推理 ‐邪視‐
事件があった日から数日が経過した。
当然のことだが、事件をその日のうちに解決、なんてファンタジーな出来事は起こらない。僕は一旦退屈な日常に戻った。
数日間、九木も鴉原も姿を見せず、メッセージも来なかった。
忘れているなんてことはないだろうから、結局怪異は関係なく、事件は自然と解決したのだと僕は納得していた。
しかし、災難はそう簡単に取り払われたりしない。
忌まわしきバイブレーションが聞こえた。スマホの画面には、九木の名前が。
「儀式! 星太郎くん! 儀式しに行こう!」
***
九木はあの日と同じく、真っ白なコートをまとっている。かくいう僕も同じ、上下ともに真っ黒で、再び白黒並び立つはめになった。
「わたし、前に1人で儀式を見に来たんだよ」
開口一番、とんでもないことを言う。
「儀式……って、ここの? 例の怪しいやつ?」
「でも、駄目だって追い返されちゃった。どうしようかなーって考えてたんだけど、罪前さんが」
「罪前?」
「覚えてない? 聖田さんに案内されたとき、すれ違ったお爺さんだよ」
「あー……いた気がするな」
「あの人に誘われたの。儀式、こっそり見せてやるから来なさい、って」
「マジ……?」
爺さんの下心じゃないだろうな。だとしたら僕は歓迎されないだろう。
いや、それより恐ろしいのは……。
「実は天巌の差し金で、僕たちまで殺されるんじゃないだろうな?」
「あはは。天巌さんはそんなことしないよ」
なにが分かるんだ、という僕の気持ちを読み取ったのか、九木は諭すように説明を始めた。
「あのね。天巌さんは天巌組の組長さんの、娘なんだよ。天巌組のことはよく知らないけど、それなりに影響力はあるはず。そして天巌さんはかなりの権力を持ってる」
「こんなマンションに、宗教まで作ってるんだから、そりゃそうだろうな」
「そんな人が、ちっぽけな理由で人を始末しようとしたりはしないよ。上に立つ人はきっと、器の広さも大事だから」
「……まあ、確かにな……」
「わたしたちなんてチョロチョロ走るネズミみたいなもんだよ」
「だが……その罪前が狂信的な信者で、独断でネズミを始末しようとしてる、ってことはないのか?」
「……あっ」
考えてなかったのかよ。安心しつつあったのに、一気に不安だ。
「ま、まぁ大丈夫! いざとなったら全力疾走! 行こう!」
「……あ、待てよ。
つまり……羊堂が天巌に殺されたのだとしたら、羊堂は、よっぽどの理由があったから殺されたってことになるのか?」
「え……あー……確かに……?」
虚を突かれたようだ。
この女、儀式以外のことを、ほとんど考えていないのか。
「……本当に大丈夫かよ……?」
今日が命日かもしれない。
マンションを見上げる。流石に、警官の姿は消えている。羊堂の部屋も、封鎖は解けていた。
「あ……忘れてた。天詩さんからのリーク、教えておくね」
「リーク?」
「警察の捜査状況。あれから調べられたこと、送ってくれたんだよ」
「……そういうの、駄目じゃねぇの? え、駄目だよな……?」
当たり前のように行われているため、実は問題ないことなのかと惑わされる。
「あの人はずっと、法より昇進の人だから」
「バレたら昇進どころじゃないだろうが……」
「ともかく、情報ね。まずは羊堂さんの司法解剖の記録だよ」
「解剖されたのか」
「状況は自殺だけど、背景が物々しいからね。一応、犯罪性はあるとして捜査してるみたい。現状は」
「現状、ね……」
「死亡推定時刻は当日の午前0時頃」
「間違いはないのか?」
「現代の検死技術に間違いはそうそうないね」
発見されたのは朝の6時頃とされていた。とすれば、ちょうど6時間前くらいか。
「それから、体内から薬物反応が検出されたそう。睡眠薬だと思われるって」
「服用してから自殺か。自然だな」
「後は監視カメラの記録だね」
「また、カメラか……」忌まわしき、あの。
「管理人室でデータは見られる。蛇岡さんに頼んで確認したらしいよ」
「どこにあるんだ?」
「エレベーターの中、屋上につながる階段の踊り場。そして3階の廊下の中央にある階段横。計3個」
「あ? おかしくないか?
3階は羊堂の部屋がある階だろ。そこにちょうど監視カメラが?」
「さらに恐ろしいことを言うと、その監視カメラ、割と最近。事件の2週間前くらいから設置されたらしいよ」
本当に恐ろしい。これでなんの作為がないと言われたら、それが一番恐ろしい。
「……それで? なにが映っていたんだ? どうせ犯人なんか映ってないんだろ?」
「そう。犯人は映ってない。けど、被害者の姿はきっちり映ってる」
そりゃ映ってなかったら問題だ。
「だいたい午後9時頃、羊堂さんが1人で自室に帰る姿が残ってる。ちなみに、映像が改ざんされた形跡はないらしいよ」
「羊堂……というより、あそこの住民は一人暮らしばかりなのか?」
「そうだね。家庭とか、社会から外れた人を住まわせてるわけだから」
とても善意による賃貸とは思えない。仕事の斡旋とやらもきな臭い。
崇眼教会がどこまで本気なのか分からないが、あくまで本質は、天巌に仕える手駒を増やしているだけなのだろう。
「話を戻すけど、羊堂さんはそれ以降、部屋から出てきてない。部屋に侵入した人もいない。
なんと、それどころか3階を訪れた人すらいない」
「3階には羊堂以外住んでないのか?」
「そうみたい。……居住者が少ないのはそりゃそうだろうって感じだけど、みんなバラバラに住んでるのは不思議だよね。住民が自由に選んだのか、天巌さんとかが決めてるのか分かんないけどさ」
「天巌は103号室だったな。で、聖田は101号室。あの護衛みたいな男も、1階だろうな。護衛なら天巌の隣じゃないと意味がない。104号か102号あたりか」
天巌に特に付き従う者が1階に住んでいるようだ。
「そしてこれは、管理人の蛇岡さんの証言だけど、羊堂さんが自室に戻る前どこにいたかというと、天巌さんの部屋なんだよね」
「……おいおい」
それは、もう。
「あ、君がなに言いたいのか分かった!」
「誰だって分かるだろうな……」
「せーのっ……」
「明らかに天巌が犯人だ」
「天巌さんが犯人確定だ!」
概ね一致。
「……だろうな。これで天巌が犯人じゃなかったら、そっちの方がミステリーだ。警察も他殺を確信して捜査しているんだろうな」
しかし九木は困ったように、口元に皺を寄せた。
「警察にとって問題なのは、犯人が誰か、じゃないみたい。どうやって羊堂さんが殺されたか、だよ」
「密室に加え、3階に誰も来なかった。不可能犯罪だ」
「警察が二の足を踏んでるのは、殺害方法が分かってないことと、もう一つ」
「それは?」
「最有力の容疑者がヤクザの一人娘だってこと」
なるほど、話が見えてきた。
「天巌による犯行だって、確たる証明ができずに逮捕しようもんなら、天巌組が黙ってないってことか……」
「昔と違って暴力団の力はそこまで強くない。でも、たぶんそう単純な話じゃないんだろうね。そのへんの裏の話は分かんないけどさ」
逮捕してみたはいいものの、証拠が見つかりませんでした、では取り返しがつかない、ってことだ。
僕たちはほぼ同時に、重いため息を吐いた。
「邪視の呪い、本物かな?」
「偽物であってほしいな」
「じゃなきゃ逮捕できないもんねー」
それ以前に、今からマンションに向かう僕たちの命が危ないんだよ。
「……あ、あともう1個。羊堂さんだけど」
「まだなんかあんのか?」
「前科持ちなんだって。二十歳のとき、1年くらいの。初犯らしいけど」
1年で出られるなら、殺人ではない、か?
「罪状までは分かんない」
「だからこのマンションに、って感じか」
「だろうね」
その結果、殺されてるんじゃあ、贖罪もあったもんじゃない。




