第7章 「文化祭! 炎上確定ステージ」
学園都市が、一年で最も熱狂する日。 文化祭当日。
私は、舞台袖の薄暗い闇の中で、人生最大の後悔を噛み締めていた。
――なんで、こうなった。
重い。ドレスが重い。
私の体には、レースとフリルがふんだんにあしらわれた、純白のドレスが巻き付いている。
頭にはティアラ。足元は慣れないヒール。
鏡に映る自分は、どこからどう見ても「お姫様」だった。
ただし、顔を除けば。
今の私は、緊張と恐怖で、能面のように硬直した「絶対零度の無表情」を貼り付けている。
「ミリア、出番まであと五分だよ! いやー、似合ってる! まさに『氷の姫君』!」
衣装係のセリナが、ニヤニヤしながら私の背中を叩いた。
この演劇の脚本を書いたのも、キャスティングをクラス投票(という名の出来レース)で操作したのも、全部この悪魔だ。
演目は『竜と奏でる愛の詩』。
……タイトルだけで、もう火を吹きそう。
「……ねえセリナ。本当にやるの? この役」
「当然でしょ。相手役、見てみなよ」
セリナが顎で示した先。
舞台袖の反対側に、彼がいた。
リオ。
漆黒のタキシードに、真紅のマント。
髪を少しだけ後ろに流し、剣を佩いたその姿は、悔しいけれど「王子様」そのものだった。
彼がふと、こちらを見た。 目が合う。
――うっ。
心臓が、ドレスのコルセットを突き破りそうなほど強く跳ねた。
かっこいい、なんて思ってない。
ただ、いつもと違う雰囲気に、免疫がついていかないだけ。
リオは私を一瞥すると、眉間にシワを寄せたまま、小さく口を動かした。
『……似合わな』
――はあ!?
聞こえないけど、唇の動きでわかった。絶対「似合わない」って言った!
カチンとくると同時に、少しだけホッとする。 いつもの憎まれ口だ。
でも、その耳が、舞台袖の薄明かりの中でも赤くなっているのを、私は見逃さなかった。
――……ずるい。
――そんな反応されたら、こっちまで意識するじゃない。
「開演です!」
放送委員の声と共に、ベルが鳴り響く。
重厚な緞帳が、ゆっくりと上がり始めた。
講堂の巨大なステージは、魔法照明によって幻想的な「夜の森」に作り変えられていた。
天井からは無数の光の粒が星のように降り注ぎ、書き割りの古城が背景にそびえ立つ。
観客席は暗闇に沈んでいるが、そこから発せられる数百人の生徒たちの熱気とざわめきが、熱波のように舞台上へ押し寄せてくる。
足元の木の板の匂いと、スモークマシンの甘い霧の匂いが立ち込め、現実と虚構の境界が曖昧になるような空間だった。
光が、私を射抜く。
眩しい。
客席は見えないけれど、無数の視線が突き刺さるのがわかる。
私は深呼吸をして、無表情を保ったまま舞台の中央へと歩み出た。
――大丈夫。これは演技。
――私はミリアじゃない。王女アリス。
――感情を殺せ。心拍数を下げる魔法をかけろ。
セリフを喋る。動きをなぞる。
練習通り。淡々と。
そして、物語はクライマックスへ。
魔王に囚われた姫(私)を、竜の王子が助けに来るシーン。
「――待っていたぞ、アリス」
朗々とした声が、講堂に響く。
リオが、舞台袖から現れた。
その瞬間、客席から「キャーッ!」という黄色い歓声が爆発した。
……すごい人気。
さすが、顔だけはいい男。
リオは剣を抜き、見えない敵(魔王役の書き割り)を一刀両断するパントマイムを見せる。
その動きのキレが良すぎて、本当に風圧が飛んできた気がした。
そして、彼は私に向き直る。
「怪我はないか」
セリフだ。台本通りのセリフ。
なのに、その声のトーンは、いつものリオそのもので。
――「お前、熱でもあるのか」
――「訓練中に倒れられても面倒だ」
いつもの、ぶっきらぼうな優しさが重なる。
「……ええ、私は無事です。王子」
私の声、震えてないかな。
無表情、崩れてないかな。
リオがゆっくりと近づいてくる。
コツ、コツ、と靴音が響くたびに、心臓の鼓動が重なっていく。
――来る。
――ラストシーン。
台本では、ここで『王子が姫の手を取り、愛を誓って口づけ(のフリ)をする』となっている。
フリだ。わかってる。
顔を近づけて、角度で隠すだけ。
リオが私の目の前で立ち止まった。
近い。
舞台照明の逆光で、彼の表情がよく見えない。
でも、息遣いが聞こえる距離。
「……ようやく、見つけた」
リオが、そっと私の手を取った。
グローブ越しの感触。
なのに、あの時の「熱」が、布を通り越して伝わってくる。
――熱い。
――だめ、この熱さは、まずい。
リオが、私を引き寄せる。
抵抗できない。足がすくんで動かない。
彼のもう片方の手が、私の腰に回された。
ぎゅっ、と。
台本よりも、練習の時よりも、ずっと強く。
――え?
逃がさないとでも言うような強さ。
その瞬間、周囲の音――客席のざわめきや、BGMの音が、ふっと遠のいた気がした。
世界の中心に、私と、彼しかいないような錯覚。
彼の顔が近づいてくる。
整った鼻筋。長いまつ毛。
そして、いつもは無表情なその瞳が、今は、どうしようもなく真剣な色をしていて。
その瞳が、わずかに揺れた。
演技じゃない。
これは、リオの目だ。
――待って。これ、フリ?
――角度、調整してなくない?
――もしかして、本当に……?
私の思考がショートする。
リオの顔が、あと数センチに迫る。
彼の吐息が、私の唇にかかる。
ドクン!!!!
心臓が、警鐘を鳴らした。
全身の血が沸騰する。
感情のリミッターが、音を立てて粉砕された。
――無理無理無理!
――近い! かっこいい! 好き! 無理!!
――爆発する! 今度こそ世界が終わるレベルで爆発する!!!
「……っ、くしゅんッ!!!」
限界だった。
私はリオの顔面にぶつかる寸前で、空を仰ぎ、盛大なクシャミを放った。
ドゴオオオオオッ!!
それは、今までの「ボッ」なんて可愛い音じゃなかった。
まるで本物のドラゴンの咆哮。
口から放たれた紅蓮の炎が、一直線に天井へと伸びる。
吊り下げられていた「星空」の照明が一瞬で溶け、背景の「古城」の書き割りが、めらめらと燃え上がった。
「うわあぁぁぁっ!?」
「演出!? これ演出か!?」
「すげえ! リアルすぎる!」
客席がどよめきと悲鳴(と歓声)に包まれる。
火災警報器がジリリリリ!と鳴り響き、スプリンクラーが一斉に作動した。
バシャーッ!
冷たい水が、私たちの上に降り注ぐ。
燃え上がったセットが、ジュウウウウ……と大量の白煙を上げて鎮火していく。
舞台は一瞬で水浸し。
私も、リオも、ずぶ濡れだ。
静寂。
スプリンクラーの水の音だけが響く。
私は呆然と立ち尽くしていた。
終わった。
文化祭も、私の学園生活も、全部。
そう思って、泣きそうになった時。
「……ぷっ」
隣から、小さな音が聞こえた。
恐る恐る見上げると。
リオが、笑っていた。
ずぶ濡れの前髪から滴を垂らしながら、肩を震わせて。
「……ははっ。お前、本当に……最高だな」
無表情じゃない。
あの日、七年前に見たような、少年みたいな笑顔。
「……な、なによ」
「いや……さすが、『火吹きのミリア』だ」
リオは自分のマントを脱ぐと、濡れた私の肩にバサリとかけた。
「行くぞ。説教は後だ」
彼は私の手を引いて、煙が充満する舞台袖へと歩き出した。
その手は、冷たい水に濡れているはずなのに、やっぱりどうしようもなく温かかった。
――ああ、もう。
――こんなの、反則だ。
私はマントを握りしめ、彼についていく。
焦げた匂いと、水の匂い。
それが、私にとっての「初恋」の匂いになった瞬間だった。
舞台袖に入る直前、私は名残惜しさになんとなく振り返った。
水浸しのステージ。
騒然とする生徒たち。
その喧騒の端に、カイルが立っていた。
彼は、燃え上がった書き割りの方でも、逃げ惑う生徒たちの方でもなく、一点を見つめていた。
舞台中央。
私の炎が焼き尽くした、床板の亀裂。
そこから漏れ出る、黒い煙のようなものを。
――え?
カイルの視線が、不意に私に向けられた。
眼鏡の奥の瞳と、目が合う。
「……カイル?」
私が小さく呟くと、彼はつまらなそうに肩をすくめた。
「……見なくていい。早く行け」
冷たく、吐き捨てるような声。
その声には、いつもの優等生らしい穏やかさは微塵もなかった。
私はぞくりとして、慌ててリオの背中を追った。
あの亀裂の奥で、**ヒュウウ……**と、不気味な風の音が鳴っていた気がしたけれど、もう振り返る勇気はなかった。
(第7章・完)




