羽間の丼を食いながらの説明にイラつきながらも、大山は羽間が示した疑問点について考えていた。
「俺の友人にも個人ツアーやってる奴がいるんで聞いてみたんだが、それだけの人数を扱うには、必要条件として先方さんに詳しい人がいて、その人が代表のようにしてやらないと難しいだろうとは言ってた。で、そのニュージーランドツアー客に関してはどうなんだ?」
羽間は最後の丼を豪快にかきこみ、大きく息を吐いて水を飲んだ。
「プファー!ママ、最高っす!」
「・・・これ食べるの、あんたくらいだよ。すごいねえ。」
小野道子が呆れたように言いながら、丼を持って行った。
「それで先輩。そのニュージーランドツアーなんですけど、まだ途中ですけど今のところ不自然なところはないです。現地でのマフィア絡みもないし、ごく普通の、セレブツアーってとこです。」
「ふーん・・・で、出立先はクアラルンプールなのかな。」
「えーと・・・はい、そうです。クアラルンプール国際空港から、台北で数泊してからの川北入りツアーです。」
「途中に台湾に寄ってるのか?」
「そうですねえ。」
大山は、そこが気になった。
「おい、台湾での連中の行動については調べてあるのか?」
「ああ、まだです。」
「よし、ここのとこで調べておいてくれ。なんか気になる。」
羽間は早速台湾でのニュージーランド観光客について調べるために飛んで行った。大山は再び、山田の実家に向かった。
山田の実家がある秋田町は、新興住宅地だった。元々は畑やトウモロコシ畑や竹林が広がっていたのだが、前知事の肝入りで開発されてきたところである。山田の実家は、区画整理されたばかりの土地が広がる敷地内にあった。
最近立て替えたばかりの住宅メーカーハウスはまだ新しく、玄関には忌中の立て看板があった。大山はチャイムを押し、出てきたのは母親の恭子だった。
「川北署の大山です。この度は突然のことで、お悔やみを申し上げます。お線香を上げさせていただきたく、参りました。」
「・・・どうぞ・・・。」
葬儀のとき以来何も食べていないような、げっそりとした顔の恭子だった。真新しい祭壇に飾られた山田の顔は、にこやかに笑っていて、どこかの広い公園にいるときのもののようだった。やはりアロハシャツを着ている。大山は線香に火をつけ、合掌した。
振り返ると、恭子がお茶を用意していた。
「このようなときに心苦しいのですが、息子さんに何があったのかを知るのも我々の仕事です。少々お伺いしたいのですが。」
「・・・はい・・・。主人は仕事でどうしても外せないことがありましておりませんが・・・。」
大山は恭子の腰が悪そうなのを察して、居間への移動を促した。恭子は頷き、2人は居間に移動してソファに座った。
「息子さんは、私どもの調査ではご自身で命を絶たれたということになっております。何か心当たりはございませんか?」
「いいえ。あの子はごく普通の男の子でして、悪い人との付き合いもなかったはずです。お仕事の方も、私が経理を手伝っていましたからわかります。収支決算も順調でした。思い当たる節など皆無でございます。」
川北署の調査でも全く同じだったので、これでは何の参考にもならない。大山は別の角度から切り込むことにした。
「失礼ですが、お付き合いされていた女性とかは・・・?」
「以前はいたようですが、最近ではどうだったでしょうね。わたしはわかりません。」
「そうですか・・・。」
どうにもこうにも情報がなさすぎる。大山は山田の遺影を見て、思わず言葉が出てしまった。
「このお写真は、どちらですか?」
「ええと、少々お待ちください。もう10年くらい視力が落ちていましてね。まともに字も読めないんですよ・・・ああ、これは、あの子が大好きだったハワイのオアフ島にあるカピオラニ公園のものです。私たちを招待してくれましてね。ハワイが好きだったのでツアー会社を始めたくらいなんですよ。この笑顔・・・きれいでしょ・・・。」
恭子は声を上げて泣き出した。こういうときにはよくあることだ。しばらくは泣かせてあげた方がいいので、大山は恭子の感情がおさまるまでじっと待った。
「・・・申し訳ございません。はい、何でもお聴きください。」
「はい、今日はもう少しだけにいたしますので。都志春さんはニュージーランドの方と交流がありましたか?」
「ニュージーランド?さあ・・・仕事柄、多くの国々の方々と交流はあるとは思いますが、格別にニュージーランドの方と親密だということはないと思います。」
「はい、ありがとうございます。では、台湾やハワイの方とは?」
恭子は少し考え、そして思い出したように話した。
「ええと・・・都志春はアメリカにはよく行っておりました。祖父がまだ存命でおりますので、本土にもよく行っておりました。ハワイでは、確かツアーの代理人をしていた方がおられて、あちらのご家族にはよくしていただいていたようです。」
「その方とは?」
恭子は思い出しながら、眼鏡を外した。そして耳に手を当てた。
「どうしました?」
「ああ、すみませんね。もう耳も遠いんですよ。今も補聴器をつけていないと、刑事さんの声がまるで・・・。」
何とか暮らせてはいるようだが、やがて介護対象になるだろうと恭子は言っていた。高齢社会というのも大変だなと、大山は思った。今はまだ若いが、将来は自分もどうなるのだろうとも思ってしまう。やがて恭子の動きが止まった。
「あ、この方です。広沢さんと申しまして、ハワイに住んでおられる日本人です。」
大山はそれから少し質問をしたのだが、全く参考になるようなことは見つからなかった。大概のことが、警察でも調べられる程度のことしかなかったのだ。
「わかりました。では、その広沢・・・ええと。」
「紫音。広沢紫音さんです。」
「ありがとうございます。後は・・・弟さんのヘンリー隆一さんとは、よくお付き合いされてましたか?」
「隆一は、父のスティーブが離婚した後、父方に引き取られて成長しました。私は母方におりました。それで隆一は父のミドルネームを名乗っており、都志春とはビジネスの上でよく相談はしておりました。」
大山は広沢のデータを訊き出し、そして山田宅を後にした。公用車に乗って、大山はシステム手帳を取り出して山田の身内チャートを作った。
「ふーん・・・とりあえず、頼りは広沢とヘンリーということか。ここに絞るしかないな。」
このとき大山は気づかなかったか、この事件の複雑さがすでにこのチャートに隠されていたのだ。
10
ハワイの空気に、かおるはすでに魅了されつつあった。人々がハワイを好む理由も。ここには紛れもなく、何かの力が作用している。
ロバートと別れた翌日、かおるは渡された名刺を見て電話を入れた。
「モーニン、アロハ、かおるサン。よく眠れましたか?」
「ありがとう、ロバート。今日も会えるの?」
「今日は、2時までお仕事ね。それからオッケーよ。ワイキキで会いましょう。」
かおるはロバートが教えてくれたモアナサーフライダーという老舗ホテルにある「ザ・ビーチ・バー」を目指してタクシーを飛ばした。だが時間があるので、しばらくワイキキのメインストリートであるカラカウア通りをブラブラすることにした。
ビーチに面してホテルやショッピングセンターが立ち並び、人々は水着やビーチサンダルで普通に歩いていた。日本人はすぐにわかる。どこか控えめで、自己解放できていないことがスタイルのようになっている。ここってまるで渋谷みたいと、かおるは思った。
現在の渋谷も、外人がすさまじく多い。世界は段々と狭くなってきているのかもしれない。
かおるはランチを、ロバートから教えられた「チーズケーキファクトリー」で食べた。アメリカの食事はまずいと思っていたのだが、ここの食事は本当に美味しかった。肉料理をオーダーし、パンとクラムチャウダースープがついてきた。やはり結構な量であったが、ぺろりと食べることができた。ここに住みたくなるのも理解できるなとかおるは思った。
やがて時間となったので、かおるはモアナサーフライダーに入り、ビーチ沿いにある巨大なガジュマルの木の下にある「ザ・ビーチ・バー」に座った。
かおるはスタッフに訊ね、おすすめだというマイタイをオーダーした。周囲はほとんど白人ばかりだったし、周囲が英語ばかりというのも心地よかった。人間の会話というものは、意味がわからなければただのBGMになるものだ。
かおるは日本での数々の事件や、自分と大山の転生などについてゆっくり考えることができた。九尾の狐、舟橋亀子、シヴァと、どれもこれも厄介な敵ばかりだった。九尾の狐だけはかおるの力で封じることができたが、亀子は時間を越えた頼朝の力によって、シヴァにおいては初めて会った天台裏衆の山高が倒したのだ。
北条政子の転生でもあり、毘沙門天の性を持つかおるにとっては、どれもこれも満足すべきものではなかった。北条政子がどれだけの力を持っていたかを知っているだけに、もどかしかった。
こんなはずではなかった。北条政子が転生してきたのは、頼朝の転生を追ってきたからだった。自分が頼朝の、つまり大山鷹一郎の力になっていないなんて考えられなかった。
(なんでよ!・・・)
そう思うと同時に、涙が溢れてきた。なんでだろう、自分はもっと強かったはずなのに・・・と思っていると、後方から声がした。
「ハイ、かおるサン。お待たせしましたね。」
ロバートの声だった。かおるは素早く涙を拭いて、立ち上がって右手を差し出した。
「よろしくね、ロバート。」
ロバートは急に眉間に皺を寄せて、指を目の前で振った。
「ノー、ワタシはボビーと呼んでください。」
かおるは、アメリカ人はよく愛称で呼び合うのが習慣だと気がついた。
「えっと、じゃあボビー。よろしくね。」
「オッケー、座りましょう。」
ロバートもマイタイをオーダーし、2人は改めて乾杯した。
「かおるサン、昨日の話ですけど。」
言いながらロバートは、プリントアウトされた紙を出して広げた。
「これ、ワタシのファミリーツリーね。」
つまり、家系図のことである。
「ワタシのグレートグランパがセイシロー・ハラシマ。サムライだったって聞いてます。」
「うん、間違いないわ。あたしの曽祖父ちゃんが新九郎で、弟が清史郎さん。」
「・・・かおるサンとボク、ファミリーだったんですね。ウレシイ!オーマイグッネス!」
かおるとロバートは、しっかりとハグした。
「あたしも嬉しい。それで、ファミリーツリーの続きはどうなってるの?」
ロバートは少し涙ぐんでいた。涙を拭うと、ロバートは家系図を示した。
「ソーリー・・・セイシローさんは、ビッグアイランドに来てました。そこでコーヒーファームで働いていたそうです。でもそのファームがキラウエアのラヴァにやられたね。」
「ラヴァ?」
「ああ、ええと、ちょと待って・・・そうそう、溶岩ね。」
ロバートはスマホで検索した。世界的な活火山であるキラウエア火山は、ビッグアイランドことハワイ島にあった。現在でもいまだに活動している。
「そうか、つい最近も噴火したもんね。そして?」
「それからファミリーでオアフに来ました。そこでマイグランパが生まれました。それがブンキチさんです。」
かおるは、夢で見た祖父が言っていた文吉という人が、やっと現実にいた人だと実感することができた。
「ブンキチさんはハイスクールでエクセレントだったそうです。でも・・・アンラッキーでした。」
「何があったの?」
「・・・パシフィックウォー・・・」
つまり、太平洋戦争である。
「二ホンと戦争になって、日系人はキャンプに入れられました。でも、わたしたち、もうアメリカの人たち。マザーカントリーはUSAよ。だからブンキチさんたちも志願したのよ。442レジメンタル・コンバット・チームに配属されたね。ヨーロッパで強かったね。だからやっと、プレジデントにメダルもらえた。」
ハワイにおける日系人部隊が、第442連隊戦闘団である。最も多くの死傷者を出したことでも知られる屈強な舞台でもあったが、当時の人権無視の時代においては彼らの功績は長く認められることはなかった。しかしようやく認められ、近年ではアメリカ陸軍の教育の中では必修教育として採用されるほどになっている。
「そういうことがあったの・・・いまでは考えられないわよね。」
「イエス。でもね、ブンキチさん、ここに入れなかったね。」
「・・・どうして?」
ロバートは忌々しそうにマイタイのグラスを空けた。
「ブンキチさんのステディ、ロコのマリーいたね。でも、マリーさんをストーカーしてた人いた。その人、ブンキチさんがジャマだった。だから、スパイの疑いあるって密告したね。ブンキチさん、ずっとキャンプから出れなかった。でもそれでもマリーさん、ブンキチさん好きだった。だから・・・ファック!」
「ど、どうしたの?」
ロバートはビールを頼み、一気に空けた。
「そいつ、ブンキチさんをキルしたね・・・。」
「え?」
ロバートはかおるの顔をじっと見た。
「キル ヒム。」
かおるは言葉を失った。
夢にまで出てきたということは、それだけの無念があったのだろうかと思った。
「でも、ブンキチさんとマリーさん、もう子供できてた。その人、ハワイにいられなくなって、出ていったね。その子供が、ボビーのお父さん、ピーターね。」
かおるはそっとロバートの肩に手を置いた。
ロバートは軽く頷いた。
「で、その犯人ってわかってるの?」
「わかってます。でも、父親がネイビーオフィサーだったから、ネイビーに紛れて出ていったね。」
つまり、海軍将校だったというわけだ。
「その・・・犯人の名前は?」
「スティーブ・・・スティーブ・ローウェン・・・」
11
川北市と川南市とは県内最大の国大川を境に別れている。一説によると、川北市が城代の城があり、川南は商人の街だったとも言われているが、資料があまりなくて何となくそうなったと認識されている。戦後の高度成長期に地方都市では珍しく大発展したことの方が大きいようだ。
大山が向かったのは、国大川沿いにある熊代商事の川北営業所だった。ここは川北市では最大規模を誇る薬品会社であり、本社はすでに首都に移転しているが、旧本社は営業所兼工場として残っていた。やたらでかいエントランスを見上げながら、大山は、こんなのいるのかと思った。
創業者が一代で巨大産業としたため、どうにも成金感が拭えない。受付で名乗り、山田ヘンリー隆一にと伝えた。すでにアポは取ってあったので、受付嬢はすぐに大山を営業所長室に案内した。
「失礼します。所長、警部補さんです。」
これまたでかい所長室だった。絶対にこんなのいらないなと思いながら、大山は入っていった。
「おお、刑事さん、わざわざご足労です。ささ、お座りください。」
ヘンリー隆一は満面の営業スマイルで大山を出迎えた。大山は、とても営業所のものとは思えない、贅沢なソファーに腰を下ろした。大山が居心地悪そうにしていると、ヘンリー隆一は苦笑いしながらコーヒーを頼み、そして申し訳なさそうに言った。
「すみませんね。これ、以前は創業者の会長室だったものですから。趣味悪いでしょ?」
「いえ、お気遣いなく。自分らは硬いものに慣れているので。・・・しかし落ち着きませんね。」
大山は出されたコーヒーを一口飲んで驚いた。
「これ、うまいですねえ。初めて飲みましたよ。」
ヘンリー隆一は嬉しそうに返した。
「おわかりいただいて嬉しいです。これはハワイのコナコーヒーをブレンドしたものです。私はこれが好きでしてねえ。」
「ハワイのコーヒーですか?」
大山はハワイに行っている、かおるのことを思い出した。あいつもこれを飲んでいるのかな、と。
「それで刑事さん、お話はやはり都志春のことですよね?」
「ええ。私たちもやや煮詰まり気味なものですから。都志春さんの事務所を調べてみましたが、特に変わったところは見つかりませんでした。」
未確認情報が多いので、ニュージーランドや台湾に関することは黙っていた。
「それで恭子さんにお伺いしたところ、ヘンリーさんと都志春さんはビジネスで協力関係にあったとお聞きしました。」
「そうです。今回の件では、親戚たちも相当に参っているようです。ビジネスにおいても、都志春のためになればと出来る限りの人脈を与えたりとか、独立の際には事務所の連帯保証人にもなりました。」
「はい。それは確認させていただきました。それで今回お伺いしたいのは、そのビジネス上のことです。損益対照のバランスもよく、非常に優秀な会社運営だったということも把握しております。だからこそ、なぜあのようなことになったのかがわからないのですよ。数字には出ない何かがあったのかどうか、何か思い当たる節はありませんか?」
「うーん・・・そうですねえ。一度だけですけど、台湾の代理人と交渉がうまくいかなかったことはあったと記憶しております。」
やはり台湾とは何かあったようだ。
「その点についてお聞かせください。どういうトラブルだったのでしょうか?」
「ええと・・・ちょっとお待ちください。確かここに・・・ああ、あった。これです。」
ヘンリー隆一が出してきたのは、一冊のクリアファイルだった。そこには新聞や雑誌の切り抜きが多く入っていた。ヘンリー隆一はその中から、1枚の写真を取り出した。
「これは確か・・・ええと、昨年のものですね。台湾の旅行代理店がニュージーランド観光客のツアーを組んだ時のものですね。」
ニュージーランドのことは黙っていたのだが、やはり突破口だったようだ。
「どのようなトラブルだったと?」
「それがですねえ・・・このニュージーランドの方々というのは、妙なんですよ。私も聞いて、変な方々もいるもんだと思ったものです。」
「で、それは一体・・・?」
「ここ見てもらえます?」
ヘンリー隆一が示したところには、丁寧に資料説明が書かれていた。そこには、『カグツチ様』と書かれていた。
「・・・確かに、こりゃ一体何ですか?カグツチって?」
「都志春にも確認したんですよ。得体の知れないところは断ってもいいんじゃないのかと。
しかしこの方々というのは、ニュージーランドに拠点は置いているものの、どうやら世界中から同市が集まってきている組織らしくて、結構なスポンサーもいるようで、資金も潤沢にあるらしいので逃がしたらいけないだろうと言いましてね。どうやら、こちらの値段以上の金額を提示してきて、その代わりに通常観光しないところまで案内しろと。」
「通常案内しないところですって?公的機関とかってことですか?」
「いいえ・・・それが、陸ではないんですよ。」
「え?」
「つまり、海底なんです。それも、漁場をですよ。」
「海底?海の中を案内しろと?」
これには大山も唖然とした。常識を逸している。しかも漁場の海底など、政府でも難しいと思われる。そこを大手でも何でもなく、個人ツアー会社に依頼などは信じられない。
「他にも九州各県の観光コースも含まれてはいましたが、これは通常コースです。海底ってのがどうにも・・・。」
「そ、それで、都志春さんはどう対応されたのですか?」
ヘンリー隆一はソファに深々と身体を沈めた。
「刑事さん、そこがもうわからないのですよ。助言した日から都志春とは連絡が取れなくなり、ちょうど一週間後に・・・。」
山田都志春は阿見山の火口付近で発見されたというわけか。その期間に何があったというのだろう。
(そもそもカグツチとは何だ?)
今回も謎だらけで、面倒な事件になりそうだ。
12
オアフ島の朝はひやりとする。日本人にはピンとこないかもしれないが、常夏と言われるハワイは湿気が少なく、朝晩は上着が必要になるくらい涼しくなる。場合によっては寒いくらい。
かおるが借りているハウスは日当たりが良く、柔らかい日差しが寝室にも差し込んできていた。かおるは目をこすりながらベッドから体を起こした。
昨夜はロバートからかなりヘビーな話を聴き、夢に出てきた白水文吉の悲惨な最後や、孫であるロバートのことなどを知った。
文吉を殺害したスティーブ・ローウェンの子孫はどうやら日本にいるらしかった。しかしなぜかおるの夢に祖父の敏雄が出てきて文吉の名を示したのか、そしてロバートの夢に曽祖父の新九郎が出てきたのかは謎だった。文吉の無念がハワイにまで呼び寄せたにしては、謎が多すぎる。
かおるの頭に大山が浮かんできて、連絡しようとPCを開きかけたのだが、まだ報告することがなさすぎるのでやめた。このままでは単なる観光で終わってしまうし、いまの大山ではこれまでのことはまだ理解できないだろうと思った。まだこれから情報を集める必要がありそうだ。
かおるは着替え、タクシーでワイキキに向かった。モアナサーフライダーホテルにあるロッキングチェアでホノルルコーヒーを飲みながら、ロバートが来るのを待った。風が気持ちよく、ホテルから出ていく人や入っていく人、笑いながら世話をするアロハシャツのスタッフなどを見ていると、このままここに住んでもいいかなと思えるような気分になれた。
しかしそのためには横に大山がいなければならない。そのようなことを考えていると、ハワイのイメージでもある海亀と虹をプリントしたTシャツに短パンを履いたロバートが陽気に現れた。
「アロハ!かおるサン、おまてせしました。」
「おはよう、ボビー。そこはおまたせ、でしょ。」
ロバートは笑いながらハグしてきた。
「ごめんなさい、わたしのニホンゴ、まだまだダメね。」
「いいのよ。それよりボビー、ご飯はどこで?」
「クヒオストリートに、わたしの友人のカフェありますね。そこで食べましょう。」
ロバートとかおるは、歩いて5分ほどの場所にある小さなカフェに向かった。その店はハワイ的ではなく、日本的な喫茶店のレイアウトの店で、看板には『カフェ ウェリナ』と書いてあった。
中には女性がいた。明らかに日本人の顔だった。
「ヘイ、ヨーコ!ディスイズカオル・シロウズ。かおるサン、この人、わたしのステディで、ヨーコ・タテイシ。」
「初めまして。立石洋子と申します。」
「あれ、日本の方ですか?」
「はい。でも二世です。ずっと日本に留学していました。よろしく、白水さん。」
「かおると呼んでね。」
立石洋子はほとんど日本人と言っていいほどに日本語が上手かった。気さくなロコでもあったので、かおるはすぐにこの浅黒く焼けた美人を気に入った。
洋子の両親は好んで和食洋食を作るらしく、カフェではカレー、チキンライス、オムライス、ポークジンジャー、マグロ照り焼き、野菜炒め、トンカツ、唐揚げなどと言った、日本の定番メニューがラインナップされていた。
「かおるサン、そんなに急いで食べてダイジョブですか?」
かおるは随分長く和食を食べていないような気がした。
実際はたった二日食べてないだけなのだが、激しく日本食が食べたかったようだ。洋子が出してくれた目玉焼きと野菜炒めが死ぬほど美味く感じた。かおるはこれまた美味い緑茶を飲んで、胸を叩きながら返事した。
「げほ・・・嫌だ、恥ずかしい!あたし、そんなにがっついてた?」
「日本の方、よくそうなりますね。」
海外には慣れていたはずなのに、やはりハワイというところには何かあるのだろうか。かおるは食べ終わり、緑茶を飲んで深々と椅子にもたれた。
「はあー、美味しかった。ご馳走様でした。ありがとう、洋子さん。」
かおるはテーブルに置いてあったナチョスを手に取り、ロバートと向き合った。
「それでね、ボビー。あれからちょっと調べてみたんだけど、知り合いの海軍に聴いてみたんだ。その時点では何もわからなかったんだけど、そういう裏情報に詳しい日本人がオアフにいるらしいのよ。」
「オウ・・・それナイスですね。だれですか?」
「その人ってね、代々海軍に物資を調達してる家らしいの。えーとね・・・ああ、これだ。シオン・ヒロサワという人だって。知ってる?」
ロバートと洋子は顔を見合わせて肩をすくめた。
「ゴメンなさい。わたしたち、その人知らないね。」
シオン・ヒロサワ・・・大山が調査していた広沢紫音という人物のことだ。しかしこの時点では、かおるにそのことはわからなかった。
「誰に聴いたらいいのかしらねえ。」
少しの静寂の後、ロバートが何かに気づいたように顔を上げた。
「わたしのセンセイ、ヒーリングメンターね。ドクターマトと言う人ね。知ってるかもしれない。なんでも知ってる。」
かおるは食い気味に身を乗り出した。間違い、ここだ、と思った。
「ボビー、お願い!会わせて!」
13
かおるは立石洋子と会った翌日、ワイキキのアイランドコーヒーでロバートと待ち合わせをした。そこからバスで北へ向かい、見知らぬ駅で降りて一軒のレンタカーショップに入って、ランクルを借りた。なんで自分の車を使わないのかと尋ねたが、ロバートは軽く笑うだけだった。
ロバートとかおるは、どこかの山の中に入っていった。ここがどこなのかとロバートに訪ねてみたのだが、それは教えられないと頑なに拒否されてしまった。よくはわからなかったが、居場所をあまり知られたくないようだ。それだけでもどんな人物なのかとあれこれ想像してしまう。
やがてランクルは小高い丘の上に上り、登りつめたところで止まった。
「かおるサン、着きました。」
かおるもロバートの後に降りた。降りたとたんに、マイナスイオンが満ちていることに気がついた。
「ねえ、ボビー。ここって川か池があるの?」
「イエス。」
ロバートは短く返事し、少し緊張した面持ちで歩き始めた。辺りには木が茂り、明らかに人の手で切り開かれたと思われる道があり、ロバートはそこを進んでいった。
ワイキキ周辺は観光地で過ごしやすいのだが、貿易風が北から吹いているため、山側以北では湿った空気が満ちている。山特有の木々の匂いが気持ち良かった。
予め言われていたので、かおるはワイキキのディスカウントショップ『ロス』で購入したスニーカーを履いていた。さらに、山は寒いから用意しておきなさいと言われたパーカーを羽織っていた。それでも顔は冷たい。
オアフ島というところは、本当に謎が多いと感じながら、2人はすでに10分ほども歩いていた。森はますます深くなり、辺りからは日本の森に似た気が漂い始めていた。この気を、昔の山岳信仰では神聖なるものとして崇め、山岳修行僧のことを山の気に伏せる者という意味で山伏と呼んだ。
かおるはそのようなことを考え、なおかつ山の気を身体に入れながら歩いた。山の気は深淵であり、そこに触れていると自分が自分でなくなってしまうようだった。今現在のかおるを成している肉体の存在自体がどうでもよくなってくる。かおるはぼんやりと、カオスな状態で歩いていた。
「かおるサン、もうすぐです。滝がありますから、気を付けて。」
ロバートの声に、かおるは我に返った。気がつくと、水の音が聞こえてきていた。
ロバートが示した先は崖になっており、小川が流れていた。そしてそこから水が落下し、見事な滝となっていた。下を見ることはできなかったが、そこが滝だとすぐわかった。
かおるはロバートに案内され、滝を過ぎて少し歩いた。
「・・・着きました。ここです。」
ロバートが指さした先には森を開いて作ったと思われる広場があり、そこにはログハウスと納屋が見えた。家の横には薪が積み上げられ、斧と薪割り台があった。広場には砂利が敷き詰められ、よく手入れされていた。かおるが一瞬日本家屋かと思うほどに、砂利が敷き詰められた庭は枯山水のようにしっかりと手入れされていた。
ハワイと日本の融合のように感じられた。
「ちょっと待っててください。」
ロバートはかおるを待たせ、バナナの葉で作った小屋に向かって歩いた。やがて家の前までくると、ロバートは軽く息をして大声で叫んだ。
「ロバート、まいりました!」
日系とは言え、その姿はまるで武士のようだった。少しの間があり、扉が開いた。そしてそこから、60歳くらいと思われる男が出てきた。明らかに日系だった。
ロバートは深々と頭を下げた。男は軽く頷き、ロバートの肩に手を置いた。
「よく来たな。わかっておった。」
流ちょうなネイティブ日本語だった。ハワイ二世三世のどこかたどたどしい日本語ではなかった。明らかに、純粋の日本人だった。
「先生・・・グレイト・・・」
「おお、昨日な。お前の顔が見えたよ。ところで。」
その男はかおるを見た。
「その女性は・・・。」
そこまで言うと、男はかおるに近づいてきた。そしてかおるの前で立ち止まり、じっと顔を見た。
「思った通り。夢に出てきたお方ですな。」
「え?」
「夢ですよ。たぶん、貴女も見たと思いますが?」
かおるはずっと、今まで歩いてきた道がどこかで覚えがあると感じていた。確かに、確かに夢で見た景色だ。
「・・・はい。確かに、ここまでの道を歩いてきた夢を見ました。これは?」
「貴女と私の行く先が同じだということでしょう。深層意識のシンクロです。」
そう言うと、男は軽く頭を下げた。
「はじめまして・・・広沢紫音と申します。」
「え・・・センセイ、ドクターマトでしょ!」
「ロバート、この時が来るまで黙っておったのだ。本名は広沢紫音だ。」
14
羽間が訪れていたのは、川北市の市立図書館だった。大山からカグツチってなんだと訊かれ、ネットで検索したら何と古事記に登場する火の神だとわかったからだ。ネットでは確信が持てなかったので、ここで調べようとなった。古事記の現代語訳というのがあったので、羽間はさっそく調査開始。
「ええと・・・創世記・・・たぶんここだ。」
大山が開いたのは、古事記でイザナミがイザナギとの間に子を設け、彼らが順次に神となっていくくだりだった。難解な古文を読むのは本当に辛かったが、なんとかここまでを読んでみた。このままでは何のことやらさっぱりだったので、羽間は現代語訳のページに飛んだ。
「なになに・・・?ええええ?こ、こりゃさっぱりわからん。」
羽間が目にした現代語訳ページには、やたら難しい名前の神々が列記してあった。羽間はシステム手帳を取り出し、読みながらひとつひとつチャートにして書いていった。刑事という職業上、この作業には慣れていた。
『まず国を産み終えたので、次に神を生んだ。 大事忍男神、 石土毘古神 、石巣比売神、 大戸日別神、天之吹男神、 大屋毘古神。風木津別之忍男神を産んだ。
次に海の神の大綿津見神、水戸神である速秋津日子神、妹の速秋津比売神を生み、この速秋津日子神と速秋津比売神の二柱の神が、河と海を分けて神を生んだ。沫那芸神と沫那美神が産まれ。
次に頬那芸神と頬那美神が産まれました。
次に天之水分神と国之水分神、次に天之久比箸母智神と国之久比箸母智神、次の風の神の志那都比古神、木の神の久久能智神、山の神の大山津見神、野の神の鹿屋野比売神(野椎神)(カヤノヒメノカミ/ノヅチノカミ)が産まれた。
大山津見神と野椎神は山と野の神を分担して天之狭土神と国之狭土神(クニノサヅチノカミ=クニノサツチノカミ)、天之狭霧神と国之狭霧神、天之闇戸神と国之闇戸神、大戸惑子神と大戸惑女神、鳥之石楠船神(天鳥船)(トリノイハクスフネノカミ/アメノトリフネ)、大宜都比売神、火之夜芸速男神(火之炫毘古神・火之迦具土神)(ヒノヤギハヤオノカミ/ヒノカガビコノカミ/ヒノカグツチノカミ)を生んだ。』
羽間は目を剥いた。
「カグツチって、 迦具土神と書くのか。これってどういう意味・・・あ、これか。なになに・・・迦具とは『輝く』の語源と思われる・・・で、土は『~の男』という意味で、つまり、迦具土神とは光り輝く男性の神、ってことなのか。いやいや・・・匂いあるものという意味もある・・・のか?つまり、これに火がついて、燃える匂いのする男性の火の神ってことか?これがなんで山田都志春の客なんだ?とにかく、まだ調べないと。」
羽間は続きを読んでみた。
『カグツチ神を産んだことで、イザナミは女陰(女性器)を火傷して倒れた。その苦しみから嘔吐して生まれたのが 金山毘古神と金山毘売神。苦しみから脱糞し、糞から生まれたのが 波邇夜須毘古神と波邇夜須毘売神。 苦しみから失禁し、尿から生まれたのが 弥都波能売神と和久産巣日神。
和久産巣日神の子供は富宇気毘売神。
イザナミは火の神カグツチを産んだことで黄泉国(死者の国)へ旅立った。』
羽間は手が止まった。カグツチとは、イザナミを死に至らしめた火の神のことだったのか。そして読み進めると、怒ったイザナギがカグツチを殺してしまい、その血などからも多くの神が生まれた、とあった。
「しかし・・・古事記の始まりって、なんでこんなに生々しいんだ?まるで人類って、そういうものじゃないかって思っちまうな、こりゃ。」
羽間はもう少し読み進めてみた。この後、イザナギは黄泉の国にイザナミを求めて行ってみたのだが、すでに美しかったイザナミは醜く腐っており、その姿を見られて怒り、イザナギを追いかけた。様々な悪鬼が襲い掛かったが、イザナギは何とか逃れ、さらに追いかけてきたイザナミと話し合って、イザナミが毎日千人殺し、イザナギは毎日千五百人産ませようとなった。その後も様々な神を生み出して、その後に有名な天照大神や須佐之男命の話となってゆく。
羽間は一通りメモを取り終えると、深くため息をついた。大山という愛すべき先輩についたことで、仕事は本当に楽しかった。しかしこうまで妙な事件が続くと、自分はこのままでいいのだろうか、などと考えてしまう。
「おっと、いかんいかん!」
羽間は頬をぶって正気に戻ろうとしたのだが、その音が図書館中に響き渡ったために慌てて席を立った。そしてまだ悩んでいるであろう大山の元に向かった。
15
「疲れたでしょうね。これでも飲んでください。」
ログハウスの中にある、これもDIYと思われるテーブルと椅子に座ったかおるとロバートに、広沢紫音はコーヒーと中抜けしていないドーナツみたいなお菓子を出してくれた。コーヒーはコクがあり、ほのかに甘かった。そしてお菓子はふわふわで、めちゃくちゃ美味かった。
「これ、美味しい・・・。」
「これはコナコーヒーとマラサダです。ハワイのトラディショナルスイーツね。」
ロバートが説明してくれた。
「それで、広沢さん・・・。」
「夢の話、ですね。」
広沢は背後にある冷蔵庫から、グアバジュースを出して飲み始めた。
「その前に、簡単に自己紹介しましょう。私は東海の出身で、ハワイアンヒーラーです。こちらの大学を出て、そのまま居ついてしまいました。私にとってはここを離れるということは全く論外だったのです。ここでしか生きられないと思ってました。最初はワイキキ近くで仕事をしていましたが、段々と山に惹かれていき、とうとうここに家を建ててしまいました。元々は実家を継ごうと思っていたのですがね。」
「ご実家を?」
「ええ、安具利神社と言いまして、火産霊命を祀っています。土地の者は、ほむすびさん、と呼んでいますが。」
「ええと、確か火産霊って・・・火之迦具土神・・・カグツチ神のことでしたよね。」
「はい。カグツチは男性の火の神ですが、わたしはハワイにある女神ペレに惹かれました。ともに私にパワーを与えてくれてます。」
かおるはこの時はまだ、日本で大山がカグツチに関する事件の調査をしていることなど知らなかった。
「ありがとうございます。わたしは白水かおる、日本で探偵しています。」
「ほお、探偵さんでしたか。しかし・・・。」
広沢は少しの間を置いて、かおるに伝えた。
「貴女とおそらく共有したと思われる夢の中では、貴女は何と申しますか・・・とても昔の・・・鎌倉時代の女性のようなイメージが浮かんでいました。なぜでしょう。」
かおるは内心、本当に驚いた。夢の中の自分は、これを別の人間が見たら北条政子の姿に見えたのか。この男には、一切の秘密は隠せないとも思った。
しかしここには、その事実を知ってはならないロバートもいた。ロバートは広沢の話をきょとんとして聴いていた。
「それにつきましては・・・後ほど、と言うことでよろしいですか?」
「はい、そうだと思いました。」
広沢はロバートにビールを飲むように勧めた。そして今日はかおるをここに残して帰るように言った。
「ホワイ?」
「ならんのだ、ボブ。」
広沢の言葉の重みを知っているロバートにはそれで十分だった。
「では先生、いつお迎えに来れば・・・。」
「おのずとわかる。それがいつかはわからん。」
ロバートは諦めて、連絡を待っているとかおるに告げて帰っていった。2人だけになったとき、広沢は改めてかおるに向かい合った。そして臨の印を結んで、かおるの前に突き出した。
「先ほどは弟子がおりましたので、あまりお話できませんでしたね。もう隠すことなど無用です。私は天部の火天、裏衆です。あなたは・・・。」
「はい。毘沙門天で・・・世に言う北条政子の転生です。」
かおるも同じように臨の印を結んだ。天台の裏衆であるという証を示すものだ。広沢は大きく頷いた。
「やはりそうでしたか。私は日本にいるときに裏衆の自覚が芽生え、修行をしてこちらに参りました。正直、裏衆の方をお会いすることなどないと思っておりました。」
「はい。確かに裏衆道場ではそのように教わりました。ですがわたしはもうすでにお1人とお会いしております。」
「え?」
かおるは以前に、大黒天研究会の山高梅良と会い、2人でシヴァを撤退させていた。その際に、かおるは初めて山高という世に出てはいけない運命を背負った裏衆と初遭遇した。
こういうことはあるまいと思っていたのだが、会った瞬間に山高が自分と同じだとすぐにわかった。そして今回も同じだった。
「そうなのです。なぜかわたしは裏衆と出会う運命にあるようです。広沢さんもそうだと、すぐにわかりました。」
かおるは他にも、時間を越えて意識のみでかおるの前に現れる春道という天部とも会っていたのだが、余計なことだったので黙っていた。
「そうでしたか・・・。」
広沢は椅子に背をもたれ、深く息を吐いた。
「私は天部ですので、より広い智恵と仏の目を持っています。なぜあなたと夢を共有したのか、その理由もわかっています。なぜあなただけが裏衆と会えるのかは、わかりませんが。」
「なぜ、夢の共有を?」
「夢と言うものは、それはすでに誰かとの意識下共有という機能を持っています。ですが、これほどまでに強烈な共有はまずありえません。その理由は、おそらく火の神です。」
確かに、カグツチもペレも火の神だ。
「他にも、ボブの家族とわたしの一族が親戚だったということもありました。」
「・・・そうなのですか?それは本当に凄い事です。そこまで具体的だと言うことは、それは潜在意識のみではなく、意識の部分でも共有したということです。これは驚いた。」
広沢によれば、基本的には夢は無意識下の情報共有であるため、意識上では感じられないものが普通だと言う。夢占いが成立するのは、それだけの強いメッセージが発せられているからだと。
「よくわかりました。ではなぜ、白水さんと私で意識共有できたのか、おそらくヒントとなる火の神やご家族の関係などをチェックしてまいりましょう。これには何日か必要になると思いますので、ロバートにお送りさせましょう。コスメなどをご持参されてから、またいらしてください。」
16
川北署の資料室にいた大山は、羽間からの報告を受けて資料を机に落とした。
「古事記だって?そこかよお!」
大山は本当に頭が痛くなった。歴史も文学も全く彼の範疇ではなかったからだ。前回のシヴァについても頭が痛かったが、まだ尾加田剛という友人がいたからまだ取り組もうという気になれた。
「先輩・・・俺も頭痛が取れないっす。自分、体育以外は全滅だったっすから。」
大人2人が頭を抱えるという、ある意味由々しき事態だった。こうなると、いつもなら白水かおるという頼りある存在がいるのだが、こんな時に限ってハワイに行ってしまっていた。まるでテスト前の学生のような重苦しい雰囲気になっていたとき、のそりと初老の男が入ってきた。
「おや大さんにケンちゃん。川北署の名物コンビが何で頭抱えてるの?」
ベテラン鑑識の汐田だった。
「昭和の、戦後の資料を探してるんだが、ちょいとそこをどいて・・・。」
汐田は突然に若い2人が目を輝かして自分を見ていることに気がついた。
「汐さん!助かりました!」
「助けてください!」
「おっと!どうした?」
大山と羽間はこれまでのいきさつを汐田に話した。
汐田はずっと眉間に皺を寄せて聴いていたが、説明が終わると首を振った。
「いやあ・・・あんたがたが何を言おうとしてるのかを解読するのが大変だったよ。要は日本史のこと、古事記のことが今回の事件の鍵になりそうだってんだろ?本当に何も知らないんだろうなってことだけは、目一杯理解できたよ。ああ、たいぎゃ疲れた。ちょっとコーヒーでも飲んで話そうか。」
汐田と大山らは、資料室横にある休憩室に入った。ここは自販機もあって、多忙な警察官の憩いの場になっている。もっとも、ちょっとでも長居したらどやし付けられるのは当然だったが。しかしベテラン鑑識官汐田がいるのだから、署長以外誰も文句は言えない。
汐田はアイスコーヒーを3本購入すると、大山と羽間に手渡した。そして休憩室にあるテーブルの椅子に座った。
「愚痴っても始まらんが、俺らの頃は嫌でも覚えさせられたもんさ。古事記、日本書紀、源氏物語、徒然草、智恵子抄なんかは相当読まされて、感想文って奴を書かされた。まあ嫌だったがな。今はそうでもないんだなあ。まあ、飲めよ。」
大山たちは礼を言ってアイスコーヒーを飲んだ。
「で、カグツチだって?あのイザナミを焼き殺した火の神のことだよな。」
「はい。どうやらそうみたいです。しかし問題は、その家具付きが・・・。」
「カグツチだって・・・。」
「ああ、そうです。カグツチが、なんで死んだ山田都志春の客なんだってことなんですよ。死亡原因は、一応亜硫酸ガスによるものと判明しました。それもどうも、自殺とは考えにくい落ち方なんです。手の爪には壁を引っ掻いたことによる土がありました。自殺ならそんなことはないですよね?」
「あれは俺も報告書を読んだよ。他殺だろうな。で、あの窪みでガスを吸い込んで死んだと。薬袋は偽装ってことだ。そういうことだな。」
「ええ、今はその線で捜査しています。」
「ふうむ・・・。」
汐田はアイスコーヒーを一口飲み、タバコに火をつけた。
「汐さん、ここ禁煙ですよ。」
「知ったこっちゃねえわ。俺はこれがないと頭が働かんのだよ。」
幸いお局総務局長がいなかったのだが、大山は気が気ではなかった。汐田は一口吸うと、携帯灰皿にタバコを入れてもみ消した。
「今はタバコですら自由に吸えない世の中になっちまったな。くだらねえけど、これも世の流れだよな。で、そのカグツチが顧客名簿にあったんだな。」
「そうです。今のところ、そこしか突破口がなくて。」
「大さん・・・ちょっと待っててくれるか。」
汐田はそう言うと席を立ち、どこかに消えた。10分後、汐田は分厚いファイルを抱えてきた。
「汐さん、それは・・・?」
「これはな、俺がファイリングしていた謎だよ。」
「謎・・・?」
「ああ、捜査の中では当然、過去にあった不正とかは別にして、どう考えても納得できない奇妙な謎が必ず出てくる。そういうのってな、鑑識にとっては恥以外何物でもない。どんだけ調べてもわからんで、捜査に役に立てなかった訳だからな。俺はそういうことが絶対に許せない性分なんでな。こうやってファイルしておいて、いつか解決してやると決めてんだ。この中に、何かヒントがあるのかもしれん。俺ももうすぐ退職する。これを大さんに渡すから、役立ててくれよ。」
「汐さん・・・ありがとうございます!」
大山は汐田の性格もよくわかっていた。これは若い鑑識からは不要だと言われたのだろうと察しはついた。若い人間は全てデータで解決しようとする。汐田のようなベテランでも敵わない。
しかし、このファイルは現場で捜査する刑事には本当に役に立つ。大山は汐田の思いを背負おうと誓った。
「それでだ、さっそくだけど、ここを見てくれないか。」
汐田が開いたところには『密室中毒死』と書かれていた。
「汐さん、これは?」
「これはな、昭和40年に川北で起こった事件でな。アパートで会社員が中毒死したことがあった。結局一酸化中毒ということで落ち着いたが、実はこれは亜硫酸ガスだったんだよ、死因は。」
「え?アパートで?亜硫酸ガスで死亡?それは変ですね。」
「ああそうなんだ。散々調査したが、結局何にもわからなかった。幸か不幸かこの人には身内が誰もいなかった。警察としては、それで自殺ということで解決させたんだよ。」
現代ではこのようなことは起こりえないが、以前ではこうした体裁作りとしか思えない解決発表がよくあったと大山らは聴いていた。羽間は疑問に思った。
「でも亜硫酸ガスって、火山ガスのあの硫黄の匂いのする奴でしょ?そりゃ無理があるんじゃないですか?よく当時の記者も納得しましたね。」
羽間は、調べた時にわかった、燃える匂いのする火の神というカグツチのことを思い出した。亜硫酸ガス、つまり二酸化硫黄は、火山の熱で硫黄成分が完全燃焼した際に発生する。またセメント製造の際にも発生し、また自動車の排気ガスから硫黄を抜く技術が進歩したためにも発生する。
つまりこれが世界中で問題になっている人為的な二酸化硫黄排出量のことだ。その匂いは強烈だし、アパートにもしそれがあったとしたら絶対にわかるはずだ。
「ケンちゃん、そうなんだよ。だが、当時俺は駆け出しの鑑識だったけど、全く匂いはなかったんだよ。しかし解剖の結果はそうだったんだ。だからさ、これは明らかに殺人だったんだよ。おそらく、袋か何かに充満させて首のところで絞めたんだろう。首には傷がなかったが、両腕に縛られた跡はあった。動けないようにして殺られたとしか思えん。」
大山と羽間は顔を見合わせた。また奇妙な事件になりそうな予感がした。
17
広沢紫音とかおるは、ログハウスの横にある小道を山の方に歩いていった。来た時よりも茂みが少ない小道を歩いて行くと、やがて空間があり、山肌が見えてきた。そこにはおそらく手作りと思われる、ハワイ伝統形式のハレがあった。
木材をテントの様に組んで横を梁で支えており、高さは6mほどもあり、屋根はバナナの葉を幾重にも編み込んだものを張っていた。床にはこれもバナナの葉の繊維で組んだゴザがあり、小さな台が置いてあった。そして台の横には、いたって日本的な提灯が置いてあった。
「広沢さん、ここは・・・?」
広沢は着ていたアロハシャツを脱いで、白いTシャツ姿になっていた。
「ここが私の修行場です。ここにはロバートですら入れたことはありません。」
広沢はハレの前に立ち、両手を顔の位置まで持ってきて、何かを支えるようなポーズをした。そしてかおるが初めて聴く歌を歌い出した。意味は全くわからなかったが、心がスーっと落ち着くものだった。
歌は短く、終わると広沢はかおるを向いて中に招き入れた。そしてゴザの上に、これもおそらくは手作りと思われる座布団を敷いて、かおるに座るよう勧めた。
「先ほどの歌は、チャントと言いましてね、本来はロコ同士で挨拶のようにして使うものです。私はマナに、今からあなたと接触しますよ、という意味を込めて使っています。」
かおるは広沢の説明を聴きながら、奇妙な感覚があることに気がついた。ハワイ様式ではあるものの、絶対に間違えようがないあの感覚が漂っていたのだ。四隅を見るとそこには四神が配置されていて、独特の結界が張ってあった。
「広沢さん・・・これはひょっとして・・・?」
「そうです。これは裏衆道場の気を再現してあります。」
天台の裏衆は、世に出てはならない定めである。その道場は鞍馬山の地下に作られており、代々銀座主と呼ばれる伝道師が修行を施す。銀座主はチベットのダライ・ラマ選択と似ており、創設者光求座主と裏衆を確立させた天海座主が交互に転生を繰り返すとされている。それを見出すのは、当代の銀座主の役目でもある。
光求は基本的に白であり、天海は黒の衣装を着ていたことから、座主は代々灰色の僧衣を着用していることから銀座主と称されるようになった。
銀座主の役目はシンプルである。裏衆の性を持つ者を探し出し、その能力を引き出すことと、その性を後世にどう伝えるかを共に見出すこと。そのために用意されているのが、裏衆道場である。格段に変わった部屋ではないが、そこには裏衆しか入れない四神による結界が張り巡らせてあり、中には裏衆の気が充満するようになっている。
これを再現できるのは銀座主と天部のみ。かおるもかつては、銀座主明禎に毘沙門天継承者であることを見出され、あの道場で裏衆として開眼させられた。魂の奥底にある鍵を見出し、その鍵を回すことによって開眼となるのだが、それは凄まじい衝撃だった。
過去の何万年もの情報が一気に流れ込んでくる。普通の人間であれば、一瞬で狂い死にしてしまうことだろう。それに耐える者こそが裏衆なのだ。かおるはそこで、自分が毘沙門天継承勝者であることと、北条政子の転生でもあることを自覚したのだった。
そのことがつい先日のことのように思い出される。まだ18歳だった。あれから大山鷹一郎と出会い、頼朝の転生であることを確信して現在に至る。もうあの空間に戻ることはないと強く明禎に言われ、当然そうだと思っていたのだが・・・このハレにはまさにあの気が満ちていた。
懐かしさと恐怖が入り混じった気を全身で受け止めたかおるは、深呼吸をしてふわりとゴザに座した。まだ小娘だった自分が懐かしかった。何も知らず、普通の女の子としてアイドルにハマり、色々な経験をしていた時に父親が急死。落ち込み、先が全く見えなかった。父親の葬儀の際に、導師として来ていた明禎に声を掛けられ、遊びにいらしゃいと言われたことからだった。
そこで止観を行っている時に、明禎がさりげなく唱えた真言を聴いた瞬間に、かおるの全細胞が一気に活性化した。世界中がグルグルと回り、気がついたら倒れていた。そして、明禎から裏衆であると告げられたのだ。そのことをごく自然に受け入れたことを、今でもはっきりと覚えていた。
「やはり、裏衆だ、白水さん。」
広沢の言葉に、かおるは目を開いた。その顔はすでに、日常で見る顔ではなくなっていた。鋭い眼光と記を全身から発散しており、心なしかゴザから浮いているようにも見えた。
「はい・・・思い出しました。あの道場のことを。そして今・・・。」
かおるは広沢の顔を見上げた。
「なぜ私がハワイに来て、ここにいるのか。その意味がわかりました。」
広沢は頷き、かおるの前に座した。
「では、裏衆魂談を、始めましょう。」
18
大山と羽間は再び熊代商事の川北営業所を訪れていた。所長の山田ヘンリー隆一への聞き取り捜査だった。
「・・・以上が私たちの調べた、都志春さんの死因です。」
「まさか・・・他殺の可能性があるんですか!」
「ええ、あくまで可能性の話ですが、限りなく自殺の線で捜査しています。」
もちろんこれは、誘い水だった。大山らは汐田のアドバイスに従い、他殺の可能性ありということで再調査していたのだった。となると、当然まず来るのはここになる。ヘンリー隆一は深々とソファに体を沈め、ため息をついた。
「他殺ですか・・・いや、そうであってほしくなかったというのが正直なところですね。あの都志春がなんで・・・。」
「はい、そうなんですよ。このままでは自殺として原因不明となる可能性もあります。そうならないためにも、お話をお伺いしたいのです。よろしいでしょうか?」
「・・・はい、私でよろしければ何なりと。」
大山は軽く頷いて、羽間を見た。
「それでは私がお話をお伺いさせていただくとして・・・この羽間刑事に、熊代商事さんについて簡単に調査させていただいてもよろしいでしょうか?あらゆる方面からの検証が必要となりますので、簡単にですが。」
「ああ、当然です。私どもは上場企業ですので、全てオープンです。では広報に案内させましょう。」
ヘンリー隆一は広報担当をコールで呼び、やがて美人秘書がやってきて、羽間は多少鼻の下を長くしながらついていった。苦笑いする大山を見て、ヘンリー隆一も少し笑った。
「なかなか素直な刑事さんでいらっしゃいますね。好感持てます。」
「いやはやお恥ずかしい限りです。本当にもうちょっと緊張感持ってほしいんですがね。」
大山は言いながら手帳を開いた。
「お聞きしたいことがいくつかあります。まずですが、都志春さんは海外の方をガイドするお仕事でしたね?」
「主にそうですが、国内の方もガイド要請があれば行っていたようです。」
「お1人で?」
「ええと・・・いや、確かスタッフがいたはずですよ。すみません、正確でなくて。」
「仰るように、私どもの調べでは正規雇用者がおらずに、ときどきパートとしてその都度声をかけていたようですね。」
「ああ良かった。それで大丈夫でしたか。」
「はい。都志春さんご自身はよく海外に行かれてましたか?」
「海外でのインストラクターは・・・どうでしたか・・・あまりやってはいなかったと記憶しています。都志春が海外に行くのは、台湾やハワイ、ロス、ニュージーランド、韓国、オーストラリア・・・くらいだったような?話だけは聴いていますが・・・。」
「では海外で、何かトラブルがあったということは?」
「そこまでは把握しておりませんねえ。私の知る限りでは国内ではトラブルはなかったと思っています。」
「以前お聴きしたことによると、都志春さんの祖父で、所長のお父さまにあたるスティーブ・ローウェンさんとはよくお会いされていたようですね。」
「ああ、父はロスにおりますが、なにぶんにも高齢で認知症でもあるものですから、私でもよくわからない状態です。」
「では都志春さんとお父さまは、いつくらいまで会話できていたのでしょうか?」
「ええと・・・都志春は幼いころから父には可愛がってもらっておりました。たぶん会社を立ち上げて少しくらいまではよく行っていたと思います。私たち家族もよく一緒に行っていましたから。」
大山はここまで聴き取り捜査をしながら、ぼんやりとではあるが問題解決の一端が見え始めてきていた。まだ漠然とではあったが、ほぼ間違いないと確信できた。この事件が起こってからずっと抱えてきたイメージが、鮮明になっていくのがわかった。
これからはこの線で突き詰めていけばいい。
「ありがとうございました。都志春さんがどれだけご家族から愛されていたかがよくわかりました。後は海外でのトラブルなどについて調べてまいります。ふう・・・。」
大山もソファに体を沈め、もう冷めてしまったコーヒーを一気に飲んだ。
「いやあ、相変わらず美味い!ええと、コナコーヒー・・・でしたっけ?ハワイの。」
「そうです。有名なモールがハワイにはありますので、都志春が行ったときには大量に買ってきてもらうんですよ。」
「へえ、なんてところです?」
「カハラモールとかロングスドラッグとかですね。あそこは安く買えるんですよ。」
「薬局でコーヒーが買えるんですか?ハワイすごいなあ。私は海外には行ったことないんですよ。いつか行ってみたいですね。」
「刑事さん、今では日本でも薬局では食料も販売しているんですよ。でもハワイにはそりゃあ行くべきですよ。おすすめですよ。リゾートにしては安全ですし、他所とは全然違います。」
「勉強になります。」
その後も大山はヘンリー隆一と世間話をしながら、羽間が来るのを待っていた。30分ほどして、羽間が美人広報と心から楽しそうに会話しながら帰ってきた。大山は内心舌打ちした。
「お待たせしました。いやあ、熊代商事さんってすごいんですね。まさか県内にこんな企業があるなんて知りませんでした。本当にすごいです・」
「何がだ?」
「世界規模で商売されてるんですよね。あらゆるものを売買されていました。」
「はい、私どもは商社ですから。」
ヘンリー隆一は横の本棚からファイルを2冊取り、大山たちに手渡した。
「私どもは、元々は工業用薬品会社としてスタートいたしましたが、今では中古自動車やジュエリーまでも扱っております。良かったらどうぞ。」
「ありがとうございます。では、今日はこれまでにいたします。ご協力感謝いたします。」
大山らは熊代商事を出て、川北署に向かった。
「どうだった?」
「はい、先輩の線で見てみたら、やっぱりでした。」
「そうか。」
「・・・ねえ、先輩。」
「なんだよ。」
「先輩は・・・先輩ですよね。」
「は?なに言ってんだ?」
「あ、ああ、すみません。何かこう、ここんとこずっと変な事件ばっかあるじゃないですか。」
「ああ、まあな。」
「そのたびに、俺の知ってる先輩なのかなあって思う瞬間あったんですよ。」
「そりゃ何か?俺の勘が冴えてきてるって言いたいのか?」
「ま・・・まあ、そうですね。」
羽間はこの会話をここで打ち切った。最初の連続猟奇事件から始まり、舟橋亀子事件、シヴァ原理主義者と立て続けに、地方都市ではありえない事件が発生し、悉く大山が解決してきていた。頼もしい反面、どこか妙に冴えすぎているようにも思えていたのだ。
それを口にしたのだが、羽間のこの感情は大山にもとっくに伝わっていた。大山自身、なぜかここ最近妙に感が冴えてきているなと感じてはいた。以前なら考えもしなかったことが突然浮かんでくる。
前回のシヴァ原理主義者にしてもそうだ。なぜこれが石油と絡んでいるのか、などと発想できたのか、自分でもわからなかった。
しかし大山にしてみれば、自分以上に人間離れしてきているのは、パートナーのかおるだった。時々、この世の存在なのかもわからなくなってくる。自分自身ですらわからないのだ。
羽間がどう思おうとも、それはごく自然なことなのだ。しかしどう考えてもわからないので、それ以上は流すようにしていた。そうすることがすでに、大山の勘がビンビンに冴えてきているということなのだが。
19
広沢はまず、小屋への道を全て茨で塞ぎ、盛り塩をハレ周囲の四角に置き、そしてハレの前後をバナナの葉で編んだ簾で閉じた。そしてかおるにハレの中央にある囲炉裏の前に座するよう指示し、自らもかおると相対するように座った。
そして広沢はそこに薪を組んだ。薪の周囲には手作りと思われる煉瓦を積み上げた。さらに煉瓦の四角に棒を立て、これも手作りの紙垂を結び付けた。
「護摩を?」
簡単ではあるが、明らかに護摩壇だった。
「一応火は使いますが、正式な護摩ではありません。白水さんと私の間を結ぶためのものです。魂談に必要ってだけです。」
準備が終わると広沢はハワイ焼酎と時計を置き、かおるを見た。時計は午後2時を示していた。かおるはリュックの中から白装束を出して着た。
「では。」
広沢がそうつぶやいたその瞬間、かおるの裏衆回路が開き、広沢と感応状態に入った。通常の護摩では大日如来にいたるまでの真言や供物などというものが必要なのだが、裏衆には必要なかった。
生身でありながら、高次元へアクセスできる力を持ち合わせている。八神と呼ばれる強力な裏衆は親から子へと伝達されていき、他の裏衆は不確定的に伝承させることで遺伝子が活発化していく。
広沢は裏衆トップと言っていい天部の継承者であったので、他の裏衆とは桁違いの能力を持っていた。そして、広沢はあの春道の子孫でもあった。春道が若い頃にできた子供の子孫であったが、かおるに伝えることではなかった。だがこれも、運命の導きではあったのだ。
広沢はかおると感応に入ったことを確認すると、ゆっくりと両手を合わせて合掌し、かおるも寸分たがわぬ動きで同じ合掌ポーズになった。通常の人間であれば激しく抵抗するところだが、裏衆であれば何の障害もなく受け入れる。
そして広沢とかおるは同時に真言を唱えた。
「おん、あびらうんけん!」
同時に、かおると広沢の魂は我々の感覚では捉えきれないほどの短時間、高次元にアクセスした。膨大な情報量が、それこそスパコン並みの情報量がかおるに飛び込んできた。
かおるは悲鳴を上げたかったが、広沢と感応状態にあるために苦痛を感じた次の瞬間にはもう回復していた。膨大な時間が経過したようでもあり、ほんの一瞬のようでもあった。
我々の時間軸では推し量れないような量の情報ではあったのだが、高次元ではほんの一瞬でさえない。時間軸に沿ってでしか存在できない我々とは異なり、高次元では時間さえ操作できる。したがって、このようなことになる。
この時間という概念が通用しない感覚の中でさえ、広沢は的確に情報を操って整理し、かおるの魂の中にアーカシックレコードに通じるチャンネルを設定しておいた。魂とは、我々生物の中に存在する唯一の高次元物質だと思えばいい。宇宙の図書館たるアーカシックレコードに直結し、生物の進化を促す。広沢は天部の性を継承しており、高次元の影としてのみ存在できる神と共存できる存在なので、このようなことが可能なのだ。
広沢の作業が終わると、2人の間の感応は消滅した。かおるは合掌したまま横に倒れた。思考回路がすさまじく活動していたかのような疲労感があった。
「起きなさい。」
広沢がそう命じたのだが、とても起き上がれる状態ではなかった。
「起きなさい。」
広沢の声が、先ほどよりもくっきりと響いた。無理かもと思いながら体に力を入れると、疲労感は残っているがちゃんと起き上がることができた。かおるは今どこにいるのかすら把握できなかったが、すぐに元のハレにいると確認できた。
「これを見なさい。」
広沢は時計を差し出した。
「え?まさか・・・。」
「そう。これが魂談です。」
時計は、午後2時1分を示していた。あれだけのことが、かおるが倒れて起きるまでがほぼ1分なので、本当に一瞬のことだったのかと理解できた。
かおるは額の汗を拭き、目を閉じて止観に入った。それまでぼんやりとしていた思考回路が、見事に整理されていた。なぜ自分がハワイに来て、ロバートに出会い、ついには広沢という裏集と出会ているのかが、明確になった。
同時に、夢に出てきたロバートと自分の関係が明確になった。彼らが何を訴えているのかがわかった。
しかし不明確なことがあった。
(言葉でのみ理解できたカグツチとはなに?)
(火の神ペレと何の関係があるの?)
(初めて見る邪悪で黒い炎が全身に浮かぶあの影は一体なに?)
そしてごく自然に香の口から、あの名がこぼれ出してきていた。
「カグツチ・・・?」
「それです。」
「え?」
「もうこれで、白水さんがハワイにいる必要はなくなりました。あなたの中に、マナの力、ペレの命が入りました。」
「だ、だけど、カグツチって一体・・・?」
「その答えは日本にあります。もうお帰りなさい。」
広沢は立ち上がり、結界を解いた。空はスカイブルーが広がり、小鳥のさえずりが聞こえてきていた。
「白水さん、こちらへ。」
かおるは立ち上がり、広沢の横に立った。
「手を出して。」
言われるがままに、かおるは両手を広沢に突き出した。そして広沢も、かおるの両手に手を合わせた。
「あ・・・。」
かおるの中に、強烈な光が輝いた。その光は、かおるの奥底に眠っているもうひとつの人格を激しく刺激した。
「わかりました・・・そういうことだったのね。」
広沢は満足そうに笑みを浮かべ、手を下げた。
「わかりました。すぐに日本に帰ります。」
「そうしなさい。そしてあなたの中にあるペレの力を、あの方にお伝えなさい。あなたにとって大切な方の転生であるあの方へ・・・。」
「それからもうひとつ・・・だれだかまったくわからない若い男の人が見えたんですけど、これは・・・?」
「ああ、その人は山田都志春さんと言います。彼の人生は複雑で、よく相談に来ていました。そうですね・・・彼のことを白水さんが見えたということは、日本に戻って何らかの関わり合いがあるということなのでしょうね。」
「山田・・・都志春・・・わかりました。」
「彼は・・・いや、私から申し上げない方がよいでしょう。日本に戻ったら、必ず関わってくると思います。私は彼について・・・後悔しています。帰すんじゃなかったと。」
「え?どういう・・・。」
そこまで言って、かおるは黙った。言っていい事であるならば、広沢は言っていたはずだ。かおるが復唱した名前のことで、日本で大山らが奔走していることをまだ知る由もなかった。
かおるは頷き、肩を降ろした。そのとたんに、全身を怖気が走った。恐怖でもあり、嫌悪でもあった。原因はあの黒い炎の影の主であることは間違いなかった。
(あたしとあの影との関係は・・・?)
広沢はすでにパレを出ていこうとしていたが、かおるに背を向けたまま、ボソリと言った。
「黒い炎・・・邪悪な炎・・・敵・・・。」
広沢はパレの道を開き、かおるはさきほどの言葉の意味を考えながらついていった。
(あの影が、あたしの敵なの?裏衆としての敵なの?)
とすれば、シヴァ並みの力がある邪悪な存在ということになる。
自分にやれるのだろうか。だが、先ほどの魂談の中で、広沢からマナの力を与えられたかおるには、自分の中になにかまだわからないが、強い何かがあることはわかった。そしてそれは、必要な時にしか現れないものだと。
すると広沢が振り向いて、にっこりと笑った。それが全てなのだと、かおるは理解できた。ログハウスに着くとすぐにロバートに連絡を入れた。
すぐにロバートはやってきて、かおると共にワイキキまで戻っていった。その夜、かおるはすぐに大山にメッセを入れた。
「タカちゃん、もうすぐ帰るね。」
20
かおるとロバートは、ワイキキの『カフェ ウェリナ』に座っていた。
ウェリナとは、ハワイ語で『愛をこめて』という意味だそうだ。
かおるは洋子手作りのハワイ流お茶漬けを、ロバートと洋子はサンドイッチを食べていた。
かおると洋子は短期間ではあったが、かなりお互いを気に入ったようだ。
日本に帰る前にとロバートと洋子はオアフ島を2日かけて案内してくれた。あちこちに日本人が作ったものや神社などもあり、かおるはなぜ日本人がハワイ好きなのかよくわかった。
今回はオアフ島しか観ていないが、オアフ島には日本人の山岳信仰によく似た気が満ちていた。広沢紫音がなぜ日本を離れて、ハワイでヒーラーを行っているのかがわかった。夢に出てきた文吉とロバート・オーウェン。彼らの怨念がいまだに生きているということも確認できた。
それに、ペレというハワイの火の神と、カグツチという日本にある何かの関連性もどこかにあるということもわかった。天台の裏衆同士は滅多に出会うことはないのだが、かおるだけはすでに2人の裏衆と、すでに他界している裏衆とも会っていた。これはなぜなのだろう・・・これだけはまだ全く理解できていなかった。
しかし広沢紫音が魂談の中で見えたという北条政子と、あの怨霊との関りが関係しているであろうことだけは理解できた。ここしばらくの大山鷹一郎との出会い以降、次々とかおるに関わる事件が起こってきている。かおる自身が裏衆として、また北条政子として闘ってきた存在もあったし、山高らの裏衆に手を貸す場合もあった。
きっと何かが起きるし、それがどのようなゴールなのか。それはまだわからなかった。ロバートと洋子、この2人と過ごしたオアフ島での二日間は、かおりにとって最高の休養期間となった。ハワイにくる前に感じていた重苦しいものは見事に消え失せ、魂の奥底から強く美しい力が溢れ出してきていた。
「かおるさん、ハワイに来てからますますキレイになったわ。」
想いを巡らせていたかおるの横顔を見て、洋子が漏らした。
「あ?え?・・・あ、ありがとう。」
確かに、ハワイの太陽で焼けたかおるの顔は、まるでモデルのように美しくなっていた。
「イエス。ソーキュート!」
ロバートも同じように感じていたのだろう。親指を立てながら、満面の笑みで相槌を打った。
「あたしね、ハワイに来るまで全然なにも感じていなかったの。でもね、来てみたらこんなにすごいところだったなんてね。もうあたし、毎年来ちゃう。」
「イエー。」
ロバートがハイタッチしてきた。
「そういやロバートもハワイアンヒーラーになるのよね?頑張って。」
「オッケー。ワタシ、がんばる。そして、かおるサンに会いに日本行きます。」
かおるは嬉しそうに頷いた。毎年ハワイに行くというのは、本心からだった。日本だけでは消えない何かが、ここでは全く感じなかった。これで日本に帰ると、きっと今までは発揮できなかった力が出せるような気がしていた。
それから少しの間話していたが、やがてドアが開いて大柄なロコと小柄な日本人女性とロコの男性が入ってきた。
「ハーイかおるさん!お待たせしましたね!」
ジミー・サカグチと静子ワイメアと夫のピーターだった。彼らとも交流を深めていたため、かおるを気に入った2人は絶対に空港まで送ると言ってきかなかったのだ。昼はロバートと洋子、夜はジミーと静子夫妻と共に過ごしていた。
この懐の深さも、ハワイがなせることなのだろうとかおるは思っていた。日系という共通点こそあったものの、この暖かさは常にハワイで感じていたものだった。かおるはロバートと洋子に分かれのハグをし、ジミーの車に乗ってイノウエ空港まで到着した。
彼らとは空港での別れとなった。また来ると言っているのに、大柄なジミーは大泣きだった。当然ながら、かおるの涙腺も緩みっぱなしだった。彼らは最後まで手を振っていて、ずっと動かなかった。彼らが見えなくなり、税関で検査も終わって搭乗デッキに向かう間、頻繁にメッセがスマホに入ってきた。
「・・・もういいってば!でも、ありがとう。」
かおるはこれから搭乗する直前まで返事を書き続けた。そして最後にこう締めくくった。
「マハロ、ハワイ。ポイナオレ、ハワイ。アーフイホウ。」
ありがとうハワイ、忘れないよ、またね、という意味である。いくつか習ったハワイ語をやっとこれだけ使うことができた。そしてシートに頭を埋めたかおるは、ずっとハンカチを顔に置いていた。もちろん、涙を抑えるためだった。しかし、感傷に浸っている時間はすぐに終わった。
目を閉じているかおるの脳裏には、もはやくっきりと確認できる原島文吉とスティーブ・オーウェンの顔、それと大山鷹一郎と羽間と汐田、それにまだ見たことがない若いアロハシャツの男性と、思わずかおるが顔をしかめるほどに破壊的なイメージの男が見えた。まだ見たことがない2人のうちの1人は、これがかおるが戦わなければならない存在なのだとはっきりと理解できた。
かおるはハンカチを取った。その目にはもう涙はなく、逆に赤い炎が見えるほどにギラギラしていた。毘沙門天の力を、どう制御すべきか、そしてどう発揮すべきかを考えながら、いつしかかおるは眠りについた。成田着は7時間後、川北に着くのは、明日になることだろう。
21
大山らは川北市から離れて、県庁所在地の中九州市にやってきていた。もちろん、県警本部にである。今回は羽間に加えて汐田も帯同してきていた。将来は州都を目指しているだけあって、地方都市川北や川南とはえらく違っていた。それでもまだまだいち地方都市にすぎないのだが。
大山たちが訪れたのは、県警の資料室だった。ここでは日本のトップシークレット以外であれば、大抵のことは検索できるシステムがある。大山らはここで資料の整理と新たな情報を得ようとしていたのだ。もちろんここでも、大山の広い人脈がモノを言った。
「おお、山本!元気にしとるや?」
「タカ!ひっさしぶりやなあ!」
警察学校時代の同級生、山本警部補が出迎えてくれた。
「お前まだ川北におるんか?お前なら警視庁に推薦でもいいはずだろ?」
「冗談じゃねえよ。俺は田舎暮らしが性に合ってるわ。今日は世話になる。」
「なんだか面倒な事件っぽいな。わざわざここ使うなんて。」
軽口を叩きながらも、山本は資料室に案内してくれた。
「すまん、恩に着る。」
山本が案内してくれたのは、慣例で中九州署の上級しか使えないことになっていたのだが、山本自身が上級だったので事は済んだ。紙資料も膨大にあったのだが、大山が一番使いたかったのはハイパーコンピューターだった。なぜなら、大山の勘が当たっていたのであれば、これでしか調べられないことだったからだ。通常のネットでは検索不可能なレベルまで、これだったら調べられる。
「よし、じゃあ早速とりかかろう。ケン、わかってるな?」
「押忍!」
羽間がニュージーランドや台湾に関する犯罪資料を調べている間に、大山と汐田は大きなモニター画面の前に座った。山本が立ち上げ、自分のIDとパスワードを入力し、一応監修の立場として横に座った。
「すまんが、これも役割なんでな。許せ。」
「構わんよ。むしろいてくれた方が気が楽になる。」
オープニング画面が開き、専用のブラウザが立ち上がった。このセキュリティは国家レベルなので、まずハッキングされる心配はない。
大山はまず、熊代商事について検索をかけた。通常のブラウザでは表示されないデータが山ほど出てきたが、案の定大した情報はなかった。そこで大山は顔認証モードに切り替え、山田ヘンリー隆一の画像を取り出して照合にかかった。
類似データ画面表示モードに切り替え、しばらく待った。
「おい・・・そいつ、熊代商事の代表じゃないか?どうかしたんか?」
山本は気になって声をかけてきた。
「ああ。ちょいと気になったことがあってね。」
大山はまだ検索中の画面を見て、多少イライラした。ここのCPUは相当に優れており、メモリーも十分以上にあるはずなのに、これだけ時間を要することはまずありえない。何があるのだろうと考えていると、表示画面に変わった。
「お・・・え?・・・ええええ?」
大山は思わず声をあげ、山本も驚いて画面を覗き込んだ。
「・・・え?これ、どういうことだ?」
画面に表示されたのは数人の顔だったが、通常とはまるで異なる表示がされていた。ここに表示されるデータは、電話番号、ID,銀行口座から国籍まであらゆるものが出てくる。
「おい、これ・・・全部国籍が違うじゃないか?」
「これは顔認証に加えて、あらゆる共通事項を加味した最大公約数だ・・・相当な精度で本人のはずだ。そうだ・・・そうとしか考えられん。USA、インド、ニュージーランド、台湾・・・か。」
「ええ?ということは・・・?」
大山は黙って頷いた。最初に何の理由もなくクロだと判断したことが、やはり正解だったのだ。
「間違いない。ヘンリー隆一は整形を繰り返している。しかもその中に、アメリカとニュージーランドと台湾まで含まれている。こいつはやっぱり・・・。」
「先輩!」
羽間がファイルを持って駆け込んできた。
「どうした!何かあったのか?」
「これこれ!これ見てください!」
羽間が広げたファイルには、ニュージーランドで違法にメタンハイドレード採掘を行ったグループの犯行が掲載されていた。そして記事を読んでいくと、大山の顔色が変わった。
「おい・・・こりゃあ・・・。」
「先輩、これ、どえらいことですよ!」
大山と羽間は興奮していたが、そこに山本が割り込んできた。
「すまんが・・・羽間くん、メタンハイドレードって何だ?」
「はい、これはつまり、新たなエネルギー資源って奴で、海底に豊富にあるんですよ。」
「海底に?」
メタンハイドレートとは、石油、石炭に続く化石燃料の一種であり、メタンが低温かつ高圧の条件下で固形化したもので、海底に大量にある。しかし深海の泥砂内に存在しているために採掘が困難であって、いまだ商業化はされていない。
「つまり、これをいち早く採取した者は大儲けできるってわけか。で、なんで違法なんだ?」
「正確には企業レベルでの採掘はまだ違法ではないんですが、ニュージーランド沖合にある埋蔵量は世界有数のものらしく、すでに領海内での採掘は禁止されているようです。中国や台湾、韓国なども名乗りをあげています。で、このグループはニュージーランド政府に届けることも許可を得ることもなく採掘していたんですね。しかもヘンリー隆一ってのは・・・別人の可能性もありますね。」
「しかしそれだとおかしい。実の弟を姉が間違えるか?そんな・・・。」
そこまで言って、大山は気がついた。現在の段階で、姉の恭子は視力が大幅にダウンし、聴力も落ちていた。もしこのヘンリー隆一が別人だとして、整形して山田家に入り込んでいたとしたら、という可能性もありうる。ありえない話ではない。
気力も体力もない恭子に支えてくれる存在となったヘンリー隆一に瓜二つの別人がいたとしても、気にならないどころか頼りにさえしているのかもしれない。大山はもう一度その線で調査してみることにした。
22
成田に着いたかおるがまず感じたことは、日本ってなんて便利で窮屈でウェットなんだろうということだった。オアフ島は山沿いこそ日本と似ていたが、それ以外は全て違った。
そして今のかおるには、出立前とは違った力が目覚め始めていた。常に何かの力、おそらくはマナだろうが、全身にはっきりと漲っているのがわかる。足どりも軽い。
(すごいのね、マナって。)
歩きながらかおるはふと、キオスクにある絵に目がいった。そこは地方の名産が置いてあり、そこにあったのが阿見山だった。なんてことはない絵なのだが、今のかおるには、阿見山がドクンと脈打ったように感じた。
さらに言えば、これまでになく親近感を感じていた。おそらくはこれから起こることに関係しているのだろう。
「いよいよね・・・力、貸してね。」
つぶやくと、かおるは新宿生きのバスに乗り、京王プラザにチェックインした。一泊した後、昼前の便で九州に行き、川北空港に向かった。
「かおるさん、お疲れ様っす!荷物、持ちますよ。」
到着口で出迎えてくれたのは羽間だった。大山は捜査のために来れなかったのだ。そのことはすでに知っていたので、かおるは笑顔で羽間に荷物を渡した。
「ありがとう、ケンちゃん。」
「ハワイ、どうだったっす?」
「いいわよお。ケンちゃんも一度は行くべきよ。」
「はああ・・・まず、彼女作らんといけん・・・貯金も・・・はああ。」
なんてことはない羽間の日常だったが、かおるはそんな羽間がすごく好きだった。大山の後輩として様々な事件に出会い、サポートしてくれていた頼もしい存在だった。さほど遠くない先に、パ^トナーとハワイで挙式する様が浮かんで来た。ちょっとぽっちゃりした新婦のようだったが、それを伝えるわけにはいかなかった。
「大丈夫よ。もうすぐだから。」
「へ?」
かおるは羽間の腕を取り、組んだ。
「え、ちょ、ちょっと、かおるさん!」
根が体育会系の羽間は、こうした行為にまるで慣れていなかった。
「何言ってんのよ。これくらいでドギマギしてんじゃないの。まずはうちまでお願いね。」
羽間はクルマに着くまでひたすら汗を流して黙っていた。乗る前に深く深呼吸した羽間は気合いを入れて乗り込んだ。
「押忍!」
可愛いなとかおるは思った。こういうウブなところは大山にはないものだった。多少はあってもいいのにな、などと考えていると、まもなくマンションに着いた。
「ありがとうケンちゃん。」
「ど・・・どもです!」
羽間は逃げるようにその場を去った。しかしまるで気づいていなかったのだが、かおるは腕を組んでいる間に少しずつマナの力を羽間に注入していたのだ。
いずれ羽間にも、本当にちゃんと腕を組んでくれる女性が現れることだろう。かおるは満足して部屋を開け、荷物を置いた。そして大山にメッセした。
『今、家に着いたわ。ケンちゃんによろしくね。明日またね。』
その夜遅く、大山から電話があった。
「ハイ、タカちゃん。こんばんは。」
『なんだか随分アメリカンになっちゃってんな。』
「そうかしら?」
ハワイのロバート、洋子、静子夫妻、ジミーらとの付き合いはたった3日だったが、心の底から触れ合うことができた。ハワイっぽくなっていても不思議ではない。
「それ言うならロコっぽくなったって言ってよ。」
『ロコ?』
「ハワイに住んでる人のことよ。」
『はあ、まあ、しばらくはハワイの話ばっかだろうなあ。どうだい?なんか得られた?』
「そりゃもうね。」
『ふううん、誰を探しにいったんだ?』
「誰ってことはなかったんだけど、あちらで出会った人たちは多かったわね。ロバートって人や広沢紫音って人・・・。」
『なんだってえ!』
大山のでかい声に、かおるはおもわずスマホを離してスピーカーにした。
「ちょっと、大きな声出さないでよ。広沢さんがどうし・・・。」
『どうかしたどころじゃないよ!ちょっと、他にどんな人の名前を知ったんだ?』
かおるはまず、ジミーたちの名をあげたが、大山はイライラした口調で遮った。
「違う!そんな連中じゃない!他には?」
「ちょっとタカちゃん、連中はないでしょ?お世話になった人たちなんだから。」
『いいから言えよ!』
大山がこうまで激しい口調になることは珍しい。少し怒りもあったが、とりあえずかおるは続けた。
「ええと、スティーブ・オーウェン、原島文吉、山田都志春・・・。タカちゃん?どうしたの?今度は黙っちゃって。もしもし!」
電話の向こうでは、川北署で資料を整理していた大山がスマホを持った右手を膝の上に置いたまま、口を開いたまま絶句していた。
(またこれだ。)
何の関連もないところから、いきなり降りてきたように新事実は出てくる。ここのところの事件に共通していることは、まさにこのようなことだった。かおるがそもそも何を求めてハワイに行ったのかも知らなかった大山だが、帰ってきたらまさかの名前が飛び出してきた。大山はかおるの声に我に返り、スマホを耳に当てた。
『おい、かおる。その名前、こっちでも捜査しているとこなんだ。』
「え?ど、どゆこと?」
今度はかおるが絶句した。マナの力の凄さ、自分に与えられた力の存在を改めて感じていた。
23
川北書のベテラン鑑識汐田と、署長山内は署長室で昼食をとっていた。いつもの仕出し弁当である。こうして2人で飯を食うのも久しぶりだった。何気に同期でもある2人は、若い頃に壮絶な殴り合い喧嘩した後に親友となった。
理由は簡単である。同時に同じ女を好きになっただけのことだ。その女は去り、男臭い友情だけが残った。
「汐さん、鷹一郎はどうや?」
地方都市川北市ではこれまで本当に大したことない事件もなく、ずっと大山と数名の刑事と鑑識、事務員たちだけで運営してきていた。目をかけてきた連中ほど向上心が強く、ほとんどが中央に行ってしまっていた。それはそれで嬉しいことだったのだが、山内のような泥にまみれて捜査するスタイルというものは、大山が来るまでは誰もいなかったのだ。大山が自分と同じタイプだと知った山内は内心おおいに喜び、周囲の反対を押し切って警部補に昇進させ、同じタイプの羽間をつけてやった。
汐田もまた、人間の勘を重視するタイプだったのだが、現代ではそのような古臭い手法は当てにならないとされ、若い者たちはこぞって最先端の知識を得ようと躍起になるばかり。もう辞めようと思っていたところに大山が川北署にやってきて、羽間と泥くさい捜査を始めると、汐田のような泥くさいタイプの鑑識を重宝するようになり、結果として汐田流の鑑識官が少数残った。
大都会では通用しないだろうが、ここ地方都市ではそれが一番だった。人の心に触れるタイプの大山や羽間の捜査は抜群の成績を上げ、地方の人たちもより強力してくれるようになっていた。
しかしここしばらくの妙な事件には、山内も内心妙な胸騒ぎを覚えていた。こんなことはかつてなく、大山たちが疲弊しないかと心配していたのだ。そう思っていると、汐田の方から昼飯しようと言ってきてくれた。こういうことが、現代には通用しない点なのだ。理屈ではない。
「タカは、ようやっとるよ。ケンもな。」
一応役職的には上司にあたるので普段は大さんと呼んでいるが、山内との間ではこれで良かった。
「だが、例の狐の件以降、妙な事件ばっかりだっただろ?この間の石油不法採掘事件なんか、まさに国際警察レベルだ。そんなことがここで起きるなんてなあ。俺にはもう無理なんじゃないかな。もう・・・引退してもいいのかもな。」
「馬鹿抜かしてんじゃねえよ。」
汐田は咥えたエビフライをかじって、尻尾だけ残した。
「あいつらは確かに古臭いタイプで、俺らから見ても荒々しい。いつコンプライアンス無視するんじゃないかと冷や冷やもんだ。実力は申し分ない。だけどな、あいつらはまだまだ、クソガキだろ。あんたのような抑えが必要なんだよ・・・って、ちょっと待て。お前ひょっとしたら、また現場に行きたいのか?」
汐田の突然の図星攻撃に、山内は茶を吹き出しそうになった。
「ほーらやっぱりな。遠慮しないで出て仕事すりゃいいじゃねえか。あんたにしか探れないことだってあんだろ。」
山内は内心、飛び出して行きたい衝動に駆られていた。大山たちを必要以上に心配するのも、その気持ちがあったからだった。それに、今回はどうしても前線に出なければならない理由もあった。
「まあたまには、いいかもな。長曾我部に任せてみるか、たまには。」
長曾我部は副所長であり、仕事はできるがのんびりした男だった。たまには刺激も必要だろう。
「ああ、それがいい。あんたは叩き上げだし、鉄砲玉みたいな男やったけんな。今回はまさに、あんたが出ていかないといかんはずだろ。」
汐田は残しておいたエビフライの尻尾を、旨そうに食べた。汐田もまた、これは山内の出番だと知っていたのだ。
「このエビの尻尾まで食べてたもんさね。俺らの時代は。そんな根性論なんざ通じねえ世の中になっちまったが、たまにはいいだろ。」
汐田の言葉に後押しされ、早速山内は大山に連絡を取った。
「あ、署長、お疲れ様です。」
何かあったのかと聴く前に、電話の向こうから野太い声が響いてきた。
『俺も行く!』
「は?な、何がどうされたんですか?」
『やかましい!今どこだ!』
「は・・・はあ。今は羽間とクチーナで飯してますが・・・。」
『そうか!しばらく動くな!』
電話はいきなり切れた。
「どうしたんすか」
羽間は例の羽間スペシャル丼を食べながら、軽く聴いてきた。
「なんかさっぱりわからん。今から署長がここに来るってさ。動くなって。」
羽間は食べかけのトンカツを吐き出しそうになった。
「ええええ!こりゃいかん。」
羽間は倍のスピードで食べだした。最後の飯をかきこんだちょうどのタイミングで、大山がのそりとクチーナにやってきた。
「お、お疲れ様っす!」
中にいた警察関係者全員が立ち上がって敬礼した。
「お前たち!」
全員、何かやらかしたのかと思い、緊張した。
「よくやってる!ここは俺が奢る!しっかり食え!」
皆、全身の力が抜けて座り込んだ。嬉しいけどなんかあるはずじゃないのかとあちこちで囁く声がしたが、山内は構わず大山と羽間のテーブルに座った。
「署長、どうされたんです?」
「俺も今回は現場に戻ることにしたんだよ。」
「え?そ、そりゃどういうわけで?」
「これだ。」
山内が示したのは、大山たちが相談していたヘンリー隆一の整形疑惑の顔一覧表だった。
「ああ、これは今調査中ので・・・。」
「まどろっこしい!」
今日の署長は何か違うぞと思い、大山は恐る恐る訪ねた。
「あの、署長、何がまどろっこしいので?」
「俺にまず訊けよ。俺はこいつを知っているんだ!」
「ええええええ?」
大山と羽間は飛び上がるほど驚いた。まさかの山内所長の現場復帰まで招いた今回の事件、奥は深そうだった。
24
「山田ヘンリー隆一・・・が今の通名になるんだな。しかも熊代にしっかりと入り込みやがって・・・。」
山内は顔認証データを眺めながら、忌々しそうに吐き捨てた。
「こいつの正体はまだ掴んでおらんのだろ?」
「は・・・はい、申し訳ございません。」
「それはしょうがない。相手が相手だからな。」
「署長、一体誰なんです?」
山内はバッグからタブレットを取り出して起動させた。
「俺はな、現役のときに一度、どえらい失敗をしたんだ。」
「失敗?」
「ああ。ここに来るきっかけにもなったんだがな。」
山内はタブレットが立ち上がる間に、話し始めた。
「あれはもう15年くらい前になる。俺は四角署に署長として勤務してたんだ。とにかく平和な街でな、俺も昇進が決まっていて、県警本部長に推薦されていた。俺のキャリアから言っても、まず間違いなかった。油断がなかったとは言わない。しかしまさかな。」
山内はタブレットのあるファイルをクリックした。開いたのは、新聞の切り抜き記事をスキャンして保存してあるファイルだった。その中から、山内は過去のデータを読み込んだ。
「これだ。」
山内はタブレットを大山と羽間に見せた。
「これは・・・熊代商事の上場記事・・・じゃないですか?」
県内企業で上場できたのは熊代商事が初めてだった。かなり県内のローカルニュースで取り上げられたことを、2人は覚えていた。中九州市内の有名ホテルでパーティが行われ、当時の県知事や市長らが大挙して祝辞を述べに来ていた。そのことを取り上げた記事だった。
「俺はここに配属され、警備主任を任された。県警を総動員して警備にあたった。しかしまあ、たかが地方の上場だ。大したことはないとタカを括っていたことも事実だ。しかし、ここでえらいことが起こった。」
「えらいこと?」
「そうだ。熊代商事の創業者一族のひとりの女性がパーティの控室で自殺したんだ。せっかくの上場記念だったので秘密裏に捜査しろと言われたんだが・・・結局不明だった。俺はその男の警備と捜査両面を行ったんだが、どうにもわからなかった。そのときの担当が汐さんだったんだ。」
汐田もまた、山内と共に出世街道にあったのだ。
「当然ながら、俺のキャリアには土がついちまった。俺自身もやる気が失せてしまってな。結局県警本部長に推挙されることもなく、そのまま川北に来てしまったってわけさ。しかし問題はそんなことじゃない。俺は公安とも交流があったので、こっそり聞かされたんだ。」
「な、何をですか?」
大山も羽間も身を乗り出した。
「熊代商事って奴の正体をな。」
「え?」
「ここはな、アメリカCIAの肝入りで作られた製薬会社で、政府が内密に認めた会社であって、アジア方面にわたる諜報の拠点だったんだ。自殺した一族の娘も、単なる事件では絶対にない。あそこは当時あらゆる監視がなされていた。首を括ろうとしても、すぐに誰かがかけつけていたはずだ。ありえんことだ。」
大山と羽間は顔を見合わせた。またこんな大騒動に出会うとは。
「それで署長。熊代が何かはわかりましたけど、ヘンリー隆一ってのは一体・・・?」
「熊代ってのはな、もうそりゃあひどいところだった。何せ企業ぐるみでCIAだ。俺らの捜査は悉く阻止された。現場でも、上からもな。だが俺はこの事件の少し前から台湾人の洪志明という留学生と知り合っていた。洪は法学生でな。行きつけの居酒屋でバイトしてたんだ。洪は秀才もいいところで、北京語、日本語、九州弁、フランス語、英語、ドイツ語を喋れた。工学系にも強く、自動車エンジンを自作してたくらいだ。しかも野心家でな。いずれはアメリカでミリオンダラーを稼ぐんだとよく言っていた。悪い奴ではなかったが、ある時とうとうやっちまった。」
「なにを・・・ですか?」
「熊代の資料室にこっそり侵入しようとしたんだ。社員IDを偽造してな。」
「え?そりゃダメでしょ。」
「ああ。しかし頭がいい奴だ。奴は身分証明書やパスポートも偽造していた。今と違って、当時は割に簡単にできたのさ。当然警察に目をつけられた。そして台湾に強制帰国させられようとされる前に・・・それからプッツリと連絡がつかなくなった。逃亡する直前の、あの時の洪の顔を今でもよおく覚えている。ただでは転ばないって目つきをしてやがった。これを見るまでは忘れていたよ。」
そう言って、山内は顔認証データを持ち上げて2人に見せた。
「え?じゃ、じゃあ、このデータが洪志明ってことなんですか?」
頷いた山内は、その中の右端にある顔を示した。
「そうだ、こいつが洪志明だ。そして、さっき言った熊代で自殺した娘ってのは熊代商事の創業者の娘で、洪志明と付き合っていた。おそらく・・・殺られたんだろう。たぶん当たってはいると思うが。」
山内の証言は驚くべきことばかりだった。ヘンリー隆一の、ちょっとした英語なまりが鼻に着く日本語が何となく気になってはいたのだが、山内の話で全て納得できた。顔認証だけでは、整形を繰り返しているのであれば足跡を追うことは困難を極めるはずだった。
しかし整形前の顔を知ってたのが、まさか自分たちの上司だったとは。
「じゃ・・・じゃ、じゃあですよ、洪志明と付き合っていたのが創業者の娘だとして、それ、会社が殺ったってことなんですか?」
山内はクシーナの安いソファに深々と身を沈めた。
「あれだけの天才だ。それを嗅ぎつけたのかもしれん。陰謀のど真ん中にあった会社だ。何があってもおかしくない。洪は逮捕される前に、ショックで寝込んでいたくらいだ。俺は親しかったから、それが演技ではないことはすぐにわかった。おそらくだが・・・いつか洪は熊代に復讐しようと思ったのかもしれない。どうかはわからんが・・・そこは本人に聞かねばわからん。確実なことは、今この瞬間にも、熊代の川北を洪が支配しようと画策しているってことだ。しかも・・・どうやら、好ましくないやり方でな。」
単なる若者の死が、とんでもない事件に発展しようとしていた。
今回は川北署の山内所長と既知だった洪志明が敵役となります。以前からペレとカグツチの関連性については書いてみたいなと思っていましたので、かなりスムーズに書き上げました。そして今回から大山の覚醒が始まっていきます。




