神様
天巌の年齢は20代から30代あたり、しかし何年も生き続けてきた魔女のような風格を感じる。
背後にはあの無口の護衛がいる。よく見れば首元に火傷を負っており、殺伐とした過去を想像してしまう。
管理人室はタバコ臭いというので、エントランスで立ち話を始める。傍から見ればまるで日常の一コマ。中身はドロドロに濁っていた。
「あれから、まだ頑張っているのね。警察の方々より真剣」
「好きでやってるだけなので」
「なにか分かった?」
「それなりに。だんだん見えてきました。この事件の真実が」
「あら……」
本当に見えてきたのか、それは僕にも分からないが、天巌の目つきは鋭くなった。サングラス越しの圧が増した。
「天巌……さん。あんたは、事件の前日、羊堂になにか怒鳴られてたんだろ。それは、なんだったんだ」
僕は率直に訊ねた。回りくどいのは無意味だ。
「そうね……確かに、彼は私に怒っていたわ」
「何故」
「……私がどんな答えを言おうとも、信じられないでしょう? あなたたちにとって、私は推定犯人なのだから」
「……言ってくれないと、判断できない」
天巌は考え込むように腕を組んだ。
「羊堂さんは……私のことを信じられなくなったようね。つまり、この教会のことを」
罪前もだが、思ったより懐疑的な住人がいるようだ。
「あなたは、それで羊堂さんを呪い殺しちゃったんですか? その眼で」
「あら、あなたは信じるの? 初対面の人に説明すると、たいていは小馬鹿にされるのだけど」
「ええもう。こういうの大好きですから!」
「あらあら……」
九木が天巌と意気投合してしまった。盛り上がるなら、僕の知らないところで勝手にやってほしい。
「神様も信じてます!」
「それなら、私たちの教会に入る? 崇眼教会。心の中にある眼も、あなたなら信じられるはずよ」
九木はにこやかに答えた。
「──それはお断りします。信じてはいるけど、大嫌いですから、神様」
それまで完璧と思われた天巌の表情が、ほんの一瞬、崩れた。わずかな綻びだったが、確かに変化した。
「神様はいると思います。でも、わたしたちひとりひとりに、目なんか合わせない。富者も貧者も、善悪も美醜もすべて平等に、そして単純に摘み取る……でしょ?」
でしょ、と言われても。
「そう……残念」
「わたしが好きなのは怪異です。あなたの目のような」
「私の眼、ね。好きと言ってもらえるのは嬉しいわ」
「だから、それが本物であってほしいと、願っていますよ」
天巌の返答を待たず、九木は背を向け、「行こ」と僕の袖を引いた。
引き止める声はなかった。振り返るのが怖い。僕は足早にマンションを後にした。
「おい、もういいのか?」
「どうせ欲しい答えはくれないよ」
「怒らせたんじゃないか」
「つい、うっかり」
九木にとって地雷だったのかもしれない。神という存在が。
***
「……ん」
「どうしたの星太郎くん」
マンションの裏手まで移動したのだが、また1階の部屋に動くものが見えた気がした。
今のは、104号室、あの護衛のものと思しき部屋か。そういえばあの護衛、まったく喋らないな。実はクローン人間とかだったりして。
「え、104号室?」九木も部屋を見る。「なにか動いた?」
カーテンのせいで中の様子が分からない。しかし確かに、なにか動いたはずだ。
「でもおかしいよ」
「なにが」
「あの部屋、空室だったはずだもん」
「あ? ……じゃあ護衛は102か?」
「ううん。あの人は105だね」
なぜ、確信を持って答えられるのだろう。
「普通、護衛なら隣の部屋にいて構えてるもんじゃないのか? なんで一部屋開けて……」
「まあヤクザの娘さんと護衛の普通、ってわたしには分かんないけど。蛇岡さんが開けたキーボックス、見たでしょ?」
「あ……」
あのキーボックスに入っている鍵は、空き室のものとマスターキーだけ。他の鍵は、居住者が持っている。スペアはない。
「まさか102号と104号室の鍵はあったってことか? そして、105号がなかった?」
「そう。だから人が住んでるのは105号室。護衛さんはそこに住んでる。きっと」
だったら今104号室で見たのはなんだったんだ? 天巌と護衛の部屋の間だ。
「……君が見たって言うなら、わたしは信じるけど……なんだろうね?」
「九木、あのキーボックスにあった鍵と、なかった鍵を思い出せるか?」
「つまり、どの部屋が空室だったか知りたいんだね。えっと、確かね……」
当然のように、九木は記憶から部屋の状況を読み上げていった。
「101が聖田さん。103と105が天巌さんと護衛さん。
2階には202と204に1人ずつ。
3階は305に羊堂さん。他にはいない。
402に罪前さん、4階はそれだけだけど、1年前に死んじゃった人は404だったね。
5階には、第1発見者になった、マダムたちがいて、503と505に住んでるみたい」
実際にマンションの窓を眺めながら、居住状況を確認していく。
「……なんか、変だな」
「やっぱりそう思う?」
僕たちは同じ違和感にたどり着いたようだった。
まだまだ入居者が少ないと聖田は言っていて、確かに空室の方が圧倒的に多い。
しかし、この部屋の状態は、まるで決まりがあるかのようだった。
九木は、はっとしてスマホを取り出した。
「どうした?」
「ちょっとね。鴉原さんに、どうしても調べてもらわないといけないことがあるんだ」
メッセージを送信し終え、返信を待つ暇もなく、九木の足は再びマンションに向かい出した。
「もう一回……行ってみようよ。なにか、繋がりかけてきたんだ」
僕は、黙って後について行く。
──それにしても、僕はずいぶんこの女、九木狐十子のことを信頼しているようだ。
あんなマンション、さっさと帰りたいのに、黙って彼女についていく。
「……この機会に、お前に訊いておきたいことがあるんだ」
「んー? 歩きながらでいい?」
「ああ。単純に、お前についてだよ」
歩きながらでいいと言ったくせに、九木は立ち止まった。
「君、そんなこと興味なさそうなのに」
興味云々の話じゃない。僕だってこんな、相手の事情に踏み込むのは嫌だ。
「……僕は、お前のことを信頼している」
「嬉しいこと言ってくれるじゃん」
「だから」
「……?」
「──だから、はっきりと……明確に! ……させておきたいんだよ。お前は、どうして怪異に殺されたいなんて願うんだ?」
「……言わなきゃ駄目かな?」
「相棒って言ったのは、お前だぞ」
「うぅ……」
苦しげに息を吐く。しばらく逡巡して、その間、瞳を自由に泳がせていた。
わずかに雨の匂いがした。見上げれば、厚い雲がまるで、とぐろを巻く蛇のように動いていた。
「……いいよ。少しだけ、話す」
「ああ」
「少しだけ! なーんも面白くない話だよ!」
「いいから話せって」
「……うー」
九木は渋々と語る。しかし、その声色には、押し殺しきれない感情が乗っていた。
「……わたしが小学校の頃。友だちが、事故で死んだの」
恐怖とは、未知だ。
それならば僕にとって、九木は──。




