捜査 ‐高蕪宅‐
高蕪の家、再訪だ。
小さなガレージがある。車は所持していないようだが、バイクがあった。田舎の中年はバイクに乗りがちだったりする。
傷1つない。大事に使っていた、というよりは買って間もないように見える。持ち主は早々にいなくなってしまった。可哀想に。
家の玄関に鍵はかかっていなかった。それに、土間に靴は一足もない。ここに住む人も、訪れる客人も、もういない。
茸林と比べるのも酷だが、狭い家だ。壁が黄色く汚れている。おそらくはヤニの汚れだろう。
僕らは家の中をゆっくり眺めながら徘徊する。まるで博物館や美術館に来たみたいな緩慢さだが、残念ながら、ここは故人の民家だ。
「ところで……勝手に入ってもいいのかな……」小豆はおそるおそる訊ねた。
「いいわけないだろ」
「えぇ……」
「バレなきゃセーフだ」
この少年が将来、バレなきゃセーフの理屈で違法行為に手を染めたとしたら、それは僕の責任だろうか? いや、そんな大人にはならない。たぶん。
「あ……なんだろ、これ?」
小豆は小さな紙切れを拾い上げた。
見せてもらうと、四角形が描かれていた。四角形の周囲には、流れる水のような線があり、内側には点のような線のような、曖昧な印が複数並んでいた。中心にはバツ印がある。
僕は外を見て、推測する。昨日、崖から見下ろした光景と一致する気がした。
「これ、家の前の田んぼだな」
「あ……周りの線は用水路で、中の点々は……草?」
「まあそんな感じだろうな。とすると、このバツ印はなんだって話だが……」
そこに行けばなにか分かるだろうか?
「高蕪さんが描いたのかな」
「そう考えるのが自然だ」
警官らがこれを見逃したとは考えにくい。あからさまに落ちていたし、彼らはどこかでこれを発見したが、無関係だと思い放置した……のかもしれない。
僕は紙切れをポケットにしまった。これは窃盗だろうか? また罪を重ねてしまったな。
棚にある日用品や雑誌を漁る。
不動産のカタログが見つかった。最近のものだ。
都会のモデルハウスとか、こんな田舎町ではお目にかかれないような、洒落た建築が写っている。引っ越しの予定でもあったのだろうか。
しばらく家宅捜索を行っていたが、他にめぼしいものは見当たらない。事件と関係がありそうなものはすでに警察が持っていってしまったはずだ。
次に、外に出てから例の水田に向かった。
水の中に踏み込んでいくのはかなりの勇気が必要だった。やらねばならないのだから、行くしかない。最悪だ。
裸足で水に浸かる。最悪の気分に追い打ちをかけるように、虫が足首に触れた。こんなことをする羽目になったのは、誰のせいだ? 九木か、高蕪か?
「なんかあったー?」
安全圏にいる小豆少年が声を張り上げた。
「なんもねーよ……」
そう、なにもない。
メモと見比べ、くまなく探した。土に顔を近づけて、少しでも異常がないか確認した。
結果、得られた成果はゼロ。怒りも通り越して、空しさが身を包んだ。
「……びしょびしょ……」
「……暑いからな。ちょうどいい」
強がりも寂しく響く。
泥と水が滴る。そして、地面に僕の足跡が残る。
「足跡……」
高蕪が山に向かったことが分かる足跡も、これと同じような跡だったのだろう。靴か裸足かの違いはあるが。
数歩、地面を踏みならしていくと、瞬く間に足跡が残らなくなった。
「……いや、おかしくないか?」
猟銃は確か、家の前に捨ててあったらしい。
発砲した後、くねくねにより発狂。
猟銃を落として山に向かった。
……というのが自然に考えられる流れだ。怪異の存在を自然と捉えていいのかは疑問だが。
しかし、不自然な点が存在する。
「高蕪は、田んぼに向かって発砲して……それから、水田に入ったのか?」
「そ……そうなるの?」
「だって、泥の付いた足跡って、田んぼから山に向かって伸びてるんだろ?」
「あ……そうだ」
僕が都麦から聞いた話は、そうだったはずだ。
「水田から出て、発砲したなら……足跡はまず家の方に伸びるはずだ」
水田に入った高蕪は、他のことをする暇もなく、山に向かったはずなのだ。
コーンや稲見の証言に嘘があるとは思えない。複数人で見たはずだから、間違いとも考えにくい。
この不可解な現実は、なにを意味する?
──高蕪家の屋内で、日差しを避けて休憩する。捜索しているときは気にならなかった沈黙が、じくじくと焦りを感じさせる。
蝉の声と、空を横断する飛行機の音だけが空間を漂う。
「……母親の具合が良くなったら、元いた場所に帰るのか?」
当たり障りのない世間話の種も思いつかず、かなり踏み込んだことを訊いてしまった。
小豆はかなり逡巡していた。表情にも悩みの深さが表れている。
「わ……分かんない」
「……そうか」
「いつ、具合が良くなるかも……分かんないし……お母さんの世話も、俺がたくさんしなきゃ……」
一昨日まで兄がいろいろとやっていて、小豆は手伝いをするだけだった。それが変わってしまった。
「俺……やっていけるのかな……」
「……」
「ここで……ずっと暮らすのかも……分かんないし……」
「……あー……」
こういうとき、適切な慰めや助言ができたらいいのにと思う。
そして、できないのなら、なにも言わず相槌だけ打てばいいとも思う。
「……僕も、こんな村に住んでたんだ」
口をついて出た。
これから自分が言うであろう言葉を想像して、寒々しさを感じる。
「あの村から出てきて、都会に住んで。なんだか、退屈な繰り返しみたいな毎日……。
正直、あのまま村にいた方が良かったんじゃないか、とか思ったりした……」
「今……楽しくない……?」
「楽しくない」
「き、きっぱりと……」
本心だ。
聴き飽きたアルバムを無限にリピートしているような日々は、どれだけ工夫をこらしても限界がくる。
「でも……なんていうか……ノイズが混じるときがあって」
「ノイズ?」
「心地いいわけじゃないけど……強引に、退屈さから引っ張り出されるときがあるんだ。
たとえば……こんな山の中に、連れてこられるみたいな……」
「よく……分かんない」
「僕も分からん。でも、とにかく……」
要すると、たいしたことではない。
「ずっと続くと思ってたことが、いきなり途切れたり……もしくは、別の道に分岐したり。毎日って、なにがあるか分かんねーよな、ってこと……」
「……」
「ここで暮らし続けてたら、明日にでもなんか起こるかもしれない。そう考えたら、ちょっと気が楽になるんじゃないか」
「あ……」
「もし母親の具合が良くなって、お前が僕ぐらいの歳になったら……別の土地に引っ越したりしても、いいかもな……」
「……うん」
小豆は小さく笑った。ぎこちなく、しかし、さっきよりは和らいだ顔だ。
「あ……ありがとう……」
「……ま。知らねーけど……」
改めて、偉そうに助言する自分を俯瞰してみて、気恥ずかしくなってきた。
この場に、九木がいなくてよかった。
「……ん?」
恥ずかしさを誤魔化すため、視線を落として畳の目を数えていた。子どもの頃、暇すぎるときにやっていた遊びだ。
1畳に違和感を覚えた。
「そういえば、九木が言っていた、調べて欲しいものの中に、畳ってのがあったな」
「畳?」
僕は気になった畳をいじる。すると、畳と畳の隙間が、少し広めに空いた。
普通、畳の縁同士はしっかりとくっついているものだが……。
「道具を持ってこよう」
専用の道具なんてないから、鎌やものさしなど、節操なく持ち出す。畳の隙間に差し込んで、小豆と2人がかりで持ち上げた。
「畳って、こんな簡単に持ち上がる……?」
「普通は持ち上がらない。一度、剥がされたんだよ」
畳の下というのは、床板があり、その下は外につながる床下だ。
改築されたならともかく、昔に建てられ、最低限の補修程度しか行わず現代まで続く和風建築は、断熱工事もない。
だから、外の空気がうっすらと流れてくるものだ。
しかしこれは、僕の予想を遥かに超える光景だ。
「床板が……剥がされている……!」
僕たちが取り外した1畳の真下に、穴が空いていたのだ。空気が抜けている。
「これ……どういうこと……? なんで、高蕪さん家の床が……」
「……剥がされたと言ったが……正確には、叩き壊された感じだ。重い物を打ち付ければ、こうなるかもな……」
九木はこれを推理していたとでもいうのか?
「──なるほどな」
ようやくだ。
九木の言いたいことが分かった。それから、これが推理の裏付けとなることも。
畳の下から現れた道は、真実につながる道だった。
「で、でも。畳が変って、なんで気がついたの?」
小豆は丸い瞳を光らせていた。
「それは……」
畳がわずかに持ち上がっていたから。風の音が聞こえた気がしたから。畳の目を数える遊びを知っていたから。
いろいろあったが、端的に言い表すなら……。
「田舎暮らしだったから、かな」
田舎に住むのも、無駄じゃないんだぜ。小豆少年。




