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真実

「ここに来る前、警察に確かめたんだ。……九木が。羊堂一敏について。前科の内容は教えてくれなかったが、どうやら懲役1年、しかし初犯だったこともあって執行猶予があった」


 鴉原がリークした情報だ。僕は清く正しい生活をしているため刑罰とは無縁なのだが、少し調べることにした。



「いろいろと候補はあったが……おそらく羊堂の罪状は、()()()使()()()()()()()()なんじゃないのか」


 

 天巌の顔からはなにも読み取れない。サングラスはこういうときのためでもあるのか。



「浅いわね」


 一蹴された。実際、そのとおりだ。これは僕の推理未満の想像でしかない。



「──儀式を行うと不安がなくなる。また、続けていきたいと思ってしまう。これは、罪前が言っていたことだ。

 そして羊堂は、自殺の数日前から精神を病んでいた。ここに来たばかりの頃は調子が良かったらしいのにな」


「……適当なことを」


 肝が据わっている。



 ──しかし天巌はそうでも、彼女に従う奴らが、彼女と同じ心の強さを持っているわけじゃない。

 


「……当たってるみたいだな?」


 僕は、顔を露骨にしかめている護衛に向けて言った。



「……! も、申し訳ありませ……」

「黙りなさい」


 ついに、天巌は不快感をあらわにする。いい気味だ。


「羊堂の変化は、まるで邪視の呪いのようだが、違う。与えられていたものを、取り上げられたんだよ」


 それはなぜか? 秘密に気づいて、教祖に反抗したからだ。


 そして羊堂が気づいたのは、彼自身が体験したことがあったから。中毒性があり、使用した者は幸福感に包まれる。まるで神に抱かれたかのような気持ちになる。


 つまり。



「お前らは儀式に()()を使って、信者を作っていたんだよ」



「……こんな場面で妄想を披露するなんて。たいしたものね。間抜けにも見えるけど」


「羊堂はどんどん精神を病んでいった。与えられた幸福感を取り上げられたんだ。それがまるで邪視の呪いのように……」



 言い切る前に、みぞおちに鋭い一撃を食らわされた。


「……っ! げ……おぇっ……」


 思わず倒れ込む。胃の底から酸っぱいものがこみ上げ、喉を焼いた。



「きょ、教祖様……!」


「……ごめんなさいね。いい加減、耳障りだったから……」


 図星だ。

 だが、ここが限界だ。これ以上は、もう喋らせて貰えないだろう。


 天巌は倒れる僕の側にしゃがみ込み、頬に手を当てる。慈愛の手を差し伸べるように。


「……恐ろしい? あなたは今際の際にいるの」


「……」


「せっかくだから教えてあげるわ。わたしは宗教と、それを隠れ蓑にしたビジネスを始めるの」


「ビジ……ネス……?」


「信者たちが勤めている職場は、すべて天巌組の傘下。表向きは社会的弱者を助けつつ、一般的な企業を装っているわ。

 でも裏では、天巌組の利益になる事業に手を出している。中には、少し危険なものも……」


「……その、危険な仕事を……信者たちにやらせようってのか……げほっ……」


「正解」


 天巌の手が掲げられる。

 女神のように添えられていた手は一変し、そのまま、裁きの雷のように、僕の頬に打ち下ろされた。


「……がっ……!」


 口の中でなにか弾けたみたいだ。床に血が広がる。


「準備が手間だし、教祖のフリも、気持ちがいいから続けられるけど……羊堂のような()()がときどき現れて、面倒なのよね。

 でも、そのぶん得られる利益は大きい。まだまだ発展途上だけど、そろそろ、利益のケタが上がると思うわ」


 天巌は僕を見下し、「もう、喋れないかしら?」と微笑む。悪魔だ。


「逆らうクソには、邪視の呪いを使う。まさに、神の眼よね。怖い? あなたは、私という神によって裁かれるの……」



 僕の目からは涙が流れていた。悲しいとか辛いとか、そういった感情が表れたわけではない、と思う。

 なぜならもう、痛みで思考もままならないのだから。


 朦朧としながら、僕は思ったままに答えた。


「……こ」


「……なにかしら」


 天巌は耳を寄せる。



「怖い……よ」


 床に伏しているからか、床の振動が伝わる。なにかが外を走っている。



 床の隙間を、わずかに空気が通っていた。

 ()()だ。


 儀式を行う人々は、土下座するように、額をフローリングに付ける。



 この瞬間、僕はようやく理解した。

 すべての謎は、真実とつながった。



「……ぷっ。怖い、ね。正しい反応よ。恥ずかしがることはないわ」



「あんたも……邪視の呪いも……神、とやらも……怖い……が……」


「……? が?」



 本当に怖いのは、人間なのかもしれない、というのは、怪談のオチとしてはよくあるものだ。


 けど、僕は思い知った。本当に怖いのは、人間なんて既知のものなんかじゃなくて、もっと未知のもの。



「今……すべての未知は……既知に、変わった……。

 お前、の……その……なんも見えてねぇ、盲目さの方が……よっぽど怖ぇんだよ!」


「……はあ?」


 

 ドアが派手な音を立てて開け放たれた。静寂な密室は破られたのだった。



「星太郎くん!」


 稀代のイカレ女が、いよいよご登場だ。


   ***


 僕を見て九木は息を呑む。白いコートはどこかで脱ぎ捨てて来たのか、黒いワンピース姿になっていた。


「あら、遅かったわね」


 天巌は僕の側から立ち上がって、九木に迫る。護衛も突然で面食らっていたようだが、天巌の動きではっとして、九木に向かい直った。


「も、申し訳ございません教祖様!」


 遅れて、信者の聖田が駆け込んできた。


「降りてくると思ってエントランスで待っていたのですが、彼女、3階にずっといて……」


 3階? ベランダから降り立ったのも3階だったが、そこから移動しなかったのか?


「うふふ……なんだ。この子が必死に耐えている間、あなたは諦めていたのね?」


 九木が諦める? 馬鹿な。あいつはそんな単純な人間じゃない。


「……星太郎くん、ごめんね」

「……」


「でも、時間がないから。先に、こっちを終わらせるね」

「……時間?」


 九木は護衛を押しのけ、天巌の前に屹立した。手を出そうとする護衛を止め、九木の敵意を受け止めた。


 僕は倒れたまま、この様子を見守ることしかできない。



「あなたの犯行は単純だ。だけど真実に到達するには大きな壁があった。それは……ついさっき、消えてしまったけどね」


「犯行、ですって。呪殺よ。呪殺を証明できるわけ……」


 

「これは呪いなんて関係ない。未知のものなんて1つもなかったんだ」



 天巌の顔は、僕からは見えない。けれど、空気の感じが変わったような気がする。


「……なんですって?」



「人の犯行なんて、怖がる必要ない。

 ──すべての未知は……」


 僕は慌てて言った。


「悪い九木。それ……僕がもう言った」


「なんで言ってんの!?」


 流れで、なんとなく。



「だったら、証明してみなさいよ……」


 天巌は明らかに苛立っている。声色がささくれ始めた。



「……天巌は……薬物を使って……信者を増やしていた……」


「星太郎くん。君も、気づいたんだね」


 後ろで聖田が狼狽えているが、後でもっと狼狽えてほしい。



「羊堂さんはまるで邪視の眼を見たかのように鬱になった。……天巌さんに薬物を与えられ、そして2週間前から、取り上げられたため」


 気づけたのは羊堂が薬物使用の経験があったから。そして教会の秘密を天巌に言ってしまった。


「……邪視の呪いに、見せかけるために……薬物依存の症状を起こさせて……精神を、病ませた」


「そう。全然、邪視なんかじゃない。既知の、人間の犯行」


 怖がる必要なんてない。


「それはもう聞いたわ。いいから……証明なさいよ」


 後は九木に任せよう。


「その薬物を与えた方法と、羊堂さんの殺害方法は同じなんだよ」


「なっ……」



「彼の部屋の305号室の真下、205号室から真上に一酸化炭素を送ったんだ。犯行現場は2階だったんだよ」



「……!」



「不自然に規則正しく並んでる部屋には、規則正しく住人が居住している。天は人の上に人を造らず、というけれど、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()になっている」


 この場でもっとも動揺しているのは彼女の護衛だろう。

 可哀想に。主より修羅場に慣れていないようだ。


「一酸化炭素は、空気と同じ重さか、少しだけ軽い。火が焚かれていれば、上に向かいやすくなるけどね」


 結論は単純明快だ。勿論、最初に九木が言った通り、壁はある。


 壁というより、()だ。


「そんな……そんな都合よく、事が運ぶかしら?」


「運びませんよ。普通ならね」


「……! この……!」



「気密性の高いサッシ、がっしりとしたリビングのドア。なんだか空気を閉じ込めておくための部屋って感じだけど、同時に部屋に隙間がないことの証明でもあった」


 九木は背後を振り返る。そこにいた人物に語りかけた。


「聖田さんのお話。正直、興味なかったけど……ギリギリ頭に入ってましたよ」


「え……わた。わ、わたし!?」


「あなたはこのマンションのことを教えてくれた。こんなふうなことをね……」



『教祖様はこのマンションをご購入し、我々が住みやすいように大規模な改築をなさってくださいました!』



 天巌は動揺して身じろぎをした。無敵の呪殺計画も、崩れてきたようだ。



「大規模な改築。それこそサッシやドアもそうかもしれない。でも一番大規模で、あなたの計画に必要だった改築は……」



 床が冷たい。空気が通っている。

 古びた日本家屋じゃあるまいし。こんな空気の通り道があれば欠陥住宅だ。

 


「床と天井に、空気が通るくらいの()()を空けておいたんだ。

 ──凶器は、この()()()()()()()だったんですよ」


 

 一瞬の沈黙。それから九木は天巌の脇を素通りし、僕の側にしゃがみ込んだ。


「……痛い?」

「別に、いい……」



「……薬物を住民に与えたのも同じ方法。真下の部屋から、薬物を炙って発生した煙を吸わせているんだよ。ある程度、天井近くでやってたりするのかもしれないね」


 ──例の儀式は、神など関係ないものだった。


 タオルで目を隠すのは、万が一にでも隙間に気づかせないようにするため。まあ目視で発見できるものとは思えないが。


 アロマキャンドルは匂いを誤魔化すため。そして最後に、土下座のような姿勢の理由。


 単純に、床から煙を吸いやすくするためだ。



「うふっ……」


「……あ?」


 天巌だ。


「うふふ……あはははっ……!」


 壊れたわけではない。モデルがキャットウォークをターンするかのように、美しくスマートに振り返った。


 天巌はまだ余裕だ。


「……長々と妄想をありがとう。楽しませてもらったわ」


「まだ妄想って言えるんだ」


「ええ。あなたの言っていることはすべて、証拠がないもの」


 九木は僕の腕を取り、ゆっくり起き上がらせる。


「……ここの下の部屋。カーテンで降りたとき調べてみたら、人の出入りしている様子があった。換気扇とか、使用された痕跡も」


「それが? 空室の管理だってしなくちゃいけない。換気扇の点検だってするに決まってるわ」



「どうでしょう? もちろん羊堂さんやここの罪前さんの部屋だけじゃない。他の住人の部屋も、空室も。同じような仕組みになっているはずですよ。人の住む部屋の真下で、あなたたちは薬物を燻らす」


 つまり、それだけたくさん、薬物を炙った部屋がある。全部調べたら、どこかで証拠が出てくる。



「そもそも……げほっ……」

「星太郎くん」


「……住民に検査をすればいい。断ち切られていた羊堂にしか、警察は検査は行ってないだろ……。儀式は常に行われていた。検査すれば……引っかかるはずだ……」


 血の味を滲ませながら、なんとか言い切れた。


 その言葉を聞いて、わずかに天巌の口元が引きつった。しかし相変わらず崩れない。


「うふふふふ……あなたたちの努力は認めてあげる。よく考えたわ。偉いわね?」


「……」


「でもね。根本的なことを忘れてる。あなたたちの努力は結局、無意味なの」


「無意味……?」


 張り詰めた空気は、まるで一酸化炭素が充満したかのように呼吸を浅くした。



「あなたたちはそれを、誰にも伝えることはできない。連絡手段を奪われたままなの。あなたたちが必死に考え出したクソみたいな推理なんて、無意味で無価値なの!」


 僕たちはスマホを奪われたままだ。取り返す術もない。


「どう? すべてに見捨てられた気分は? 神様にでも祈ってみる?」


 天巌は狂気的に微笑む。



 ──同時に、九木も笑った。はっきり言って、不気味さは九木の勝ちだ。


「……言ったでしょ。神様なんて大嫌い。

 そもそも、祈るのは万策尽きた人がすること。わたしは違う」


「なにを馬鹿な──」


 そのとき。彼方から甲高い音が聞こえてきた。


 それは徐々に、しかし素早く近づいていて、やかましさを増していく。


 犯罪者が恐れる、正義の音だ。



「パトカー、来たみたい」



 ついに、天巌は愕然として、顔を真っ青に染め上げた。



「なっ……あ、ば……バカっ……馬鹿な……」



 どうやったんだ、と僕は視線で問いかける。九木は笑ったまま答えた。


「ほら、思い出して。天巌さんはわざわざ、3階に()()()()()を置いてくれたでしょ?」


「まさ……か……」


 監視カメラだ。3階に留まっていたのはそのためだったのだ。そして、その映像の行き着く先は……。


「ちゃんと伝わったようで良かった。仕事熱心な()()()さんがいて、このマンションは安心だね」


「蛇……岡ぁあああっ!」


 天巌の悲痛な叫びは、1階に届くことはない。

 パトカーの音が、地上で止まった。



「せっかくだから、警官たちが来るまで、わたしがお話いたしましょう! 洒落にならないくらい、怖いお話を!」


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