第1章 ドラゴン、転校す。
朝の空は、どこかざわめいていた。
学園都市の空はいつも青く広いのに、今日は風の流れが落ち着かない。
屋根の上を渡る風が、まるで誰かの秘密を運んでくるように、そわそわと校舎の壁を叩いていた。
私は、窓際の席でうつ伏せになりながら、ガラス越しにその空をぼんやり眺めていた。
ガラスに映るのは、寝ぐせのついた自分の髪と、うっすら赤く光る頬。
まただ。朝から少し照れただけで、体の内側が熱を持つ。
――気を抜くと、火を吹いてしまう。
そんな体質、できれば誰にも知られたくない。
「ミリア、今日の転校生の噂、聞いた?」
隣の席のセリナが、机をトントンと叩いた。淡い銀髪が光を受けて、ふわりと揺れる。
「え、転校生? 今の時期に?」
「そう。なんでも魔界から来るらしいよ。しかも“特別クラス”の推薦枠だって」
「特別クラス……?」
思わず背筋を伸ばす。そこに入る生徒は、ほとんどが上位魔族か王族級の血を引く者だ。
胸の奥が、じんと熱くなる。
魔界。
その言葉を聞くと、決まってあの顔が浮かぶ。
――黒髪に、少しだけ金の混じった瞳。
笑うとき、右の犬歯がちょっと覗く。
懐かしい。けれど、思い出したくない。
もう七年も前のことなのに、心のどこかが、まだ追いついていない。
「ミリア?」
「あ、ううん、なんでもない」
そう言ってごまかしたけれど、胸の鼓動は嘘をつけない。
まるで――何かが、近づいている気配。
午前の授業が始まる少し前、ホームルームのチャイムが鳴った。
教室の扉が、静かに開く。
そこに立っていたのは、私の記憶より少し背が高くなった少年。
制服の襟元を指でゆるく引き、無愛想な顔で教壇を見上げる。
あの横顔。
見間違えるはずがない。
「今日からこのクラスに転入する、リオ・フェルバードだ」
担任の声が遠くで響いた瞬間、私は息を飲んだ。
――リオ。
ドラゴン族の、あの子。
私の、幼なじみ。
けれど、どうして。
どうして今さら、人間界に――。
リオは軽く会釈をし、何も言わずに空いている席に向かった。
その動作が、あまりに自然で、胸が痛くなる。
七年前の最後の言葉が、脳裏に蘇った。
「もう泣くなよ、ミリア。お前は強いんだから」
その一言を残して、彼は魔界へ帰っていった。
私は泣く代わりに、火を吹いた。
――文字通り。
気づけば、指先がじりじりと熱を持っていた。
いけない。ここで燃やしたら、机ごと消し炭になる。
深呼吸、深呼吸。感情を抑えて、沈める。
でも、目の前で再会してしまったのに、どうやって落ち着けというの。
視線が交わった。
リオはわずかに目を細め、何か言いたげに唇を動かしたが、すぐに逸らした。
その無表情――それが一番、懐かしかった。
彼は昔から、気持ちを顔に出さない。
でも、私は知っている。あの瞳の奥に、いつも小さな優しさが隠れていることを。
――なのに。
再会しても、何も言ってくれない。
胸の奥がじくじくと痛んで、私は机の下で拳を握った。
* * *
放課後の校庭。
夕方の光が、芝の上に金色の影を落としていた。
魔法制御の授業の実技が終わったばかりで、私は息を切らしながら水筒の蓋を開けた。
空気は少し冷たく、遠くで鐘の音が鳴っている。
人間界の夕暮れは、いつだって静かで――
その静けさが、逆に不安を大きくする。
リオは、グラウンドの端に立っていた。
他の生徒たちが談笑している中、彼だけが少し離れた場所で空を見上げている。
夕陽の光が、黒髪を赤く染めていた。
――どうして話しかけられないんだろう。
声をかけたい。聞きたいことが山ほどあるのに。
足が一歩、前に出た瞬間。
「おい、危ない!」
リオの声が飛んだ。
気づけば、私の足元に転がる訓練用の魔力球が赤く点滅していた。
次の瞬間、爆音。
反射的に両手を掲げたが、魔力が暴走した。
――あ、やばい。
視界が真っ白になる。
胸の奥から熱が込み上げ、喉の奥で火が弾けた。
「くしゅん!」
その音と同時に、世界が真っ赤に染まる。
炎が舞い上がり、校庭の一角が一瞬で煙に包まれた。
焦げた芝生の匂い。
驚く生徒たちの叫び声。
その中心に、私はしゃがみこんでいた。
「お前……相変わらずだな」
煙の中から、呆れたような声。
リオだった。
火の粉を払いながら、私の前に立っていた。
彼の肩には小さな焦げ跡。
でも、眉一つ動かしていない。
「だ、大丈夫? やけどとか……」
「平気だ。ドラゴンの鱗は丈夫だからな」
「……なによ、それ。自慢?」
「事実だ」
そのやり取りの間にも、心臓はばくばく鳴っている。
どうしてこんなに、息が詰まるの。
懐かしいのに、距離が遠い。
話せば話すほど、胸の奥が焦げるように痛い。
沈黙。
彼の瞳が、一瞬だけ柔らかく揺れた。
その光を見て、私は無意識に笑ってしまった。
笑いながら、目尻に熱いものが滲む。
――ああ、やっぱり。
リオだ。
でも、次の瞬間。
「おい、そこ! 火災報告だ、魔法暴走検知!」
教師たちが駆け寄ってくる。
リオは小さくため息をついた。
「また面倒を起こしたな、ミリア」
「ち、違うの、私、そんなつもりじゃ――」
「言い訳は後で聞く」
そう言って、彼は手を差し伸べた。
無骨な手。
私はその手を見つめ、迷った。
掴めば、またあの頃の痛みが蘇る気がして。
でも、掴まなければ、今度こそ何かが遠ざかる気がして。
だから、震える指でそっと触れた。
その掌の温度は、不思議と優しかった。
夕陽の光が差し込み、煙の向こうでリオがわずかに笑ったように見えた。
――再会の日は、やっぱり火事から始まるらしい。
私は小さくため息をついた。
けれど、その胸の奥で、何かが確かに動き始めていた。
(第1章・完)




