証言 ‐信者と管理人‐
罪前はドアの隙間から怪しみながら僕たちを確認した。僕たち以外に誰もいないことが分かると、顔つきは変えずに迎え入れた。
「お邪魔しまぁーす」
「……します」
罪前はランニングシャツを上に1枚だけ着て、下はダボダボのジーパンを履いている。ちぐはぐだ。
「狐十子ちゃんだけだと思ったんだがなぁ……」
やはり、下心だったのかもしれない。しかし、期待などしていなかったかのように、「ま、いいか」と切り替えた。
部屋の中は思ったより普通だ。入ってすぐの右手側にトイレとバスルームがある。脱衣所はなさそうだ。
左手側には引き戸があるが、クローゼットかもしれない。
狭めの廊下の奥にリビングがあった。木製のドアが閉じられると中の様子は一切見えない。
「罪前さん、このマンションって、どの部屋も同じ構造なんですか?」
「ああ……天巌の部屋は改築されてるようで、少し広いがな……他は一緒だ」
罪前はしわがれた声をしていた。
「じゃ、羊堂さんの部屋も同じだ」
九木は僕に囁いた。
警察は遺体とともに撤収したが、羊堂宅に入るには鍵と許可がいる。中に入るのが難しい以上、部屋の情報はここで集めよう。
「まあ、座りな」
「はー……い……?」
僕たちはリビングに通されて、すぐ目の当たりにする。明らかに異常な部屋の様相を。
「あんたらのために、朝の配置から変えてねぇんだぜ」
「これは……儀式のための配置ってことですか……?」
中央に敷かれた小さなマットと、タオル。それを四角く囲うように、床に置かれたロウソク……いや、よく見ればアロマキャンドルだ。
それらがすべて、西洋魔術の魔法陣の上に配置されているのだ。
「ぶっ飛んでる……」
「……この魔法陣、最初はフローリングに直接描いてるのかと思っちゃったけど、流石にビニールテープだね」
ロウソクやら魔法陣やら、それっぽくはあるのだが、それぞれアロマキャンドルとビニールテープで代用されている。なんだか半端な感じが否めない。
「でも星太郎くん、知ってる? キリスト教でも、ぶどう酒を飲む代わりにぶどうジュースで代用されてるんだよ」
「これと一緒にされたらたまったもんじゃないぞ」
アロマキャンドルのせいで部屋は花の匂いが充満している。鼻が曲がりそうだ。
テレビや石油ストーブは端っこに追いやられ、テーブルや椅子は奥のキッチンにまで移動している。毎朝、面倒なことだ。
「まあ、そのへん座れや。……ああ。床、冷てぇから、座布団がいるか。クローゼットにあったはずだ……」
そう言いながら罪前は廊下に出て行った。背中が曲がっている。苦労している背中、なんて感想を抱く。
罪前が見えなくなった瞬間、九木は動き出した。
「おい……?」
「調べる。じっとしてらんないよ」
カーテンを開くと、ベランダに通じる窓があらわになる。九木は窓のサッシをしげしげ観察し始めた。
「なんか分かるか?」
「分かんない!」
「元気に言うことじゃねぇな……」
「ただね、相当、気密性が高い気がする」
「そんなこと分かるのか?」
「言ったでしょ? 気がする、って!」
「自信満々で、元気に言うことじゃねぇな……」
「でも、なんか不自然な感じだよ。この窓もだけど、部屋のドアも。なんか……不自然にがっしりしてる。玄関のセキュリティだってそう」
死が仕組まれたものである、と結論ありきで細部を見ていくと、なにもかも怪しく思えるものだ。
「おう、カーテンは開けねぇでくれ」彼が座布団を持って戻ってきた。「ちゃんと閉め切らなきゃいけねんだとよ」
「なんで罪前さんはわたしたちに教えてくれるんですか? 儀式のことは話したら駄目なのでは?」
「気に入らねぇのさ」
罪前は魔法陣の中央、マットに正座した。
「ホームレスだった俺に家を貸してくれたことも、職場を見つけてくれたことも感謝してるが……この薄気味悪い儀式を毎朝やらされんのは苦痛だ。他のやつみたいに、盲信できりゃ気も楽なんだろうがな……」
「複雑ですねぇ」
「そうか?」
「あんたら、羊堂の自殺を調べてるんだろ? 俺も天巌がなにかしたんだと思ってる。
真相を突き止めてよ、この宗教をぶっ潰してくれたらいいよな」
つまり背信ってわけだ。
「それでも、儀式は欠かさないんですか?」
「聖田のやつがドアの向こうで待ってるんだ。なんか、見張られてるみたいでな」
「この部屋には入ってこない?」
「儀式中は1人でやるんだよ」
罪前はタオルを手に取り、自らに目隠しをした。まるでスイカ割りだ。
「儀式っつって複雑なもんを想像してるかもしれねぇが、やることはシンプルだ。目を隠して……」
それから土下座するかのように、体を倒して、額をフローリングにくっつけた。説明を受けても、これは奇行にしか見えない。
「本当ならアロマに火をつけたり、そこにあるオーディオで賛美歌を流すんだ。今回は省くが」
確かに、キッチンの方にラジオのような小さいオーディオがあった。これらはすべて、天巌たちが支給したものなのか。
手がこんでいるが、そうまでして宗教を成り立たせたいのか。
「そしてこのままの態勢でじっとする。心の中に、神の眼をイメージするんだとよ。対話だ、とも説明されたな」
不気味な光景だ。
九木はどう感じているのかと思って横目で見ると、意外にも、冷めた目で罪前を眺めていた。もっと興奮しているかと思ったのだが。
「……さっきは気に入らねぇと言った俺だが……それでも毎朝繰り返す理由は、心が落ち着いて、不安が消えちまうからだ」
「……えっ?」
「バカだと思うだろ? だが、不思議なことに……また続けたいと思っちまう。天巌に、付いていきたいと思っちまうんだ……」
信じた者の不安を取り除く。それがまさに宗教だ。
しかしそれは、まっとうな宗教の在り方であって、こんなヤクザが作った宗教に、そんな効果があるとは思えない。
「ぶっ潰して欲しい……同時に、ここがなくなったとき、俺はどう生きていくべきなのか分からねぇ、怖ぇっていう気持ちもある……」
顔を上げた罪前は、泣きながら笑っているような、曖昧な表情を浮かべていた。
「……なるほど。罪前さん、ありがとうございました。おかげで、少し分かりかけてきました」
「本当か。なら良かった……」
「あなたにとっては、良くない結末になるかもしれませんがね」
「ああ……」
ここの住人はみんな、社会に居場所がなかった人々だ。そんな彼らの、ようやくできた居場所を僕たちは壊そうとしている。
僕たちが間違ってるとは思わない。
ただ、相応の覚悟を持って挑まねばならないだろう。
***
帰り際、僕は蛇岡に質問があったため、管理人室に立ち寄った。
管理人室は物が散らかりまくっていて、ものぐさな中年の自室、という感じが強く出ていた。
受付の窓は少ししか開かず、強引に部屋の中に入ることは不可能そうだ。
だから、奥に見えるキーボックスを開けるには、ドアから入っていかねばならないはずだ。
「なあ、管理人さん。1つ、聞きたいんだが」
「おー? また来たのかよ。暇か? 学校とかどうしてんだ」
「気にしないことにしてるんだ」
「うははっ! そりゃあフットワークも軽そうだ。背負うものが少ねぇんだもんなぁ」
「そんなことより、あんたはどこに住んでいて、ここで何時まで働いているんだ?」
「おいおい、こんなオッサン口説こうってのかよ?」
蛇岡はからかう。髭を剃ったのか、前見たときより顎がすっきりしている。蛇岡は顎をザリザリと擦りながら、管理人室のドアを開けた。入れ、ということだろうか。
「冗談だ。んなイライラした顔すんなよ」
「……生まれつきの顔ですよ」
「ほら、あっち。奥が、俺の部屋になってる。つまり住み込みってこったよ」
僕たちは部屋に入り、奥にドアがあることを知る。
「朝は早ぇぞ。万が一にでも人が入って来れねぇようにするんだからな。朝の5時から、夜の9時まできっちりだ」
「大変ですねぇ」と九木は言い、管理人室の煙にむせた。
「気味の悪い住民どもの顔を、朝から晩まで見なくちゃいけねぇんだ。タバコ吸って肺をいじめねぇとやってらんねぇのよ」
「そういえば、あんたは羊堂が天巌の部屋に怒鳴っているのを見たと言っていたが、午後9時前ということは勤務時間内だったんだな?」
「まったく最悪なことに、そのとおりだ」
蛇岡が午後9時前に管理人室にいたのは判明したが、それ以降から羊堂の死亡推定時刻まで、エントランスを見張っていた人間はいない。
たとえば、1階から階段を上っていく人間がいても、見咎められることはない。
自室から出た天巌が、階段を上っていったとしても、だ。
「でも3階のカメラには誰も映ってないんだよ? あのカメラ、ダミー?」
「いいや。3階のカメラは本物、しかも最新式だ。あからさまな作為を感じるだろ?」
作為しか感じない。
「それに、鍵の問題がある」
蛇岡はポケットから鍵を取り出し、キーボックスを開け始めた。
「このキーボックスも、各家のドアも、ピッキング防止加工が錠に施されている。適切なパートナー、つまり鍵がいねぇと開かねぇ」
そして、開帳。歯抜けになっている鍵の列が並んでいた。
「ここにいる鍵はみんな空き室の鍵だ。入居済みの部屋の鍵は、住人が所持している。スペアはない。
羊堂の部屋の鍵は、あいつが持って、そのまま室内で死んでいた」
「当日、羊堂さんの様子を確かめるために、聖田さんがマスターキーを借りに来たんですよね」
マスターキーは端に収まっているらしい。特に他の鍵との差異はない。
「そうだ。ヒントをやろう」
蛇岡は笑いを噛み殺しながら言う。
「あの日、俺に──」
「私が、どうかしましたか?」
その声が聞こえた途端、他の一切の物音が消えたようだった。
恐ろしくも神秘的な空気をまとい、彼女は現れた。
「蛇岡。ずいぶん仲良さげに喋っていましたね」
蛇岡は少し目を見開いたが、また余裕がある素振りを見せた。
「……あちゃちゃ。お嬢、こいつは……」
「ここで私をお嬢と呼ぶな。……そう言っているでしょう?」
「……へぇ。こいつは失敬。教祖サマ」
ヤクザの教祖様は、僕の前に歩み寄り、にこりと微笑んだ。
──彼女がサングラスを取れば、僕は呪い殺されるのだろうか?
「少し、お話しましょうか?」




