これがメイドの力……!?
わたしが売るために持ってきたのは、昨日作った七宝焼のペンダントトップだ。
絵描きの本領を発揮して、色使いと構図にこだわった意欲作。
モチーフは『明るい未来』の花言葉を持つストレリチアで、鮮やかなオレンジと青が天然石にはない輝きを放っている。
花にも花言葉に詳しいわけじゃないけど、直近の案件で描いていたから印象に残っていた。他には『全てを手に入れる』なんていう強烈な花言葉もあって、直線的で凛とした姿は、なんだか自信に満ち溢れた生命力を感じさせる花だ。
こちらに来てから売り物にできる作品はコレだけなので、まぁ嘘はついていない。
「素晴らしいアクセサリーですね。こちらはどのような……」
「祖母がわたしにと遺したもので……」
「失礼ですがおばあさまは?」
「最近亡くなったばかりです」
「そうでしたか」
祖母がわたしにと遺した遺産で購入したキットで作ったのだから、これまた嘘ではない。
ただ少しばかり言葉を省いただけのことだ。
「こちら、大変には素晴らしい品ですが、手放してしまってよろしいのですか?」
「今のわたしには、どこにつけていく場もございませんし、活計を立てる助けとなるなら、これほど相応しい使い道もないでしょう」
「……さようでございますか。手放すならどちらがよいか、明日までにお調べしておきます」
「明日?」
思いがけない言葉にわたしは身を固くする。
「はい。本日は当家にてご逗留いただき、明日、当家主人にお会いになる時間をお取りいたします。どうか今晩はごゆっくりお過ごしください」
やられたー!
いや、誰もやってないんだけど、わたしの気分はそんな感じ。
移動に半日かかる以上、いつ領主に会うにしろ、泊まりがけになるのはわかっていたはずだ。だからブレッドもわざわざ説明しなかったのだろう。でも、わたしは泊まりがけになるなんて思ってなかったから、何の準備もしてこなかった。
大丈夫だとは思うけど、クーラーボックスの氷を取り換えなくて平気かな。使いかけの玉ねぎだって今晩にも火を通して食べてしまうつもりだったのに。何よりお泊まりセットを何も持ってきていない。道中ですらメイクキットを持ってこなかったのを後悔していたのに、このままじゃ着の身着のまま、ヨレヨレのメイクで領主に謁見することになるじゃないか。メイク落としだってない。
わー、失敗した。
やっちまったよ、おい。
その後、おむすびは朝調理して昼食として売るつもりであること、持参したものを調べるにしても朝調理したものなので早めにしてほしいこと。それから、缶ビールとウィスキーの開け方を伝えて、今日泊まる部屋に案内された。ブレッドは使用人部屋に泊まるそうだ。
「わたくし、当家にてメイド頭を拝命しております、ハニングと申します。本日、お客様のお世話はこの者が行います。何か不都合がございましたら、わたくしにお声掛け下さい」
「本日お客様のお世話を仰せつかりました、ラウムと申します。よろしくお願いいたします」
濃い青紫の髪をしたラウムは、わたしの目にはまだ少女に見える。
「こんな歳から働くんだ……」
「何かご不快でしたでしょうか」
「あ、いえいえ。わたしがこのぐらいの歳の時は遊んでるだけだったな、って」
「これでもこのお屋敷には長く勤めております。安心してお任せください」
ラウムは張り切った様子で、バスルームとお手洗い、ベッドルームを案内してくれた。
バスルームがあるんだ。
それならお風呂に入れるかな。
いやね、もう丸三日お風呂に入れてないの、キツくなってきてた。髪は脂っこくなってる気がするし、一応毎日洗ってるはずの顔も、なんとなく皮脂が溜まってる気がする。自分の匂いが気になり始めていた。
こまめに体は拭いてたし、おばあちゃんの遺産にドライシャンプーなんかの衛生ケア用品が少しあったから、一昨日から使ってるんだけどね。
拭く洗浄剤はすごいね。シャンプーなんか最初から使いやすいように手袋型だったりするし、大判のウェットティッシュは丈夫で全身拭けていちいち洗ったり絞ったりしなくてよくて便利だ。でも、やっぱり気持ち的にも、お湯で洗い流したい。お偉い方に会うんだからと昨日は虎の子のシャンプーで髪を洗って、それだけでもかなりスッキリしたんだけど、出来れば湯船に浸かりたい。
大型案件の時に、一週間くらい家に帰れずお風呂にも入れなかったことがあるけど、そこまでいくと、生きてるのに腐っていく感があるというか、自分の体がネトついてる気がして、気持ち悪かった。電車に乗る前に申し訳ない気持ちになりながら銭湯に行って、身体中洗い倒して、やっと息ができる気がしたもの。
毎日お風呂に入れなくても平気な気がしていたけど、それは温泉やら銭湯やらに気軽に行ける環境と経済状況にあるからだった。今考えると風呂無しプレハブに移り住もうなんて信じられない。
お風呂、いるよ。
絶対必要。
食べ物を扱うつもりなんだし、なんとかプレハブでもお風呂に入れる算段をつけたいな。何でか知らないけど衛生ケアの便利用品はあんまりなかったから、すぐになくなってしまいそう。温泉巡りのためにわたしが持っていた携帯サイズのシャンプーとリンスは本当に少ししかないけど、石鹸や重曹は数があったから、お風呂に入れるならそちらを使えるしその方がいい。石鹸と重曹で髪を洗うと傷むだろうな。ヘアオイルがすぐになくなりそう。なくなったら代わりにオリーブオイルは使えるかな。それともおばあちゃんが遺したワセリンの方がいいんだろうか。
「では、お茶になさる前にお召し替えになりますか? お召し替えになられるのでしたら当家でご用意しているクローゼットをご案内致します」
「晩餐にご招待いただいているのなら着替えも必要かもしれないけど、まずは落ち着いてお茶にしたいわ。お願いできて?」
「はい、かしこまりました」
メイドちゃんの勢いに圧倒されて、よくってよ、みたいなお嬢様ムーヴをしてしまった。ゴッコじゃないけど、ラウムのメイド仕草にちゃんと付き合ってあげなきゃいけない気にさせられたんだもの。
グイグイ来られたけど、初めての馬車で結構疲れているし、クローゼット探訪に付き合えないのは勘弁してほしい。疲れていなければ、さっそくお風呂に入りたいところだけど、もう少し身体を休ませたい。
「お部屋にお茶のご用意をさせていただきますね」
ドヤ顔で茶器を運んできたラウムの後ろには、ぞろぞろ皿やら何やらを持った使用人たちがいて、入れ替わり立ち替わりテーブルセッティングをしてくれる。
ティートローリーとかないんだ。それとも人件費の方が安いとかだろうか。
持ってきた中にサモワールみたいな、金属製の卓上給水機みたいなものがあった。二段重ねになっていて、上にだけ蛇口がついた変な構造だ。
「お湯が沸くまで少々お待ちください」
「これは魔道具ですか」
「はい、お茶の為の魔道具でございます」
やたらと華美なそれは携帯バーナーみたいなモノだった。観察したら大体構造は理解できた。お揃いの意匠になってるから一体化して見えたけど、上側はただのケトルだわ。
わかってしまえば何ということもなく、興味をテーブルに移す。ティーセットも金属製なのは、磁器がまだ発達していないからか、わたしに相応しい格の食器が金属製なのか。食卓が銀一色だと、給食思い出すわ。素材は全然違うけど。
お茶というからお茶とお茶菓子、よくてアフタヌーンティーみたいなのを想像してたけど、どう見ても皿数的に夕飯だ。
お茶はお茶でも夕飯を兼ねたお茶、ハイティーか。
なら、時間的にコレから晩餐に呼ばれることはないな。
安心して食事させてもらおう。
マナーには自信がないから、少しホッとしつつ淹れてもらったお茶を飲む。
「ん……?」
「いかがなさいましたか?」
「いえ、美味しいお茶ね」
銀色の茶器の中で、明るい黄緑がかった茶色に見えるお茶は烏龍茶っぽい味がした。苦みも渋みもやや強いが悪くない。お茶、紅茶じゃないんだ。
「良かったです。そちらスルーサイズ様のお母様からお送りいただいたお茶なんです」
「スルーサイズ様?」
「当家のご次男様です」
この家の家族構成とか、ほとんど聞いてないから、ご次男と言われても、ルディアーナには兄弟が二人以上いるんだな、以外の感想はないわけだが。
食事は手づかみではないらしく、フォークとスプーンが添えられていた。ナイフはなし。正式な晩餐ではないからかもしれないけど、使い分ける必要がないのはありがたい。
しかし、肉と魚以外は切り刻まれていて正体不明だ。例えて言うなら、皿数が多い離乳食。さらにそれに丸パンがつく。肉の下にも薄焼きパンみたいなのが敷いてあるのはトランショワールってヤツかしら。パンごと皿に乗ってるけどな。
わたしにはどれがスープでどれがペーストで、どれがポリッジでどれがパテなのか区別がつかないぜ。
仕方がないから、片っ端からスプーンですくって食べる。インド料理屋でターリーをナンもご飯もなしに食べてるような気分だ。塩気と香辛料が効いた離乳食は、頑張って思い込めばインドカレーに似てなくもない。
お肉と魚には、果物を煮て潰したソースがかかっている。もう少し頑張ればウスターソースに届きそうなのに、ウスターソースがパレードの向こうで手を振っている。そんな距離感の味がするソースだ。
塩味をつけて焼いてあるお肉は美味しかったが、魚の方はどんな調理がされたのだか、乾かしながら極限まで水分を振り絞ったみたいな食感で、文字通り口の中で解れるのを噛み締めるというコレまでにない体験をした。強いて言えばおつまみかわはぎをしばらく噛んだ後に口から出して果物ソースを掛けたような食べ物だった。
パンはほんのり酸味があり、みっしりと重いタイプのパンで、不味くはないが、このパンが続くと日本のパンが恋しくなりそうな気がした。
お茶と言いつつ、選べたエールとワインは、エールの方は薄くベタついた甘さがあり炭酸が弱く、ワインは味も見た目も濁っていて渋みと酸味が強かったので、お茶の方が断然わたしの口には合った。
振り返ってみれば、全体にまずくはないが……まずくはないがうまくもない、が大半を占める様な食事だった。
なるほど、コレが貴族の食事。
わたしが商売にするつもりのおむすびとは、かなりジャンルが違う。
手のかかり方から見て、庶民の食事とはかけ離れていそうだから、やっぱり庶民の食事のリサーチは必要だよね。
ファンタジーの定番、屋台の串焼き肉は是非とも食べてみたいし。
「お茶の後はお風呂に入られますか?」
「ええ、嬉しいわ。準備をお願いしてもよくって?」
「はい、お任せ下さい!」
ラウムはわたしの似非お嬢様ムーヴがツボったらしく、嬉々として仕事をしてくれる。
一所懸命で可愛い子だな。
入浴後はすぐに休みたいというと、寝間着を用意してくれた。寝間着はやっぱりワンピースみたいなネグリジェでしたとも。ネグリジェにズロースに三角のナイトキャップって『ぼくのそうぞうする貴族〜おやすみなさいママ〜』って感じ。
これ、お召し替えを了承してたら、コルセット締められたパターンだな。
「あなたのお仕事見ていてもいい?」
「は、はい! どうぞご覧になってください」
お風呂をどうやって入れるのか気になって声を掛けたら、ピョンと飛び上がるほど驚かれてしまった。
「驚かすつもりはなかったのよ。ごめんなさい」
「いえ。わたしこそ失礼いたしました」
湯船の横には、案内された時にはなかった小さな滑り台のようなものが置かれ、その天辺から湧き出す水が湯船の中に注がれている。
「水張りの魔道具です」
「そんな便利なものがあるんですね」
「水が溜まってきたら、温熱の魔道具を入れて温度を確認しながら温めます」
見せてもらった魔道具は手裏剣に紐をつけたみたいな形をしている。水につけるとクルクル回るので、それで均一に水が温まるんだろう。
「最初からお湯が出れば便利なのに」
思わず呟くと、ラウムは笑った。
「そんなに便利な道具が出たら、わたしたちの仕事が楽になりますね」
「そうかな。そこまで変わらないんじゃないかしら」
「温熱の魔道具は、いい温度になるまで動けないから退屈なんですよ。火の素養の魔力は目を離すと危ないですからね」
「ずっと持ってなくてはいけないの?」
「ええ、事故が起きないように、使うものが魔力を注ぎ続けないと動かないように設計されているそうですよ」
「人間が安全装置なのかー」
水が溜まるにもそこそこかかるし、入浴量のお湯が温まるには、結構な時間がいるらしい。給湯器だって十分くらい待つもんな。
クルクル回るものってついじっと見ちゃうよね。
「ラウムはいくつ?」
「今年で13になります」
少女だと思ったら13歳か。まだこどもだわ。13歳のこどもが働く世界なんだな。
「いくつから働いてるの?」
「6歳からこちらのお屋敷にお世話になっていますから、その頃からでしょうか。ハニング様のご厚意でお口添えいただけて。おかげでご信頼を賜り、お客様の対応も任せていただけるようになりました」
えへん、と自慢げなラウムはとても可愛い。
「使うのに魔力を注ぎ続けないといけないなんて、かなり魔力が必要そうね」
「母は平民だったのですが、父は元伯爵家子息だったらしくて、おかげ様でパーラーメイドが務まるくらいには魔力があるんです」
おっと、元伯爵家子息とはワケありそうなワードが出てきたぞ。この世界、どこに地雷があるかわからなくて怖いな。
「ごめんなさい、聞いてはいけないことだったかしら」
「いいえ。伯爵家でも三男ともなれば、当家のような立派な家で家令を務められるなんて滅多にないことだそうですし、そんなお貴族様にこどもができたからって平民が結婚してもらえると思っていた母が愚かだったんです」
おぉおおお、地獄を深掘りしてしまった。
聞いたわたしの方はこんなに気まずい思いをしているのに、話しているラウムの方はケロっとした顔をしている。
「あれ、家令というと、ラウムのお父さんて……」
「はい、ダスティロー様です。ダスティロー様の奥様であるハニング様に母が散々ご迷惑をお掛けしたらしいのに、わたしのことを屋敷に引き取るように言って下さったばかりか、仕事の面倒も見てくださって……烏滸がましくはありますが、いつかハニング様のような立派な使用人になりたいんです」
聞けば聞くほど深まっていく地獄よ……。
内容はどう考えてもドロドロしていそうなのに、ラウムの表情はキラキラしていて、ギャップでグッピーが死にそう。
「真面目にお仕事に勤めていた甲斐あって、スルーサイズ様の閨教育係の候補に入れていただいているんです。ハニング様もアトキンス様の最初のお相手を務められたそうですから、わたしも頑張らなくちゃ」
あっけらかんと話してるけど、閨教育係のってあっちの話だよね……?
頑張るって何を頑張るの。
そしてアトキンスって、確かこの家のご当主様のお名前だったよね。主人の筆下ろし相手を寝取るとか、ドロドロにもほどがあるだろ、おい。
「……スルーサイズ様っておいくつなの?」
「10歳です。年齢もあるでしょうが、とても愛らしい方なのですよ。わたしが最初に閨のお相手を務められるようでしたら、きちんとお導きできるように今から勉強しているんです」
幼い無垢な少女を年頃の息子にあてがって、なんて話ではなさそうだからまぁいいか……いいのか?
勉強って何をしてるのか、聞きたいけど聞きたくない。なんでもないどころか、閨教育係の候補に入っているのが誇らしいと言わんばかりの口ぶりに、わたしが口を出すことではないんだろうな、と徒労感を覚える。
文字通り世界が違うんだから、自分の常識で考えるのはやめよう。
時々地雷にぶち当たりつつの会話で、スルーサイズだけが他の兄弟と母が違い、他の兄弟とは年も離れているのだと聞いた。スルーサイズの母は実家に戻って再婚しているとか、なんだその修羅の家。
スルーサイズの母も元メイドなんだって。でも、ラウムの母とは身分が違うらしいよ。スルーサイズの母は元パーラーメイド、ラウムの母は元ランドリーメイド。基本的に貴族令嬢がなるパーラーメイドと平民でもなれるランドリーメイドには明確な差があるそうな。わたしはメイドに詳しくないから、あっちの世界と違いがあるのかはわからない。就業には魔力も関係があって大変そうだ。
ルディアーナ様、17歳か。そしてブレッドも同じ歳か。
十代の可能性は考えなくもなかったけど、本当に十代だったとは。
お酒勧めちゃったよ。
この世界では問題ないんだろうけど、今後は控えよう。
そうこうするうちにお湯も溜まり、いざ入浴。
当然の如く脱がせてもらって湯船の中で身体を洗われるスタイルに、一般的日本人のわたしは腰が引けたものの、覚悟を決めて湯船に浸かる。
「香油お塗りしますね」
上を向いたわたしの顔にそっと香油を乗せたラウムは「ひぇっ」と小さく声を上げた。
「あ、あの……顔に何かお塗りになっていましたか?」
「メイクをしていたのよ。しっかり洗い落としたいのだけど、お願いできる?」
「ああ。メイクでしたか。リサ様はとても自然なお顔色をなさっていたので、お化粧はなさっていないものだとばかり。では一度拭き取ってから改めて香油をお塗りするのが良さそうですね」
ラウムはくるくるくるっと油を塗り広げてから拭き取り、改めて香油を塗ってくれた。耳の裏とか、後ろ首の生え際、デコルテにまで塗られて、え、そんなところにまで塗るの!? って感じ。
「まつ毛にもお色を乗せておられたのですね。たくさんまつ毛が抜けたかと驚いてしまいました」
恥ずかしそうにラウムが教えてくれる。
香油でメイク落としって、ちゃんと落ちるのか不安だし、毛穴が詰まりそうで不安だ。でも、メイクを落とさずにいるのと、お風呂に入れないのを比べたら、どっちがマシなんだろう。そういえば、こっちにきてから、スキンケアは朝晩のオールインワンだけで、あとは日焼け止めくらいしか塗ってないな。日焼け止めも今持ってる分しかないけど、いつまで保つんだろう。
顔だけじゃなく、お湯から出た部分に満遍なく香油を塗った後は、髪のケアをされる。これでもか、と髪を梳り、謎のサラサラした粉をかけてまた梳かす。
「リサ様のお髪はとても良い香りがいたしますね」
「ありがとう。この香り、わたしも気に入っていたのよ。もう手に入らないのだけど」
次にドラッグストアに行ったらボトル買いしようと思っていたノンシリコンシャンプーです、ありがとうございました。温泉巡りには使い切り携帯パックの方が便利だし、お金があるから色々試してから買いたかったんだよ。シャンプーもまとめ買いしておけば良かった。
「今かけた粉は何?」
「洗髪塩です」
「洗髪塩? わたしは知らないものなのだけど、どういうものか教えてくれる?」
「料理に使うにはエグ味が強くて美味しくないんですが、これをかけてから髪をよく梳かして、それから小麦粉と石鹸で洗うとスッキリするんですよ」
すごい謎。それは塩なの? 聞いたら謎が深まった。
石鹸で髪を洗ったらきしみそうで嫌だな。
「髪にお湯をかけてまいりますね」
ラウムが手際よく髪を洗ってくれたけど、やっぱりきしんでる。ひぃ、キューティクルの悲鳴が聞こえるよ。スッキリはしてるんだろうけど、油分を根こそぎ持っていかれている。
一糸纏わぬ姿では何も出来ずになすがままになっていると、髪から石鹸を丁寧に落としたラウムが、小瓶の栓を抜いた。
「それはお酢?」
塩と小麦粉まぶして、酢と油を塗るって、まるで注文の多い料理店だわ。
「はい。お酢は髪を若々しく……リサ様には必要ないかもしれませんが、先輩方からは若々しくする、と聞いています。お酢で手入れをすると、わたしたちでも手触りがよくなるんです」
若々しく、か。
わたし、いくつだと思われてるんだろう。
東洋人は若く見られてるというアレか。
スキンケアもサボりまくりで、不摂生の極みを長年続けてきたわたしだけど、多分こちらの世界の庶民と比べたら栄養状態も衛生状況もよくて、肌艶良く見えてるんだろうか。
薄めたお酢に漬けた髪を手早く布で巻き上げると、つけた香油を丁寧に拭き取って、洗面器に入れたお湯で顔を洗うように促される。お風呂に入って毛穴が開いたのか、思っていた以上にさっぱりした。薄めたお酢が入ったお湯であらかじめ湿らせてあった布で、さっさっと隅々まで拭われる。それからラウムは手のひらに香油を取って温めると今度はうすーく伸ばしていく。
それが終わると、髪に馴染ませたお酢を洗い流して、毛先に香油を塗り、また布で巻き上げられる。
身体は洗わないのかと思ったら、湯船脇の台で全身にも香油を塗られ、マッサージされた。洗い流すんじゃなくて、汚れを扱きだすのか。
めっちゃ垢が出てそうでいやん。
自分では見えないけどさー!
しかし、ラウムちゃん、すっかり熟練の手つきですよ。高級エステで施術を受けるのに遜色ないぐらい気持ちがいい。
はぁー、しかしお風呂はいい。
しっかりお湯につかって温まって血行が良くなったせいか、体の中に溜まっていたドロドロしたものがすっきりした気がする。
お湯に入れればいいんだから、物置にあった多分コンポスト用の……ん、違うな。見慣れない形状だったから、てっきりコンポストか、大きめのゴミバケツだと思ってたけど、あれ多分ポータブルバスだわ。
うわ、湯船あったじゃない。
違ってたっていいわ。
今後、あれを湯船とする。
そうと決まれば、水張りの魔道具と温熱の魔道具はぜひとも入手したい。
こっちの世界に引っ張り込まれた慰謝料代わりに、領主家からなんとか巻き上げられないかしら。
マッサージ後に身体を拭き上げて、ガウンを着せ付けてもらう。
こんなに幼いのに、こんなに重労働を熟すなんて、本当にすごいな。
入浴後のわたしに飲み物を差し出してくれた後も、何枚も布を取り替えながら髪を拭いてくれた。
一度に使う布の量よ……洗うのも大変だろうな。
あ、洗うといえば……。
「ねぇ、ラウム。お湯と石鹸を少し貰える?」
「如何いたしましたか?」
「下着だけでも洗って乾かしておきたくて」
寝巻きは借りられたけれども、一度履いたパンツをまた穿くのはイヤだし、せめて洗いたい。パンツとTシャツとブラジャーだけは洗ってるけども、ジャージもなー、そろそろ洗いたいんだよなー。
パンツ、乾くかな。絞った後、乾いた布で挟んで再度ぎゅっと絞っておくと早く乾くんだけど、それでいけるかしら。
「まぁ、ご自分でなさるおつもりですか? それこそわたしどもにお任せいただければ……」
「明日も着るものですし、領主様にお会いでき次第お暇するつもりですから、わざわざお忙しい皆様にお手を取らせるほどでは……」
「お帰りのお召し物は当家でご用意するかと存じますが」
「いえいえ、そこまでしていただくわけにも」
ドレスあげるから代わりにこの服下さい、とか言われたら、泣くよわたし。コルセットなんか締めたくないし、このスカートだって山道は歩き難かったけど、ドレスよりは断然マシなはずだ。
「リサ様のお召し物ぐらいでしたら、すぐに綺麗になりますよ」
「え?」
ラウムが畳んであるわたしの服に手を伸ばす。
「大地を潤し命を育むもの、流れ送り穢れを彼方に流すもの、今我が力によりて洗い清めたまえ《洗浄》」
水がわたしの服を包みこんだ。
ラウム周りはリサが思うほどドロドロしてません。
ラウム母がお花畑の害悪だっただけで、ラウム自身は父親が貴族だったおかげでそこそこ魔力もあるし、いい仕事につけてラッキーだと思ってますし、ハニングもいい子が部下になってよかったわ。夫もいい仕事したわね、くらいにしか思ってません。
閨教育に関してはそれだけ信頼される女性使用人である、という意味合いしかなく、そういった女性を下賜されるのは使用人として名誉です。閨教育係の候補に挙がるのは、主家を裏切ることなく、口が堅く、思い上がることもない人材であると認められたも同然だから。女性側もよい縁談を用意してもらえるのでメリットがあります。むしろ閨教育は肉欲と恋愛はイコールではないと叩き込まれるまでがワンセット。なので別にダスティローはNTRしてないです。
いつも読んでいただきありがとうございます。
ブックマークや★★★★★、レビュー等で応援してもらえると嬉しいです。
どうぞよろしくお願いします。




