第4章 「恋の予兆と、焼けたお弁当。」
じゅっ、という嫌な音と、焦げ臭い匂いで目が覚めた。
いや、違う。私、もう起きてる。
ここは学園の寮の、共同キッチン。
そして目の前にあるのは、フライパンの上で無残な黒い塊と化した「何か」だった。
――卵焼き、だったはずなのに。
「あー……」
思わず、間抜けな声が出た。
時計を見ると、朝の7時。
今日は、リオとのペア訓練が始まる前に、どうしても渡したいものがあった。
昨日、変な言い訳(足がつった)をして逃げるように別れてしまったお詫びに、お弁当でも作ろう、なんて。
柄にもないことを考えたのが、間違いだった。
――なんで。
――ただ卵を焼くだけなのに。
フライパンを握る手が、昨日、リオに掴まれた時のことを思い出してしまう。
あの、ひんやりしているのに、触れた場所から熱が移ってくるような、不思議な感覚。
それを思い出したら、指先に熱がこもって。
「……くしゅんっ」
まずい! とっさに顔をフライパンからそらした。
セーフ! 卵焼きは無事だ。
……ちらりと横を見ると、顔を向けた先のキッチンの壁が、黒く焦げていた。
――あぶなかった……。
ほっと息をつき、油断した瞬間。
ぐにゃり。
――え?
フライパンを握っていた左手の感覚が変わった。
見ると、熱がこもった私の指の力で、プラスチック製の取っ手が、ありえない形に融解して垂れ下がっている。
「あ、あ、あ……!」
慌てて手を離し、シンクにフライパンを放り投げた。
その衝撃で、無事だったはずの卵焼きはコンロに飛び散り……じゅっ、と音を立てて完全に炭になった。
――終わった。
私はキッチンのシンクに突っ伏した。
内面は絶望と自己嫌悪で荒れ狂っているのに、外面はただ、焦げた匂いの中で呆然と立ち尽くすだけ。 こんなことで火を吹くなんて。
もしこれがリオの前だったら。
――「恋愛禁止」違反、確定。
私はその炭(卵だったもの)をゴミ袋に詰めながら、重いため息をついた。
* * *
昼休み。
私は、カバンの中に隠した「炭のお弁当(予備のおにぎりだけが辛うじて無事)」の重みを感じながら、屋上に向かっていた。
リオに「お昼、屋上で」とだけ、今朝、教室で伝えてある。 (もちろん、無表情を貼り付けて)
彼が来る前に、この惨状をどうにかしないと。
お詫びのつもりが、新たな爆発(物理)の原因になるところだった。
昼休みの屋上は、生徒たちの立ち入りが許可されているエリアだ。
吹き抜ける風が少し冷たく、髪を揺らす。
空はどこまでも青く、学園都市の白い街並みが遠くまで見渡せた。
安全対策の高いフェンスが張り巡らされ、隅には風力魔力発電用の小さな風車が静かに回っている。
生徒たちの喧騒は遠く地上から聞こえ、ここだけが別世界のように静かだった。
私はフェンス際の一番奥にあるベンチに座り、恐る恐るお弁当箱(の残骸)を開けた。
「……ひどい」
無事だったはずのおにぎりまで、炭の匂いが移っている。
これを、リオに? 冗談じゃない。
――どうしよう。
――今から購買に走る?
――いや、でも、「お詫び」って言っちゃったし……。
私がカバンを盾にして、お弁当箱と格闘していると、背後で静かな足音がした。
屋上の扉が開く音。
「……ミリア」
低い声。リオだ。
心臓が、またうるさく鳴り始める。
――だめ、落ち着け。
――これは訓練じゃない。ただの昼休み。
――む、無の境地……!
私はゆっくりと振り返り、完璧な無表情を作った。
「や、やあ。待ってた」
「……何してる」
リオは相変わらずの無表情で、私がお弁当箱を隠しているカバンをじっと見つめた。
「な、何って、お昼ご飯の準備……」
「……また焦がしたのか」
――なんでわかるの!?
私の内心の絶叫とは裏腹に、リオは「当然だ」という顔をしている。
「……焦がしてない。ちょっと、その、朝、時間がなくて」
「ふーん」
リオは私の嘘をスルーすると、持っていた自分のカバンから、シンプルな二段重ねのお弁当箱を取り出した。
そして、私の隣に、少しだけ距離を空けて座る。
気まずい。
微妙な距離感。
彼は黙々と自分のお弁当箱を開けた。
その中身を見て、私は息を飲んだ。
綺麗に巻かれた卵焼き。
彩りのいい野菜のソテー。
タコさんの形をした赤いウインナー。
「……え」
「何だ」
「……あんたが、作ったの?」
「悪いか」
ドラゴン族で、無表情で、ぶっきらぼうなリオが。
こんな、完璧で、可愛らしいお弁当を……?
私の混乱をよそに、リオはもう一つの包みを開いた。
中から出てきたのは、ラップに包まれた、綺麗な三角形のおにぎり。二つ。
「……ほら」
「え?」
「お前、どうせ何も食うものないんだろ」
そう言って、おにぎりの一つを私に突き出した。
梅のふりかけが混ざった、美味しそうなおにぎり。
「で、でも……私、お詫びのつもりで……」
私が観念して、カバンの中の「炭」を見せようとすると、リオは「いらない」と手で制した。
「別に、気にしてない。それより、食え。訓練中に倒れられても面倒だ」
「……」
素直じゃない。
でも、その不器用な優しさが、胸の奥をじわりと温める。
私はおずおずと、そのおにぎりを受け取った。
――あったかい。
――まだ、ほんのり温かい。
一口食べると、絶妙な塩加減と、梅の酸味が口に広がった。
……美味しい。
「……ありがとう」
「……ん」
二人で黙々と、おにぎりを食べる。
ほのぼの、というか、なんというか。
風の音だけが、やけに大きく聞こえた。
「……ねえ、リオ」
「何だ」
「あのさ、私……最初の日に火を吹いた時、覚えてる?」
校庭での、あの火事。
聞きたかったことだった。
「ああ」
「私、あの時……火を吹いた瞬間のこと、あんまり覚えてないんだよね。カッとなって、視界が真っ白になって……気づいたら、あんたが目の前にいて」
そう。あの時の記憶は、いつも途切れている。
リオは、お茶を飲む手を止めた。
その瞳が、屋上の青い空じゃなく、もっと遠くを見ている気がした。
「……よくあることだ」
「え?」
「魔力が、感情の許容量を超えて暴走する時。リミッターが外れる瞬間だ。……そういう時、引き金になった瞬間の記憶が、一緒に燃え尽きることがある」
淡々とした口調。
でも、それはまるで、彼自身が何度も経験してきたかのような……。
――暴走時の記憶が、欠落する。
その言葉が、妙に引っかかった。
「……リオも、そういうこと、あるの?」
私がそう聞いた瞬間、リオはわずかに目を伏せた。
「……さあな」
その横顔が、一瞬だけ、すごく寂しそうに見えた。
――リオも、失くした記憶があるの?
喉まで出かかった言葉を、必死に飲み込む。
これ以上踏み込んだら、またあの時みたいに、彼が遠くへ行ってしまいそうで。
私が何も言えずにいると、リオはすぐにいつもの無表情に戻った。
「……それより、早く食え。昼休み、終わるぞ」
――あ、やっぱり。はぐらかされた。
彼はそれ以上何も言わず、タコさんウインナーを口に放り込んだ。
私も「うん」と頷き、おにぎりの残りを口に入れる。
美味しくて、温かい。
なのに、胸の奥に、小さなトゲが刺さったような、微妙な痛みが残っていた。
(第4章・完)




