証言 ‐10年前のビデオ‐
本当にどういうわけか、母が九木を気に入った。
「部屋なら空いてるからね、今晩は泊まりなさい!」
確かに他の選択肢はないのだが。まるで九木に日常が侵食されているような気がして、鳥肌が立った。
「明日、何時に帰るの?」
九木が僕に訊ねる。
「……昼前には、ここを出る」
「ふーん」
質問の意図が分からない相槌だ。
それっきりで、その日は幕を下ろした。
いろいろあって眠れないんじゃないかと思ったが、疲労が溜まっていたようで、布団に潜って数分もしないうちに、眠りに就いた。
もはや気絶したと言えるのでは、と思うくらいには早かった。
***
予定よりぐっすり寝てしまった。昼前に出る、というのは難しいかもしれない。
綿密に予定を立てていたわけではないので、少しくらいなら問題ないが。
と、思っていると、九木が現れた。朝っぱらからムカつくほど元気だ。
「ね、10年前のビデオ借りたんでしょ? 一緒に観ようよ!」
「……そんな時間ない」
「でもさ、ここで観なかったら、帰って観ることになるじゃん。そしたら返すのいつー? ってならない?」
説得された。事実、返すと言ってしまったため、時間を工面してでも観なければならない。
「……お前も観るのかよ」
「もちろん」
「じゃあ、静かにしてろよな」
ビデオデッキは簡単に見つかる。
かろうじて操作方法は覚えていたので、少し手間取りながらもビデオを再生できた。
10年前の映像が、古めかしく粗い画質で映る。
「なんかさ、10年前の景色がこんな粗くなるのって変だよねー」
「……言いたいことは分かるけどな」
夜の映像だから、かなり暗い。しかし、あちこちで灯る懐中電灯や灯籠の光が、なんとか人々の輪郭を表していた。
まあまあ立派な神社と、そこまで延びる参道。屋台が建ち並んでいる。都会で見る祭りと比べれば控えめだが、活気があった。
「あ、あの子?」
九木が指差したのは、高齢者に混じる女子だ。
「……美夏だな」
彼女の長い黒髪は、あのとき塀の上に見えた頭を想起させる。
ちらりと、横の九木に目をやる。
やはり面影がある、と感じてしまった。
「別に、2mもないね」
「当たり前だ」
一緒に松矢田のおじさんが映っている。当時で60歳くらいだが、まるで俳優のように背が高くてすらっとしている。今では見る影もない。
そのせいで美夏が低身長に見えるが、おそらくは年相応の平均身長くらいだと思う。
そして、膝上までギプスで固定されていて松葉杖をついている。脚を骨折していたのは間違いない。
「帽子も被ってない」
「あ? ……ああ。確かに」
画質の悪い映像では分かりづらいが、パラパラと小雨が降っている。みんな、傘を差すまでもないと感じているようで、なにも持っていない。
ときどき映る樫居や、松矢田のおじさんなどは合羽を着ている。
「……あ」
僕の両親が映った。
母も、亡き父も。
「へー。これお父さん?」
「……人の父をこれ呼ばわりするな」
「似てるねぇ」
「黙って観ろって言っただろ」
思えば、僕が風邪で行けなかった祭りを、10年越しに見ているのか。そう考えれば感慨深くもある。
とはいえ、他人が祭りに興じているのを見るのは退屈だ。
かなり長尺で録画しているようで、まだまだ終わりまで遠い。
「適度に観て切り上げるか?」
「いや……もうちょっと……てか、せめて美夏ちゃんがいなくなるところまでは観なきゃ」
「そこまで撮ってるか……?」
「いいからー」
注意して観続け1時間ほど経過した。すると、2つのことに気がつく。
1つ。村の重役たちがよく映るようになった。村長もいるし、村会議員だった人も集まりだす。
祭りの終わりに、村の役員など数人が集まって、社になにか捧げるはずだ。なにかというのは、子どもだった僕は知らなかったから。今も、覚えていない。
祭りのフィナーレが近づいているのだろう。
そしてもう1つ。
美夏がいなくなっている。
どのタイミングで消えたのだろう? カメラは美夏を映し続けているわけではない。10分くらい彼女は画面に映っていないと思う。
「あれ、あの人は?」
九木が映像を停止させた。人々は動きを止める。映像がわずかに乱れていて、それぞれの人影が歪んでいる。
「どれだよ」
「この人!」
「……美夏の母親だ」
「なんか、困ってない?」
停止中の画面では分からない。だが再生すると、楢庭母は、確かに困り、焦った様子で人々に話しかけていた。
やがて彼女は撮影者、つまり松矢田紗代にまで声をかける。10年前の音声に、僕たちははっとした。
「美夏がいなくなったから、探してくれ……だってよ」
「なるほどねー……ここからが美夏ちゃん探しの時間だ」
僕が例の女を目撃したのは何時頃だっただろう。時計も見てなかったし、覚えている合図のようなものもない。
祭りの音は聞こえていたから、社への奉納はまだのはずだ。
続きが気になり、早く観ようとする。
しかし都合の悪いことに、僕の名を呼ぶ母の声が聞こえてしまった。
「ちょっとこれ、葦尾さんの家まで運んで!」
「は!?」
「山菜!」
九木がニヤニヤしている。
「行ってきなよ。お母さんには優しくするもんだよ」
「うるせーな……」
母は僕の都合などお構いなしだ。そしてビニール袋に包まれた山菜を手渡してきた。
予想より重く、危うく落としそうになってしまった。
「運べって言われても……おい……」
両腕でしっかり抱えなければ、うっかり落としてしまいそうだ。
九木も部屋から出てくる。
「うわっ、なにそれ」
「手伝えよ」
「えー。やだ」
「お前なぁ……」
「ずいぶん持ちづらそうだねぇ」
「デカいし、中でゴロゴロ動くんだよ。両腕でしっかり抱えなきゃ……」
「ふーん……」
また興味なさそうな返答だ。
と思ったが、九木の表情は明らかに曇っていた。
気にする余裕はなかった。早く重荷から解放されるためにも、今はとにかく山菜を運ぶことにした。
振り返ると、九木はなにか悩んでいるようだった。
そして、ぱっと顔を上げたのだった。
「ごめん星太郎くん。帰るの、明日にして?」
「はあー……?」
九木は両手を合わせて頼んできた。
いやそれより、両手いっぱいに荷を抱えている最中に、話しかけないでほしい。
「冗談じゃないぞ……! 残りたきゃ、お前が一人で残ればいいだろ?」
「や、ちょっとでいいから!」
「ちょっともクソもねぇだろ。……ってか今、話しかけんな!」
「君が見た八尺様と、美夏ちゃんの事件……」
「話しかけんなっつってんだろーが!」
「あと少しで、ぜんぶ分かるから!」
それまで半笑いだった表情が、真面目くさったものに変わった。長い睫毛から覗く瞳が、暗闇で輝く恒星のように輝いていた。
──山菜を届け、ついでに年寄りの長話を聞いていたら、太陽はすっかり真上に来ていた。もともと帰る予定時刻は過ぎている。
風は冷たいが、日差しが暖かいため、少し汗ばんできた。暖房の効いた家に帰ると、寒暖差でくしゃみが出てしまった。
部屋に戻ると、ビデオデッキの上にメモ書きが貼ってあった。
『続き、ちゃんと観てね』
彼女は先に観たのか。僕が苦労している間に、なにを呑気な。
心の中で悪態をつきつつ、ビデオに目をやる。
短い文面に、わずかに恐怖が煽られる。これが九木の演出だとしたら、たいしたものだ。
「なにか……映ってるってのか……?」
続きから再生して、流れ出した映像は、ある意味で、僕の予想を裏切るものだった。
恐怖の画や、衝撃のハプニングが映るかもと。しかし待ち受けていたのは……。
撮影者のおばさんが慌てているのだろう。映像は酷く乱れていた。雨粒のせいでレンズも濡れて、画面は最悪の状態だ。
村を駆け回る。神社が遠くに見える。村の南側に来ているらしい。ときどき立ち止まっては美夏の名前を大声で呼んでいた。
《あ、あんた!》
《紗代? おめぇなにしてんだ?》
松矢田のおじさんが映る。まだまだ健康そうで、10年後には寝たきりになるとは到底考えられない。
おじさんは息を切らすおばさんに驚いているようだ。雨の中、外に出ているせいで服がびしょ濡れだ。
隣に葦尾夫妻と、その親族が酒瓶を持って立っている。いや、酔っているせいで立つというより揺らめいている、の方が正しい。
《あんたこそなにやってんだい!》
《こいつらがさっさと帰っちまうからよ。家までついて行って呑もうと思って……》
《そんな場合じゃないのよ! 美夏ちゃんがいないんだから! もう20分くらい経ってるの!》
《なんだって!?》
それから、おじさんと葦尾たちは事情を聞かされた。後ろで葦尾家が息を呑む。
《葦尾さん、帰るまでに見てない!?》
《い、いや……見てねぇなぁ。道の途中で隣のじーさんと会ったけど。そんだけだ》
葦尾家の隣のじーさんというと、背中が海老のように丸まったあの人のことだろうか。当時からけっこうな歳だったはずだ。
《樫居くんは神社付近を探してる。あんたも探して!》
《お、おう……こっち側は任せとけ……》
おじさんは動揺しながらも、美夏の捜索を開始した。
松矢田夫妻は別れ、祭囃子も遠のいた閑静な場所で、美夏探しは続けられた。
しかし翌朝に美夏が発見されたことから分かるように、その夜のうちに見つかることはなかった。
そのうち、記録になんの意味などないと悟ったのか、おばさんは録画を唐突に止めた。
ビデオが終わると、まるで見計らっていたかのように、九木が現れた。
「どう?」
「どうって言われてもな」
「ひとまず、付いてきて」
「あ? どこに……」
「ツアーだよ。この事件の、名所巡りだね」