証言 ‐留学生と駐在‐
「……今、障子を開けたら。わたしはどんな格好をしているでしょう?」
「は?」
朝、仕切られた障子の向こうで、九木の影が揺らぐ。からかうような、試すような声色で、ふざけたことを抜かす。
「気になる? 障子、開けちゃう?」
「……」
「ねぇねぇ。開けちゃってもいいよ?」
アホは置いといて。
僕たちは今日、くねくねの正体を突き止める。リミットは夕暮れ前といったところか。なぜなら、帰りの手段がなくなってしまうから。
「……聞いてる? 星太郎くん……」
この町では2つの事件が起こった。家の中で、忽然と消えてしまった茸林百音と、一発の銃声とともに山に逃げ出した高蕪の事件。それぞれ、不可解な状況だが、くねくねという怪異が関わっていることは確かだ。
さらに、もう1つの事件が追加されるかもしれない。畑國大豆という少年が、くねくねを目撃し、失踪。現在も発見されていない。
「おーい……え、まさか寝ちゃった?」
くねくね。白い怪異。
そんなものいないと思われたが、大豆の弟、畑國小豆という目撃者が現れたことにより、事情はややこしくなってしまった。
実在、非実在にかかわらず、僕たちはくねくねの正体を突き止めなくてはならない。
「星太郎くん!」
「うおっ」
障子を思い切り開け放ち、九木が姿を現した。
普通の格好で。
「うおっ、じゃないよ! 起きてるし、無視しないでよ!」
「うるさいな。なに?」
「なに!? な、なにって、なに!?」
「いいから。支度できたなら早くしろ」
時間ないんだから。馬鹿なことをしてるんじゃない。
「……はーい。ちぇっ……」
***
前日、別れる前に約束をしていた。
その約束どおり、小豆が旅館の前で待っていた。
「あ……おはようございます」
兄は帰っていないらしい。
仲が良かったはずだ。小豆の目は赤く腫れていた。
「今日はどこを調べるの?」
「やっぱり、高蕪の家だ。あの家と、周辺でなにか見つかればいいが」
「じゃあ、案内するよ……」
「よろしく」
小豆はふと、僕の背後に目をやる。
「あの……九木さん、どうかした?」
「どうかしたって?」
「凄い……ふて腐れてない?」
「知らない」
振り返れば、きっと、頬を膨らませていたり、なにか訴えたげな顔をしていることだろう。しかし僕は見ない。面倒だから。
高蕪家に向かう坂は、想像よりも曲がりくねっていた。実際に自分の足で歩くことで、坂の長さが分かる。
ガードレールのおかげで不安はないが、覗き込むと崖下が恐ろしく思える。
家の前には、なにやら物々しい雰囲気の人々がいた。近づくのは躊躇われたが、九木はさっさと進んで行ってしまう。
「あれは……警察?」
小豆が訊ねた。僕は、割と最近、たくさんの警官に囲まれた経験がある。もう、うんざりだ。
今回、警官に囲まれているのは、知らない人物。しかし、一発で誰だか分かった。
「ワタシ、何もしてマセン、マジデス!」
白人の外国人だ。背がとても高く、周りの警官が小さく見える。金色のパーマはとてもエキゾチックだ。
「あ……あの人。昨日言った、くねくねを調べに行くって、話していた外国人……」
「コーンっていうらしいぞ」
「知ってるの?」
「……どちらかというと、知らない」
「え?」
九木が、警官の一人に声をかけた。
「なにしてるんですかー?」
話しかけられた男はいきなり現れた不躾な邪魔者に対し、露骨に不機嫌そうな顔で応対した。
「……君こそ、なにしてんの。こんなところにわざわざ」
「あのー。わたしが訊いてるんですけど」
煽るような言い方に、身がすくむ思いだ。今からでも、他人のフリは間に合うだろうか。
「……捜査だよ! いいから、あっち行きなさい!」
追いやられても、九木は引かない。
「コーンさん、釈放されたんですね。わたしたち、彼の知り合いの知り合いなんです」
警官は苦い顔をする。
「やっぱり、コーンさんは無実としか考えられない、けれどなにか手がかりを引き出せるかもしれないから、捜査に協力──強制かな? させてるってところですか」
「なんだお前……」
警官の顔が怒りで染まってきたのを見て、僕は急いで九木を退かせた。喧嘩を売るつもりはないのかもしれないが、たちが悪い。
「コーンさんとお話させてください。都麦さんからの伝言もありますし」
もちろん、そんなものはない。しかしこのままだとコーンは夜まで警官に拘束され続けるだろう。少しでも話を聞きたい。
警官は逡巡していたが、やがて「少し待ってろ」と言って、他の警官たちと、僕たちのことを相談し始めた。
九木のせいで、すっかり警官の態度に棘が生えてしまった。
「あの人たち、オカルトなんて馬鹿げてるって思ってるんだろうね。だから、くねくねを調べてるコーンさんの証言を、単なる妄言だと決めつけて、容疑者にしてる。ああいうの嫌いだよ、わたし」
警官たちをかき分けるように、コーンが近づいてきた。
「エーット……都麦サンの、友だちデスか……?」
コーンの日本語はたどたどしかったが、充分に上手かった。日本暮らしは長そうだ。
「ワタシ、コーンといいマス……出身は……」
「あ、都麦さんから聞いてますよ」
「そうでしたカ……」
待て。出身は曖昧だったぞ。
「釈放されて良かったですねぇ。あの、コーンさんは高蕪さんのところに会いに行ったから、疑われたんですよね?」
「ハイ……」
「手紙を受け取ったとか。ロビーに届いていたとかですか?」
「ハイ……」
コーンはただ肯定するだけになってしまった。この女は警察でもないのに、何故矢継ぎ早に質問してくるのだろう、とか考えているかもしれない。
「その手紙は、まだ持ってます?」
「イヤ……捨てろと書いてあったノデ……会いに行くマエニ、捨てマシタ……」
「そうですか……」
もしまだ残っていたら、筆跡鑑定で本人が書いたものか照合が可能だった。わざわざ捨てろ、と記してあるのはいかにも怪しい。
そもそも都麦も罠だと言っていたが、高蕪が「話してやるから家に来い」だなんて言うとは思えないのだ。
だとすれば、この手紙は誰が書き、なんの目的を持ってコーンを呼びつけたのか……。
「行ってみたら高蕪さんに追い返された、と。ところで、高蕪さんの他に、誰かいました?」
「イマセン」
意外に自信を持って答える。
「高蕪サン探して、ソコラ歩きマシタ。他には誰もイマセンでしたヨ」
「確かですか?」
そう訊ねたのは僕だ。そこははっきりさせておきたかった。
「見た感じ、確かデス……」
「おい!」
そこへ、さっきの警官が大声を発した。明らかに、僕たちへの敵意の声だ。
「もういいだろ? 捜査の邪魔だ!」
「えーでもー」九木は子供みたいにごねる。
「……稲見! 適当に話つけて、出て行かせろ」
呼ばれたのは、若い男だ。他はスーツなのに、彼だけ警察の制服なところから、部署が違うことが分かる。
稲見は僕たちの前まで走ってきた。
「ほら、コーンさん。戻ってください。君たちも帰ってくれ。あの人ら機嫌悪いんだから……」
稲見は相当疲れていそうだ。捜査によるものか、それともあの人らの機嫌取りでか……。
「稲見さんはこの町の駐在さんですか?」
「そうだよ。あの人たちは刑事なんだけど、署は遠いんだ。君たちはなにが知りたいの?」
「くねくねのことを調べてるんですよ」
「くねくね、か。刑事みんなが機嫌悪い理由だね。そんなものいるわけないって。
けど、そういう超常的ななにかの仕業と考えなきゃ、辻褄が合わないとも思えてくる……」
「高蕪さんの遺体に、なにか変なことありました?」
漠然とした質問に稲見は目眩を起こしたように戸惑う。
「なにかって……あ、あれとか。遺体の歯に、土が挟まってた、とか?」
「おっ。なんです、それ?」
「いや、そのまま。まるで土でも食べたのか? って感じでみんな不思議がってる」
「ほー……」
そこまで深く聞いたわけでもないのに、必要以上に情報をくれた。彼は僕たちの味方で、警察の裏切り者だ。
「そういえば高蕪さんは、田んぼの方に銃を撃ったんでしたっけ。弾なんかは、落ちてました?」
「ああうん。水の中に発射されたものが。やっぱりあれ、くねくねに撃ったってことなのかなぁ」
「かもしれませんねぇ」
この駐在は、ずいぶんおしゃべりなようだ。九木が喋らせているというのもあるか。
「稲見ぃ……!」
「あ、すぐ、すぐ帰らせます!」
「この家から銃声が鳴ったとき、あなたも様子を見に来ましたか?」
九木は構わずに質問を続ける。
「まだ続けるの……? えぇと、聴こえる距離にいたからね。コーンさんたちと一緒に、何人か……6人くらいで向かったよ」
「山に足跡が続いていたらしいですけど、皆さんで、山に向かいました?」
「そうだね……でも、あのときはもう空が暗くなり始めてて、しかも熊が出る、って言われてたから。割とすぐ、みんな諦めて帰ったんだ。本格的な捜索は翌日からだったな」
「熊と言えば……」
小さな声で、小豆が言葉を挟んだ。突然だったので、僕はちょっと驚いてしまった。
「どうしたの、小豆くん」
「今朝……熊が退治されたって訊いたんですけど」
「そうなの?」
「猟友会が射殺したって」
「それ、高蕪さんを食った熊?」九木の声色はのんきなものだ。「中から、出てきました? 肉とか」
「うえ。嫌なこと訊くなぁ……。出てきたんじゃない? ……きっと……うん」
想像したくない。しかし、人食い熊の脅威が去ったのは僥倖だ。気が楽にもなる。
「稲見ぃ! いい加減にしろ!」
「わっ! すんません!」
ついに雷が落ちた。これ以上迷惑をかけないためにも、僕たちは一時的に退散することにした。手遅れかもしれないが。
「最後に1ついいですか?」
「えぇ……」
お願いしますー、と九木は軽い調子で頼む。彼女と遭遇してしまったのが運の尽きだな。
「仮にこれが殺人だとしたら、動機はなんですか?」
「それは……まだ分からない」
「なぁるほどね……」
九木は一人で納得したように頷いている。
「では、捜査、頑張ってくださいね」
「う、うん……。捜査より、反省文かな……」
僕たちは来た道を戻る。振り返ると、稲見が頭を押さえて蹲っているのが見えた。どうやら、雷が落ちたようだ。
警官たちが去るまで、どうしたものかと待ちぼうけを食らう。自販機で3人分買っていると、九木が小豆を置いて、僕に話しかけてきた。
「コーヒー買ってくれた? ちゃんとブラックだよ?」
「ああ。小豆にはコーラ」
「星太郎くんは……え、なに。トマトジュース? うぇ。そんなの飲むんだ……」
「美味いだろ。トマト」
「わたしトマト大っ嫌い」
「知らねぇよ」
九木は何故か呆れていたが、すぐに真顔に戻った。
「星太郎くんに訊きたいんだけどさ」
「僕に?」
今まで、町民たちに質問してきたように、僕にも訊ねることがあるというのか。
「星太郎くんというより、小豆くんのお母さんについて。なにか聞いてるかなって」
「……あいつの、母親?」
木陰で待っている小豆を見やる。所在なく、空を見上げている。
「あの子のお母さんの病気って、精神的なものなんだよね?」
「らしいな。お前も聞いてなかったか? ……なんの意味があるんだよ。この質問……」
「いやぁ。大事な確認だよ」
「あっそ」
「ね。わたし、他に調べたいことがあるからさ。君と小豆くんで、高蕪さんの家に行ってくれない?」
「……どこ行くつもりだ?」
「大豆くんがどこに行ったのか。少し思い当たる節があって」
「……マジかよ」
お気楽な言動に、考えの読めない表情。その内側で、いったいどんな思考回路をしているのか。こいつが一番の謎ではないか。
「ね、星太郎くん」
「あ?」
「わたしが電話したら、すぐ来てね」
「嫌だが」
「即答で断らないで! 傷つく!」
「……なんでだよ」
「万が一のため」
「……あっそ」
さっきと同じ返し方だ。持って回った言い方をされるのにもうんざりするが、慣れてきてしまった。
「どうせ、なにか見つけてくるんだろ?」
「お。信頼してくれるね? 任せてよ」
「けっ」
九木は自信満々な発言をする。
それから、何故か悲しげな表情になった。
「……小豆くんと仲良くしてよ?」
「お前、実は子ども好きか?」
「そういうわけでもないけどさ」
九木は僕を指差す。切っ先を突きつけられてるようで、ぞわりと鳥肌が立った。
「ほら。身内を失って、心に闇ができちゃった男の子……って雰囲気じゃん」
「は……? どういう意味だよ……」
「要するにさ」
九木は僕に微笑みかけた。
「初めて会ったときの君と、凄く似てるんだよ」
「は……」
開いた口がふさがらず、罵声でも浴びせてやれば良かったが。
僕は奥歯を噛みしめて、黙り込んでしまった。
「そうだ。高蕪さんの家で調べてほしいもの、伝えておくね……」
作者、体調不良になりがちで投稿が遅れました。大変申し訳ございません。てへっ。




