推理 ‐くねくね 2‐
小豆と別れて、一人になった。
しかし落ち着く時間はない。タイムリミットが迫って……いやそれどころか、帰り支度のことも含めるともう過ぎている気もする。
──さて、登山だ。
暑さでズボンは乾いたが、靴下までは乾いていない。裸足で靴を履いているせいで足裏が擦れた。湿り気と痛み、それからもちろん日差し。まるで拷問のような状態だが、助けてくれる人もいない。
「あいつ……ぶん殴ってやるからな……」
九木から呼び出されたのは、町から少し離れた山中だ。
具体的な住所なんてあるわけないから、漠然とした方角が示されている。しかし、幸いにも目印はあった。
看板だ。
このまま数キロ登っていくと、祠があるらしい。
「星太郎くん! こっち、急いで!」
人の気も知らないで。イカレ女は森の中から僕に手を振る。
「……なにを見つけたんだ」
「来れば分かるよ」
「そういえば、小豆は連れてくるな……って、どういう……」
「それもすぐ分かる」
歩きながら高蕪の家にあったものを教える。棚にあったもの、水田を描いたメモ、畳の下にあった穴。不思議という不思議があそこにはあった。
「あはっ。君の答え、たぶん正解だよ。流石、星太郎くんだね」
「茶化すな」
「本心だよ?」
しばらくして、九木は立ち止まり、僕にも「止まって」と言った。
「なにが……」
「見ちゃ駄目だよ。……君はね」
茂みになにかがいるようだ。小さな獣でもいるのかと思ったが、特に物音も立てない。生き物がいる様子ではない。
「まさか……」
異臭がする。耳をそばだてれば、蝿の羽音がする。
「──たぶん、崖から落ちたんだよ」
九木はそびえ立つ断崖を見上げる。頭上には、柵もなにもない危険な道があるようだ。
「茸林さんが言ってたよね。祠までの道は危ないって……」
小豆を連れてきてはいけない理由が、はっきりと分かった。そこにいる、人だったものを見せられないからだ。
「……畑國大豆か」
「ハンカチに名前がある。……顔見れば、すぐ分かるけどね。小豆くんとよく似てるからさ……」
大豆の遺体は、森の中とはいえ、酷暑の屋外で1日以上放置されていた。酷い状態であることは想像に難くない。
「ごめんね。君にも、確認してほしかったんだ」
「……ああ」
きっと、報告だけ受けても、ピンとこなかっただろう。
「でね。大事なことなんだけど」
「大事な?」
「大豆くんの背中に、傷があるんだ。致命傷ではないと思うけど、鋭い傷」
「……なんだよ、刃物とかか?」
九木は首を横に振る。泣きそうな表情をしていた。
「爪痕だよ。熊の、爪痕」
「熊……!?」
熊が射殺されたのは今朝だ。大豆がここに訪れたときはまだ、人食い熊は徘徊していたのだ。
いや、そもそも。
どうして大豆はこんなところにいる?
「……暗いな」
山の中の森が、ではない。
この町を、事件を、人々を覆う闇が。
「どうだよ、九木」
九木は僕の方を見ずに言った。
「……未知は……既知に変わったよ」
***
茸林宅は、高蕪宅を見た後だと特に大きく感じる。入り口の監視カメラに見張られながら、インターホンを押した。
一人で孤独に、出迎えを待つ。
時計を確認する。九木は遅れて来るらしい。重役出勤というわけだ。
「……あれ、鬼灯くん、だったね……」
「どうも。茸林さん」
昨日会った時よりかは元気そうだが、頬は骨ばって目の下にはクマが出来ている。やはり不健康そうである。
「僕たち、そろそろ帰るんですけど、その前に1つ、訊きたいことがありまして」
「くねくねについて?」
「あぁいや……」
「……とにかく、暑いだろう。中に入ってください」
お言葉に甘え、冷房の効いた和室に通された。麦茶を持ってきてもらったので、喉を潤す。
「あの、九木さんだったかな。あの子はどこに?」
「すいません。この後来ます。いや、それより……」
「訊ねたいことだったね。なんだい?」
どうしても、緊張してしまう。暑さの汗と緊張の汗が、混じり合って額から流れた。
「3ヶ月前の、勝手口にある監視カメラの録画データは残っていますか?」
茸林は目を瞬かせた。
「……庭のじゃなくて、勝手口の? さあ……捜査にもほとんど使われなかったから、消しちゃったかな。3ヶ月前だし……」
「じゃあ、覚えてませんか?」
「なにを?」
「録画は開始されたのに、映像は真っ暗だった、とか」
そんなの、ありませんでしたか。そう訊ねて相手の目を見る。一瞬だが、瞳が揺らいだ。
「どうしてそんなことを? 覚えてないけど……」
「勝手口から、この家に入る方法があります」
茸林は黙っている。真意を測りかねているようにも、僕を侮蔑しているようにも見える。
「──必要なのは、一般的なカメラに使われるレンズのキャップのようなもの。光を通さないことが重要です。
自分の手が映らないように気をつけながら、レンズにキャップをはめるだけ。ただし、素早く」
塀を足がかりに、電柱をよじ登れば、監視カメラに手が届く。
「キャップをはめる際、カメラが作動して、録画が開始してしまいます。しかしあのカメラには欠陥がある。それは動体検知式だということと、録画開始のタイムラグがあること。
だから、録画開始したときにキャップが嵌められていると、真っ暗になった映像だけが撮れてしまうんですよ」
すべてが終わってからキャップを外せば、元通りだ。また録画は開始されるだろうが、今度はなにもない通常の景色がしばらく映るだけで、数秒後には停止する。
茸林は困惑の色を浮かべている。
「な……なるほど。だから勝手口の映像記録を覚えているか訊ねたんだね……」
それから、しばらく考え込んでから、ゆっくり口を開いた。
「……うろ覚えだけど、確かに、映像には不備があった……気がするよ」
「そうですか」
うろ覚えでは証言として弱い。
「でも、勝手口のカメラを通り抜けられたとしても、関係ないよ。ドアはピッキングで開けられても、結局、庭のカメラがある」
茸林は真面目くさった表情を崩して、ぎこちなく微笑みかけた。
「っていうか……いったいなんの話? くねくねを調べていたんじゃないの? 妻の……百音の事件のこと、そんなに知りたいかい?
くねくねなんて信じがたいけど、どうやっても人間に連れ去ることなんて不可能だ。そう……君たちも考えていたんだろ?」
僕は否定の意を示した。
「違います」
「なにが……」
「くねくねの仕業なんかじゃない」
「じゃあ……人がやったとでも? あり得ない……」
「僕は九木と違って、怪異の存在を疑っているんです。だから、くねくねの仕業よりかは、人間の手によるトリックと考えたほうが、よっぽどあり得ると考えてしまう」
謎を解く鍵は、畳だ。
「勝手口から入ってすぐ隣に、和室がありますよね。仏間のようですが」
「……あるけど。それが?」
「仏間と現場の部屋は、ほぼ直線上に位置していることが分かりました。あるルートを使えば、2部屋の間を簡単に移動できます」
「……まさか」
もう言いたいことも分かるはずだ。
「床下ですよ」
畳と床板を剥がし、床下に潜る。
あらかじめ確認しておいたが、大人でも匍匐前進で移動できる高さだった。
仕切り壁があるが、人通口といって、点検のために人が通れるよう、設計段階で空けておく穴があるのだ。
床下を通れば、仏間から現場の部屋まで、廊下を壁も無視して移動できる。
「部屋の真下までたどり着いたら、床下に潜ったときの反対をすればいい。床板と畳を、下から剥がすんです。……もちろん、素人がやれば時間もかかるでしょうが……少しずつやれば、いつかは開通する」
一念岩をも通す。
並々ならぬ情熱があったのだろう。他のことに使ってほしかったが。
「あなた方は初夏、田んぼ仕事が多くなる。毎日様子を見て、手入れをしなくてはならない。家を空ける機会も多かったことでしょう」
「あ……」
「接着剤とか雑な修復でも、畳さえ戻してしまえば、張り替えの時期まではバレない。
どうです? これが、監視カメラに撮られず、部屋に入る方法です」
どうです、なんて聞いたが、返答は待っていない。
「……何故、現場の部屋に入る必要があったのでしょう?」
わざわざ監視カメラをかいくぐり、ピッキングに、床まで剥がして。そこまでして、あの部屋になにがあったのか?
「それは……」
そのとき、ドタドタと走る音が響いてきた。
茸林は迂闊にも、玄関の鍵を開けっ放しにしてしまったらしい。
──九木が、息を切らして部屋に飛び込んできた。
「今、どこまでいった!?」
「……何故、現場に入る必要があった……ってとこだ」
遅刻してきた生徒に、黒板の問題を解かせる教師になった気分だ。
「ああー。それはね」
九木は息を整え、嬉しそうに言った。
「あの部屋に金が隠してあるから。でしょ? 茸林さん」
茸林の目は大きく見開かれた。どこまで知っているんだ、と言いたげに、口をパクパク開閉する。
「金が隠されていることは、聞いてます。こっそり。問題はどこにあるかですが……簡単ですね。一番、監視が厳しい場所。あの部屋です」
「一応訊いておくが、部屋のどこだ?」
「天井に怪しいところはないし、床下だったら部屋に入る必要もない。掛け軸の裏とかも考えたけど……。
たぶん、押入れの中かな。使ってない布団の中とか、壁の中とか」
妥当だ。
部屋の奥ってことは、分かりきっている。入り口を映すカメラに、誰も映っていないのだから。
「合ってますよね? 茸林さん」
茸林は無言だ。
やがて諦観のこもった顔のままゆっくり頷いた。
「トレジャーハンターになれるかな?」
「泥棒の間違いだろ」
九木は僕の隣に腰を下ろした。
「さて。肝心の犯人ですが……かなり絞られてます。茸林さんの家の間取りに詳しくて、金が隠されていることを知ってる。
稔間さんっていう、ベラベラ喋っちゃう人もいることだし、ね」
それこそ、稔間は条件に当てはまる。
しかし、もっと確定的な人物がいる。
急に金払いが良くなり、カタログなんかを読み出す。新品のバイクなんか買ったりもする。
そして計画が実行可能か、自分の家の畳で実験をしている。
犯人は彼しかいない。
「犯人は……高蕪だ」
九木は軽やかに「イエス」と呟く。愉快な歌でも歌うかのような調子で彼女は続けた。
「さあお宝は間近、というところで、まさかの事態だったんだろうね。百音さんが、農作業から帰ってきてすぐ、あの部屋に向かってしまった」
監視カメラの映像には、百音が部屋に入ってすぐ、立ち止まっていたのが確認できた。
押入れに入る影を見つけて、硬直したのかもしれない。
すぐ逃げれば、百音は助かったはずだ。しかし、彼女は追い出そうとしたのか、穏便に話し合いをしようとしたのか、定かではないが……立ち向かってしまった。
「突発的に、高蕪さんは殺しちゃったんだよ。たとえば、持っていた金で殴りつけたとかね」
「遺体を隠すために、彼女ごと床下に逃げ込んだ。それが、この失踪事件の答えだ」
僕たちの導き出した答えに、茸林は応答しない。だが発汗し、青ざめている。大きな手応えがあった。




