呪具
被害者は天巌組の若頭、獅子場。年齢は30代から40代ほど。正確な歳を関係者に訊ねるのは怖くて無理だ。
現場は組の事務所。平々凡々な街並みに溶け込んだ雑居ビルの2階だ。
入口からすぐが執務室──そう呼ぶしかない──だ。机が対面で並べられており、少し型の古いパソコンが置かれている。
執務室からはすべての部屋にアクセスできる。給湯室にトイレ、倉庫と小部屋。
そして、若頭の私室だ。部屋の主は中心で倒れていた。わたしたちは彼を囲んでいる。
「あの……この方、本当に亡くなってるんすか……?」
「当たり前だろが!」
とはいえ、出血が見られない。
「外傷はなさそうだ。服の下も確認しておいた」
死因が気になるところだが、目下一番の悩みは正確な検死ができないことだ。検死どころかまともな捜査も不可能だ。
署と連絡ができないため、できることはかなり限られている。
……何故、こんな目に?
「先に言っておくで。若の遺体は麻貝とワシが事務所を開けたときに発見した。そして事務所は施錠されていたはずなのに、どういうわけか開いてたんや」
「あの、麻貝さんというのは……」
「俺だ!」
なるほど。大きくざらついた声を荒げ、誰よりも殺気立っているのが麻貝か。ヤクザというよりかは、繁華街のチンピラといった印象だ。
どうあれ、おそらく彼を刺激すると、あたしの命は一瞬で散ることになる。
一方で、眼鏡の男は物静かだ。どことなく大学の教授を思わせる。
彼はあたしの視線に気づき、眼鏡を指で押し上げながら名乗った。
「火蜂だ。そして君を連れてきたのが荒鮫」
「はぁ、どうも……」
声が大きいのが麻貝。冷静なのが火蜂。関西弁の大男が、荒鮫だ。人の顔と名前を一致させていく。
そして、部屋にはもう1人いた。離れた場所に立っていたから、気づくのに遅れた。ここまで一言も喋らず、遺体から目を逸らしていた。
「彼は……」
「蛙辺! テメェもこっち来い! 端っこで縮こまってんじゃねぇ!」
「す、すんません! 麻貝さん!」
ヤクザにしてはおどおどした男だ。この中でも特に若そうで、おそらくは新入りなのだろう。
「蛙辺さん、ですか」
「ズベ、婦警さんだぜ」麻貝は自分の脚を叩きながら大笑いしている。「オメー、若い婦警さんに興奮してんじゃねーだろーなー! ぎゃはははは!」
「し、してないっす! 俺、ま、マジで!」
「分かってんだよ、いちいちシラケさせんな!」
「す、すんません!」
麻貝の下品なイジリに、蛙辺はただ平身低頭し、火蜂は蔑むような目で見ている。
あたしは居たたまれなくなり、とりあえず遺体の側にしゃがみ込んだ。
「その……触っても?」
一番近くにいる荒鮫に訊ねる。彼は重々しく頷いた。
当たり前だが、遺体は冷たかった。先日の駅での事件では、轢死体を見た。あれは凄惨だったが、こうして外傷がない遺体も、また心に来る。まるで眠っているようだ。
顎、手の指と、触っていく。しっかりした検死はできない。だが、勉強したことがあるため、遺体の状態から分かることはあった。
「死後硬直が進んでますね。それもかなり……朝ではなく、夜中頃に死亡した可能性が高いです」
死後硬直は、顎から徐々に始まる。遺体が置かれた環境にもよるのだが、大雑把に言って20時間程度で最強になるらしい。その後はまた、顎から弛緩していく。
この硬直具合から、死亡直後ではなく、かといって時間が経ちすぎたわけでもないと判断できる。
「んなこたァ分かってんだよ!」
「え!?」
麻貝の怒声に、火蜂も続く。
「それを見ろ。若の左手首だ。腕時計を着けているだろう」
確かに、高級そうな腕時計が輝いている。金ピカな外装のアナログ時計だ。文字盤は青色で、数字などデザインの妨げになるような野暮なものはない。
ガラスのケースが割れていて、針は動いていない。壊れている。
時刻は0時20分あたりを示している。
「おそらく、若は床に倒れたんだ。そのとき腕時計が床にぶつかり、衝撃で止まった。つまり、わずかな誤差はあれど、死亡推定時刻は深夜の0時20分ということになる」
「……な、なるほど……でも、これ手動で時間を操作できたり……」
「できねぇよ。狂いのない電波時計で、ズレたらすぐに修正されるし、だからツマミもねぇ」
「う……」
あたしを見る目つきが、一層冷たくなった気がする。この警官、役に立つのか? そう言いたげだ。
「見れば分かるだろうが、そいつはブランドものの高級時計でな。デザインの代わりに耐久性が犠牲になっている」
「若、腕時計集めるのが好きだったもんなァ……」
しんみりしているが、あたしは気が気じゃない。早く、新しい情報を集めなくては。
「……? これは?」
遺体はうつ伏せになっている。そして彼は右手を床と胴体の間に挟み込んでいるのだが……。
木箱、だろうか。
「右手になにか、握りしめています。これはまさか、重大な手がかりじゃ……」
「それも分かってんだよ!」
「え!?」
「それは、私たちの商売道具だ」
「しょ、商売……?」
「『呪いグッズ』だよ」
「……はあ?」
言葉が耳を通り抜ける。ただし意味は鼓膜に弾かれた。なにを言っているのだろう。
「説明したるわ」
荒鮫があたしを部屋の奥に誘う。従わなければならない。
「ここにあるの、全部、呪具って呼ばれてるもんや。呪われてんねん」
大きな机の上に、様々なものがある。
人の形に切られた半紙に、金属製の箱、シンプルな藁人形と、チェス盤。まとまりがない。
不気味ではあるが、呪われていると言われてもそうは見えない。
そもそも、どこかの誰かと違ってあたしは、霊的なものを信じていないのだ。胡散臭いを通り越して、馬鹿らしい。
「ワシらはこういうのをあちこちから買って、物好きに売り飛ばしてんねん」
「物好きって……?」
「そら、呪具コレクターとか、それと」荒鮫は口角を上げる。「人を呪いたいと思ってる奴に、や」
「……それ、詐欺じゃ……」
「なんや。ワシらがまっとうな商売してると思っとったんかいな」
「テメェ! 後でチクったら沈めるからなァ!?」
「わ、分かってますよ……」
「それでな、若が握りしめてるもんも、ここに置いてあったもんやな。死に際に掴んだんかもなぁ。……意味は分からんけど」
「……どんな呪具なんですか、あれは」
「知らん」
「え」
「ワシらは適当に仕入れて売り捌くだけ。内容はよお分からんわ。若はこういうのも腕時計と同じくらい好きやったからなぁ。こうして部屋に飾るくらいやったし、知ってると思うんやけど……ワシはさっぱりや」
それにしても、自分の部屋に呪いの道具を飾るというのは、どういう神経をしているのだろう。
「おい。そんなものより、大事な話がある」
眼鏡の火蜂が、少し苛立ちながら声を発した。
「事務所が開いていた、という話だ。当然、施錠したはずだろう?」
「あったりめェだ!」
麻貝が吠える。施錠の担当だったというわけだろうか。
「と、なると。犯人は鍵を所持していた……」
ばん! と壁が殴られた。麻貝は青筋を立て火蜂に詰め寄った。
「……テメェ。俺が殺った、って言いてェのか……?」
「可能性としては一番高いだろう」
「待てや麻貝! 火蜂も! 考えてもみろ。麻貝が犯人なら鍵を閉めてるはずやろ!
朝、事務所は開いていたんや。麻貝以外に決まっとる!」
火蜂は納得しない。
「このバカとお前は一緒だったんだろ?」
さっき聞いた話だ。麻貝と荒鮫が最初に事務所に来て、遺体を発見した。
「施錠されていたのをこっそり解錠して、それからお前と会い、開いていることに驚く演技をしたのかもしれない」
「なんでそんな回りくどいことすんねん? 意味分からんわ」
「自分が発見するまで誰かが見つけないため。そして、解錠した理由は、自分を容疑者から外させるため。現にこうして、麻貝は容疑者から外されようとしている」
「麻貝以外に決まっとる言うたのは撤回するわ。だがお前が犯人の可能性もあるがな」
「昨晩、ドアが施錠されていたというのなら、鍵を持っていた麻貝以外に犯人は──」
「あのー……ちょ……っと、いいっすかね……」
白熱する議論の最中、つい、口を開いてしまった。
「……なんや」
「その、まず、昨晩は本当に施錠されていたんですか……?」
「それは間違いない。必ず、確認するからな。麻貝が施錠して、帰った」
「その、被害者……獅子場さんは、ずっと事務所にいたんですか?」
普通、誰か人が残っているなら施錠しない気がするが。
「……ああ。この人はよく、事務所に泊まり込むんだ。もはや、ここが家みたいなものだな」
「昨日もそうだったぜ。俺が閉めるとき、あの人はちゃんと部屋ン中にいた」
「獅子場さんがいるのに?」
「変かよ? 若の手ェ煩わせたくねぇんだよ」
そういうものか。まあ、特別おかしい話でもない。
「なら……犯人は、鍵を持っていなくとも、獅子場さんに開けてもらって入った、って可能性があるのでは……」
部屋はしんと静まりかえる。
この部屋、よく見れば防音がしっかりしている。音が漏れないようにする理由は、やはり考えたくない。
「女ァ……テメェ、それどういうつもりか分かって言ってんだろうなァ……!」
「うっ、えっ」
麻貝が顔を赤く染める。血が集って、今にも噴き出しそうだ。
こ、殺される。
「当然だが、深夜に宅配は来ない。出前も頼んだ形跡はない。他に若が鍵を開けるとしたら……私たち、組員が『開けてくれ』と頼んだときだ。つまり、それが意味することは……」
火蜂も、静かだが殺気を発している。前傾姿勢になり、いつでもあたしの首めがけて駆け出せそうだ。
「……待てや!」
再び、荒鮫が声を荒げる。
彼はあたしと2人の間に立った。
「……お前らも分かっとるはずや。
……ワシらん中に、犯人がおんねん。……若を殺した犯人が!」




