第二節 月下の密談
「帝の御前に参れとの仰せだ。陰陽頭たる者、我を差し置いて語るなとは申すまいな?」
その声に、晴明は静かに扇を閉じ、目を細めた。
目の前に立つのは、摂政 藤原道長。
時の権勢をほしいままにする男である。
「道長殿。御所の星は今日、まことに鈍く曇って見えました。されど、天の流れは貴殿に味方しておりまする。」
道長は口の端を歪め、笑みとも嘲りともつかぬ表情で言った。
「星の言葉とやらは便利よな。吉とも凶とも、読み手の心次第で変わる。されど……貴殿の告げる星の理は、いつも忌まわしきほどに的を射ておる。」
「それが役目ゆえ。」
二人は人払いされた殿舎にて、酒も酌まずに対した。
帳の外では夏虫が鳴くが、空気は凍てつくように冷たい。
道長はしばし沈黙し、懐より一通の文を取り出した。
破られた封蝋、血で汚れた紙面。
そこに記されたのは、京の北方にて再び鬼が出たという報。
「また、か。」
晴明の表情がわずかに曇る。
封じたはずの穢れが、また目覚めたのか。
「帝はこれを隠せと申されておる。が、そなたならば……この因果の先を、読めよう?」
「鬼の出所は、いにしえの壺であろう。かの地に封じし禍霊の残滓。完全には祓えぬ。星の道筋には、再び開かれる兆があった。」
道長は小さく呻いた。
「そなたが星を見て動くなら、我は人を見て動かねばならぬ。」
晴明は静かに首を振る。
「貴殿もまた、星の下に生まれたる者。ならば、抗うことなく、備えるべし。」
しばしの沈黙の後、道長が小さく呟く。
「この国は、滅びるのか。」
「いいえ。」
晴明は、扇を再び開いた。
「まだ、星は沈んでおりませぬ。」
その言葉の裏に込められた決意を、道長は読み取ったようだった。
「そなたの命、いつまで持つかはわからぬが……。いずれ、後の世にも陰陽は必要となろう。儂は、そなたの残すものを守ろう。」
それが二人の最後の対話となった。