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復讐の終わり

 すべて語り終えて、茸林は安堵するようなため息を吐いた。覚悟を決めた顔をしている。


「……あなたは、復讐を遂げました。それが正しいことだと思っていますか?」


「世間的には悪でしょうね」茸林の声から、震えは消えていた。「しかし、私の中では正しいことです。誰になんと言われようと、ね」


 九木は聞こえないくらいの声で「そうですか」と言った。彼女は俯いて、長い前髪が目を覆い隠した。


「私はこれからすぐに、自首します。あなたたちのことは喋りません。安心してください」



 そう言って茸林は立ち上がろうとする。それを、九木は止めた。


「実は、もう稲見さんに告げて、外に待機して貰ってます」


「それは……」茸林は少し驚いたようだった。「ご足労をねぎらうべきですね」


「私が遅れた理由も、そのためです」


「彼らは待っているのですか? だったら、急がなければいけませんね」



「外の物置を開けて貰っています」


 その言葉に、茸林は硬直し、ゆっくり座り直した。


「……驚いた。あなたは、なにもかも見透している」



 勝手口から出てすぐに建っている物置。仏間には、物置にあるはずのものが散乱していた。


 代わりに、物置にはなにが入っているのか。



「──()()()()()()()ですよね。山で誰よりも先に百音さんを発見したあなたは、自宅の物置に、遺体を隠したんです」



 僕たちが初めて勝手口を開けたとき、とてつもない肥料の臭いが漂っていた。あれは物置から漂っていたのだろう。中に肥料がぶち撒けられているのかもしれない。


 中にある遺体の、腐臭を紛らわすために。



「高蕪さんの計画は何度も言うように杜撰だ。……警察も無能じゃない。遺体さえ見つけたら犯人を突き止める。そうすれば、彼は逮捕され、茸林さんは復讐を遂げられなくなる」



 しかし遺体が見つからなければ捜索は続き、高蕪自身もなぜ見つからないのかと疑問を抱くだろう。それを避けるため、茸林は一計を案じた。



「百音さんの腕を切り取って、熊に喰わせたんですね?」



「……ああ」



 背筋が凍る。愛する妻の遺体を損壊してまで、彼は復讐を遂げたかったのか? 弱々しくも、覚悟の決まった彼の表情が、今では狂気的に見える。


「熊の歯形が付いた手首が見つかれば、殺人の線は薄くなりますね」


「ああ」


「そこまでして……」


「……そう。ただ、そのせいで、熊が人の味を覚えてしまったのは……とんでもないことをしたと後悔したよ」


 だから、高蕪の溺死体が喰われたのだろう。


 九木は唇を噛みしめる。しばらく下を向いていたが、やがて敵意のこもった瞳に変貌し、相手を睨めつけた。


「……最後に、一つだけいいですか」

「……なんだい?」


「さきほど話題に出ていた、畑國兄弟について知っていますか?」


 突然なにを、と茸林は目を瞬かせる。


「……崖の上から目撃してた子どもだろう? 確か……最近、この町に引っ越してきたんじゃなかったかな。あまり知らないが……」



「お兄さんの大豆くんが、昨日の早朝から行方不明になっていました……が、ついさっき、わたしたちが発見しました。まだ、報告はしていませんけど」


「そうか……見つかったのなら……」


「亡くなっていました。崖から転落して」


 そこでようやく、茸林の表情が曇った。犯行が暴かれ、清々しい表情になってから、初めて見せた感情の揺らぎだ。


「どこの崖か、というと。祠の近くでした」


「……?」


「言いたいこと、分かりました? あなたが、町民のみなさんに助言したんでしたね。くねくねを見たら、除霊のために、祠に向かえば良い、なんて()()()()を」


 デタラメ、の部分を九木は強調した。



「……つまり、その子は私の姿をくねくねと見間違い、さらに私の言ったことを信じて祠に向かったが、崖から落ちてしまった……」


 茸林は居住まいを正す。


「確かに責任を感じますが……しかし……」



「──何故、大豆くんは誰にも言わず、一人で山を登ったのか、あなたは分かりますか?」


「え?」


 僕には分かった。


「母親が病気だからだろ。それも、精神を病んでいる」


「そう。たぶん……くねくねのことなんか、話したくないよ」


 大豆は一人で抱え込んだ。誰にも言えなかったのだ。母親はもちろん、弟にも。

 この町では頼れる他人はいない。だから一人だけで解決しようとした。


「ところで星太郎くん。普通、熊は人を襲ったりしないよね?」


「場合によるだろ。僕に訊くなよ」

「え、でも星太郎くん、田舎暮らし……」

「僕の故郷に熊は出なかった」

「あれ?」

「出ても猿ぐらいだ」


 間の抜けた沈黙。


「……まあ、普通、人を襲わないはずなんだ。意外だけど、熊は怖がりだからね」

「……そうだな」


「百音さんの腕を食べて、人の味を覚えた熊は……人は恐れるものではなく、()()()()だと認識を変えた」



「ま……まさ……か」


 茸林の顔色が、徐々に青くなっていく。青色を通り越して、もはや白だ。漂白された表情とは裏腹に、胸の中は黒く渦巻いていることだろう。


 

「大豆くんの背中には、熊の爪痕が残っていました。致命傷となったのは崖から転落した際のものでしょうが、きっかけとなったのはその傷かもしれません」



「……ち、違う……私、私は……」



「違う? なにが違うんですか?

 普段は山奥にいるはずの熊が、なんで最近になって出てきたんですか? 誰かさんが、人の腕を食べさせたからじゃないんですか?」


「あ……」



 九木は立ち上がる。僕も一緒に席を立った。


 もう、帰る時間だ。



「まあ確かに。直接的なものではないし、あなたの起こしたことと因果関係はないのかもしれません。神様でもない限り、真実は分かり得ないことですが──」


 そして、彼女は膝を折り、テーブルに右手を乗せた。そのまま、ゆっくりと茸林に顔を近づける。



「茸林さん。すみませんが、もう一度、同じことを訊かせてください」



 九木は、復讐する。

 不幸な事故により命を落とした、少年の復讐を。

 


「──あなたは、自分が遂げた復讐を、本当に正しいものだと思っていますか?」



   ***



「『この世は冬場の鍋である』……って、聞いたことない?」


 ひぐらしが鳴いている。ぼうっとしていた意識を、九木の声が連れ戻した。


「知らないな。誰かの名言か?」


「わたしの名言」

「じゃあ知らねーよ」


 どういう意味だよ、と言うと、九木は下手な作り笑いを浮かべた。


「あはは……ほら。早く帰ろう?」

「……もうネカフェ確定だろ」

「あー……ね」


 振り返って、山中の町を網膜に焼き付ける。もう来ることはないだろう。


「……そういえば、都麦は?」


「コーンさん一人置いて帰れないって。そのコーンさんはいろいろ、聴取が残ってるし。なんていったって、真犯人が自首したんだからね」


 間接的には、僕たちのせいとも言える。特にコーンは、とんでもない不運だ。これを機に日本を嫌いにならなければいいが。



「……ね。最後、わたし……酷かったかな」


「最後って……茸林に言ったことか?」


 珍しく、九木はしおらしくなっていた。


「どの口が、復讐がどうとか言えるんだろうって、ね」


「……別に。いいんじゃないか。小豆の代わりに……ってことで」


「……そうかな」


 大豆の居場所を警察に伝えた。小豆にも、もちろん。


 しかしそれが、茸林の犯行と結びついていることは隠すことにした。


 いつか茸林が檻の中から出てきたとき、成長した小豆が復讐に走らないとは、限らないからだ。



「……おーい」


「ん?」


 山道を、声と足音が駆け下りてきた。僕たちが振り返ると同時に少年が姿を現した。


「小豆!?」


「鬼灯さん、九木さん!」


 小豆が息を切らして、追いかけてきたのだ。頬は紅潮し、汗を流している。


「言い忘れてたんだ……!」

「なにを……?」


 帰りの挨拶だってしたし、謎を解いたお礼だって貰った。これ以上、僕たちとの間に残るものはなかったはずだ。



「──また、遊びに来てよ!」


「……え」


 隣で、九木が僕を見て、にやにや笑う。


「俺、ここで……暮らしていくから。少なくとも、母さんの病気が良くなるまでは!」


「あ、ああ……それは良かった、が……」


「きっと、ここで友だちはそんなにできないと思う。兄貴も、いなくなっちゃったし。その、だから……鬼灯さんに、遊びに来て欲しくて……」



「小豆くんは、星太郎くんのことを友だちだと思ってるんだよ」


 九木が僕の背中をばしばしと叩く。

 思わぬ方向に話が飛んでいき、戸惑うべきか、嬉しく思うべきか、判然としない。


「あー……ああ。そ、そうだな。そのうち……」


「うん!」


 兄貴を亡くし、失意の中にいるはずの少年は、精一杯、笑顔を作っていた。決して楽な未来じゃない。くじけることもたくさんあるだろう。


 それでも、生きることを決めた少年は、僕に手を差し出した。



「……小豆。またな」

「うん……星太郎さん!」


 その手を、僕はしっかり握った。


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