第10章 「暴走魔力、学園崩壊の夜」
走る。 息が切れて、肺が痛い。
でも、足は止めない。
ゴゴゴゴゴゴ……ッ!!
学園が、悲鳴を上げている。
床が揺れ、壁に亀裂が走り、窓ガラスが甲高い音を立てて砕け散る。
廊下の照明が明滅し、火花を散らしては闇に落ちる。
――リオ!
心の中で、何度も彼の名前を叫ぶ。
“無表情”の仮面なんて、もうとっくに剥がれ落ちていた。
恐怖と、焦りと、取り返しのつかないことをしてしまったという後悔で、顔がぐちゃぐちゃになっているのが自分でもわかる。
カイルのロジックなんて、どうでもいい。
封印がどうなってもいい。
ただ、彼が、リオが、私が突き放したせいで一人で無茶をしているのなら。
――それだけは、絶対に嫌だ。
講堂の扉を蹴破るようにして、中に飛び込んだ。
「――っ」
息を、飲んだ。
そこはもう、私が知っている講堂ではなかった。
文化祭の炎上で焼け落ちた舞台の中央から、床が巨大なクレーターのように崩落し、学園の地下深くまで続く、巨大な「穴」が口を開けていた。
まるで、古代の遺跡。
その穴の底から、委員会室でカイルが言っていた「封印」のものだろうか、禍々しい紫色の魔力が竜巻のように渦を巻き、空に歪んだオーロラを描いている。
割れた天井から、夕闇と冷たい風が吹き込み、崩れた客席の瓦礫がガラガラと音を立てて穴の底へ落ちていく。
世界の終わりのような光景。
その、崩落した穴の縁に、二人の人影があった。
「……カイル!」
一人は、カイル・ノア。
彼は、まるで指揮者のように両手を広げ、荒れ狂う紫色の魔力を恍惚と見つめていた。
制服は乱れ、眼鏡はどこかへ飛んだのか、その瞳は狂気じみた興奮に輝いている。
「ああ、素晴らしい! これだ、私が求めていた“原初の力”は!」
「あんたが、やったの……!?」
「“やった”? 人聞きの悪いことを言うな、ミリアさん」
カイルはゆっくりと振り返る。
「これは実験さ。君の炎と、ドラゴン族が揃ったことで、ようやく“門”が反応してくれたんだ」
「実験って……学園が、崩壊してる!」
「崩壊? 違うな。これは“誕生”だ。この封印を破り、魔界の力を解放する、新たな時代の!」
話が、通じない。
彼は、わかっていて、これを。
「……リオは」
私が、震える声で尋ねる。
「リオは、どこ!」
「彼か? 彼は今、“番人”としての役割を果たしに、**“中”**にいるよ」
カイルが、顎で穴の底を指した。
その、紫色の魔力の渦の中心。
そこにもう一人、人影がいた。
「――リオ!」
彼だった。
無数の魔力の鎖に縛られ、膝をつきながらも、両手で必死に魔力の奔流を抑え込もうとしている。
その体からは、おびただしい量の炎が吹き出し、紫色の魔力と激しくぶつかり合っていた。
「ミリア……っ! なんで来た! 帰れ!!」
声が、苦しそうだ。
顔を上げられないほど、必死に、一人で、あの暴走を食い止めている。
――私が、突き放したから。
――私があの日、「近づかないで」なんて言ったから。
――彼が、一人で、こんな……!
「……カイル! あんた、リオを助けて!」
「助ける? 何をだい? 彼は**“封印の番人”**だ。あれが彼の仕事だよ」
番人?
「そう。ドラゴン族(彼)は、強すぎる魔力ゆえに、この封印を守護し、同調し、抑え込むために魔界から送られた“人柱”さ。……だが、その番人が、君という“鍵”のせいで感情を乱し、封印そのものを不安定にした」
「……私が、鍵……」
「そう! そして、俺の計算通り、すべてが暴走した!」
カイルが、再び両手を天に掲げた。
紫色の魔力が、彼の呼びかけに応えるように、さらに激しく渦を巻く。
「リオ! もういい、手を離せ!」
カイルが叫ぶ。
「抑えきれないなら、お前がその身を捧げて、次の“人柱”になれ! 姿を変えて、封印そのものになるんだ!」
紫色の魔力が、リオの炎を飲み込み始めた。
彼の体が、苦痛に折れ曲がる。
「ぐ……っ、あああああああッ!!」
――姿を変える。
――人柱になる。
そんなの、ダメだ。
私から、また、彼がいなくなる。
七年前と同じように。
「ミリア……ッ!」
リオが、最後の力を振り絞るように、私を見た。
まるで『逃げろ』と訴えているようだった。
「嫌だ」
私は、一歩、崩落の縁へ踏み出した。
「嫌だ!」
もう、後悔するのは嫌だ。
カイルのロジックも、封印の危険も、もう知らない。
ただ、伝えたい。
私の、本音を。
「やめて! 一人で、勝手に決めないでよ!」
「ミリア……! 来るな!」
「行く! だって、私は……!」
涙で、視界が滲む。
でも、今度は目をそらさない。
「私は、あんたが……っ!」
叫んだ。
喉が張り裂けるほど、この世界に響くように。
「リオが、好きだ!!」
静寂。
一瞬、紫色の魔力の渦が、止まった気がした。
リオが、目を見開いて、私を見ていた。
その苦痛に歪んだ顔が、信じられない、という顔に変わる。
「……ミリア……」
「……だから、一人でなんて行かせない! 私が、あんたの**炎も、痛みも、全部、**受け止めるから!」
私がそう叫んだ瞬間、リオの体が、まばゆい金色の炎に包まれた。
「ぐ、おおおおおおおおっ!!」
紫色の魔力を、金色の炎が焼き尽くしていく。
人柱になんかならない。
彼は、立ち上がった。
その体は、もう人間のそれじゃなかった。
肩からは翼が、腕には鱗が。
彼は、私を守るために、その本来の姿を――。
「……そうか」
カイルが、つまらなそうに呟いた。
「“人柱”ではなく、“破壊者”になることを選ぶか。……愚かな。……だが、何故だ? あの女一人のために、自ら封印そのものになる道を選ぶとは! 私の計算が……!」
金色の炎が、私を優しく包み込む。
熱くない。
これは、リオの炎。
目の前で、完全な「竜」の姿になろうとする彼を見上げ、私は一歩も引かずに、ただ、その名前をもう一度、呼んだ。
(第10章・完)




