第一現地人との遭遇
キャンプツールボックスを丸ごと背負って出かけるのは無理があった。
手放したくはないけれど、ダッチオーブンをはじめとした重量級の調理器具を運搬するのは、車移動が前提よね。
そこはおとなしく諦めて、サバイバルツールキットとシースナイフの他は、軽量の調理器具とバーナー、毛布に持ち物を絞る。あとは行動食に一口羊羹とチョコレート。そして水。それでもちょっとした大荷物だ。
選び抜いた荷物を背負って、マウンテンバイクを曳きながら、道に向かう。大きな道までは坂になっているし、途中で道がなくなっているから、マウンテンバイクに乗っての移動は難しい。こちらからは見下ろす形になるので道は見えているが、向こうからは木が目隠しになってプレハブは見えなさそうだ。
ちゃんと目印をつけて移動しないと、帰る時に迷子になるかもしれない。
目指す道は見えていたから、単純に真っ直ぐ降りればいいかと思っていたが、通れそうな箇所は入り組んでいて、崖があったり、藪があったりで、そう簡単でもないらしい。こうなると移動手段のはずのマウンテンバイクも追加のお荷物だった。
うっかり戻れる道を見失いかけたのに焦り、行きつ戻りつを繰り返してしばらく、昨日までと変わらない道に入る境界あたりで、男性が立ち尽くしているのを見つけた。
「……あの、何か御用ですか?」
どこか悄然とした様子に、恐る恐る声をかけてみる。
ついでに服装を軽くチェック。やはりここは異世界なのか、男性は、煮染めたような色合いで固そうな生地の上下に、革製の軽鎧を身につけている。腰に剣があるから、戦闘職の人間が剣を使う世界なのは確定した。自然に汚れ、やや着潰している感があるから、コスプレをしている線は無しだ。
顔立ちもモンゴロイドではなさそう。だからと言って何人かというと判別に困る。ほら、日本人にも平井堅とか名倉潤とか阿部寛とか北村一輝がいるわけだし。何人だかはわからないが、短く刈った焦茶の髪とグリーンの目をした、適度に親しみを持てる感じの青年だ。おそらく生活環境が違うから分かりづらいが、多分年下。今は下がり気味だが、意志の強そうなキリリとした眉は、イケメンと表現するより、古風に男建が良い、と表現したくなる。
「あ、あぁ……つかぬ事を聞くがこちらにあった屋敷をご存じないだろうか」
「屋敷……?」
言葉は通じたけど、言っていることがおかしい。この先にはわたしのプレハブちゃんがあるが、間違っても屋敷と呼べるような佇まいではない。ここが中世くらいの文明感だったとしても、プレハブに与えられる名称は、せいぜい小屋だろう。
「その、この周辺にお屋敷なんてあるんですか? わたしも最近ここにきたばかりではありますが、見かけたことがないのだけど」
青年はわたしの言葉に、くしゃりと顔を歪めると、自分の顔を掴むように覆い、深々と溜息をついた。
「あのバカ……とうとうやりやがった」
「あのバカ……?」
唐突に匂わされた第三者の存在に首を傾げていると、青年は顔を上げた。
「あなたは、もしかすると異世界からいらした方でしょうか。その原因についてご説明できるかもしれません」
「は、はぁ……そのあたりはわたしも気になっていたのでご説明いただけるなら助かります」
プレハブの敷地に入るように促すと、青年は意を決した様子で踏み出し、プレハブが見えたあたりで足を止めた。
「貴族の野営地……?」
「そう言われると、貴族なんだか兵士なんだか微妙な感じですね」
ちゃんとした家とは言い難いけど、この敷地にはプレハブの他に、大きな物置とトイレ、車2台置けるガレージ、張ったままにしているタープがある。タープの下にグリルテーブルと椅子を二脚置いておいたら、ちょっとした四阿っぽくて気に入っているのだ。
貴族の野営地とは、言いえて妙だった。
「どうぞ、こちらにお掛けください」
さすがに入ってすぐに寝具があるプレハブに、見知らぬ若い男性を招き入れる気にはならず、グリルテーブルに案内する。
「長い話になりそうなので、コーヒー淹れますね」
「こぉひぃ……」
「あ、こちらにコーヒーはない感じです? 試してみて口に合わなければお茶もありますから、気軽に言ってくださいね」
パーコレーターに水を入れて持ってくると、背負っていたナップザックから小型バーナーを取り出し、グリルテーブルに置く。
パーコレーターを使うのは初めてだから、ちょっと楽しみだ。
コーヒーミルに入れるため、未開封のパックを開けるとすごくいい香りがする。
「はぁー、いい香り」
量り入れた豆を手動で挽くのは結構力がいる。
ガリゴリガリゴリ奮闘していると、青年が落ち着かない様子で声をかけてきた。
「その……失礼だが、ご主人はどちらにいらっしゃるのだろうか」
「わたしは独身ですけど」
一瞬ムッとして言い返すと、青年は慌てた様子でワタワタと手を動かした。
「い、いや、違くて……あなたの伴侶について問うたのではなく、その、話をするなら、この野営地の主にもした方がよかろうと。他にも説明が必要な方がいればいっぺんに済ませてしまった方が、改めてあなたから説明する手間も省けるだろうから」
「主……? しいて言うなら、わたしですね。こちらに来たのはわたし一人です」
青年はギョッと目を剥くと、さっと椅子から降りて跪く。
「あ、あの……」
「申し訳ございません。あまりにも手際よくお茶の準備をなさっていたので……使用人もお連れになれなかったとは」
「ちょっ、ちょっと待ってください。そもそも使用人とかいませんから。ていうか、跪かれるとか落ち着かないので座ってもらっていいですか?」
「は、はぁ……そうおっしゃるなら」
思わず抱きしめてしまったコーヒーミルをテーブルに据えなおし、黙々と挽いて、パーコレーターのバスケットに粉を移し、ケトルにセットする。
なんだか空気が重くて気まずい。
コポコポと静かな音を立てて湯が沸きあがるのを眺める向こうで、青年は難しい顔をしたまま黙っている。
「……ここではない、どこかに行きたい。それがアイツ……ルディ、ルディアーナの口癖でした」
いい感じの色になったところで、マグカップにコーヒーを注ぎわけて置くと、彼はボソリと呟いた。まるで刑事ドラマで自供する犯人みたいだ。
青年はマグカップに顔を寄せて、寂しげに微笑む。
「あぁ、本当にいい香りだ。こんな茶は初めてだ。アイツはこのようなものがある世界に行ったのだな」
「不躾なことを聞くようですが、そのルディアーナさんはあなたの恋人だったのかしら」
恋人を置き去りに異世界に行くとか、かなりヤベーやつなのでは。青年に同情しかけていたけど、本人は心底何を言われているのかわからない、というキョトン顔で答えた。
「……いや? 身分が違いすぎるから、お互いそういった対象とは考えたこともないな」
違うんかーい!
身分が違う、ということは公的な階級が存在する世界のようだ。ってことは、うかつなことをやらかすと「不敬罪!」なんて、頭と体がさようならすることもあったり?
うっわ、偉い人には近寄らないでおこう。
「では、恋人でもない方のために、わざわざこんな山奥へ?」
「山奥? 最寄りの町からここへは20分も歩けばつくのだが」
「え、そんなに近いの!?」
元からあった道を外れると周囲に道らしい道はなくて、それで遠くに見えている道を目標にしたのだけど、方向が違ったらしい。さっきまでうろついていた苦労は一体……。
すぐに表情を戻したけど、コーヒーを啜った青年は微かに唇を歪めた。苦かったんだね。
「コーヒーに砂糖とミルクを入れますか?」
スティックタイプの砂糖とパウダーミルクを勧めると、青年は差し出した手に視線を落とし、それから途方にくれた様子でわたしを見た。
「砂糖とミルク……?」
「お好みで使ってください」
わたしも味を確かめてから、砂糖を二本、ミルクを一本入れる。
普段はブラックで飲むけど、パーコレーターで淹れたコーヒーはオイル感と癖が強くて、わたしでもミルクが欲しくなるヤツ。淹れ方かなぁ? ざらつきもあって、少々飲みにくい。要練習かもしれない。初めてのお客様に出すものではなかったね。それにこの豆なら、ドリップで淹れた方がわたしの好みかもしれない。いつまで豆とか淹れ方にこだわっていられるかわからないけどね。
ずっとカフェイン中毒かというほど、毎日コーヒーを欠かさなかったのに、ここにコーヒーがないってことは近いうちに飲めなくなるんだな。そう考えると惜しい気もするけど、コーヒーなんてすぐ香りが飛んじゃうし、保管環境も不安だし、美味しいうちにせっせと飲まなきゃ。
青年はわたしと同じように砂糖を二本投入した後、パウダーミルクのスティックを持って固まっている。
「どうしました?」
「開け方がわからない」
紙製の砂糖は折れば使えたけど、材質が違うミルクは開けられなかったらしい。
「貸してください」
「あ、あぁ。すまない」
端を千切ってから改めて渡してあげると、青年は親指の付け根に少し粉を落として、マジマジと観察してからおもむろに舐めた。
「……! 本当にミルクだ!」
衝撃を受けた顔でコーヒーに混ぜ、一口飲んでまた衝撃を受けている。
「う、美味い! あんなに苦かったのに、粉のミルクと砂糖を入れたらいい香りで美味い! 甘くて美味い!」
可愛いな、この人。
最初に受けた印象から、年齢を下げた方がいいかもしれない。下手したら十代とかありうるぞ。
自分でもコーヒーを飲みながらホッコリしていると、青年はハッとして咳払いをしてから姿勢を正した。
「改めて。俺はここから一番近い町、フィーダで兵士をしているブレッドです。ここに住んでいたルディアーナとは幼馴染みたいなもので、領主様のご指示もあってちょくちょく様子を見に来ていました」
「領主様のご指示」
「ルディアーナは、一応領主様のご令嬢なので」
一応って何だ。
そっか。
この地に住んでいたのは領主の娘で、だからお屋敷なんてものが建っていたんだ。
そこへ、入れ替わりにわたしが来た、と。
「ルディアーナは色々あって……それで、人里離れたところで暮らしたいと言い出して、ここに屋敷を構えたんですが、おかしな研究に傾倒していたみたいで……」
「それで、わたしとルディアーナさんが入れ替わった」
「おそらくは」
ブレッドはコーヒーを一口飲んでは、名残惜しそうにカップの中を見ている。
いくらでもお代わりしていいよ、と言いたくなるけど、初めてコーヒーを飲む人にあんまり飲ませても、カフェインが怖い。
「人里離れた、と言っても、町から大して離れているわけでもないし、ご領主様がお住いの領都までも半日も馬車を走らせればつきます。しばらく放っておけば頭も冷えるだろうと自由にさせていたようなのですが」
「その結果が、わたし?」
「はい」
重々しくブレッドが頷く。
「多分あいつも、あなたを巻き込むつもりはなかった……とは思います。聞いても無学な俺にはさっぱりわからなかったのですが、転移には釣り合いが大事だ、みたいなことは聞かされていました。何らかの形であなたのいた世界と、ここにあった屋敷が釣り合ってしまった結果、入れ替わった……のではないでしょうか」
「……それで、元に戻せると思います? できれば早急に」
大事なのはそこだ。
どんな理論かはわたしも聞いてもわからなそうだし、どうでもいい。
わたしにとって大事なのは、元の世界にわたしが戻れるかどうかの一点だけ。いくら備蓄があったところで、補給が心許ないし、生鮮食品とかも欲しいし、早く帰りたい。
世間から離れて引きこもるつもりだったけど、いざ切り離されたとなると戻りたくて仕方がない。この現象が偶然じゃなく、人為的に起こされたものなら、戻すことだって出来るんじゃないの?
わたしの問いかけに、ブレッドは申し訳なさそうな顔を取り繕わず首を振った。
「アイツは……不世出の天才、と言われていたそうです。本当か嘘かは知りませんが、世の才能ある学者がいくら悔しがったところで、自分の理論に追いつくには百年も二百年もかかるだろう、と、いつも嘯いていました。それが本当なら、いや大げさに言っていたとしても、屋敷一つ転移させるような大魔術、よほどの大魔術家を呼ぶことができたとしても、できるのかどうか……」
「ですよねー」
……詰んだ。
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