わたしの全財産
「おけ、まずは落ち着こう」
ゆっくりと大きく深呼吸をしてから、わたしはまずプレハブの周辺を調べた。
ラノベでよくある異世界転移だけど、ここが異世界で、わたしが召喚されたのであれば、何らかの痕跡が残ってないか、あるいは現地人、もしくは超常存在からのコンタクトがあるんじゃないかと思ったからだ。
なかったね!
周囲をぐるっと回ってみても、謎の存在から手紙などのメッセージが残されてるなんてこともなく、魔法陣の痕跡が、なんてこともなかった。いや、残っていたものが、わたしでは感知出来なかった可能性はなくもないけど。
周辺は昨日と変わらないままで、ただある一定の境界から昨日とは違う様子になっている。植物には詳しくないし、記憶力にも自信がないから、絶対違うとは言い切れないけど、こう、なんとなく昨日までと生えている草が違うような、そんな感じ。
ある程度手を入れた範囲を区切りとしているのか、本来なら公道に向かう道の中途までが記憶のままで、両サイドは見たことのない木が生えている。その先からコンクリートで舗装されているはずの道は途切れ、彼方に土が剥き出しの道らしきものがみえた。ハリウッド映画で4WDが走る遠景に出てきそうな風景だった。
道があるということは文明社会がある可能性は高い。でも舗装技術がないのか、あるいはそういった恩恵が遠い地にいるだけなのかは、今のところわからない。
元のまま――便宜的に前の世界を元としておこう――なのは、所有権がある土地をベースにある程度手が入っている区画に限られるようだ。所有地はもっと広かったはずだが、裏庭を区切るひょいと乗り越えられる程度の土留めを境に謎の草が生えている。葉っぱの付け根から、やたらに長い蔓がビヨンと伸びてコイル状になってる草とか、わたし知らない。
さらにここが異界であると認識させられるのは、その向こう。ごく普通の木々があったところに、ズドーンと樹齢何百年なのかと聞きたくなるような大樹が鎮座ましましている。
他の木や草は気のせいだと自分をごまかせるかもしれないけど、この大木だけは絶対になかったと断言できる。
というか、奥多摩にこんな大木が生えてるなんて話は聞いたことがない。
確かに奥多摩は巨樹・巨木が世界的に有名ではあるけども、それらが生えてるのはうちの裏庭なんかじゃなかったし、もっと言えば、さすがに某ジ〇リ映画に出てくるような人知を超えた大木じゃなかったはずだ。
「はー、わっかんない。なんもわかんないことだけは、ひとまずわかった。……ってことで、とりまお茶でも飲んで考えよ」
わたしはプレハブに戻ると、やかんに水を入れて火にかけた。
「……ん、待てよ。ここが異世界だとすると、水とか食糧とか、手に入れる方法考えなきゃまずいか」
会社を辞めてだいぶヒャッハーしてた自覚はある。
あれもこれもと思いつくかぎり買い込んで、このプレハブや物置にしこたま消耗品は詰め込んだ。しかもこれまでには手を出さなかったような、ちょっとお高級なラインで。
人里離れて山ごもりをするのよー、なんてテンションだったから、食料品は保存性の高いものが中心、一部手芸用品も買い込んできた。わたしの中の小学生女児がね「晴れた日にはお散歩してー、雨の日には手芸なんて素敵じゃない?」なんて囁いてきてしまったのだ。あと、なぜか彫刻刀なんてものも揃えてしまった。ほら、山籠もりって雨の日には仏像彫ってるイメージない……?
それでも、陶芸キットを買わなかっただけ正気を保っていたと思う。代わりに七宝焼きキットは買い込んでしまったけど。だって、カセットコンロでもできるっていうから。プレハブちゃんの敷地に陶芸窯はなかったけど、カセットコンロでできるんならやってみてもいいかな、って。シルバークレイと悩んだんだけど。こんなことになるなら両方買っておけばよかっただろうか。
なんにせよ、ここが異世界であるというのならば、プレハブにあるものがわたしの全財産になるだろう。もし、なんらかの収入を得る手段を見つけたとしても、ここにあるものは今ある分だけだ。
「く……こんなことなら、遺産使い切れば良かった」
来た時と同じくらい予兆もなく奥多摩に戻る可能性もなくはないけど、もし戻れなかったとしたら、アレもこれもと悩んで買うのを見送った物たちに未練が残る。
いっそ遺産を使い切るくらいに買い溜めしておけば、もう少し心の安寧が得られたかもしれない。
そうよ。窯がないなんて言わずに、ないのなら作ってしまえば良かった。そうすれば陶芸だってできたのに。
なくなったら車を出せばいいと自分に言い聞かせたりしないで、備蓄だってもっと買い込んでおけば……。
「ここって日本円使える場所かしら……」
そもそもどこまで行けば買い物ができるかもわからない。
見える範囲には道以外の生活を感じさせる建造物はなかった。
「あ、お湯沸いた」
沸かしたお湯は温めついでに茶碗に移して冷まし、じっくりゆっくりお茶を淹れる。
このお茶は浅蒸しだけど良いヤツだから、一煎めは低い温度で甘味を引き出してやるのがいい。玉露よりキリッとした渋みがあるところがわたしの好み。色味も鮮やかな黄緑色なのが爽やかだ。
「はぁー、美味しい」
封を切った日本茶は風味が早く落ちるから、美味しいうちに飲まなくちゃ。まだ未開封のパックもあるけど、はたしてどのくらい持つのやら。
このプレハブにある食料品は、一人で普通に食べるだけなら、かなりの期間籠城できるくらいにある。カップ麺だけでも総計180個。正直買い過ぎた。
備蓄をもっと買い込んでおけば良かったと後悔はしているものの、いくら買い置きがあったところで、食品には賞味期限があり、その他のモノにも品質保持期間というものがある。量だけは充分以上にあるが、買い過ぎたカップ麺がいずれ酸化して味を落とすのが明らかであるのと同じように、ちまちませせこましく使い渋っていれば、使う前にダメにしてしまうかもしれない。
限りある物資の節約・節制は必要だろう。特にガスや電気がいつまで持つかは不安だ。でも、使わないという選択肢もない。
水源は幸い裏庭のすぐ近くに湧水があったからなんとかなりそうだ。チョロチョロとした水流だが、汲み上げれば使用できるだろう。
「問題はトイレよね」
元あったトイレは、よく建設現場に置かれている簡易な仮設トイレで、使用状況がわからないため撤去した。
今あるのは水もごく少量で済む、最新式バイオトイレだ。木質材を入れておけば、排泄物の匂いを抑え分解処理して堆肥にする優れ物だが、その代わり使用できる洗剤に制限があるし、メンテナンスの手間がかかる。
庭先で悪臭がするのも嫌だったので、トイレはなるべく出先で済ませていたが、これからは本格的に運用も考えなければならない。今までは食事もほとんど食べ歩きをしていたけど、調理の際に出る廃棄物処理も問題だ。
……一応畑らしきものはあるけど、自分の排泄物で口に入るものを育てるのは微妙だな。そのあたりはおいおい考えよう。
二煎目のお茶は高めの温度で淹れて、日本茶らしい渋みと苦味を味わう。
よし、この苦さで頭がしゃっきりした。
軽くおなかに何か入れてから、行動を開始しよう。
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