捜査 ‐事務所‐
興奮気味の麻貝と、ストッパーの火蜂を別室に移し、あたしは捜査……とも呼べないような、確認作業を続けた。
現場には呪具が並べられた机と椅子。遺体の側には低めのガラステーブルとソファがある。本棚が壁の一角にそびえていて、ビジネス本や辞書などが収まっていた。
椅子の背後には、いかにもヤクザという感じの、達筆の書が飾ってあった。
ソファからはブランケットがずり落ちていた。亡くなる前まで、ソファに座っていたのかもしれない。
しかし遺体は机の前で倒れている。移動したのか、それとも。
「……念のため。窓からも侵入は無理なんですね?」
現場の部屋には窓がない。窓があるのは執務室と給湯室だ。
「無理や。窓は人が通れるようになってへん。まともに開かん、特別仕様なんや」
「……防音設備といい、窓といい。なんか、こだわってますね」
「いつドンパチが始まってもええように、防音にしてる。窓は侵入を防ぐため。1階がなぁ、工務店の事務所なんや。うちと仲良うしてくれてるんやで」
仲良う、ねぇ……。
「あ、工務店の人に対しても、獅子場さんはドアを開けません?」
「開けへん。絶対。深夜になんの用ってんで、怪しむやろうな」
「獅子場さんについて教えてください。どんな人なんです?」
血なまぐさい話が聞けてしまいそうで、恐々とする。
「獅子場さんは凄い人……やった。なんていったって、ワシらみたいなアホと違って、いいトコの大学出てるんや」
「頭良いんですねぇ」
「良いなんてもんやない。海外にしょっしゅう行って、取引しとる。……もはや日本にいることの方が珍しいんやないかってくらいやな」
「え。そんな人が、どうしてヤクザなんて」
言ってから、失言だと後悔した。殺される。
「ガッハッハ! ほんまやな! ワシにも分からん!」
「……っすよねー……へへ……」
「まあ、海外の曰く付きのもんを仕入れたり、商談のために行くわけや。近年は儲からん言われてるヤクザでも、あの人は稼いどる」
「……っすかー……はは……」
いくら凄い人と言っても、結局はヤクザだ。ヤクザが稼いでることほど、あたしたちにとって困ることはない。
「……あ、チェスが好きだったんですか?」
「あ? なんでや」
「え、だって机の上……」
呪具だと言われていたチェス盤だ。飾られていただけとは思えない跡があった。
「つい最近、ゲームしたような形跡があるんで……」
「あー? ……せんやろ。呪具やで、それ。駒に触った人間を病気にするって奴やで」
「病気ですか!?」
「遊んどるの見たことないしなぁ。しかもそれ、遊んだ跡やなくて、ただグチャッと駒をばらまいただけやないか?」
チェスどころか、将棋も遊んだことがないので、どういう形が正しいのかも分からないのだ。
でも確かに、名も分からぬ、ボウリングのピンのようなものが倒れていて、遊んだというより散らかした感じだ。
「……あ、1個。椅子の上に落ちてますね」
黒い革の椅子に、駒が1つだけ落ちている。他はすべて盤上に残っているが、これだけ転がったのだろうか。
「キングやな」
「王ですか。はぁー……」
まあ、だからなんだという感じだ。
「──それ、違うっすよ」
「うおっ! 蛙辺おったんかい!?」
そりゃ、いるだろう。あたしも忘れかけていたが。
「……で、ズベ。違うってなにがや」
「えっと、触った人を病気にするのは……そっちの人形で、チェス盤じゃないっす」
「蛙辺さんは呪具に詳しいんですか?」
蛙辺はあたしから顔を背け、ごにょごにょと喋る。
「え……検品とか、担当してますんで……」
「じゃあチェス盤はどんな効果があるものなんです?」
「ヨーロッパの廃墟から見つかった、と言われているものです。特に、なにかしたらというわけでもなく、持ってるだけで霊障が発生する……っていう類のものです」
「シンプルに激ヤバやないか」
信じてない、とはいえ。そんな呪具を飾って、当人が死亡したとなれば、なにかしら原因があると疑いたくなる。
「そ、そのチェス盤っすけど……確か昨日の夕方頃は普通に、駒が綺麗に並んでたんすよ。机の上、俺が掃除してたんで、覚えてます」
「じゃあもしかしたら、獅子場さんが亡くなったとき、駒が崩されたってこと?」
たとえば椅子に座っていて、命を落とすような出来事が起きる。そのときチェス盤に触れ、さらに箱を握る。机から離れて倒れ、死亡する。
しかし、ブランケットが落ちていたことから被害者は直前までソファに座っていたのではなかったか? あたしの推測にすぎないが、辻褄が合わないような。
なにか意図を感じるのは、気のせいだろうか?
「あの。荒鮫さん」
あたしはおそるおそる、提案する。
「なんや」
「その……ちょっと、連絡したい人がいるんですけど……」
「駄目に決まっとるやろがい」
そりゃそうだ。しかし。
「警察じゃなくて! でも、こういう謎が得意な人がいて……」
「お前が合図して、そいつが通報するかもしれへん」
「じゃ、じゃあ、スピーカーにするんで、隣で聴いていてくださいよ。あたしが合図みたいなのしたと思ったら殴っていいですよ」
「……そんな頼れるやつなんか?」
「え、ええ。もちろん」
やはり、荒鮫はこの中でも話の通じる人のようだ。蛙辺は……と目をやるとすぐに知らん顔をした。
「……ほな、3分。いや2分や。ここで話せ。少しでも変なこと言ったら、分かってるやろな」
「は、はい!」
呪いの道具が直接的に関わっていないとしても、現場の作為は明らかになるかもしれない。
あたしは、呪いに詳しいあいつの知恵を借りることにした。
***
「良かった、狐十子! ちょっと知りたいことがあるの!」
「なに、天詩さん……」
狐十子の声は枯れていた。鼻声で、おまけに息が苦しそうだった。
「狐十子……まさか……風邪?」
「……うん。熱が酷い。全然頭が回らない……」
なんてこった。彼女の知恵が頼りだったのに、間が悪い。
「なんで風邪引いてんの! もうちょっとタイミング選んでよ!」
「……言ってることヤバイよ」
隣で荒鮫が時計を見続けている。1秒も超過させないつもりだろう。与えられた時間は2分だ。
「あ、あのさ。呪われたチェス盤って知ってる? 呪いの道具的なやつなんだけど」
「呪い!? ……う、げほっ」
興奮して、すぐに咳。
「えっと……なんだっけ。持ってると霊障が起こるってチェス盤なんだ」
「うーん。それ、駒が勝手に盤上に出てきたり、夢の中に出てきたりする?」
あたしは蛙辺に目線をやる。スピーカーだから、聞こえているはずだ。
彼はあたしとは目を合わさず、首を素早く横に振った。
「いや。そんなのはない」
30秒ほどの沈黙。その間、狐十子は思索を巡らせていたのだろうが、あたしは焦っていた。
「じゃあ……困ったな。わたしは知らないなぁ……」
「あんたでも知らないの?」
「う……恥ずかしながら、分かんないや」
希望が潰えた。荒鮫が小さく、「残り30秒」と告げた。
「そ、そっか。悪いんだけど、チェス盤にまつわる呪いの話とか、調べておいてくれない? また後でかけるから!」
「……寝ていたいんだけど」
「お願いね!」
「ああ……この不良警官──」
急いで通話を切った。荒鮫は舌打ちをする。なんでだ。超えていたほうが良かったとでもいうのか。
「今の奴は誰──いや、それよりお前、なに勝手に後でかける約束してんねん。許可してへんぞ」
「ば、バレました? へへ……」
「……まあええわ。若の死因が分かるんなら、それが一番やからな……」
「あたし、見当もつかな……」
「1つ、忠告しとくで」
「はい?」
荒鮫は瞳孔の開いた瞳を、あたしの平凡な瞳に合わせる。
「もし、適当なことを言ったら、大変なことになるで。ワシはともかく、外にいる2人は……お前のこと、許さへんやろうな」
「……」
心臓が痛い。
仮にここから無事に出られたとして、精神になにかしら後遺症が残ってもおかしくない。




