第11章 「竜と少女、空を駆ける」
カイルの絶叫が、講堂に響く。
でも、私の目にはもう、彼も、崩れ落ちる瓦礫も映っていなかった。
目の前で、金色の炎が渦を巻いている。
その中心で、リオが、リオではない「何か」になっていく。
人間の輪郭が、熱で溶けるように歪んでいく。
皮膚は硬質な黄金の鱗に覆われ、背中からは巨大な翼が突き出し、天井の割れ目から差し込む月光を浴びて鈍く輝いた。
紫色の魔力の奔流に匹敵するほどの巨体。
それは、私が知っている幼なじみの姿ではなかった。
学園の地下から溢れ出す「暴走魔力」そのものに匹敵する、「暴威」の化身。
――本物の、ドラゴン。
「……リオ」
私がその名前を呼ぶと、巨大な竜が、ゆっくりと私を見下ろした。
その瞳は、燃え盛る太陽の色。
でも、その奥に、私が知っているリオの「優しさ」と、そして「苦痛」の色が見えた気がした。
グオオオオオオオッ!!
竜は、天を仰いで咆哮した。
それは、音というより「衝撃波」だった。
講堂の残っていた窓ガラスが、一斉に粉砕される。
彼は、渦巻く紫色の魔力に向き直った。
“門”から溢れ出す、学園を崩壊させようとする力。
それに対し、リオは口から金色の炎を吐き出した。
轟音。
紫と金、二つの巨大な力がぶつかり合い、講堂全体が閃光に包まれる。
「……っ!」
私は腕で顔を庇いながら、必死に彼を見つめた。
強い。
リオは、本当に強かった。
カイルの計算(人柱)を裏切り、暴走する“門”の力を、たった一人で押し返している。
でも。
――苦しそう。
彼の金色の炎が、紫色の魔力に触れるたび、リオの巨体がビクン、と痙攣しているように見えた。
あの紫の魔力は、ただの力じゃない。
リオの炎を、彼の存在そのものを、「消去」しようとしている。
委員会室でカイルが言っていた、あの「原初の炎」の力だ。
このままじゃ、ダメだ。
いくらリオでも、あのままじゃ、いつか力尽きる。
“門”を抑え込めたとしても、彼自身が消えてしまう。
「……信じられん」
後ろで、カイルが呆然と呟いていた。
「なぜだ……なぜ“門”の魔力を取り込まない……! あれでは、相殺するだけだ! 自分の魔力が尽きるまで、永遠に燃え続けるだけじゃないか……!」
――永遠に、燃え続ける。
その言葉が、私の心臓を凍らせた。
彼は、私を守るために、あの魔力を「破壊」することだけを選んだ。
自分を犠牲にして。
――まただ。
――七年前も、今も、この人は、いつもそうだ。
――私に何も言わずに、一人で全部背負って、いなくなろうとする。
ふざけないで。
「リオ!」
私は叫んだ。
瓦礫の山を駆け上がり、崩落の縁へ、さらに一歩近づく。
グウウウ……ッ
竜が、私に気づいて、威嚇するような低い唸り声を上げた。
――来るな。
その瞳が、そう言っている。
わかってる。
彼の炎は、今、暴走寸前だ。
私でさえ、触れたら一瞬で消し炭になる。
でも。
「……私、言ったよね」
私は、震える足で、さらに一歩踏み出す。
金色の炎の熱波が、私の前髪を焦がしていく。
熱い。痛い。
でも、胸の奥にある、彼を失う恐怖に比べたら、なんてことない。
「あんたの炎も、痛みも、全部受け止めるって!!」
私は、竜に向かって手を伸ばした。
あの、黄金の炎の奔流に向かって。
「ミリア! 馬鹿か! 死ぬぞ!」
カイルの悲鳴が聞こえる。
知ってる。
でも、死なない。
だって、セリナが言った。
『リオ様、ドラゴンなんだから、あんたの炎くらい平気よ』
――逆も、同じでしょ。
――私だって、あんたの炎くらい、平気だ。
指先が、金色の炎に触れた。
**ジュッ、**と音がして、皮膚が焼ける匂いがした。
「――ッ!!」
激痛。
でも、手は引かない。
グ……ルルルル……
竜が、戸惑うように動きを止めた。
まるで私をまっすぐに見つめているようだった。
私は、焼ける痛みの中で、笑った。
涙でぐちゃぐちゃだったけど、精一杯、笑った。
「……泣くな、ドラゴン」
セリナの言葉を、今度は私が彼に返す。
「笑え、ミリア……だっけ? 私、笑ってるよ」
だから、あんたも、そんな苦しそうな顔しないで。
もう、一人で戦わないで。
私は、炎に焼かれる指先に、ありったけの想いを込めた。
――好きだ、リオ。
その瞬間。
私の指先から、涙と一緒に、淡い、温かい光が溢れ出した。
バチチチッ……!
金色の炎が、私の光に触れて、その色を変えていく。
「破壊」の炎じゃない。
「消去」の炎でもない。
あの日、屋上でおにぎりをもらった時みたいな。
あの、不器用で、どうしようもなく「温かい」光に。
グオオオオオッ……!
竜が、もう一度咆哮した。
でも、今度は苦痛の叫びじゃなかった。
金色の温かい炎が、紫色の魔力を「破壊」するんじゃなく、「鎮静」させていく。
まるで、荒れ狂う子供をあやすみたいに、優しく包み込んでいく。
紫色の魔力が、急速に勢いを失い、穴の底へと吸い込まれていく。
空の歪みが消え、学園の振動が、止まった。
…嵐が、去った。
「……そんな……馬鹿な……」
カイルが、その場に膝から崩れ落ちていた。
「“門”の暴走を……鎮めた……? “愛”の感情魔力が、“原初の炎”を中和したというのか……? 私の、計算を……! 馬鹿な、こんな非合理な力に、私の数式が……!」
私は、カイルの声も聞かず、ただ、目の前の光景を見つめていた。
炎が収まり、巨大な竜の姿が、光の粒となって消えていく。
その中心から、人間の姿に戻ったリオが、ふらつきながら現れた。
制服はボロボロ。
全身、傷だらけだ。
「……リオ!」
私は、瓦礫の山を駆け下りた。
リオが、私に気づいて、倒れそうになるのを必死に堪えている。
そして、七年ぶりに見た、あの「照れくさそうな」顔で、小さく呟いた。
「……お前、本当に……無茶、しすぎだ……」
「……それは、こっちのセリフだよ、馬鹿」
私は、彼の胸に飛び込んだ。
ためらわなかった。
火傷でヒリヒリする腕で、彼のボロボロの体を、力いっぱい抱きしめた。
――ああ、温かい。
――ちゃんと、ここにいる。
もう、この手は、絶対に離さない。
(第11章・完)




