帰省の終わり
切り株には2人の人形が並んでいた。さっき九木と見たときは1人ぼっちだったはずだ。
しばらく人形を眺めていると、後ろから樫居がやって来た。
「ここにいたのか」
「ああ」
「ここ、蘭美ちゃんの墓代わりなんだよ」
樫居は語る。言わずにはいられなかった、というように。
「……知ってる。この人形、誰が?」
「俺がときどき洗っては、ここに置いてる。
……蘭美ちゃんが死んだ場所が、この辺だった。美夏ちゃんは南の森だけど、寂しくないようにって、ここに人形を2人分、供えてるのさ」
「それは……ちょっと、どうなんだ?」
しかし結果的には、美夏が死んだ場所もこの辺だったわけで。ちょうどよかったのだろう。
僕はふと思いついたことを訊ねる。
「……帽子とか、供えてあった?」
樫居は驚く。
「昔のことだよ。なんで知ってんの?」
「さあな」
「いつからか、なくなっちゃったんだ。風で飛ばされちゃったのかな。対策はしてたつもりだけど……」
「なるほどな……」
証言で裏が取れてしまった。心の底では推理が間違っていることを願っていた。
美夏が亡くなった原因は事故で、犯人なんていない。それが一番良い結末だ。
「──でも、真実は違う」
九木の推理を聞いて、僕はすぐにおじさんの元に向かった。おじさんの意識はあって、少しなら喋っても大丈夫、とのことだった。
「……み……かは……らみを……おした……と……いっ……た……」
「おした……? 押しただって……? 美夏は、蘭美を……」
途切れ途切れに、掠れた声を絞り出している。
「20……ねんまえに……きに……おした……だから……あやまり……たいといった……」
木に押した。あの切り株のことだ。美夏は幼い頃、蘭美を突き飛ばした。
「とりみだしていた……から……おれが……きいたから……」
「……おじさんが問い詰めてしまったのか」
「そんな……つもりじゃ……」
そう言って、彼は黙った。口元をわなわな震えさせて、瞳は虚空を映している。
「おじさん」
しばらくしてから、おじさんは呟いた。
「……して、くれ……ゆるして……くれ……」
彼が数十年生きた末に、なにを思ったのか。自分が犯した罪を隠し続けて、いかに苦しんだのか。
知ったことじゃない。
と、突き放せるのなら、どれだけ楽なことか。
「……さようなら。おじさん」
彼の罪を糾弾するつもりも、周りに触れ回るつもりもない。
僕はきっと、死ぬまで誰にも言うことはないだろう。
***
「ねー」
「……」
「ねーってば」
「……」
「無視すんなー!」
「うるせぇな!」
九木が僕の後ろを、かなり遅れて着いてくる。僕が早足で置いていってるので、遅らせているというのが正しいが。
「帰っちゃうの? 松矢田さん、アレでしょ?」
分別があるのか、ないのか。軽い調子で「アレ」と言葉を濁す。
おじさんが、いよいよだと知りながら、僕はその前に故郷を後にした。
彼の歴史が幕を下ろす瞬間に、僕は怒りを覚えることも、涙を流すこともないだろう。
僕はもう彼の顔を見られない。
「君ってさー……」
九木は声を張る。
「言葉遣いとか態度とか、そんな感じなのに優しいよねー」
「……は?」
つい振り返ってしまった。夕暮れが目に痛い。
彼女は黒く長い髪を紅に染め、なんだか幻想的に見える。
冷たいヤツ、とかなんとか言われると思った。生まれつき目つきが鋭いから、「睨んでるの?」と訊ねられることが多かった。
「優しいから、逃げるんだ。
あ、馬鹿にしてるとか、そういうんじゃないからね」
「意味分からない……なにが言いたいんだよ」
「君は、人を悪く思いたくない。失望したくない。できる限り、嫌いたくない。だから自分から遠ざかることを選ぶ」
占い師かカウンセラーのつもりだろうか? 僕は一笑して、受け流した。
「お得意の推理か?」
「楢庭さん……美夏ちゃんと蘭美ちゃんのお母さん。入院中なんでしょ? そりゃ、大事な娘を2人も、しかも同じような状況で。精神を病んでもおかしくない」
血が熱くなる感覚があった。九木がこれからなにを言うのか、分かっていた。それも当たり前だ。
きっと彼女は真実を言うから。僕があのとき抱いた思いを、当ててしまうから。
「あの村、特に君や楢庭さんたちが住んでいる地域には、若い人がいない。だから娘を亡くした楢庭さんは──君を恨んだんじゃないかな」
「……」
「もちろん逆恨みだ。けど……彼女にとっては当然でもあった。2人も娘が死んでしまったのに、あの家の子は、元気に成長しているってね」
否応なく思い出す。
ある日から感じ始めた、怨嗟の視線。充血した眼で、憎しみと嫉妬、そしておそらく……罪悪感を込めて、僕を見る。
美夏が生きていた頃は、あの家によく遊びに行った。村には同年代が他にいないから。
楢庭さんは、そんな僕と美夏を微笑ましく眺めていた。
その視線の色が、禍々しく変化したのに、耐えきれなかった。
「だから、逃げた」
僕はわざとらしくため息を吐いた。そんなことで、相手が罪悪感を抱くとは期待していなかったけれども。
「……根拠は?」
「ないけど?」
無駄に自信満々だ。
「君を観察してたら、そう感じた。それだけ」
「勝手に観察するな」
「何度も言ったでしょ? 興味ないこともないって」
いつしか故郷が遥か遠くに見えていた。いよいよ小さくて、なんだか風が吹いたら綿毛みたいに飛ばされてしまいそうだ。
子どもが死んで、年寄りたちもいなくなる。若者は去り、祭りも行われなくなった。
近々、僕の故郷は消えてなくなるだろう。
僕の過去自体がなくなるような気がして、途方もない絶望感を覚える。まるで、未来まで失われていくような。
「じゃあさ! 今度、わたしのお願いに付き合ってよ!」
「……なんだって?」
九木が明るい、いや明るさを超えて素っ頓狂な声を出した。内容も素っ頓狂だ。
「……今度は、ってなんだ? 今回、僕に付いて行きたいって、馬鹿げた願いを聞いてやったんだぞ?」
「でも、10年来の謎が解けたのは、わたしのおかげだよ?」
「それは……頼んでないだろ……」
「君に貸し1つ、だよ」
聞く耳を持たない。このイカレ女は。
「今度、別の怪異情報があったら、また同行してよ」
「同行するだけなら、僕じゃなくていいだろ。大学でお仲間がいるんだろ?」
「だってほら、君は怪異の村出身の、ナチュラルボーン怪異体質かもしれないよ?」
ツッコミを入れたいことだらけで、逆に言葉に詰まった。聞いたことない体質だし、理由になってないし。
「怪異の村じゃないだろ。八尺様も、本当はいなかったんだからな……」
「でも、言っちゃ悪いけど。この村、呪われてない?」
「凄いこと言うな、お前。いや今更か……」
「祭りの日に、人が死ぬ」
「馬鹿な……」
言いかけて止まる。恐ろしいことに気がついてしまった。
「……明日、だな。祭りがある日は……」
蘭美、美夏。
そして、このまま行けば……明日に、天に昇ろうとする者が1人。
九木は心底嬉しそうにする。
「ね。10年後、また連れて来てよ。そうしたら、今度はわたしかもしれないし」
「な……なに言ってんだ……?」
九木はいつの間にか僕との距離を詰め、並んでいた。と思うと駆け出して、僕より先へ、両手を広げて行ってしまった。
「わたしね、怪異に殺されたいの!」
「……はっ?」
「だから怪異を探すの! 正真正銘の未知! この世の本当の不思議、怪異!」
頭が狂ったのか。しかしすぐ、元々おかしいやつだったと考え直す。
「……一応、聞いておく。悩みでもあるのか」
肯定されても、聞いてやるつもりはない。
「そういうんじゃないけど。ほら、人はいつか死ぬでしょ?」
「さんざん、人の死がどうのこうのっていう話をしてきたところだな」
「どうせ死ぬなら、ほとんどの人が体験したことない死に方。未知の死に方がいいな」
「……イカレ女」
「そういうこと思ってても言っちゃ駄目だよ!?」
頭が痛い。すっかり疲れた。帰って数日は学校を休みたい。
だからだろうか、目の前の異常者が意味不明なことを言っていても、もはやたいしたことではないような気がしてくる。
「……おい」
「んー?」
「死ぬなら、僕の知らないところで。一人でやってくれ」
九木は一瞬だけぽかんとしたが、すぐに笑顔を取り戻した。たださっきより無邪気で、憎たらしいことに、可愛げがあった。
──やっぱり、子どもの頃によく見た、彼女に似ている。
「……本当に。君は優しいね!」
くだらない戯言だ、と感じながら、夕日のせいだろうか。心の中が嵐のようにざわついていた。
「……しょうもないな」
「あはっ」