第5章 「恋愛観察者セリナの罠」
放課後。
私は重い足取りで、旧校舎の渡り廊下を歩いていた。
目的地は、もちろん「第三魔法制御訓練室」。
リオとのペア訓練(という名の拷問)が、今日も待っている。
――今日も、手、つなぐのかな。
――昨日みたいに、測定器が真っ赤になったらどうしよう。
――「恋愛禁止」違反で退学……。
最悪のシナリオが頭をぐるぐる回り、無意識にため息が漏れる。
無表情を貼り付けるための精神力が、早くも削られていく。
傾きかけた夕陽が、渡り廊下のガラス窓から斜めに差し込み、床に長い光の帯を作っていた。
埃がその光の中をきらきらと漂っている。
遠くグラウンドからは運動部の掛け声が響いてくるが、旧校舎へ向かうこの廊下は人通りが少なく、やけに静かだ。
窓の外では、風に揺れた木々の影が、校舎の壁をゆっくりと撫でている。
「あーっ! いたいた、ミリア!」
背後からの呑気な声に、心臓が跳ねた。
振り返ると、銀髪をポニーテールに揺らしたセリナが、ぱたぱたと走ってくるところだった。
その手には、何やら手のひらサイズの、怪しげな水晶球が握られている。
「セリナ……。私、これから訓練だから」
「知ってる知ってる。だからその前に、ちょっと実験に付き合ってよ!」
「実験?」
セリナは私の前に立つと、例の水晶球をずい、と突き出した。
その瞳は、昨日と同じ……いや、それ以上に好奇心で爛々と輝いている。
獲物を前にした狩人の目だ。
「これ、新しく開発した魔術アイテム! その名も『恋愛シミュレーション測定器』!」
「……うわ、名前からして怪しい」
「失礼な! この水晶球に魔力を通しながら質問に答えると、その人の深層心理にある“恋愛感情”の純度が測れるっていうスグレモノよ!」
――恋愛感情。
今、私にとって一番聞きたくない単語。
私は無表情を完璧に貼り付けたまま、じり、と一歩後ずさった。
「やらないよ。私、急いでるから」
「えー、いいじゃん! ほら、試しに一つだけ! お題は……そうだな……」
セリナはニヤリと笑うと、私の返事も待たずに水晶球を起動させた。
水晶球が、淡いピンク色の光を放ち始める。
「お題:もし、リオ・フェルバード様に、今、ここで告白されたら?」
「は――」
声にならない音が、喉から漏れた。
その瞬間、セリナが持つ水晶球の光が、私の意識に強制的に流れ込んでくる。
――視界が、一瞬だけ、歪む。
目の前に、リオが立っている。
いつもの無表情。
でも、夕陽を浴びたその耳が、昨日みたいに赤く染まっていて。
彼が、ゆっくりと口を開く。
『……ミリア。俺、お前のこと――』
――爆発する!文字通り爆発する!!
「――くしゅんっ!!!」
私は全力で顔を横に向け、盛大なくしゃみ(火炎放射)を放った。
ゴウッ、という音と共に、廊下の隅に置いてあった観葉植物が、一瞬で燃え上がった。
ーーほんとうに爆発した!!!…
頭の中が真っ白になる。
内面は最大級のパニック。
外面は、顔を真っ赤にして、口からうっすら煙を吐いている。
もはや無表情すら保てない。
「ちょっ……! ミリア! 廊下! 廊下焦げてる!」
……セリナの叫びに我に返ったけど、断じて私の責任ではない!!(よね?)
「せ、セリナのせいでしょ! なにすんのよ、急に!」
慌てて二人で、近くにあった消火魔術用の水をぶっかける。
じゅう、と音を立てて煙が収まったそこには、哀れな炭と化した観葉植物と、黒焦げの床が残った。
「……あーあ。また怒られる」
「いや、それよりミリア……あんた」
セリナの声のトーンが、急に低くなった。
見ると、彼女は好奇の笑みを消し、真顔で、私が火を吹いた方向――黒焦げの床を凝視していた。
「……え?」
「……今の炎」
その視線は、まるで何か信じられないものでも見るかのように、鋭い。
昨日、委員会室で感じた「視線」とは違う。
もっと分析的で、冷たい。
「……セリナ?」
私が戸惑っていると、セリナははっと我に返り、いつものお調子者の笑顔に戻った。
「……ううん、なんでもない! いやー、しかし、すごい反応だったね!」
彼女はポン、と私の肩を叩く。
でも、その手はほんの少し、震えている気がした。
「あれ、ただのシミュレーション魔術だよ? それに反応して、あの威力……。あんた、マジで“恋”してるじゃん」
まただ。
その言葉が、心臓に突き刺さる。
「ち、違うって言ってるでしょ!」
「違わないね。第三者から見たら、丸わかり。ほら、水晶球も」
セリナが見せた水晶球は、昨日、訓練室で見たあの測定器と同じ、真紅の光を放っていた。
「……それより、セリナ」
「ん?」
「さっき、なんで真顔になってたの? 炎がどうかした?」
私がそう聞くと、セリナは一瞬だけ目を泳がせた。
「あー……うん。なんか、質が悪い炎だなって思って。……普通の恋愛魔力じゃ、あんな色にはならないんだけどね」
「タチが悪いって、何よ!」
「威力が、ってこと! 観葉植物、一瞬だったし! さすがミリアの“恋の炎”は情熱的!」
セリナはそう言って、再びニヤニヤと笑い始めた。
――本当かな。
――ただ、威力が高いだけ?
何か、すごく大事なことを見落としている気がする。
セリナのあの真顔が、妙に胸に引っかかった。
「ま、これでハッキリしたね。ミリアはリオ様のこと、意識しまくり。これはもう、校則違反で退学まっしぐらだね!」
「う、うるさい! 早く訓練行かないと!」
私はセリナのからかいを振り切るように、訓練室へと走り出した。
ちらりと振り返ると、セリナはまだ、笑みを浮かべたまま、じっと黒焦げの床を見つめていた。
あの「分析」するような目で。
その視線から逃げるように、私は廊下の角を曲がった。
心臓は、さっき火を吹いたせいか、それともセリナに指摘されたせいか、まだドクドクと激しく鳴り続けていた。
(第5章・完)




