邪悪な視線
雲が黒ずんで、空模様が不穏になってきた頃に、鴉原は戻ってきた。
一人の男を連れてきた。
雑然と生えた顎髭と、白髪混じりの短髪。中年ぐらいの見た目だが、若者らしいピアスを付けている。
「このマンションの管理人、蛇岡さん」
戻ってくるなり、鴉原は簡素な紹介をした。
「偉い人?」
九木は同じくらい簡素に訊ねてから「天巌組の」と付け加えた。
すると管理人、蛇岡は掠れ気味の声で答えた。
「いやいや。俺ぁただの下っ端っすよ。三下、三下」
卑下して笑う。しかし目は笑っていない。どんな立場だろうが、ヤクザには変わりない。
「鴉原さんには借りがあるからよぉ。若の仇、取ってくれたからなぁ……」
「鴉原さん、ヤクザに恩を売ったんだねぇ」
「いや……違……そ、それよりさ!
事件の話、2人も知りたいでしょ!」
「なんで彼を連れてきたんです?」
「この人から話を聞いたほうが面倒がないと思って。あたしが知ってることは、この人もだいたい知ってる」
「なるほど」
勝手に知りたいことにされているが、本音を言っていいなら今すぐ帰りたい。
「答えられることなら話すけどよ」蛇岡は後頭部をガシガシ掻く。「なにから知りてぇのよ?」
「じゃあまず、遺体発見時の話をお願い」
どのようにして事件が発覚したのだろうか?
***
「第一発見者は聖田だ。知ってるか? 101号に住んでて……」
「あ、知ってますよ。昨日、わたしたちを案内してくれました」
「あぁ……そういや、あんたら一緒にいたな……確か」
そういえば昨日、管理人がいたが、確かに彼だったかもしれない。
「ここの連中は日曜を除いて毎朝6時、儀式を行う。それは毎回、決まった順番で1人ずつやるんだ」
「1人ずつ? なんか……不思議。一斉にやればいいのに」
「いろいろ考えがあんだろうなぁ。知らねぇけど」
どうやら蛇岡は管理人ではあるものの、信者ではないようだ。天巌組の下っ端として、仕事を任されているだけ、ということか。
「それでな、儀式のために聖田が羊堂の部屋、305号室に来て呼んだんだが、応答がなかった。インターフォンもノックも聞こえてない様子だったから、俺のところまで来てマスターキーを受け取った。それで開けたら、死んじまってたってわけだ」
「マスターキーがあるんですか?」
「あるさ。だが、俺の部屋のキーボックスに入ってるしよぉ、それを開ける鍵は俺が持ってるから、基本的には誰も開けられねぇのさ」
「なるほど」
蛇岡はなにが面白いのか、にやにやしながら話を続ける。
「ちなみに、聖田の他には5階に住むマダムたちが発見者だ。儀式は最上階から順に行われるんだが、そのお節介なマダムたちは儀式の始まりを、聖田とともに告げていたわけだな」
「聖田さんたちはドアを開けて、それから?」
「異臭がするってんで換気をしつつ中に入っていくと、ベッドに横になったまま、逝っちまった羊堂を発見したのさぁ」
「寝ていたってことですかね? 異臭は石油? ストーブはまだ点いてました?」
「いんや。燃料切れ。ストーブもお亡くなりだぁ」
羊堂は眠ったまま、ストーブを点けっぱなしにし、一酸化炭素が部屋に充満して中毒死となった。
事故ではないというのは、精神の病と部屋にあった遺書で判明したらしいが。
「遺書もなぁ。怪しいもんだ」
「そうなのか?」
「遺書はワードかなにかで書かれたのを印刷されていた。だが、印刷なんてどこでも、誰でもできるぜ?」
「ちなみに、羊堂さんの部屋からパソコンは見つかってない。今、所持していたスマホを確認中」
果たして元の文書なんて残っているだろうか? 偽造されたのなら、隠滅されているはずだ。
「ところで、なんですけどー」
九木は気怠げに問う。
「鍵はちゃんと閉まってたんですか?」
「閉まってた。ここ、セキュリティだけなら高級マンションでよ。なんだ? 聖田がピッキングでもしたとか疑ってんのかよ?」
「いやいや。まぁ言ってみただけですよ」
九木はヘラヘラしている。
「つぅかよ、少なくともマダムたちも、他の住民も犯人じゃねえ。他殺だとして、の話だが。
俺が管理人室でいろいろ聞いていると分かるが、あいつらは口を開けば『神様、教祖様』だ。頭ん中は空っぽなんだよ。人を殺すような頭ぁ持ってねぇのよ」
「聖田さんも?」
「あいつも……だが、仮に。命令されたとしたら……」
命令だと?
それはつまり……。
「それって、天巌のことか? 天巌の言うことを聖田がなんでも聞き……殺人を行わせた、って可能性が……」
蛇岡はげらげら笑い出した。豪快だ。
「それは、あるなぁ」
「あるんですか? 本当に?」
「あんたらも分かってんだろ。今回の事件、自殺だろうが他殺だろうが、裏で手を引いているのは、教祖の天巌魔希だ」
「それは……」
そうだろう。先ほどの天巌の態度からも察せられる。まったく関係がないなんて、あり得ない。
「おまけで面白い話をしてやる。数日前、羊堂は、103号室のドア前で、誰かと言い合いをしていた。
いや、言い合いってか、一方的に罵っていた、かなぁ」
103号室の住民は、天巌だ。
「なにを言っていたのかは知らねぇが、2人の間に軋轢があったのは確かだと思うなぁ。これ、動機になりそうじゃねぇか?」
仮にも自分のボスの娘だというのに、蛇岡は忌憚なく物を言う。娘に対しては忠誠心などないのかもしれない。
「……有益で面白い話、ありがとうございまーす」
「じゃあ面白ついでにもう一個。分かってるだろうが、天巌を追い詰めるのは難しいぜ」
「そりゃそうでしょう。現場は密室だし……」
「いや違ぇんだ。あいつはきっと、追及されたとしてもこう答えるはずさ。『呪い』だ……ってよ」
「の……呪い?」
「呪いだと?」
僕と九木の声が重なった。
「あいつの眼は……呪いの眼、らしいぜ。この宗教が成り立った、根源的な要因だ。奴はかつて、俺に言った」
蛇岡は自分の瞼に指を置く。
「『この眼は邪悪な眼、邪視なんだ』……とよ」
「邪視……!」
九木が興奮気味になる。それだけで分かる。また、この類いの面倒事だ。
「あんたら、呪いによる殺人ってよぉ、罪に問えんのか?」
密室呪殺事件。
バカバカしいにもほどがある。
***
邪視、とは。
これまたネット上に投稿された怪談だ。
語り部の少年は叔父の別荘に遊びに行った。そこで楽しく過ごしたのだが、悲劇は翌朝に起きる。
少年は望遠鏡で裏庭の森を覗いた。
そこには、おぞましい影がいた。
人の形こそしているが、決定的に異なる箇所がある。
鼻や口は人間のようだが、眉間の単眼が、奴が化け物だと証明していた。
それを目撃した瞬間、負の感情がとめどなく溢れ出す。少年だけでなく、駆けつけた叔父も、望遠鏡を覗いて苦しみだした。
彼らは、奴が逃げても追いかけてくることを感じ取り、迎え撃つと決めた。
ここでは内容は割愛するが、少年と叔父は力を合わせ、なんとか化け物を撃退することに成功した。化け物は不浄のもの、汚らわしいものが弱点だった。
叔父は語った。かつて、海外で似たような経験をした、と。
叔父は友人に、面白いものを見せてやると言われ、路地裏の怪しげな家に連れられた。そこでとある男と出会う。
その男こそが、邪視の持ち主だった。
叔父は彼の裸眼を見た瞬間、とてつもない鬱々とした感情に襲われた。とにかく死にたい、と思ったらしい。
催眠や男の眼に細工があるとか、そういうものではない。
邪視の力とは、非常に強力で、人を死に誘うものなのだ。
少年と叔父が見たのも、邪視の持ち主だという。化け物のような姿となっている理由は見当もつかないが。
以上が、邪視の話だ。
***
「そもそも、邪視っていうのは、ネットに投稿される前から、実際にある呪いなんだ」
水を得た魚のように、九木は語り続けた。
「呪いが実際にある……認めたくねぇ……」
「そこはまあ、置いといて。で、邪視はいろんな国で、昔から伝わってきている災いの力なんだよ。視線を向けた相手を呪う。相手は衰弱し、そのうち死んでしまう……」
丑三つ時に相手の写真をわら人形に貼り付け、釘を打ち付けてやっと成立する呪いもあるというのに、見るだけとは。そんなの、釘を打ってるやつがバカみたいじゃないか。
「もしかしたら、羊堂さんは、天巌さんに呪われたのかもね」
「あのサングラスの下が、邪視だって?」
「呪われた結果、精神を病んで自殺を選ぶ……っていうのなら、納得だね」
仮に呪いが本物だとして、やはり問題は、蛇岡が言ったことだろう。
「呪殺なんて、証明できねぇだろ……」
「困ったねぇ」
まったく困っていない、嬉々とした調子で九木は言った。




