呪具の正体
ほのかに抱いていて、目を逸らしていた嫌な予感は的中した。
「つまり、蛙辺さんも深夜のアリバイがない、と……」
最後の聴取が終わった結果、新しい情報は得られなかった。どん詰まりに着地してしまったのだ。
「絶望的な顔やなあ」
どこか愉快げに荒鮫が言う。
「教えたるわ。ズベは半年前にここに来たばかりや。ワシがさっき言った動機に、こいつは当てはまらへん」
とはいえ、動機がすべてではない。
「昨晩、麻貝さんが事務所を閉めたとき、蛙辺さんは外に出るまで、少し時間がかかったらしいですね。その理由を教えてください」
「なんでも、ないっす。片付けが残ってたの忘れてて、急いで済ませたんす……」
蛙辺の目は泳いでいたが、それが嘘をついているからか、人の目を見るのが苦手だからかは、判断できない。
「……蛙辺さんはどうして組に?」
「あ、え」
「最初、あなたは獅子場さんの遺体から必死に目を逸らしていました。そんな人がヤクザというのは、どういう経緯があったのかと気になって」
「俺は……獅子場さんが拾ってくれたんす……」
「拾われた……」
蛙辺は少年のように照れている。
「アルコール依存になってたズベを、若が拾ってきたんや。初めて見たときは笑うたで。ボロッボロやったからな」
「へへ……すんません」
「ええとこの大学出たって言うてたのに、恐ろしいもんやなぁ。酒っちゅうのは」
「蛙辺さん、頭良いんですね」
「良かった、っすよ」
蛙辺は唇を噛む。過ぎてしまった日々と、失った恩師に思いを馳せているようだ。
「──で、どうなん? 刑事さん。万策尽きたようやけど」
「う……」
藁にもすがる思いで遺体に目をやる。
そういえば、まだ解けていない謎が──解けていない謎ばかりだが──彼の手に残っていた。
「獅子場さんが握ってるあれ、どうにかして取れないですかね……」
おそらくは死に際に掴んだであろう、謎の小物だ。体の下に仕舞うほど大事なものだったのだろうか?
「動かさなきゃアカンなぁ。まあええか」
荒鮫が遺体を動かす。慣れている気がするが、深く考えない方がいいだろう。
キラリと、光るものが遺体から床に落ちる。金色に輝いている。
拾い上げてみるとペラペラしている。金の、メッキではないだろうか? 何故、こんなものが。遺体のどこから落ちたのか見えなかった。
「なんやこれ。4、5、6……うん十面体の……箱やな」
「ここにあったものじゃないんですか。その……呪具の1つじゃ」
「言うたやろ。呪具は売るけど、内容に興味ないねん」
「あっ……それ、アレっすよ!」
いきなり、蛙辺が大きな声を出した。
「やっぱコレも知ってんのかい。なんやねんコレは。そもそもなん面体や?」
「……正二十面体のパズルです」
「パズルぅ? 正二十面体ぃ? お、ほんまや。動く」
荒鮫は箱を両手でこねくり回す。すると面の一部が小さな音を立てて隆起した。それを押すと、また別の面が逆に沈んでしまった。
しばらくカチカチ動かしていたが、どうにもならないので荒鮫は箱を置いた。
「……分からんわ。完成図も知らんのに、できるわけないやろ」
「熊や鷹、魚の形に変わっていくんすよ」
「どんなんになるかはどうでもええねん。結局、こいつがなんやって話や。呪具なん?」
「それは確か、『リンフォン』と呼ばれるものです」
「リンフォンんんー? どことなく中華っぽいな。誰か中国で買ったんか?」
「俺も詳しくは知らないんすけど……有名な呪具っすよ。パズルを完成させていくと、良くないことが起こる……」
荒鮫は鼻で笑う。
被害者はパズルを完成させ、呪いで死んだ……というわけではないだろう。では、なぜそんな胡散臭いものを死に際に掴んだのか。
リンフォンについて、詳しく知りたい。
呪いが実在すると思っているわけでは、断じてない。
ただし、被害者が呪具に恨み以外のなにかを込めていたのは確かだ。
そのためには、やはり聞くしかない。
「荒鮫さん。もう一度、電話させてください。さっきの子に、聞きたいことがあります」
***
与えられた時間は1分増えて、3分間。あたしの運命を決定づける、と言っても大げさじゃない。
「狐十子!」
狐十子は鼻をすすりながら、気だるげな声を出す。
「……寝たいんだけど」
「いいから! 聞きたいことがあんの!」
「チェス盤のことなら、あれから調べたけど、やっぱりなにもなかったよ……」
「チェス盤? それはもうどうでもいいから!」
小さく「終わってるよ、あんた」と聞こえた。なにを言っているのか、よく分からない。
「リンフォンって知ってる? 知ってるよね?」
「リンフォン? 有名だよ!」
明らかに声が明るくなった。
「簡、潔、に! 説明して! 正二十面体のパズルだってことは知ってるから。これを持ってるとなにが起こるの?」
「持ってると……っていうか、なにが起こるかなんて分からないよ」
「はあ? なんで分かんないの?」
「なんでって言われても。
この話を投稿した人は、恋人がアンティークショップでリンフォンを買ったって言うんだ」
「んなもん、普通に売ってんなよな……」
「天詩さんが言ったとおり、それはパズルになってる。恋人さんがパズルを組み立てて熊とか完成させていくとね、知らないところから電話がかかってきたり、悪夢を見たり、酷い目にあっていくんだ」
「ふーん」
「……星太郎くんと違って、本当に興味なさそうだね」
「だってないし」
「……で、占い師に教えてもらうんだ。その箱は、極小サイズの地獄だって。地獄……明らかにヤバいよね。電話の相手は地獄にいるんじゃ、とか……想像でき──」
「で、オチは!?」
風邪にもかかわらず流暢に喋るが、こちとら時間が限られている。
「本当に話し甲斐がない……。
恋人はそれを捨てて、なんとか災難から逃れるんだよ。でも後から気づくんだ。リンフォンの表記を変えて、『RINFONE』とする。その綴りを並べ替えると『INFERNO』、つまり地獄になる……ってね」
「……な、なんじゃそれ……」
いくらなんでも、それはないだろ、それは!
「あんたって、そんなの本当だって信じてるの? どうなの、それ」
「あのね。本当か嘘かなんてのはどうでもいいんだよ。大事なのは面白いかどうかと、怖いかどうか、だよ。怖い話を楽しむコツだね」
「……ま。あんたの趣味に口出すつもりないし、いいけどさ」
「ちょっと出したよね?」
荒鮫が咳払いをした。時間を確認すると、3分は超えていた。いくらか許されていたらしい。
「じゃ、あんがとね。風邪治しなよ!」
「ん。……あ、天詩さん」
「なに?」
「頑張ってねー」
それを最後に、通話が切られた。
「頑張ってね……って、なにを?」
まさかとは思うが、あたしが今、なにに巻き込まれているのか分かっている……なんて、流石にないだろうな。
初めて会ったときも感じたが、あの女こそ人ならざるなにかじゃないのか。不気味で、不思議な女だ。
そんなやつも風邪を引くというのは、なんとも間が抜けているが。
「なんやねん、そいつ……。
ほんで、なんか分かったんか? よー分からんオカルトの話されただけやないか」
「まあ……」
意図があるはずだ。なにか、意図が。
「このパズル、どこに置いてありました?」
蛙辺が机の角あたりを指さした。
「確かに、そのへんにあった気ぃするわ」
チェス盤とは少し離れている。そうであれば、順番は不明だが、リンフォンを持って、チェス盤に触れた。偶然手が触れたとは考えにくい。
意図的、といえば。
椅子の上にあるキングの駒は特別、意図的ではないだろうか。1つの駒だけ、椅子の上に落ちるなんて、偶発的に起こるとは考えにくい。
死亡する直前、リンフォンを握り、キングを椅子に落とした。
キングとリンフォン。
「キングが椅子の上……まさに王様って感じ……」
被害者は良い大学を出ている。だからというのも安直だし、根拠とするのも弱いが、一考に値する。少なくとも外国によく行くらしい。
「──玉座」
蛙辺が呟く。
「あ?」
「玉座を英語に直すと、なんでしたっけ……」
電波が受信され、周波数が合ったかのように、あたしにもメッセージが伝わった。あたしは荒鮫に向き直る。
「……あの、辞典あります? 和英辞典とか」
「そのへんにあったんやないか。取って来たるわ」
「どうも」
「……なんや。思いついたんか」
確信はない。しかし、不思議な高揚感はあった。小さな火種が、どんどん勢いを増すような。
蛙辺はすでに、真相に気づいているようだ。
部屋から出ると、明らかにうんざりしている麻貝と火蜂の姿があった。
「おーい……まだかよ……」
麻貝はソファに寝転んで、火蜂は足を組んで目を閉じていた。
「麻貝さん」
「あ……? なんだよ、そんな神妙な顔しやがって……」
「麻貝さんは荒鮫さんと一緒に遺体を発見したとき、現場にあるものを触りましたか?」
「さ、触ってねぇよ。なんだ!? なにが言いてえ!?」
「ええから答えんかい麻貝!」
荒鮫の一喝に、麻貝の勢いは冷却される。
「さ……触ってねぇ。触るわけねぇだろ」
それが聞きたかった。現場に手が加えられていないのであれば、あたしが最初に訪れた際、見たものがすべてだ。
「犯人が分かりました。たぶん」
「たぶんんんー?」
「分かりました! はっきり!」
「たぶん」くらい言わせてほしい。ここは言うべき場面だ。
「──犯人は、あなたですね。火蜂さん」




