推理 ‐くねくね‐
意気込んではみたものの。
すっかり夜になり、街灯も民家も少ない町で歩き回るのは得策ではない。
僕たちは、明日の自分に託すことにする。
旅館のロビーで僕たちは疲労した身体をほぐし、混迷した情報をまとめていた。
「おい……これはどういうことだよ」
くねくねはいない。かと思えば目撃証言がある。
なんだこれは!
「正直、わたしも混乱してる」
九木は頭痛を抑えるように、こめかみに手を置いた。柔らかな椅子の背もたれに背中を預け、天井を仰いでいる。
「小豆くんが嘘をついてるとは思えない」
「じゃあ、見間違いか」
「いや、マジもんかも!」
「それはねぇだろ」
疑問は多い。1つずつ解消するべきだ。
「茸林百音の失踪と、くねくねが無関係だという理由は? 説明できるんだよな?」
「言っておくと、全部は説明できないよ」
「それでいいから」
「オッケー」
九木は体を起こした。
「まず、くねくねが関係ないと思う理由は2つ。1つは、場所」
「場所? あの現場の部屋ってことか」
「くねくねは田んぼとか、屋外の広い場所で遠くに見えた事例ばかり。監視カメラの映像を思い出してみて。百音さんは、部屋の方を見てたはず」
「そうだな。庭も塀があって、その向こうは隣家だ。どうやっても、くねくねが現れる場所がないのか。だが今まで事例がないってだけで、部屋の中や庭に出る可能性もあるんじゃないのか?」
なにせ怪異だ。人間が見出したパターンなど関係ないのかもしれない。
「ほら。ちゃんと思い出してってば。映像の中の百音さんの行動だよ」
「行動……ただ、部屋の中に入って行っただけじゃないのか」
「違う。彼女は部屋の中に入って、しばらく立ち止まって、早足で奥に向かった、だよ」
「あ……」
はっきりと思い出した。
映像で、百音は部屋の中に入ってしばらく静止していた。上半身が見切れていたが、足元だけは映していたのだ。
それから、まるで一時停止されたみたいに、動きのない状態が続いた。風にそよぐ草で一時停止じゃないのだと思った記憶がある。
そして部屋の中に消えた。素早く。
「百音さんは、部屋の中に入るまでは普通だった。変になったのは入ってから。庭じゃなくて、部屋になにかあったのは確かだよ。でも、そこにいたのは怪異じゃなくて、たぶん人」
「人? なんでだよ。くねくねかもしれないだろ」
なんで僕はこんなに怪異の可能性を支持しているんだ? 馬鹿らしくなってきた。
「理由2つ目。そもそも、くねくねは人を神隠ししたりしない。狂わせるだけ」
「そもそもくねくね」なんか、少し可笑しい。
「ちゃんと聞いて」
「悪い」
「人1人どこかへ連れ去るのは、人間の仕業だよ」
それは、まるで決定づけられたことを言うようだった。
「狂った人は、監視カメラに映らないように消えたりしない、でしょ?」
「そうなるとあの部屋に、茸林雅人でも百音でもない誰かが入っていたことになるが……どうやって監視カメラを掻い潜ったんだ?」
確認してみたが、窓には鍵がかかっていた……だけじゃない。しっかりと格子がはまっていた。インゴットを守るために、厳重な壁を作っている。
非合法の抜け道は1つある。勝手口だ。
塀を超えてしまえば玄関前のカメラは無視できる。勝手口自体は──九木の言葉を信じるならば──ピッキングで解錠できる。
そびえ立つ壁、それはやはり。
「勝手口を見張る監視カメラだ。あれをどうする?」
「あのカメラ、塀の外の電柱に取り付けてあったから。よじ登って塀に足をかければ、カメラに手が届くよ。そうやって、カメラの視界をずらしていけば……」
「動かすって言ったって、映像が乱れるだろうし、バレるだろ」
「あの家のカメラ、動体検知式だと思う」
「動体検知……」
聞き慣れない言葉だが、動きを感知して録画するタイプの監視カメラ、ということは察せられる。
「勝手口、玄関前、庭のカメラ。全部同じ型のカメラだった。動体検知なら、映像の穴もあるだろうね」
「なんで動体検知だって分かるんだ?」
「もう1回、映像を思い出して。あれ、途中からだったでしょ。しかも、あれより前の映像はない、編集もされてないって」
そういえば、九木が妙に念を入れて確認していた。
「始まったのは百音さんが縁側を歩いているところから。あれは、カメラが動体感知式だからだよ。動いているものが視界に入ったから録画を始めたの」
「……なるほどな」
「しかも、録画開始にラグがある。ラグがなかったら縁側に現れた瞬間から映像は始まるもんね。でも実際には歩いてるところからだった」
「なるほど。それなら非常口を通って、現場に行ける。だが今度は、庭のカメラがネックだぞ。あれは屋根の庇に付いてるせいで、よじ登って動かすのは無理だ」
「えっと、それはね……」
九木は人差し指を口に添える。
「秘密」
「はっ?」
「いや。8割くらいこれだっていうのはあるんだけど、残りの2割の確信が得られるまで、ストップ。全部じゃないって言ったでしょ」
「なんだそりゃあ……」
しかしこれ以上、頭に詰め込むのは僕も望むところではない。一晩寝て、整理をつけたい。
「残りは明日だよ。星太郎くん。小豆くんのこともあるしね」
「ああ……」
椅子から立ち上がると、血が巡る感覚があった。
おかげで、忙しなさで忘れていたことを思い出した。
***
「ってかさ、星太郎くん、同じ部屋で寝るわけだけど、襲ったりしないでよね!」
そう、この女と同室だということを。絶望、後悔、苦痛。
臓腑が軋みをあげている。
「──殺すぞ」
「そっちの意味で襲われる!?」
浴衣姿にさらりと伸びた黒髪。彼女はまるで文学作品に登場しそうな外見だ。
どんな毒も、美しい盃に注げば、美味な酒と見紛いそうになる。
内と外の乖離に、頭がクラクラしそうだ。
「あはっ。星太郎くん、いつも以上に目が合わないね。ちょっと顔赤いんじゃない?」
「怒りかもな。血が昇ってきた」
「とか言って……」
「ふーっ……」
「あ、マジでキレてる?」
僕は障子を隔てた、テーブルと椅子が置かれた窓際……広縁と呼ぶらしいが、あの小さなスペースに布団を持っていった。
「近づいたら殺す」
「普通、女の子側が言う台詞だよねー……」
「あ?」
「冗談だよ、もー……」
九木はやれやれと言いたげに眉尻を下げた。言いたいのは、僕の方だ。
「……まあいいや! 明日、頑張ろうね」
電気が消え、残った光は、カーテンに透ける月明かりのみとなった。
夜が更けていく。
不可解な失踪。怪異に襲われた男の死。怪異を目撃し、未だ発見されていない少年。
謎はまるで夜闇のように、街を覆っていた。
僕たちはこの闇を、晴らすことはできるのだろうか?
障子の向こうで寝息が聞こえる。
──そりゃ、多少は意識する。




