第8章 「嘘と誤解と、すれ違う翼」
文化祭の翌日。
学園は昨日の「炎上ステージ」の話題で持ちきりだったけれど、私だけは笑い話にできずにいた。
当たり前だ。
私は今、あの「魔法暴走取締委員会室」で、人生で一番冷たい視線に晒されている。
季節はずれの冷たい雨が、窓ガラスを叩いていた。
文化祭の熱狂が嘘のように、部屋の中はどんよりと薄暗い。
空気は湿っぽく、昨日焦げた舞台の匂いと、古い薬草の匂いが混じり合って、私の罪悪感を刺激する。
机の上には、昨日鎮火に使われたスプリンクラーの水でふやけた演劇の台本が、証拠品のように置かれていた。
「……つまり、ルーミエル君は、リオ・フェルバード君との接触によって感情が高ぶり、あの暴走を引き起こした。……ということで間違いないかね?」
監査官の先生の言葉が、突き刺さる。
隣には、なぜかカイル・ノアが、委員会の腕章をつけて涼しい顔で座っていた。
「……はい」
内面は「好きだから爆発しました」なんて言えるわけない!と荒れ狂っている。
けれど、外面は「無表情」を貼り付け、事実だけを認めるしかなかった。
「リオ君は、ドラゴン族だ。魔力親和性が異常に高い。彼が君の暴走を誘発している可能性が極めて高い」
先生が難しい顔で言う。
「待ってください。でも、リオは……私を助けて……」
「助けた? 結果として、学園の講堂は半壊だ」
ぐうの音も出ない。
その時、隣からカイルの穏やかな声が割って入った。
「先生。少し、私からも彼女に確認しても?」
「……うむ。主席の君が言うなら」
先生が資料を取りに部屋を出ていく。
二人きりになった部屋。雨音だけが響く。
「……ミリアさん」
カイルは眼鏡の位置を直し、私にまっすぐ向き直った。
その笑顔は完璧。でも、目が笑っていない。
「昨日の炎、俺も見たよ。……あれは、異常だ」
「異常……?」
「そう。セリナ・ミストレイも気づいていたようだが、あの炎の色……尋常な魔力じゃない。まるで、魔界の“原初の炎”が混じっているかのようだった。……あれは、ただの魔力暴走じゃない。物質を燃やすのではなく、存在そのものを“消去”しようとする炎だ。だから舞台の床は、ただ焦げたのではなく、空間ごと抉れていた」
――魔界の、炎。
「君の暴走は、リオ君が転校してきてから始まった。そうだね?」
「……それは」
「彼は、君の魔力を増幅させ、変質させている。……彼は、**“魔界の暴走因子”**そのものなんだよ」
カイルの言葉が、冷たい雨のように心に染み込んでくる。
――違う。
――リオは、そんな……。
――だって、昨日、あんなに優しく笑って、マントをかけてくれた。
――あれが、嘘?
「君を怖がらせたいわけじゃない」
カイルは、私の混乱を見透かすように、声を和らげた。
「ただ、事実として、昨日の君の炎上騒ぎの直後から、学園地下……あの舞台の真下にある**“封印”**が、異常な魔力反応を示し始めている」
「封印……?」
「そう。この学園が何のためにあるか、知っているかい? 数百年前、初代学園長(英雄)が自らの命と引き換えに施した、絶対に破られてはならない魔界と人間界を繋ぐ“門”を封じるためだ。……本来なら、核攻撃でも揺らがないはずのその絶対封印が、リオ君の強すぎるドラゴン族の魔力に共鳴し、君のあの“炎”によって、内側から激しく叩かれているんだ」
頭が、殴られたようにがんがんする。
情報量が多すぎて、処理が追いつかない。
――私のせいで?
――リオのせいで?
――学園が、危ない……?
「……どう、したら……」
「簡単だよ」
カイルは、完璧な笑顔を崩さないまま、言った。
「彼に、近づかなければいい」
* * *
委員会室を出た後も、カイルの言葉が頭の中で反響していた。
『彼に、近づかなければいい』
雨はいつの間にか上がり、西日が濡れた廊下をオレンジ色に染めていた。
でも、私の心は冷たい雨に濡れたままだった。
――リオが、暴走因子。
――私が、引き金。
信じたくない。
七年ぶりに会えた幼なじみが、そんな危険な存在だなんて。
あの笑顔が、私を騙すためのものだなんて。
――でも、カイルは主席だ。
――先生も、リオを危険視していた。
――セリナも、炎の「色」がおかしいって言ってた。
全部、繋がってしまう。
私が重い足取りで角を曲がった、その時だった。
「――ミリア」
そこに、彼が立っていた。
リオだった。
「……あ」
いつもの制服姿。
でも、文化祭の次の日だからか、どこか雰囲気が違う。
彼が、私を見て、少しだけ……ためらうように、口を開いた。
「……昨日の、マント。その……濡れただろ。風邪、引いてないか」
「……!」
心臓が、ぎゅっと掴まれたように痛んだ。
心配、してくれてる。
いつもの無表情の裏に、不器用な優しさが見える。
――ほら、やっぱり。
――カイルの言ってることなんて、嘘だ。
私がそう思いかけて、彼に一歩近づこうとした、瞬間。
『彼に、近づかなければいい』
『君の炎が、引き金を引いたんだ』
カイルの声が、頭の中でフラッシュバックした。
もし、私が今、彼に近づいたら?
また、感情が揺れて、火を吹いたら?
今度は、本当に「封印」を壊してしまったら……?
リオが、私に手を差し伸べようと、かすかに腕を上げた。
いつもの「訓練」の合図。
――だめ。
その手に、触れちゃいけない。
触れたら、また、何かが壊れてしまう。
「……っ」
私は反射的に、彼の手を振り払っていた。
パシッ、と乾いた音が、静かな廊下に響く。
「え……」
リオが、目を見開いて、振り払われた自分の手と、私の顔を交互に見た。
その顔は、「無表情」を通り越して、「困惑」しているように見えた。
「……ミリア?」
「……ごめん」
声が、出ない。
内面は「違う、そうじゃない、ごめんなさい」と叫んでいる。
でも、外面は、恐怖で強張った「無表情」のまま。
「……今日は、やめとく。訓練」
「……」
「一人で、やるから。……だから、私に近づかないで」
カイルに言われた言葉が、そのまま口から滑り出た。
最悪の言葉だった。
リオは、何も言わなかった。
ただ、ゆっくりと、振り払われた手を下ろす。
そして、一度だけ、何かを諦めたように目を伏せた。
その横顔が、七年前に魔界へ帰っていった、あの日の背中と重なって見えた。
彼はそのまま、私に背を向け、何も言わずに歩き去っていく。
コツ、コツ、と遠ざかる靴音。
――行かないで。
――違うって、言わせて。
でも、声は出なかった。
私はその場に立ち尽くしたまま、彼の背中が見えなくなるまで、動けなかった。
信じたいのに、信じられない。
傷つけたくないのに、一番ひどい言葉で傷つけた。
濡れた廊下に映る自分の顔は、ひどく歪んでいた。
胸が痛くて、息が詰まる。
――これが、カイルの言った「すれ違い」……?
いや、違う。私が、勝手に怖がって、手を離しただけだ。
西日が完全に沈み、廊下は急速に暗闇に包まれていった。
(第8章・完)




